行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年8月31日(火)の日記

2010年08月31日 | 日記

月末日だからもうちょっと忙しいかと思ったが、昨日の週初の仕事と一緒に片が付いたので定時からそんなに経たずに帰れる。

晩飯はなか卯牛丼並と小うどん冷しのセット

明日から9月だけど猛暑はまだ治まりそうにない。この日記を書き始めた時間のウェザーニュースの全国週間予報画面は、大阪も含めて西日本に猛暑日の赤い晴れマークがずらり。先週はこの暑い大阪にいたわけだ。

関東にいたほうが少しはマシだということだけど、でも35~36度に対して33~34度では暑いことには変わりがない。湿度とか風が体感に大きく効いてくるのもあるが。いずれにせよ涼しくなるまでじっと我慢の子でいるしかないようだ。


2010年8月30日(月)の日記

2010年08月30日 | 日記

10日ぶりに会社へ来たから、多少、夏休みボケしている部分もあって、オフィスに入るときにIDカードをカードリーダーにかざすのを忘れかけたり、パソコンのログインや社内システムへのログインのときに一瞬、パスワードを今、何にしてあったか考えたりする。

休み中に来たメールをひと通りチェックして、それから自分がメインのタスクで他の人にやってもらっていた部分がちゃんと出来ているか、これもひと通りチェックする。そうしたらもう午後になる。月末1日前で週初だから、いろいろとやることが出てきて、会社を出たのは午後7時前になる。

晩飯は南行徳を降りてから松屋うまトマハンバーグ定食

夏休み中、さぼっていたダンベルエクササイズも再開。今日は上半身メニュー。


2010年8月29日(日)の日記

2010年08月29日 | 日記

夏休みの最終日。掃除は夏休み第1日目の土曜日にやったし、ほとんど家にいなかったから今日はさぼる。でも、洗濯ものは前の土曜日に着た分と昨日、着て帰ってきた分があるので今日はやる。

トップページのレポートは2週休んだので、今日は更新するつもりだが、8月末になっても猛暑が続く光景を載せようと考えた。

昼ちょっと前に自転車で出かけるが、まず昼飯ということで行徳駅近くのメイプルに寄る。

休日のお得セットからポークスタミナカレーとサラダのセットを食べる。

そのあと市川水路のほうへ行ってみる。水辺なら夏らしい景色があるかと思ったが、どうもそんな感じではなかった。ちょうど干潮の時間だったようで、堤防から釣り糸を垂れている人も少なかった。

湾岸道路まで出て千鳥大橋から行徳の街のほうを写す。

湾岸道路のほうはあまり行かないから、この方向から街のほうを写したのは初めて。

街のほうへ戻り、妙典駅前を通って寺町通りへ。約1ヶ月ぶりに来るが、歩道設置工事がどこまで進んでいるかを見る。

バイパスを渡ったところから見るとこんなふう。歩道は工事中だが、すでに街路灯が立てられていた。

徳願寺の前は花壇、いやお寺の前だからおそらくは背の低い樹木を植えるための土を入れるコンクリートの枠が作られていた。

徳願寺前交差点のところに工事期間を書いた看板。日にちは書き直したあとがあるが、今のところ10月末頃までの予定ということだ。

行徳街道寄りの区間はこんな感じ。街路灯はまだ立てられてはいなかった。

旧江戸川沿いに出て常夜灯公園へ。暑いせいもあるし、日差しを避ける設備が少ないせいもあるだろうが、人の姿がまばら。そうした公園の光景なら暑い日らしいのでトップページレポートに使おうと何枚か写す。

親水テラスのほうへは3月に開放されたとき以来、降りていなかったので今日は降りてみる。下流側にプレジャーボートなどの船が泊まっているのが見えたが、こういう角度から船が見られるのも親水テラスならでは。

行徳駅前の弁天公園でやっているかもねぎ祭りにも行ってみる。こちらは盛況。夏休み最後の日曜だからちょっと楽しんでこようという家族連れが多かったのだろう。こちらも夏の光景として撮影。

テントの下の模擬店をながめると、やはり猛暑のせいか冷たい飲み物やかき氷などに人が集まって、熱い食べ物のところは人が少ない。

何か冷たい飲み物でも買って飲もうかと思ったが、ペットボトルのしか売っていない。カメラ用の小さめのバッグだったから、買っても入れるところがない。缶だとビールになってしまう。自転車だし、それに今日はもう飲みたいとは思わない。

しょうがないので買い物ついでに西友に行って地下1階のフードコートへ。西山ラーメンの脇にソフトクリームやドリンク類を売っているカウンターがあるので、そこでコーラを買って飲む。するとグラスに入れてくれた。

たまにコーラやソーダ類を飲むことがあってもファストフードの店でだから、紙のカップになってしまう。グラスでコーラというと昔からの喫茶店とか、子供の頃に連れて行ってもらったデパートの食堂などだったから、こういうコーラは久しぶりだ。

西友で買い物をして帰り、写してきた画像でトップページレポートを更新。

晩飯は南行徳駅前まで行ってなか卯。並牛丼と冷しの小うどんか、ミニ牛丼とざるうどんにしようかと思っていたが、季節メニューが一部変わって鴨つけそばが登場していた。ライスとつけものをセットにした鴨つけそば定食もあったので、それにする。

つけ汁は温だけど、熱いというほどではないから今日のような暑さでも食べるのに問題なし。鴨の脂がうまかった。

親の家に行っていた間に録画しておいた番組を、トップページレポートを更新するとか洗濯物を片付けるとかいった合間に見る。全部見るにはあと1日か2日はかかりそうだ。 

今日は早めに寝て明日から仕事。さっそく月末の仕事になる。


2010年8月28日(土)の日記

2010年08月28日 | 日記

親の家で昼飯まで食べて、午後2時前に新大阪を出る新幹線で戻ってくる。

行きは一瞬しか見えなかったのでとても写せなかった東静岡のガンダムだが、帰りはデジカメの動画撮影を試みる。そういえば、去年、お台場のガンダムは2度見に行った。1度目は海の日の休日にサイクリングで。2度目がやはり夏休みで大坂から戻ってくるときで、昼頃に東京へ着く列車に乗ってその足でお台場へ寄った。

座席は2列席の窓側。つまり、ガンダムが見える側。静岡を通過してデジカメを構え、頃合いを見計らって撮影開始。東静岡駅の駅舎が見えた。

と思ったら何これ?

東海道線は静岡駅では新幹線の山側(2列席の側)になるが、静岡を東京方面に出て少しすると海側へ移ってしばらく並んで走る。ところが、山側は東静岡の先まで車庫や貨物列車の駅などがある。東静岡の駅は車庫や貨物駅や新幹線をまたぐように駅舎が作られている。

出くわしたのは貨物列車か、あるいは線路のメンテナンス用の車両だと思う。撮影直後に再生すると、どうもガンダムが見えないから撮影タイミングを間違えたかと思った。その時点では、貨物かメンテナンス用の車両に阻まれたことには気が付かなかった。家に帰ってから動画ファイルをパソコンにコピーして、コマ送りで見てみて、判明。しかし、いまいましい車両だ。

で、ガンダムは全然写っていないかとあきらめかけたが、コマ送りして見て行くと、止まっていた車両の隙間からちらっとだけど見えることが分かった。止まっていたのはコンテナを積んだ貨物列車かもしれない。コンテナなら、ぴたっとつけずに隙間を空けて積むようだから。

矢印のが実物大ガンダムと思う。

こちらは頭部が隠れてしまったが、はっきりそうだと分かる。

静岡の実物大ガンダムは来年3月下旬までは建っているようだから、それまでに一度ぐらいは見に行ってみよう。

今日は雲が多少あったが、富士山は見えた。富士川を渡り終わったあたり。夏の黒い富士山が現れた。

東京駅を降りたら、暑いものの大阪ほどではなかった。新幹線車内の通路の上にあるLEDディスプレイでニュースフラッシュを流しているが、大阪は連続13日猛暑日の新記録になったらしい。夕方、家に帰ってから見たニュースでも言っていた。なんか、サウナに入りに行ったようだった。

午後5時ちょっと前に南行徳に着く。8月下旬の今の時期は午後5時でも、まだ日が高く、駅は西日を受けていた。

帰って、荷物を片付け、モバイルノートPCから夏休み中のデジカメ画像、このブログにUPした画像、書いてUPしたポタリングのレポートなどをデスクトップに移す。

そして今日の日記をここまで書いてから、串揚げの喜多朗に行く。

月曜日に大阪梅田で串カツ屋に入ったが、そうすると、どうも自分が一番馴染みの喜多朗に行きたくなった。

最初は生ビール。最初にソース、ポン酢、塩のおてしょうが出てくる。そして、お通しサラダとお通し小鉢。

8本コースを注文。最初はアスパラの大きいのが出てくる。

この店の流儀のものが出てきたらホッとした。そうすると、月曜日に大阪の串カツ屋に入ったときに、いろいろと食べて飲むのを楽しみはしたが、同時に、ずいぶんと緊張していたのが蘇ってきた。喜多朗のソースが入ったおてしょうでは、どうしても二度付けになってしまう。この流儀に馴染んでいるから、ソース共用で二度付け禁止の関西の串カツ屋でうっかり二度付けしてしまわないように、意識をかなり向けていた。そうして実はかなりの緊張状態にあったので、馴染みの店へ行ってバランスを取りたくなったのだと、自分の心理状態を解釈する。

喜多朗は何年か前から、鳥取県境港市にある千代むすび酒造の酒を入れている。境港が「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげる氏の故郷で、「ゲゲゲの鬼太郎」にちなんだ銘柄を出している酒造だが、「きたろう」つながりで入れるようになったとのこと。そして、今年はNHKのテレビ小説「ゲゲゲの女房」がやっているので、その絡みで出てきた千代むすび酒造の酒などをいろいろと置いているようだ。

カウンターの上にはこんな絵が飾られていた。

ゲゲゲの鬼太郎関係の銘柄やボトル、箱もいろいろとあった。

だけど、ここまでの夏休み中にけっこう飲んでいるし、また、親の家にいるとどうも食べ過ぎ気味にもなっている。なので、日本酒はやめておき焼酎にする。千代むすび酒造の日本酒は複数あったようだけど、焼酎はぬりかべ焼酎(米)一種類だった。

このぬりかべ焼酎をロックで飲む。

8本コースの最後は海老。

ぬりかべ焼酎のあとは、無一物(麦)でいく。追加の串揚げは右から帆立いかぎんなん

そして、もち

最後はデザートでバナナ

夏休みでちょっと不摂生になったので、明日からは飲むのを控えることにする。食べるほうも控えめに。それに、来週は月末と月初でいろいろとやることがある。


2010年8月27日(金)の日記

2010年08月27日 | 日記

一昨日、昨日と出かけて暑い中を歩いたりしたので、今日は休息日にする。夕方まで親の家にいて冷房を効かせて持ってきたDVDを見たり、iPodで音楽を聴いたりする。目から映像が入ってくるDVDはいいとして、寝転んで音楽を聴いているとすぐに眠くなってしまう。

晩飯は両親と近所で評判がいいというとんかつ屋へ行く。親が古くなった前の家を売って今のマンションに引っ越してからもう5年だが、あまり外食をすることはなく、そのとんかつ屋は初めて行く。いいとんかつ屋だが、年寄りにはちょっとボリュームが多い。

さて週末が来て、今年の夏休みも残りわずかになった。


2010年8月26日(木)の日記

2010年08月26日 | 日記

大阪にいても暑いので、山のほうの少しでも涼しいところへ行く。3年前の夏休みには高野山へ行った。2年前は天候不順だったので特にどこにも行かなかったが、去年は比叡山へ行った。そして今年は吉野へ行く。吉野は22、3年前、自分が社会人になって3、4年目の頃、やはり夏休みに父親と二人で行ったことがある。父親は今はもう歳で、暑い時期に山の上の坂が多いところなどは行きたがらないので、今回は一人で行く。

大阪阿部野橋から近鉄線で吉野行きに乗る。行きは指定席などはないふつうの型の車両の急行で。

1時間半ちょっとで吉野に到着。吉野は観光地とはいえ、賑わうのは桜の季節。今は夏休みシーズンといっても、今日は平日だから閑散としている。電車で終点まで来たのも自分を入れて数えるほどの人数しかいなかった。

ロープウェイで吉野山へ上る。このロープウェイは昭和3年にできたという古いもの。自分の父親が生まれたのと同じ年だ。

吉野山は桜の木が多いことから、低いほうの地区から下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれている。ロープウェイで上ったところが下千本。

街路は峰づたいにゆるやかに上っていくが、それにしても地元の人や、地元の車以外にはなかなか出会わなかった。

やがて前方に大きな山門、そのとなりに萱葺き屋根の大きなお堂が見えると、それが金峯山寺

吉野山の中心となるお寺。萱葺き屋根の大きなお堂が蔵王堂。

ここまで来たら、外国人観光客が数人いた。

道を進むとわき道の入り口に鳥居。

その先に吉水神社というのがあるので行ってみる。事前には観光協会のホームページをざっと見たぐらいなので、どういう神社かは詳しく知らなかった。

境内の一隅に眺めのいい場所があって「一目千本」と名付けられていた。桜の季節には向こうの峰一帯の桜を見ることができるから、そう名付けられたのだろう。

お参りもしていくが拝殿隣の書院のほうが有名らしい。歴史上の著名な人物にいろいろと関係があるというのを来て初めて知った。

拝観料は400円かかるが払って見てくる。

この書院は、源平の時代には兄・頼朝に追われた義経・弁慶主従一行と静御前が吉野に身を隠したときに滞在したという間がある。南北朝の時代には南朝の皇居となり、後醍醐天皇はじめ南朝の天皇の玉座が設けられた間もある。そして、安土桃山時代には豊臣秀吉が諸将を集めて吉野の花見を催したときに本陣が置かれたといい、秀吉が使った屏風が残されていて展示されていた。また、一休さんや水戸黄門ゆかりの品(書き物)もあって展示されている。とにかく、歴史上の著名人とずいぶん関係がある。

少しきつめの坂が現れるが、そんなに長くなく、上ったところが中千本の中心部。そこまでそんなにきつくなかったし、長いとも思わなかったので、さらにその先、上千本まで行って戻ってくることにする。奥千本は距離的にバスでないと無理なようだ。

上千本に水分(みくまり)神社というのがあるようなので、そこまで行ってみることにした。その付近は眺めもよいらしい。徒歩で20分程度とのこと。時間的にも余裕はある。

上千本方面への入り口はこんな坂道。

きつめの坂だが最初だけかと思っていた。これが間違い。途中で平らになる区間はわずかしかなく、きつい坂が延々と続く。しかも途中から九十九折になる。でも、山の中とはいえ、まわりには集落が続いていた。

暑さでハアハアいいながら上り、途中、上千本の看板と公衆トイレとベンチがあるところで休憩。さらに上ってようやく水分神社が見えた。

これが水分神社の境内。お参りしてくる。

少し戻ったところに展望台がある。眺めのいいところに茶屋を作って展望台にしているが、今の時期にここまで来る観光客はほとんどいないのだろう、茶屋は休業状態だった。

上りはきつかったが、この眺めが見られたなら来た値打ちはある。

遠くに大阪と奈良の府県境の金剛山や葛城山、二上山が見えた。

今歩いてきた吉野山の峰づたいの街を見る。金峯山寺の蔵王堂はひときわ目立つ。

ロープウェイの山上乗り場からだと、100と数十メートルかあるいは200メートル以上の標高差を上ったと思う。

吉野はさらに紀伊半島の山を峰づたいに熊野本宮まで達する、修験道の修行道の入り口にあたる。水分神社までのきつい上りはそのほんの入り口。こちらは別に山岳修行をしに来たわけではないので、さっさと低いところまで下りて今日のお楽しみといく。

おいしいものを食べて昼呑みするつもりだったから、歩いてくる途中、よさそうな店がないかチェックしておいた。この静亭という店に入ることにする。

20年余り前に父親と吉野へ来たときのことはもうあまりよく覚えていないが、昼飯に鮎定食というのを食べたのは覚えている。当時はインターネットなどまだ普及前だから、新聞の行楽情報で鮎定食をやっている店のことを知り、それらしき店に入ったのだった。外から見るとそれがどうもこの静亭だったように思えた。今も静亭には鮎定食がある。もちろん、ほかにも鮎定食をやっている店はあったが。

鮎定食はもちろん注文。でも鮎を焼くのに多少時間がかかるので、間を持たせるために山くらげも一緒に注文。飲むほうはまず瓶ビール。

長い坂道を上って下りてきただけに、最初の一口が旨い。

鮎定食がようやく登場。ビールが終わったので地酒の生酒にする。やたがらすという銘柄。ラベルは静御前のイラストが載った、この店のオリジナルラベルだった。

やたがらす(八咫烏)とは熊野本宮の神の使いとされる鳥のことだということで、それにちなんで付けた名前だろう。

もうちょっと飲みたいので、やたがらすの本醸造のほうを燗にせず常温で一合だけ飲む。それと山ふぐ(こんにゃくの刺身)も食べる。

店は空いていたので眺めのいいテラス席に通された。帰りの列車までは余裕があったので、2時間ぐらいかけてゆっくりと飲んで食べる。向こうの山の稜線の上に入道雲が湧き出す眺めはなかなかいい。

遠くに入道雲は湧いたが自分のいた場所の真上ではなかったので、雨は大丈夫だった。

飲み食いし終わってロープウェイ乗り場へ向かい、吉野駅まで下る。列車まで時間があったので、駅前の店でソフトクリームを食べる。吉野桜にちなんださくらソフトクリーム

ほかにはよもぎソフトもあった。また来る機会がいつかは分からないが、今度来たらよもぎのほうも食べてみたい。

帰りは座席指定の特急。でもたったの2両連結。

観光客が少ないときはこうなのだろう。しかも、最初のほうはこまめに停まってお客さんを集めていた。

途中までは起きていたが、やっぱり飲んだ後だから眠ってしまい、気がついたら大阪阿部野橋だった。親の家での晩飯も今日は軽く。


2010年8月25日(水)の日記

2010年08月25日 | 日記

母親が昨日、受けた白内障の手術は特に問題なし(それが普通で問題があったら困る)。母親は今日、明日は病院へ見てもらいに行くが、自分のほうは特に家で待機している必要はもうない。暑いが家でじっとしていても太るだけだから、でかけることにする。

午前11時ごろに出かけ、南海高野線の大阪狭山市駅まで行く。

昔は狭山遊園前という駅で、南海電鉄系の狭山遊園の最寄駅だった。その狭山遊園は2001年に閉園している。

1980年代ごろまで堺や南海高野線沿線で子供時代を過ごした人には、最初に連れて行ってもらった遊園地が狭山遊園という人も多いだろう。自分は最初に連れて行ってもらったときのことは小さくて覚えていないが、狭山遊園で父方の祖父母と一緒に写っている写真がアルバムにある。そのあと、小学生ごろに大阪地区では最初に水が流れるタイプのブールができて「リバープール」という名前が付けられていた。中学の頃まで夏にプールへ行くというと狭山遊園のリバープールだった。今でも、狭山遊園というとリバープールのことが頭に浮かぶ。

大阪狭山市駅前からの街路樹のある通りが、今は住宅地の道だが、かつては狭山遊園への道だった。

狭山遊園のゲートがあった場所。遊園地跡は今は戸建の住宅地に大きなマンション、それと写真で右のほうになるが災害時の避難場所も兼ねた公園になっている。右下のほうに狭山遊園跡であることを示す記念碑が見える。

これがその記念碑。

これを見ると狭山遊園はそんなに大きな遊園地ではなかったようだ。子供の頃は規模がどれぐらいなんてことは全然気にしなかったが。記念碑の航空写真で分かるが、狭山遊園は大きなため池のほとりにあった。そのため池が大阪府下で一番大きい狭山池

遊園地跡の公園を通り抜けると狭山池の堤防に出る。今は公園の外周に遊歩道が整備され狭山池公園という名前になっていた。

ため池としての貯水量では香川県の満濃池が日本一ということだが、作られた時代は狭山池が日本で一番古い。7世紀のはじめごろ-つまり西暦で600~610年代らしい。大化の改新の30年から40年ぐらい前あたり。大学進学前まで大阪にいたときは、狭山池が大阪で一番大きいため池というのは知っていたが、そんな歴史があるというのは知らなかった。

今日は狭山遊園跡がどうなったかを見るのだけが目的ではなく、2001年に狭山池のそばに開館したという大阪府立狭山池博物館へ行くのがもう一つの目的。池のほとりの遊歩道を歩いて、博物館へと向かう。

博物館の前に来た。

エントランスのところは最初、「?」と思うようは造りになっている。一見、船のドックに見えたが、そうではない。凹型の中央のくぼんでいるところに池が作られている。それだけでなく両側の高いところもまた池が作られている。くぼんだところへ下りると池のほとりにも通路があるが、両側の高くなったところの下にも通路がある。通路の奥が博物館の入り口。

通路の奥のところまで来たところで、両側の高いところの池から下の池へ水が落ち始め、水のカーテンのようになった。

一定時間ごとにためた水をあふれさせて落としているようだ。ため池の博物館ならではの演出なのだろう。

驚いたことにこの博物館は入場無料だった。大阪府も財政は厳しいだろうになかなかの太っ腹だ。ずっと入場無料が続くかどうかは保証の限りではないが。

この博物館の目玉は狭山池の堤の断面をまるごと切り出してきて展示していること。(なお、どこにも撮影禁止とは書いていなかったので1枚写す)

昭和50年代に狭山池の下流の中小河川が大雨で洪水を起こして大きな被害が出たため、平成になってからだが狭山池の貯水能力を高めるために大規模な改修が行われたとのこと。そのとき、7世紀に作られて後の時代にも繰り返し改修が行われてきた堤を、弱いところを削ったり、また新たに土を加えて強く大きくしたりしたので、断面の形が変わるになった。それで、発掘調査が行われて、発掘された昔の木の樋管などとともに切り出したそれまでの堤の断面を土が崩れないような処理を施して博物館内に運んで展示している。

狭山池は堤で川をせき止めて水をためているのだが、日本で最古のダム式ため池でもあるということ。7世紀に堤を作ったときに使われたという「敷葉工法」というのに興味を引かれた。土を盛っていくときに葉の付いた植物の枝を土の上に敷き詰め、その上に土を盛り、また植物を敷き詰めというのを繰り返すことで盛り土が頑丈になるということだ。このやり方は中国から朝鮮半島を経て伝わったらしい。歴史の教科書だと遣隋使とか遣唐使という言葉が登場する時代だ。

土木についての専門的な知識はないから、今の時代に土盛りを作るときにどういうやり方で強くしているのかは知らないが、敷葉工法のことを聞いて、鉄筋を入れてコンクリートの構築物を強くするのと同じような発想だと思えた。

大きな展示物はあるが、博物館自体はそんなに大きくないので全部見るのにそれほど時間はかからない。見終わったら昼飯の時間。大阪狭山市駅から狭山池や博物館の間には小さな喫茶店が一つか二つあったぐらいでファストフード店なども見当たらなかった。ところが、博物館に喫茶室があるのを発見。カレーライスやハヤシライスにスパゲッティぐらいだが軽食もあるようだ。

この博物館を入場無料にしている大阪府の太っ腹に敬服もしたので、こちらの喫茶室で昼飯を食べていくことにする。

喫茶室はガラス張りで狭山池の土盛りダムや博物館の背の高い建物が見られるようになっていた。

和風スパゲティコーヒーフロートで昼飯。

食べ終わり、博物館をもうちょっとだけ見て外へ出たら午後2時近い。1日で一番暑い時間だが、狭山池の周りをぐるっと歩いてみることにする。大阪府下で一番大きいといっても湖ではなく、一応はため池で外周もたいした距離ではない。日焼け止めは塗ってきたし、帽子もかぶっているし、途中で買ったミネラルウォーターのペットボトルも持っているし。

ぐるっと歩いた感覚でいうと狭山池の大きさは、行徳で言えば、野鳥の楽園の干潟+宮内庁鴨場+(干潟と今井橋通りの間の)行徳高校・塩浜団地ぐらいと思えた。だから、野鳥観察舎から今井橋通りに出て湾岸道路との交差点まで行き、湾岸道路を行徳駅前通りとの交差点まで行って駅前通りに入り、さらに千鳥橋を過ぎてから干潟や鴨場側の住宅地の道を抜けて福栄公園まで来て野鳥の楽園に戻り、野鳥観察舎までぐるり一周歩くのと同じぐらいと思う。もっとも行徳の野鳥の楽園は水辺をぐるりと歩けるようにはなっていないが。

狭山池博物館は水をせき止めたダム(池の北端)のそばにある。半時計方向に歩いて、反対側の山のほうから流れてくる川が狭山池に流れ込むところ(南端)まで来た。右のほうのマンションが狭山遊園跡地。

狭山池は水鳥もけっこう来るらしいが、今日はあまり見かけなかった。でも、南端のところから見ると、水辺に鳥が5羽ぐらい集まっていた。

狭山遊園跡の公園まで来て一休みし、大阪狭山市駅に戻って電車で親の家に帰る。狭山池の周りを歩いているときは別になんとも感じなかったが、帰ってから少しぐったりした。暑いところを歩いたりするダメージはこういうふうに出るようだ。少し寝転んでいたら回復したが。


2010年8月24日(火)の日記

2010年08月24日 | 日記

今日は母親が昼過ぎから片方の目の白内障の手術に出かける。なので、晩飯は自分と父親が担当。といっても、近所のスーパーで買ってきた惣菜と、昨日、母親が作っておいたものなどを盛り付けるだけだが。

自分が4月に手術した白内障はけがが原因のようだったが、母親のほうは老人性。けっこう前から目がかすんでいたそうだが、自分が手術した話を聞いて病院で見てもらったら、もう手術したほうがいい状態ということで受けることになったとのこと。別にこちらの夏休みとスケジュールを合わせて手術日を決めたわけでもなく、自分のほうも毎年、今の時期が夏休みだから別に合わせたわけでもない。4月の手術のあと、顔に水がかかってはいけない期間、使ったドライシャンプーはまだ十分に残っているので、それは持ってきた。

それで今日は親の家で待機。

午前中は別に何もすることはないので、この前行った行徳~千葉のポタリングのレポートを作る。大阪へ来る前に使う画像は縮小サイズを作り、ほかの必要なファイルとともにモバイルノートPCにコピーしておいた。

昼過ぎに出来上がって、屋根裏部屋自転車ページにそのレポートをUPする。

病院は近いところで、母親の白内障手術は日帰り。実際に行って帰ってくるまで3時間ぐらいだった。

その間はDVDでも見ようかと思っていたら、一昨日、アマゾンに発注した母親のパソコン用の増設メモリが届く。それで、母親のパソコンの面倒見・パート2になる。そのメモリを取り付け、それからウィルスバスターを最新版にバージョンアップ。そして、旅行で写したりしたデジカメ画像がハードディスクのどこに入ったか分からないと言っていたので、探して写真画像用のフォルダに整理。ハードディスクのCドライブとかDドライブとか、階層構造のフォルダとかいったことは何年パソコンを使っても理解してくれないから、親の家に来るたびに面倒を見なくてはならない。

これで一通り済んだかと思ったが、最近の写真画像のDVD-Rへのバックアップがまだあった。これは親の家にいる間にやっておけばいい。


2010年8月23日(月)の日記

2010年08月23日 | 日記

夏休み3日目は午前中から映画を見に行く。

梅田はJR大阪駅の北口から数分歩き、貨物駅を地下通路で抜けたところにある梅田スカイビルへ。一昨年の夏休みにも映画を見に来た。このビルにはミニシアターが2つあるが、今日は日活系のシネ・リーブル梅田

見た映画は瞳の奥の秘密

平日だけど、年配の観客で賑わっていた。今日は自分も観客の平均年齢よりも低いほうに入るだろう。アカデミー賞の外国映画賞の最優秀になった作品らしいから、それが人を集めていると思える。また、今のところ関西地区ではこの映画館でしか上映していないから。

映画は内容的に重いものなので、音楽や効果音を多用した演出はなくとも眠くならず見ることができた。そして、ラストの数分のどんでん返し的展開には驚く。25年も前に妻を暴行殺害された、一見、おとなしそうな銀行員の夫が、実はこんな残虐ともいえる面を持っていたことが明らかになる。愛情と憎悪の裏腹な関係を赤裸々に描き出し、見るほうもただその事実をそのまま受け止めざるを得ない物語。

ただ、ラストに主人公がヒロインの愛を勝ち取るところは、それまでの内容を考えると取ってつけたようで、蛇足だと思えた。

 

映画が終わったのは午後1時半ちょっと前。JR大阪駅のほうへ戻る。北口には大きなビルの工事中。左のほうは数年前にオープンしたヨドバシカメラ。工事中のビルには来年春に三越伊勢丹が入るらしい。

夏休み中だし、映画も見終わったし、時間的にビジネスマンのランチタイムも終わった頃だから、今日は昼呑みすることにする。

一度、関西の串カツ屋へ入ってみたいと思っていた。串カツ(串揚げ)は行徳の喜多朗しか知らないし、関西の串カツ屋のことは話に聞いたことしかなかった。一度、父親に若い頃、勤め帰りなどにそうした店に入ったことがあるか聞いたが、全然ないと聞いて驚いた。また、親は前にいた家が古くなったので、今はマンションに引っ越しているが、前の家の最寄駅のあたりにそうした店があったことは自分も覚えがない。今はできているようだけど。串カツ屋というのは関西でも決して昔からメジャーな存在ではなかったようだ。広がってきたのはホルモン焼肉と同じようにもっと最近(ここ20年か30年ぐらい)のことなのだろう。節分の時期の恵方巻きと同じようなものかもしれない。恵方巻きのことなど、自分が予備校生まで大阪にいた頃は全然、知らなかった。関西でも限られて地域の習慣らしかったそうだが、ここ30年ぐらいでおすし屋さんの業界団体が宣伝して、広まったようだ。自分が大阪を離れてからもう30年を過ぎている。

それで、JR大阪駅の南のほうへ抜け梅田の地下街へ来て、串カツ屋がないか探す。映画の時間や余裕をもって着ける電車の時間は調べてきたが、串カツ屋までは調べは来なかった。

阪神電鉄梅田駅は昔から地下になっていて、まわりの地下街も古くからあるからそのあたりにないかと探す。すると、阪神梅田駅に沿った地下街に細い通路に小さな店が並ぶ、ぶらり横丁というのがあった。

通路は地下街のメインの太い通路に対してL字型になっていて、その角のところに七福神というカウンターだけの串カツ屋を発見。ここで食べて飲んでいくことにする。

ランチタイムは定食メニューもあるが、午後2時近い時間ではビジネスマンはもうおらず、自分が入ったときはほかのお客さんはいなかった。最初はビール中生と盛合わせ。盛合わせは6本。

関西の串カツはソースは共用。だから(一度、口に入れて半分ぐらい食べたものの)二度付け禁止となっている。この店は二度付け禁止とは別に書いていなかった。小さい店だし、昔からの地下街の飲み屋が集まっている場所だから、そんなことは常識ということなのだろう。

盛合わせを食べ終わったら、あとはメニューからいろいろと注文。飲むほうはビールが終わって何にしようかと思ったが、この暑いさなかに日本酒は冷やでも飲んだ後がちょっときついと思ったので、焼酎のロックにする。まずは赤薩摩

4本注文して焼酎ロックを1杯。また4本注文して焼酎ロックを1杯。2杯目はさつま白波

そしてあとは麦焼酎でむぎのかを1杯。串カツの最後の2本はりんごともち。

壁に貼ってあった新聞の紹介記事を見ると、この店は古くからあるのではなく、2007年の開店ということ。りんごやモチ以外にミニトマトもあったりして、けっこう、今風の串カツ屋ではないかと思えてきた。すべてソースを付けるのではなく、塩をつけるもの(ぎんなんやモチ)やシナモンシュガーをつけるもの(りんご)は、出すときにちゃんと言ってくれる。この感覚は行徳の喜多朗と同じようなもの。関西の串カツ屋に入ったのは今回が初めてだから、この店が関西の串カツ屋の典型かどうかまでは分からない。でも、一口に関西の串カツ屋と言っても、昔からの流儀でずっとやっている店や、関西以外に進出した店のやり方をブーメランが戻ってくるように影響を受けたりした店や、いろいろなところがあるのだろう。

串カツは100円と150円のものしかなく(そのかわり大きなものが出てくることもないいが)、ビールも中生で450円、焼酎は1杯350円だったので(みんな税別)、かなり食べたが、お会計は4,000円をちょっと割るぐらいだった。

飲み食いし終わって、L字型通路の短いほうから出る。JR大阪駅のほうから来ると、最初にこの入り口が見えたが、初めて足を踏み入れるところだし、串カツ屋しか見えなかったから、つい用心してもう一方の入り口のほうまで行ったのだった。

この串カツ屋があるあたりだと地下鉄は御堂筋線の梅田駅よりも四つ橋線の西梅田駅が近いので、四つ橋線に乗って難波まで行く。

四つ橋線は、予備校通いをしていた年は毎日乗っていた電車。西梅田まで来ていたわけではないが。

難波へ着いて、御堂筋から南海電鉄の難波駅を見る。

南海電鉄は阪急や阪神、近鉄のように自分のところでデパートを持たず、難波や堺東の駅ビルには高島屋がテナントとして入っている。最近のニュースによると難波の高島屋は関西一のレベルに増床する改装を行っているということだった。梅田にできる三越伊勢丹への対抗のためらしい。でも、この角度から見る限り工事をやっている様子は見えなかった。どうも、写真の左側の建物が道沿いに曲がっているほうを改装しているようだ。

南海難波駅が今のような形になったのは約30年前。3階コンコースへ上る大階段とエスカレーターの脇に吹き抜けになっているところは、当時、実物の宇宙ロケット(エンジンなどは当然、外されていただろう)を持って来てモニュメントとして置いていて、そこをロケット広場と呼んでいた。彫刻のような芸術作品でなく、実物のロケットをドンと置くような感覚がいかにも関西的とマスメディアにも取り上げられていた。

でも、今はもうロケットは撤去され、その場所には2階へ上るエスカレーターなどが設置されていた。30年も経つと時代は変わるのだろう。


2010年8月22日(日)の日記

2010年08月22日 | 日記

朝は南行徳駅前のマクドナルドへ行ってモーニングのセットを食べる。

その帰り線路沿いの道を南行徳駅のところから少し行徳寄りに歩いて最初の信号のところ、線路沿いにあった古い民家が取り壊されて更地になっていた。

この民家の敷地には大きな桜の木があって道路のほうに張り出していた。毎年春には朝、駅へ向かう途中に桜の花を眺めることができたが、それも今年の春で見納めだったことになる。残念なことだが、私有地なのだから仕方のないことだ。

 

昼過ぎの新幹線で大阪の親の家に向かう。

東京駅に1時間ぐらいの余裕を持って着くように出かけ、列車が出る前に昼飯を済ませる。日本橋口から入ったところの飲食街で山水宝という蕎麦屋に入る。

肉南蛮そばを食べる。肉は鶏肉。

静岡を通過するまでは眠らないようがんばって起きていた。去年、お台場にあった等身大ガンダムが今年は静岡のすぐ手前、東海道線の東静岡駅前に建っているから、それをカメラに収めようと思った。だけど、静岡市街に来ても線路近くの建物に遮られてなかなか見えない。18mの高さでは送電線の鉄塔のように遠くから前方に見えるというのはちょっと無理なようだ。

東静岡駅の脇を通過するときに、まさに突然、前方でなく横に現れてすぐにまた見えなくなった。見えた時間は5秒、いや3秒もなかっただろう。カメラに収めることはできなかった。

新大阪についてホームへ出ると、サウナに入ったようだった。やっぱり大阪は暑い。

親の家に着くと、さっそく母親のパソコンの面倒見。プロバイダーが迷惑メール対策で送信サーバーの設定を変えて、メールクライアントの設定も変えないといけないのだが、母親はそういうことまでは分からないので、2ヶ月ぐらいメールが送れなくなっていた。設定を変えて送れるようにする。

そのパソコンは4年前のXPマシンでメモリが512MBだから、いい加減、遅くなってきたからメモリ増設をしたほうがいい状態になっていた。適合するメモリを探して、アマゾンに注文を出す。自分が親の家にいる間には届いて取り付けられるだろう。