朝から肌寒い。雨はないようだけど、洗濯物を外干ししたら乾きそうにない。なのでこの週末からは1週間分を土日に分けてやって、脱衣場の突っ張り棒に干して除湿乾燥機で乾かす。来年の4月か5月に暖かくなるまではこのパターンになる。
クリーニングから戻ってきた夏物スーツも衣装箱に片付け、ダウンジャケットやコートを出す。まだ発熱素材の下着類は残っているが、衣替えは9割方完了。
昼飯は9月下旬に南行徳公園南西側角向かい、去年までラーメンのえじそんがあった建物に9月にオープンしたバー Seven Continentsへ。
9月下旬にバータイムに行ったが、ランチもやっているので今日はそのランチを食べてみる。
選んだのはプレートランチ。まず、かぼちゃスープが来る。
そしてプレート。内容は日替わりのようで今日のメインの料理はナスと鶏肉のガパオ炒め。
ランチにはドリンクが付くが数種類から選べる。で、紅茶を選ぶが、紅茶にも何種類かあってニルギリにする。
カウンター席に座ったが目の前にこんな器具があった。コーヒーや紅茶はここに抽出用の器具を載せて抽出している。
ニルギリ紅茶ができあがってきた。
ランチのあと南行徳駅へ行って電車で葛西へ。いつもの床屋で散髪してくる。
夜は南行徳メトロセンターの松屋でまず晩飯。プレミアムおろしポン酢牛めしを食べる。
そのあと線路沿いを歩いてジャズライブのHot Houseへ。
瓶ビールとチャーム(お通し)。
今日はカルテット。
アルトサックスの澤田一範さん、ドラムの渡辺文男さん、ベースの佐々木悌二さん、ピアノの松井節子さん。
松井節子さん。
澤田一範さん。
渡辺文男さんと佐々木悌二さん。
佐々木悌二さん。
渡辺文男さん。
渡辺文男さんのボーカル。
渡辺文男さんのボーカルとベースの佐々木悌二さん。
ビールを飲み終えたあとはジャックダニエルの水割りを2杯飲む。
店内でのスナップ。
今日はカルテットのスペシャルライブだったためか、テーブル席は予約した人たちで一杯。自分が座ったのはカウンター席の一番前。つまりステージのすぐそば。脚から30cmぐらいのところにドラムセットがある。うっかり動かすと触れてしまうぐらいの近さだった。
座った席からコンパクトデジカメで写したもの。いまどきのコンパクトデジカメのズームレンズは一番広角側が35ミリ版換算で24ミリとか25ミリというもの。すぐそばから写してもバンドの全員が入る。
この近さでもさすがにプロの演奏。聴いていてもちゃんと音楽として聴くことができる。思えば15年前、初めてHot Hosueへ来てその2週間後に再び来たとき、やはりこの席だったのを思い出した。 そのときもカルテットだった。こんなそばでも全然うるさいとは思えない。むしろ音を浴びるのた気持ちよく思えた。そういうのがプロの演奏だ。
ママさんの今日のブログにも書いてあるけど、10月31日はかつてこの店でアルトサックスを演奏していた郷間和緒さんの命日。2008年のことだった。11月3日にお葬式に遭遇してそのことを初めて知った。(→その日の日記)
それまでHot Houseへは約8年通っていたが、そんなに頻繁ではなく、年に4回ぐらいという年もあった。
ママさんは常連さんには連絡したが、自分よりずっと頻繁に通っている人は多くいる。なので自分は連絡は受けていない。あとでママさんから聞いたが、連絡するかどうか、かなり迷って結局しなかった人たちもいて、自分もその中の1人だったということだ。
だけど、偶然にも郷間さんのお葬式に出くわしたことは今も不思議。
その日は行徳街道沿いの神社の秋の風景でも写そうとカメラを持ってでかけた。相之川の日枝神社で七五三参りの光景を写し、次に香取一丁目の香取神社まで来たら、急に気が変わって行徳街道の裏道になるが、昔の内匠堀の通りを行くことにした。湊の法伝寺は内匠堀の通りに正門があるが、そこまで来たところで、お寺の会館に立てられた看板に郷間和緒葬儀と書いてあるのを見て唖然とした。
そのときは火葬場へ向かう車が出て行った直後。自分のほうは急いでコンビニへ行って香典袋を買い、家に帰って葬儀用の服に着替えた。法伝寺へ向かうと火葬場から戻ってくるまでまだ時間があるというので再度、家に戻り、時間を見計らってまたお寺へ。納骨前のお焼香に何とか間に合った。
郷間さんのお墓は法伝寺にある。納骨のあと、奥さんの松井節子さんと店のママの大井さんのところにお悔やみを言いにいったが、知らせていない人間が突然現れたから2人とも驚いていた。
なぜ、香取神社のところから法伝寺の正面を通る道へ行こうという気になったのか、不思議なことだ。
それまでHot Houseへ行く頻度は決して多くはなかったが、行ったときはデジカメで写していたし、帰るときは郷間さんと毎回、握手していた。郷間さんと松井さんが住んでいるマンションの夏祭りでのジャズライブに出演したときに行って写したことも2回あった。
だから、きっと郷間さんがお葬式に呼んでくれたのだと思っている。実はお葬式の帰り道で、すでにそんなふうに考えていた。
そうしたら妙なもので、そのあとのほうがHot Houseへ行く頻度が高くなって今に至っている。