今日は買ったばかりのDVDの映画を見る。(ブルーレイは出ていなかった)
「青べか物語」。1962年(昭和37年)の作品。自分まだ1歳の赤ん坊の頃に作られた映画。
東宝DVD名作セレクションの一つとしてこの7月21日に発売になったもの。少し前にAmazonで表示されたので予約してあった。
浦安を舞台にした物語ということで知られていて、原作小説の文庫版は20年ぐらい前に読んでいる。
DVDケースの写真がモノクロのものばかりなので、4対3画角のモノクロ作品かと思いきやシネマスコープサイズのカラー作品。
冒頭で東京都内の空撮が始まる。もう存在していた東京タワーが映り、そのあと千葉にかけての臨海工業地帯が映っている。つまり京葉工業地帯がどんどん形作られていた時代。その中で都県境の江戸川デルタの先端にある町は変化から取り残されて昔のままの姿を止めていると紹介される。
浦安は原作小説通り「浦粕」の名前で登場するが、江戸川は「根戸川」という変名にはならずそのまま「江戸川」。「旧江戸川」という呼び方でもなく「江戸川」。
浦安の空撮は境川の下流から進んで行き、江戸川の手前まで映る。奥に左右に流れるのが江戸川。右のほう手前に流れているのが境川。中央の緑の部分が堀江の清瀧神社の鎮守の森になる。
1962年の浦安の風景はこんな感じだったのかと思う。
そのあと、浦安橋(劇中では浦粕橋)の手前が終点のバスを降り立った主人公(名前は示されず、劇中では小説家の「先生」と呼ばれていた)が橋を渡りつつ川を眺める場面。主演は森繁久彌だった。
たしかにこれは浦安橋からの江戸川下流だ。右のほうには妙見島の先端が見えている。
そしてメインタイトルが出るが、バックが1962年当時の東京の繁華街とその時代の週刊誌。
原作小説の最後のほうには作者の山本周五郎が浦安を再訪する話が載っていた。原作をパラパラめくっていつの頃の話かを確かめると、山本周五郎の浦安滞在は大正15年から昭和4年までの約3年間(大正天皇崩御が12月末で昭和元年が1週間ぐらいしかなかったのでそういうことになる)。再訪は2度行っていて、1回目は8年後(ということは昭和12年)で2回目が30年後(昭和34年・・1959年)。つまり2回目はこの映画の3年前になる。
映画の森繁久彌は髭を蓄え、ジャケットをピシッと着ているから、浦安を再訪し若い時を振り返る話・・・つまり最初と最後以外は回想形式の話なのかと思った。ところがそうではなかった。同時代(1962年)に浦安に紛れ込んだ小説家の話として描かれていた。
序盤は森繁久彌はほとんどセリフをしゃべらず、モノローグだけになっている。ずっとそれが続くのかと思ったが序盤だけだった。その序盤で浦安は時代に取り残されたというよりも、時代の変化を拒絶した町というようなことを言っている。つまりはそうした、ある意味、異世界に入り込んでしまった人物の体験談になっている。
決してすべてではないだろうけど、かなりの部分は当時の浦安でロケが行われたようだ。
「先生」が老人に無理矢理買わされた青べかを操る練習をしているのは江戸川。
バックに浦安橋と妙見島が見える。今の浦安橋は桁橋だが、かつてはトラス橋だったことも分かる。
海から帰ってくるベか舟群。これはどこだろう。境川の下流のほうか。
こちらは境川のもっと上流のほうのようだ。
最後に「先生」が浦安を離れる場面のモノローグで、大三角や小三角、沖の百万坪も埋め立てられ、臨海鉄道や産業道路が通るようになると言っていた。1962年には現在の浦安のようになる埋め立て計画がもう存在していて、その埋め立てが始まる少し前の時期だったのだろう。臨海鉄道は今のJR京葉線、産業道路が湾岸道路だ。
東西線はこの映画の7年後の1969年(昭和44年)に東陽町から西船橋まで一挙に開通しているが、映画の中ではそのこと(東京から地下鉄が延びてくるといったこと)には触れられてはいない。
そしてラストで「先生」が浦安橋を歩いて東京側へ渡って行くのだが、反対の東京側からやってきたダンプカーの群れが轟音を上げてすれ違っていく。1962年というと高度経済成長が本格的になってきた時代。
「高度経済成長の巨大な波が時代の変化を拒絶した町を容赦なく飲み込みつつあった。」
文章にすればこうなるだろう。だから、ラストシーンはどうも後味が悪い。
高度経済成長の初めごろの人間の心理はどうだったのかと考えてしまう。これからみんなどんどん豊かになっていくという感覚が世の中を覆っていたかもしれない。しかし、自分なども10代に入った1970年代には公害問題で世の中が集団ヒステリーのようになったのを見てきたし、1973年には第一次石油ショックでトイレットペーパー騒動のようなパニック現象が起きた。そのあと慎ましやかがいいという雰囲気が約10年続いたが、やがてバブル景気という熱病が起きそしてバブル崩壊となり...と変化にさらされてきた。
この映画の川島雄三という監督は当時40代だが高度経済成長も手放しで喜ぶべきものとは思っていなかったのかもしれない。Wikipedeiaでこの監督の項を見るとシニカルな視点で描いたものが多いということだ。
浦安の埋め立ては行われて鉄鋼団地のような工業地域も造られたが、昔の大三角を埋め立てたエリアにディズニーを誘致したことで結果的にイメージアップをしたわけで、川島監督の危惧からすれば幸いなことだったのだろう。しかし、川島監督は「青べか物語」を撮った翌年に病死している(享年45)ので、後の浦安を見ることはなかったわけだが。
浦安とは関係ないが、ちょっと面白いと思ったこと。原作小説では「芦の中の一夜」という章に書かれた話。
水路にもやってある古い蒸気船で生活している元船長の話。船長役は左木全。
通船会社からかつて乗っていたが廃船寸前の船を退職金代わりにもらい受け、そこで生活している人物。若いときの初恋の女性の面影をずっと抱いて船上生活を続けている。その女性の親に引き裂かれ恋は実らず、別の女性と結婚して子供を2人もうけたが夫婦仲はよくなく、妻は32歳で死去。子供の世話にもならず思い出の場所にずっといる。
初恋の相手が嫁いだ先が江戸川沿いの家(今の江戸川区になるようだ)で、彼女は船長の船の音を聞き分けられ、船が通るときは江戸川の土手に上って手を振り、互いに姿を見合うことを続けていた。その女性も42歳で死去。まだ日本人の平均寿命が短い時代の話だとそういうことにもなるのだろう。原作の時代からすると、明治時代ぐらいの話になりそうだ。
それで船長の初恋の相手役が、当時は東宝の若手だった桜井浩子。
桜井浩子というと自分の年代がすぐ頭に浮かぶ作品は「ウルトラQ」と「ウルトラマン」。
「青べか物語」での役名はお秋。船長のセリフでは何度も「お秋ちゃん」と呼ばれている。
それがどうしたかというと、
江戸川の土手から手を振るおあきちゃん
でこんなことが意識に上ってきた。
「ウルトラQ」は「青べか物語」の2年後の1964年から1965年にかけて製作され、全部製作が終わったあと1966年の1月から放映開始となったが、桜井浩子演じるヒロインの役名は、
江戸川由利子
そして、「ウルトラQ」の後番組で1966年7月から放映開始の「ウルトラマン」での役はというと、
科学特捜隊のフジ・アキコ隊員
別に「ウルトラQ」、「ウルトラマン」の作り手たちが「青べか物語」を意識したということはないだろう。桜井浩子の役名とリンクしていそうに思えても、これはまったくの偶然だと思う。
しかし、思わず口の隅でニヤリとしてしまう面白い偶然だ。
「事実は小説より奇なり」という諺があるが、こちらはなんというか「偶然もまた奇なり」とでも言ったほうがいいか。
朝と昼がコンビニものだったので、夜はどこかに食べに出ようかとも考えた。だけど、暑さ続きでどうも行く気がしない。それでコンビニでチキンカツの弁当とポテトサラダを買ってきて食べる。それと500mlの缶ビールでアサヒのスーパードライを1本。