日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「梅雨明け」。「本格的な夏」。「『地図帳』から見た『暑い国』と、『体感』との差」。

2009-07-15 07:31:48 | 日本語の授業
 昨日で、関東地方も「梅雨明け」となり、これから、「本格的な夏」が始まるようです。が、朝晩の風は、既に秋色を含んでいるような、そんな涼しさなのですから、不思議と言えば不思議。けれども、こういうのが「四季の移ろい」というものなのでしょう。
 
 とは言うものの、学校に着けば、汗は噴き出しますし、昼は文句なしに暑い。職員室でも冷房が必要となってきました。ここは、四方八方から風が通りますので、ある程度、風さえあれば、冷房なしでもなんとかやっていけるのです。それに、皆、冷房はそれほど好きじゃないし。

 けれど、教室はそうはいきません。朝、教室のドアを開けるなり、ムッとした空気に襲われます。だいたい、朝、七時前後に空気の入れ換えをすれば、9時頃までは、心地良く過ごせるのですが、学生が来始めるともうだめです。9時少し前から、学生がドッとやってくると、途端に熱気にでも包まれたかのように、教室の空気が膨張してきます。

 それでも、朝はまだいいのです。朝は、草花への水遣りを兼ねて、道に水を打っているので、道からの風も過ごしやすいのです。それが、午後ともなりますと、完全に渇ききっていますから、直接、アスファルト道からの熱風と照り返しを浴びることになります。

 それで、冷房をガンガンに入れてしまうのですが、クラスの中には、「暑がり屋」さんと「寒がり屋」さん、それに「冷房嫌い」さんとが、混在しているので、そうはうまくいきません。しかも、既にこのクラスで、三ヶ月ほどは一緒に勉強しているわけですから、もう互いに、少しの遠慮もしなくなっています。

 「暑い」だの、「寒い」だの、はたまた「止めてください」だの、「つけてください」だの、みんな勝手なことを言いますので、ほんに気忙しい。結局、「自分たちでやれ」と、下駄を預けるならぬピッピ-(リモコン)を預けてしまうのですが、この時、強い中国人の女の子がいると、うまくいきますね。

 だいたい、第三社会の人は、かなり強烈な「男尊女卑」的思想を抱いてやって来ています。多分、表面上はともかく、腹の中では、「男尊女卑」です。
 それが、日本へ来て、日本語学校へ入るなり、(教師によって)一つ一つバッサリと切り捨てられますし、しかも、半分ほどを占める中国人学生のうち、圧倒的に女子学生の声の方が強いのですから、自然、黙らざるを得ません。在籍している人のうち、そんな中においても、時々、声を上げることができるのは、ヒンズー教徒のA君ぐらいでしょう。勿論、その度に、中国人女子学生に、集中砲火を浴びせられ、満身創痍となり、撃沈させられているようですが。

 ところで、学生達も、暑いところから来たから、「暑さに慣れている」というわけでもないし、寒いところから来たから、「暑さに弱い」というわけでもないようです。

 「Eクラス」でも、中国の大連から来たNさんが、「先生、エアコンを止めてください。寒いです」と言ったかと思うと、北インドから来たKさんが、「先生、大丈夫。暑いです」と言う。結局、つけたり、消したりを繰り返すということにもなってしまいます。

 ただ、エアコンの風をまともに受ける席の人は、少々耐えきれなくなるのは、本当のようで、「『暑がり屋』さんは、この辺り。『寒がり屋』さんは、あっち」と棲み分けを自分たちでさせなければならなくなってしまいます。

 そうなってしまうのも、平べったい地図帳を見て、勝手に「暑い国から来た」と思い込んでいる私と、海の近くか、盆地か、或いは高原か、高山か、などのいろいろな地理的要素が絡み合った地から来た彼らとの「体感の差」なのです。彼らには、彼らなりの「夏の記憶」があるわけで、それに合わなければ、それぞれ一種の「不適応」を起こしてしまうのでしょう。その上、日本では「冷房」が、だいたいどこにもあり、しかも、「暑い」所と「寒い」所を、短時間で往復しなければならないわけですから、余計に、その「不適応」が増幅されて感じられてしまうのでしょう。
 以前、スリランカから来た学生達が、「暑い。暑い。日本の夏はどうしてこんなに暑いのですか」と嘆いていたように。

 というわけで、今年、来たばかりの、つまり日本の夏を一度も経験していない学生達の「試練の夏」が始まりました。暑い国から来ている人が多い割には、みな「日本の夏」の暑さには弱いのです。湿度が高いので、「辛い」のでしょう。昼は、風も熱風になっていますし。

 とは言いますものの、「遊び」となるとまた話は違うようです。実は月曜日に、スリランカから来たNRさんが、学校を休みました。お兄さんもこの学校を卒業しましたし、休んだり勉強をまじめにしなかったりすると、檄が飛ぶことになっているので、無断欠席ということは、まず、なかった学生です。

 その彼が昨日(火曜日)早めに来て、
「先生、ごめんなさい。とても疲れて起きられませんでした」
というのです。

 アルバイトも、まだ見つかっていないはずなのに、理由を聞くと、日曜日に名古屋で、200人ほどのスリランカ人が集まって、クリケットの試合があったと言うのです。早朝、バスで名古屋へ行き、試合をし、親睦を深め、そして、夜にまたバスで戻ってきた。で、月曜日はどうしても起きられなかったというのです。

 無断欠席は、言語道断ですから、きつく叱り、もう二度としないと言わせはしたものの、青菜に塩状態で、元気がなかった彼が、ニコニコとまた明るさを取り戻していましたから、スポーツというのは、すばらしいもののようですね。スポーツをしただけでなく、「たくさんの(同国)人に会えた。いろいろな(同国)人と話した」と、目をキラキラさせながら話していましたから、またこれからしばらくは頑張れることでしょう。

日々是好日
コメント
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