行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年1月31日(日)の日記

2010年01月31日 | 日記

午前中にポタリングのレポートを仕上げて、屋根裏部屋自転車ページにUPする。

昼頃に葛西のなじみの床屋へ散髪に行く。葛西へ行くので昼飯は環七通り沿いのうどんのおたふくにする。

釜あげうどん定食を食べる。ここの釜あげうどんは気に入っている。

ブルーレィディスクでもう一つ買っておきたいと思うものがあったので、Amazonに発注したのが昨日届いた。1993年公開の「ゴジラvsメカゴジラ」。

「ゴジラvsビオランテ」(1989年)は映画館へ見に行ったが、そのあとの「ゴジラvsキングギドラ」、「ゴジラvsモスラ」は見に行かず、3作ぶりに映画館で見たのが「ゴジラvsメカゴジラ」だった。

この映画でどこが印象に残ったかというと、最初のほうに端役で登場する中山忍。

スーツにめがね姿の女性エンジニアという役だが、パッと見て
「うわ、この子、可愛いな。」
と思ったのだった。

中山忍はこの5年ぐらい前にアイドルデビューしたときに、雑誌の表紙に載ったりしているのを見て名前は知っていたし、刑事ドラマに新人女性刑事役で出ているのをチラッと見たこともある。だけど、このときは誰だか分からず、無名の新人女優だと思った。

好みのタイプの女優がまだ無名のときに特撮ヒーローものや怪獣ものに出ているのを見つけ、世間に先んじて注目していたことに喜びを感じるのが自分という人間なのだが、1984年以降のゴジラシリーズで注目したのは「ゴジラvsビオランテ」の鈴木京香と、「ゴジラvsメカゴジラ」の中山忍だった。だけど、中山忍については無名の新人と思ったのは大間違い。

中山忍が1988年ごろにアイドル歌手でデビューしたとき、何かの雑誌の表紙で見て好みのタイプだと思ったが、紹介記事を見て冷めた気持ちになったのだった。すでに有名だった中山美穂の妹と書いてあって、つまりは姉の七光りデビューだったわけだけど、自分も若かったから七光りのようなものはあまり好きではなくて、冷淡な目で見てしまっていた。そして、「ゴジラvsメカゴジラ」の端役で気になって、この2年後の「ガメラ大怪獣空中決戦」で見て(劇場公開時ではなく少ししてからレンタルビデオだったが)、しだいにファンになっていった。

中山忍がアイドル歌手だったころにどんな歌を歌っていたかは知らなかったが、YouTubeが普及してから当時の映像を見て見ると、はっきり言ってヘタ。歌がヘタなアイドル歌手というと1970年代には浅田美代子や大場久美子がいたが、二人とも数年を経ずして歌はやめている。中山忍がデビューした頃もまだ、アイドルデビューは「とりあえず歌手で」というものだったようだ。いずれにしても中山忍が歌手をやめて女優に転向したのは、今も活動を続けていることを考えると正解だろう。「ゴジラvsメカゴジラ」のときは、芸能人としては多少のキャリアはあったが、女優としてはまだ無名な存在ということになるから、自分が無名の新人女優を見つけたと思ったのも、まったく外れではないということになる。

なお、「ゴジラvsビオランテ」の鈴木京香は名字も名前もない「スーパーX2女性オペレーター」だったが、「ゴジラvsメカゴジラ」の中山忍は「片桐ゆり」という役名が付いていて、劇中でもその名前が出てくる。それから、登場は最初のほうだけだと思っていたが、今回、見ていたら後半に一瞬だけ登場する場面があった。

 

この映画でもう一つ記憶に強く残っていたのは京都の場面。ゴジラが街を破壊しつつ進んでいるのに、手前の京都駅に新幹線が到着する。

ゴジラと新幹線というと、1984年「ゴジラ」で警察と自衛隊しかいない銀座・有楽町に新幹線だけが東京駅を発車してきてゴジラに襲われるという場面を思い出す。自分が見た映画館でも場内から失笑がおきた場面。この場面で興醒め気分にさせられた。推測だけど、1984年版の新幹線は東宝のお偉いさんが、ゴジラが新幹線を襲わせるのを先に決めてしまって強引に入れさせたのではないかと思っている。

その頃のお偉いさんなら、さらに30年前(1954年)の最初の「ゴジラ」に関わっているだろう。1954年にはまだ新幹線はないが、品川の八ツ山橋のところで東海道線の列車がゴジラの足に激突する場面がある。それで「(30年後の)今は新幹線時代だから、今度は新幹線を襲わせろ!」となったのではないかということ。でも、人がみんな避難した場所に新幹線だけが走ってくるなんて、あまりに不自然。1954年版は自分がまだ生まれる前だから、そんな時代なら情報も十分届かず、東海道線の列車に連絡が行かなかったのではないかとも思えるが、DVDでよく見て見ると列車が襲われる場面の前は八ツ山橋の上を群衆が避難している場面。テレビ放映はちょうど始まった頃だけど、劇中でラジオやテレビがゴジラ襲来を伝える場面もちゃんとある。鉄道だけに情報が伝わらないのも変だし、当時の国鉄関係者が見たら「こんな場面、絶対におかしい」と言っただろうと思う。トンネルが連続する山の中の区間なら、土砂崩れと出会い頭に遭遇するように怪獣と遭遇することもあるかも知れないが、都市部でそんなことは不自然だ。

お偉いさんたちが無理に入れさせたとしたら、まったく迷惑な話。その人たちは最初の「ゴジラ」の頃は、それまでにない新しい作品を世に送り出そうと情熱を燃やした若手だったのだろうけど、30年経てば時代の感覚からずれた老人。なまじっか思い入れがあるために、口を出しすぎたとすればそれは単なる老害としかいいようがない。

「ゴジラvsメカゴジラ」は1984年版から約10年後の作品。1984年ごろの偉い人たちも多くが引退していただろう。それで、この映画でゴジラが来ても新幹線が走っているというのは、それまで頭を抑えられていた若手が、最初の「ゴジラ」や1984年版の場面を皮肉ったギャグとして作ったのかも知れないと思った。これも含めてあくまでも自分の推測だけど。

「ゴジラが来ても列車は走る」という不自然で、あり得ない場面を見ていると、こんなことを考える。ゴジラシリーズを初め東宝特撮に出てくる自衛隊は「東宝自衛隊」と呼ばれているのだから、同じように怪獣が来ても走っている東海道線や新幹線は国鉄でもJRでもなく、「東宝東海道線」や「東宝新幹線」と呼んだほうがいいのではないかと。

 

それともう一つ、最後まで見たところで、公開当時、この映画で1984年以来のシリーズが打ち止めになると言われていたことを思い出した。それで映画館へ見に行ったのだった。「ゴジラvsビオランテ」からのレギュラーメンバーだった超能力少女-三枝未希(小高恵美)にラストで「さよならゴジラ」と言わせ、エンディングも海に去って行くゴジラへの惜別を感じさせるものになっていた。ところが実際はこの映画では終わらず、「ゴジラvsスペースゴジラ」と「ゴジラvsデストロイア」と2本作られてそこで打ち止めだった。

 

晩飯は大谷亭。年明け後では初めて。

ぶりの照焼き定食を食べる。

今日で1月終わり。ずいぶんと早い。明日から2月だけど、明日の夜には寒気が来て雪になる可能性があるらしい。昨日と今日は昼間はぽかぽか暖かかったが、まだまだ寒いのが戻ってきそう。


2010年1月30日(土)の日記

2010年01月30日 | 日記

先週金曜日の夜、土曜日に行きポタリングの準備をしていて、8速のノーマルBD-1のタイヤに空気を入れていたら、後輪のほうのバルブがポキッと折れた。バルブはチューブについているが、8年ぐらい交換していなかったら古くなっていたのだろう。ポタリングは18速のBD-1Wのほうで行った。

今日の午前中はBD-1の前後輪ともチューブの交換をやる。

自転車からタイヤを外すのと、タイヤをリムから外したあとにチューブを交換するのはさほど手間ではない。ところが、タイヤをリムから外すのと、リムに取り付けるのが一苦労で時間もかかる。

9年前に買ったときに付いていたタイヤは薄めのやつで、最初はとにかくよく乗ったから早く磨り減った。翌年、Birdy用の厚めで長持ちするタイプのに交換した。(BD-1は日本での製品名で、商標登録の関係でそういう名前になったということだけど、母国のドイツやその他の国ではBirdy)

このタイヤが丈夫で長持ちするのはよいとしても、固いし18インチの小径車用、つまり小さい寸法ということもあってタイヤレバーを差し込んで外すも付けるのも、とにかくやりにくい。頻繁に扱うプロならもっと早いだろうが、滅多に扱わない人間が四苦八苦しながらやったので、作業全体で2時間半程度かかってしまった。

最初の薄いタイヤのときに、乗る人間の体重が強くかかる後輪のほうが磨り減り具合が大きいから、前輪と後輪のタイヤを入れ替えたことがあった。そんな作業をやったこと自体が初めてだったから、タイヤレバーのとがった部分でチューブに小さい穴を開けてしまった。そのときはチューブを交換して慎重に作業したが、そのあと、Birdy用の厚いタイヤに取り替えたときは、取り付けるのに精一杯でとてもチューブが大丈夫かどうかまでは考える余裕もなかった。さいわいにもチューブに穴が開いたりはしなかったようで、今まで使うことができた。

8年ぐらい経ったから厚いタイヤも少しは柔らかくなって扱いやすくなったかと思ったが、全然変わらない。その意味では長持ちするいいタイヤだ。だけど、今回も取り外し、取り付けでチューブが大丈夫かまでは十分に考えられなかったので、作業が終わったあとから心配になった。夕方時点で空気が抜けてきている様子はないから、まあ大丈夫だったのだろう。

 

自転車のチューブ交換だけなのに、なれない作業で四苦八苦すると運動をやったあとぐらい疲れた。昼飯は、バイパスのめん組へ行って、初めての中華らあめんを食べる。

最初の一口を食べたら、味が中華料理屋のラーメンの味。お品書きには豚骨だしと書いてあったが、豚骨ラーメンの脂濃さはない。スープの味は醤油味。最後にスープを飲みながら、やっぱり出汁は豚骨かなと思う程度。でも、その出汁と薄く入れた背脂があっさりしすぎない味のバランスを作っていて、なかなかいい感じ。

昼飯食べて、一休みしてから部屋の掃除とかクリーニング出し。

昨日までに行徳まつりの画像をアルバムに入れるのが終わったので、アルバムページやトップページのメニュー部分を更新してUPする。

そのあと、先週行ったポタリングのレポート作成にかかる。明日には出来そうな感じ。

夜は居酒屋オンドリへ。年明けから2回、鍋を食べたけど、今日は暖かいし、鍋を食べない通常モードで行く。

最初はビール中生。食べるほうの最初は焼鳥でねぎま2本、つくね1本、手羽先1本

今日は地酒を楽しもうと思ったが、マスターが言うには、仕入先の酒屋が閉店してしまって、来週からは新しい仕入先になるが、今日ある酒は限られているということ。それで、今日あるものから最初は磯自慢。自分としては黒龍がこれからも入るかが一番気になるところだが。

今日の逸品にすずきの刺身があったが、メニューを見ると今日の三種盛りはすずき、まぐろ中トロ、いか。なので、その三種盛りを注文。

今日は10人ちょっとの宴会が入ったらしく、しかも暖かい陽気だったためかけっこう賑わっていた。そのためレスポンスも低下。三種盛りは出てくるまでちょっと待たされた。まあこういうときは仕方がないかと、ゆっくり飲みつつ待つ。

次の酒は醸し人九平次。食べるほうははすの天ぷら

そしてたこの梅肉和え。地酒をもう一杯飲む。醸し人九平次月と日の間。


2010年1月29日(金)の日記

2010年01月29日 | 日記

月末は少し忙しいが、自分の仕事はしばらく残業したぐらいで終わる。

晩飯はなか卯。丼と小うどんのお得セットメニューは牛丼、親子丼、牛とじ丼との組み合わせがレギュラーで、写真で左上のが「今だけお得!」の期間限定で入れ替わる。それが今は海鮮かきあげ丼とのセット

海鮮かきあげ丼は気に入っているし、季節メニューでいつ終了になるか分からないから、今日はこのセットにする。

メニューを見ていて気が付いたが、前は季節メニューだった牛とじ丼がいつまでもある。なか卯の公式サイト内の丼・カレーのところを見ると載っている。どうやらレギュラーメニュー入りしたらしい。

去年の行徳まつり画像をアルバムに入れる作業も終了。この週末にはUPする予定。

夜はダンベルエクササイズで下半身メニューをやる。


2010年1月28日(木)の日記

2010年01月28日 | 日記

昨日、飲みながら「アバター」の感想を頭の中でいろいろと考えたが、日記を書き始めたら酔いが回ってきて十分に書けなかった。なので、今日はその続き。

面白かったし、満足度も大きかった。別に深みのある内容というわけではなく娯楽作品だけど、勧善懲悪ものの痛快活劇としてはたいへん上出来。

倫理に反して暴走する上役に部下が反旗を翻す話だが、敵役の大佐が実にいい。「スタートレック叛乱」の暴走提督は同士だった異星人のボスとの間に溝が生じたらあっさりと殺されてしまったし、その異星人ボスはなかなかしぶとくがんばっていたが、「アバター」の暴走大佐はその比ではない。破壊と殺戮を楽しんでいるようでもあり、やられてもなかなかくたばらず、最後までしぶとく主人公たちを追い詰める。まさに悪役大賞もの。勧善懲悪ものはやっぱりこういう人が敵役でいたほうが面白い。

年を取るほどいろんなものを見てきているから、新しい作品を見ても感動することは少なくなってくるが、その代わりというか、話全体でも部分部分でも「前に見た○○を思い出す。」と思うようなことが多くなる。

「アバター」でろくな武器を持たないナヴィたちがピンチのときに、衛星パンドラの動物たち・・・サイや豹に似た獰猛な陸上の動物たちや巨大鳥の大群が暴走大佐率いる地球軍に一斉に襲い掛かる。主人公側が劣勢のときに思わぬ味方が現れて一気に形勢が逆転する展開は見ているほうも興奮を感じるものだけど、「アバター」のこの場面を見て頭に浮かんだのはもう40年近く前、小学生のときに見たアニメ「昆虫物語みなしごハッチ」の最終回。ミツバチ一族と、ミツバチを征服しようとするスズメバチ一族との決戦は、獰猛なスズメバチが優勢になる。すると、それまでにハッチが母を捜す旅の途中で出会い、友情を結んだ昆虫たちがそれぞれの仲間を率い、大群となって救援に飛来する。子供のときだけど、そのときの興奮は今でも覚えている。

それからSFものだから未来のメカはいろいろと出てくるが、地球人の基地にあった情報ディスプレイは実際にあったら欲しいと思わせた。透明なガラスかプラスチックの平板やカーブした板で、そこに情報が表示される。表示されているものは今の時代のPCディスプレイに表示されるものとさほど変わっていない感じ。今日、会社でPCの液晶ディスプレイに向かっていて、これがあんなディスプレイだったらいいのにと思えた。

表示されたものも向こう側が透けて見える。裏側から見てもそう。実際にそんなディスプレイがあったら、表示されたものとディスプレイの後ろにあるものがごっちゃになって見辛くてしょうがないかもしれない。でも、映像作品に登場し、登場人物たちが使っているのも見ると、えらく魅力的なデバイスに見える。

こういうディスプレイは映画の作り手にもメリットがあるかも知れない。もちろん、小道具としてはたんなるガラスがプラスチックの板で、表示されるものは合成映像だから金もかかるだろう。ところがディスプレイの裏側からでも、だいたいどんな感じのものが表示されているかが見える設定だから、余計なカットを撮影しなくてもいいことになる。今の時代に一般にあるような液晶のディスプレイだと、ディスプレイのうしろから登場人物の正面や斜め前を写し、次に登場人物の後ろや斜め後ろからディスプレイにどんなものが表示されているか写すというふうに、2カット必要になる。それがディスプレイの後ろからの1カットで済むからだ。

3D映像がどうだったかというと、そんなに印象には残らなかった。最初のほうで出てくる宇宙船内の低温冬眠室では奥行きを感じたが、それ以外は別に立体感は感じなかった。片目の視力がかなり落ちてきているので、そのせいなのかもしれないが。

と、だいたいこんなことを考えた。

 

今日の晩飯はなか卯。鴨そばが終わって代わりに鶏塩うどんが登場している。これまでも冬場には登場していた。今シーズンはライスと漬物をセットにした鶏塩うどん定食もあるのでそれにする。


2010年1月27日(水)の日記

2010年01月27日 | 日記

午前中は病院へ行く。50年近く生きていると、いろいろなところにガタが来るので、定期健診や人間ドック以外にも定期的に診てもらいに行かなくてはならない。

1日休みを取っても大丈夫なので午後は映画を見に有楽町へ行く。

その前に昼飯は地下鉄丸ノ内線銀座駅の上のコンコースにあるカレーのからなべ屋

野菜ミックスカレーを食べる。

有楽町マリオンでアバターを見る。3D映画だということと、未知の星を徹底して作り込んだ映像が凄いらしいというので、今日の休みに見に行こうと思っていた。

有楽町マリオンにあるTOHOシネマズ日劇のシアター1で上映。900座席規模のおそらく国内最大級のシアター。

シネコンが普及するまでは映画を見るときは有楽町マリオンの映画館でよく見た。この1番大きなシアターで見たのはそれほど多くなかったと思うが。

昨夜、ネット予約したときは空いているぐらいと思ったが、今日行って見ると一番前のほうの列を除いてぎっしりと入っていた。今日が水曜日でレディースディということもあるだろうけど、昨日から今日にかけて「『アバター』が歴代世界興行収入第一位」になったというニュースが流れたので、「それなら見に行ってみよう」と押しかけた人が多かったのではないかと思う。

映画の内容は、倫理に反して暴走する上役に部下が反旗を翻すという話。「スタートレック叛乱」を連想した。

だけど、衛星パンドラの世界を作り上げた映像は実際すばらしいし、展開もスピーディで予告編合わせて3時間の上映時間なのに退屈しなかった。

 

有楽町マリオンというと、今朝のニュースでこのビルに入っている西武百貨店が年内で閉鎖というのがあった。今年の12月25日をもって閉鎖とのこと。

マリオンが出来たのが自分が社会人になった1984年で、それからもう丸25年過ぎている。かつてはよく行ったが、1990年代中ごろに女性ファッションだけの専門大店になってからはほとんど足を踏み入れたことがなかった。女性ファッションだけでもやっていけないぐらい百貨店業界がきびしいということだろう。

映画を見終わったあとはぶらぶらと歩いて八重洲地下街へ。12月に八重洲地下街でネクタイなどを買ったときにもらったくじ引き券で、クリスマスセールのくじ引きをしたら1月末まで有効の買物・飲食1,000円券が当たった。もったいないから使うことにする。

それで行ったのがキリンシティ。12月に1,000円券が当たったときにランチを食べに入っていて、夜の時間に行って見たいと思ったのだった。午後5時過ぎに入ったが、その時間でけっこうな入りだった。

最初はブラウマイスターを注文。それほど大きくないグラスで出てきた。今日、飲んだのはどれもこのグラスで出てきた。

最初のつまみはハイ辛チョリソCITYポテトたたきごぼうの高菜明太

ブラウマイスターはもう一杯。そのあとはハートランド、そして黒生。

食べるほうは次はイベリコ豚のグリル

最後はハーフ&ハーフとちぢみホウレン草のバターソテー

有楽町西武が年内閉鎖のニュースで、マリオンが出来た当時のことを思い出した。マリオンの映画館で初めて見た映画が1984年版の「ゴジラ」。見たあと晩飯に中央通り銀座一丁目にあったアサヒビールのビアホールへ入ったのだった。なんか、今日も似たような行動になっている。

もっとも1984年「ゴジラ」は満足できたのは特撮の技術的な部分だけ。前作から8年ぐらいブランクがあって、そのあいだのアメリカ映画の「スターウォーズ」や「未知との遭遇」が目を見張るような特撮映像で一世を風靡したから、再開した「ゴジラ」が日本の特撮映画としてどこまで意地を見せてくれるかに大きな関心があった。そして実際、1984年当時としては頑張っていて満足できた。

だけど、特撮が絡む場面でも有楽町マリオン脇で新幹線がゴジラに襲われる場面では、場内から失笑が起こった。自分もへなへなとなっていた。警察と自衛隊の車両がいる以外には人っ子一人おらず、他の電車もみんな止まっている銀座有楽町界隈で、新幹線だけが東京駅を発車してくるなどということがあまりに不自然だったから。そうしてストーリーは盛り上がらず退屈。主演女優が「入場料返せ!」レベルの超ヘタクソな新人とか、特撮の技術面以外は散々な映画だった。

飲み食いが終わったら、中央通りに出て高島屋の前を通り、日本橋から東西線に乗って帰る。

平日に休みを取れると、なかなかいい骨休めになる。


2010年1月26日(火)の日記

2010年01月26日 | 日記

1月下旬になると日が長くなってきて、午後5時ごろでも空が明るくなる。そうなるとなぜか気持ちのほうも明るくなる感じ。春先に浮かれ気分で変なことをする人が出てくるというのも、こういうことが効いているのではないかと思う。気持ちが明るくなるからといっても気を引き締めておかないと、うっかり変な人になってしまうかもしれない。いや、変な人になるより事故にあったりするほうが危ない。

晩飯は南行徳で降りてからやよい軒すき焼き定食を食べる。

行徳まつりの画像をアルバムに入れるのを少しやるが、今日は体がなまらないようにダンベル。上半身メニューをやる。


2010年1月25日(月)の日記

2010年01月25日 | 日記

昨夜、風呂に入ってリラックスしたら、確か妙典駅が開業10周年の時期だったことを思い出した。全然、忘れていた。

妙典駅は開業が2000年の1月22日で翌日の23日にレポートしていた。なら、この土日には妙典駅あたりのようすもレポートしてもよかったと思ったが、忘れていたのは妙典駅が新しい街の駅としてもう特に意識するような存在ではなくなっていたということだろう。10年も時間が経つというのはそういうことだろうと思う。

開業5年のときはトップページのレポートを作っているけど、5年目のときと今とではそれほどの変化はない。目に付くような大きいのは駅前の妙典センタービルが建ったことぐらい。街開きと駅の開業のあたりから2、3年でほぼ街が出来上がって、そのあとは緩やかな変化だけになっているということだ。去年4月の妙典の街開き10年のレポートにもそんなことを書いていた。

晩飯はなか卯牛カレーうどん

帰ってからは去年の行徳まつりの画像をアルバムに入れて行く作業を継続。


2010年1月24日(日)の日記

2010年01月24日 | 日記

7時半に目覚ましを鳴らしたが、二度寝して9時半頃に布団から出る。昼頃までかかって洗濯の残りと掃除、そしてクリーニング出し。

午後1時を過ぎてからカメラを持って出かける。18日の月曜日に開通したというバスの新路線のことをトップページレポートにするため。今井橋の大通りを渡って新井三丁目の道へ行く。

バス停を写しつつ南行徳三丁目まで歩く。

今のところ平日しか運行していないバスなので、平日に都内へ通勤している身としてはバスが走っているところは見ることが出来ないし写せない。

3週間ぐらい前に新聞に折込で入っていた市の広報を見たとき、南行徳駅を通らないルートだと知って、
「いったい何を考えてんだよ!」
と思った。広報にも行徳新聞にもこのルートになった詳しい事情は書いていなかったので、自分なりに考えたのが今日のトップページレポートに書いたもの。

コミュニティバスと同じように交通弱者への移動手段の提供を、既存バス路線の空白地域に提供するというのも大きいだろう。既存バス路線との競合を避けるとかいった理由もあると思う。コミュニティバスも含めてバス会社の台所事情も苦しいだろうし。

でも、南行徳駅という東西線や他のバス路線との結節点を通らないルートで果たして、新しいバス路線が事業としてうまくいくのかは気になるところだ。どうもうまくいってないということになったら、市川市やバス会社も手をこまねいていないで何らかのテコ入れ策を取るだろうとは思う。コミュニティバスも運行開始から9ヵ月後にはダイエー・ヤマダ電機という大型商業施設のそばを通るようにルートを一部変更して、まんせい公園というバス停を設置するというテコ入れをしたのだから。

 

バス新路線のバス停を写したあと、今井橋通りへ出てゆで太郎で昼飯。今売り出し中らしい肉そばを食べる。

帰ってきてからトップページレポートを作って夕方にはUP。

晩飯はコンビニで弁当とカップ酒を買ってきて飲んで食べる。カップ酒は270mlの少し大目サイズのだけど、これぐらいだと飲みすぎずほろ酔い加減になるのでちょうどよい。


2010年1月23日(土)の日記

2010年01月23日 | 日記

いつも会社へ行くときより1時間程度遅い時間になって起きたが、出かけるには十分なので予定通り折りたたみ自転車でのポタリング。いつもの土曜日にやっているのと同じように洗濯だけはやって、脱衣場の突っ張り棒に干し、除湿機を速乾モードでタイマーをかけて動かしていく。

中央線の国立まで輪行してスタート。国立に着いたのが午前10時半頃。準備してスタートが午前10時50分頃だった。国立駅は三角屋根の洒落た駅舎が有名だけど今は高架化工事で解体保管していて、いずれ復元する方向で話が進んでいるらしい。

国立駅から並木の大通りを南下して国道20号甲州街道に出て、東に進む。2キロほど走ると府中・調布の市街地を通る旧甲州街道が分かれる。というか、現国道20号が調布や府中では市街地を迂回するバイパスルートになっているわけだが。

調布を過ぎて再び国道20号へ入る。国道20号を走ったのは旧道へ入るまでで約2キロ、調布から次に走る渋谷への旧道入口までの約2キロの計4キロ程度だけど、土曜日でも交通量は多いし、大型車も多いので緊張の連続だった。

調布から再度国道20号に入った先の道沿いにあるナムコワンダーシティ内にマクドナルド。ここで昼飯にする。

今、宣伝しているテキサスバーガーのセット

県別マップルの東京のを見ていたら、京王線の仙川駅の近くから小田急の経堂駅のところを通って渋谷まで、途中に細道になる区間もあるのにずっと一般都県道の黄色い色が付いた道を見つけた。けっこう長い距離なのでおそらくは昔からの旧道だろうと思い、次はこの道を走る。

最初のほうはそれほど幅のある道ではないけど、都道だけに車は多かった。みんな、すれ違いに難儀していたが。

途中、他の道と合流して斜めに分かれるところで道を間違えて、少し遠回りしてから元のコースに戻ったりしたこともあった。環七通りとの交差点から渋谷までは淡島通りと名前が付いた幹線道路。武蔵野台地の上は起伏があってもなだらかだったが、渋谷へ近づくと武蔵野台地の端を中小河川が削っているエリアに入るので、アップダウンが多くなる。

午後2時半頃に渋谷に着いた。写真は道玄坂の上のほうから。

渋谷から輪行して帰途に着く。走った距離は30キロちょっと。少し間が空いたあとの再開第1回はこれぐらいにしておくのがいいか。

家に帰ったのも午後3時半過ぎぐらいだったので、この日記のここまでの部分は夕方に書いてしまう。

 

晩飯はバイパス香取の上海飯店へ行く。

最初は生ビール。食べるほうは海老マヨネーズ

それと麻婆豆腐

ビールが終わったらこの店でのいつものパターンで、紹興酒の小瓶。

紹興酒が終わったあとは杏露酒サワー。つまみのほうは鶏手羽唐揚げ

今日はご飯や麺類よりもつまみをもう一品食べたい気分だったので、ネギとメンマの辛味合え。これを食べつつ杏露酒サワーをもう一杯。

今日は出かけたので、明日は洗濯の残りと掃除をやらないといけない。それをやったらあとはゆっくりと過ごすことにしよう。


2010年1月22日(金)の日記

2010年01月22日 | 日記

3日間、綿のコートを着たけど今日はまたウールのコート。まだまだ寒い日は続きそうだ。でも、考えてみたら20日の水曜日が大寒だったから、暖かい大寒だったわけだ。

晩飯は洋風食堂壱番亭に行く。メニューも少しずつ変わってきていて、セットメニューが数種類出来ていた。その中からチキンステーキと目玉焼きとハンバーグ洋風セットにする。

前に折りたたみ自転車で出かけたのは去年の9月だった。そのあと部署を異動したり、いろいろと忙しかったりして間があいてしまった。間が空くと、どうも心理的に再開のハードルが高くなる。行きたい気持ちとおっくうな気持ちが拮抗してしまう。寒いときに朝早く起きるのは、考えただけでめんどくさくなる。

なので、明日は遠出はせず、いつも会社へ行く日と同じぐらいの時間に起きてそんなに長くない距離をポタリングするプランにした。準備も一応終わったが、あとは明日の朝、起きられるかどうか。