日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「(己の能力を顧みず)先走ろうとする人は、伸びない」。

2009-07-17 07:57:12 | 日本語の授業
 待望の「お湿り」です。「梅雨明けって、本当はいつだったの?」と聞きたくなるくらい「梅雨」の最中も、猛暑が続いていました。

 今朝の雨で、ホッと一息がつけました。「茹だるような暑さ」でしたもの。「午前の学生」達が、昼ご飯を食べに出たり、近くのスーパーから(お昼ご飯を買って)戻ってきた時の顔は、全く「茹で上がったタコ」でした(可愛い女の子が多いので、彼らがこれを見ないことを祈ります。可愛い顔をしているくせに、怖いのです)。午後の学生もそうでした。ハアハア言いながら、「先生、暑い。暑いよう」と学校にやって来るのですが、こちらとしても、どうしょうもない。「日本にいるのなら、馴れろ」としか申せません。

 「夏休み」まで、あと半月ほど。それまでは、我慢・我慢の毎日です。といって、「A・Bクラス」の学生達には、自習室での勉強を勧めていますから、「夏休み」でも、気は抜けないし…。

 今年の「A・Bクラス」のことなのですが、このクラスの(高校を卒業したばかりの)学生達は、本当に子供のように素直(ある意味では、小学生さんか、中学生さんのよう)です。日本語が上手になると共に、生意気な口は、随分たたけるようになりましたが、いざ勉強となりますと、すっと態度を勉強モードに戻します。彼らは、多分、国でも、いい先生に恵まれていたのでしょう。

 それが、こちらの言うことを聞かずに、「おまえのことなど信用しない、どういう試験があるのか教えろ、自分で考える」とばかりの態度をとる中国人をみると、彼らの(中国の教師が)よほど質が悪かったのだろうと、頭に来るより、却って同情してしまいます。

 こういう学生は、その態度を変えることができない限り、日本ではやっていけないでしょう。私にしても、ああ先が見えているなと思うだけで、可能性のある学生の方へ気持ちは流れていきます。教えてもどうにもならない人には、教えるだけ無駄です。この学校では、学に値する物は出しています。それが学べないのは、本人の問題です。ここは、「義務教育の場」ではないのですから。そういうことは、自分の国で、義務教育の段階で学んできて欲しい。

 しかしながら、こういう人は、いい学校、いい教師、いい授業に出会ったことがないのでしょう。そうとしか思えないのです。だから、見分けがつかないのです。いい学校、いい教師、いい授業に会ったことがある者は、経験として、それが蓄積されていますから、ピッピッピと反応します。それで、勉強に集中出来るのです。それに比して、そういう経験のない彼らは、何という理由もなしに、ただ先ばかり見て、焦ってしまうのでしょう。

 初めは、一応、来たばかりということもありますから、落ち着けるように説明をしてやりますが、だんだん、腹の中でどう思っているかが判ってきますと、あとは、もう放っておくより仕方がありません。こう考えている人には、説明の仕様がないのです。言ってやっても「(母国での)先入観」が先立ち、それに引きずられて、こちらの言葉が入っていかないのですから。

 こういう人がこれからどうなるか、或いは、どうなれるかは、「(日本の、この学校では)学校の言う通りに、やっているだけでいいのだ」ということが、いつ判るかで決まります。もし、三ヶ月くらい経っても判らなければ、多分、中国にいた時と同じような失敗をすることになるでしょう。
 勿論、日本では大学の数も多く、レベルも様々ですから、東京圏という指定や、学費の多寡を問わなければ、おそらく誰でも(普通の能力を持っている中国人)、大学に入ることは出来るでしょう。卒業できるかどうかは、また別の問題ですが。

 ここでは「『初級Ⅰ」を三ヶ月、『初級Ⅱ』を三ヶ月でやる」と言いますと、「遅い。そんなペースで大学に行けるのか」と言います。私から見れば、そういうスピードでついていけるのかどうかの方が問題だと思うのですが。「まず、自分の能力を知ってから言え」です。

 速ければいいのなら、いくらでも速くできます。実際に、去年も、「能力がある」と見た学生には、速くやりましたし、早め早めに教材も与えました。彼女は去年の7月に「イロハ」から初めて、12月の「日本語能力試験(二級)」に合格もしました。試験に合格しただけでなく、「(言語における)四分野」のバランスもとれています。試験のためだけの、日本語の授業をしたわけではないのです。彼女は出来ると思いましたのでそうしたのですが、こういう人は、無理でしょう。消化できないと思います。それほどの能力はないのです。

 能力のある人は、まず、自分を知っているか(これは難しいところですが、ここでは「先生、(授業の速度が)速い」とか、「先生、ついて行けない」とか、子供でも言えるくらいの認識で、です)、「自分では出来ないから、とにかく先生を信じる」が出来るものなのです。

 こういうことも、日本に来てから、二・三ヶ月も経ちますと、だれでも、自然に判ってくることなのですが。

 「三級レベル」より少し下であれば、やはり「イロハ」から始めた方がいいのです。遮二無二、日本へ来るために「試験用」の勉強だけしてきた人が多いのが実情なのですから。そういう人の多くは、基礎が出来ていないのですから。「拍」にしても「音」にしても。それが、きちんと出来ていなければ、上へは築いていけません。土台が弱ければ、結局いくら努力しても、なかなか上達できないであろうということは火を見るよりも明らかです。ただ、先走る人は、「速く」と思い、「土台を築く」ことを無駄な時間と見てしまうのです。

 「急がば回れ」を実行できるのも、能力。教師の言うことを「信じられる」のも、能力。
この二つとも、出来ないようでしたら、それは、「それなり」であるままでしょう。

日々是好日

コメント
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