日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「教室や玄関のアレンジ、ディスプレー…誰の作?」。「『夏休み』を控えて」。

2009-07-31 08:50:31 | 日本語の授業
 今朝、水しぶきの音が聞こえましたので、驚いて外を覗くと、雨は見えません。きっと夜半に雨でも降ったのだろうと、軽い気持ちで家を出たのですが、外は…霧の粒を少し大きくしたような、小糠雨が降っていました。まあ、これくらいならばと、例の如く自転車
に乗って出発したのですが、駆けているうちに、だんだん雨粒は大きくなり、雨脚も繁くなってきます。「小糠」どころか、「大糠」くらいの感じになってきたのです。
 というわけで、今、濡れています。

 皮肉なもので、学校に着いてしまうと、(雨も)止むのです。急に小鳥達の囀りが聞こえてきましたから、それが判りました。

 ところで、学校の玄関です。
 この玄関も、最近、ちょいと面白いのです。「だれか」さんが、勝手に、少し、アレンジするようなのです。
 普通、玄関の靴箱の上には、学生達が持って来てくれたお土産の置物が並んでいたり、花が飾られたりしているのですが、このところ、日本の小さな「招き猫」が、「モンゴル」の「パオ」の中に入れられて、ニコニコ笑いながら手をあげているという光景になっています。

これは…多分、「インド人」のSさんですね。

 この学校には、置物の人形や動物たちだけではなく、「ぬいぐるみ」も多数、「生息」しています。その、彼らの様子も、よくアレンジされているのです。並んで座っていた「シロクマ君」と「カバさん」は、いつの間にか、「カバさん」の上に「シロクマ君」が、熊に跨る金太郎よろしく、据えられていましたし、自習室の二匹の「モンチッチ」は、「子犬と相撲をとる」の図に変えられていました。確か以前は、籠の中で大人しく眠っていたような気がするのですが…。

 学校というものは、「授業」も学生と教師の合作ですし、「アルバイト捜し」などは、学生同士の合作といってもいいでしょう。教室や玄関のしつらえも、いつの間にか、少しずつ教師の手を離れて、学生の創作となっています。こうなると、それほど遠くない日には、私たちが(学生達の)意見を取り入れて変えるというのではなく、学生の一人がチョロチョロと位置を変えると、他の学生が、「いや、いや、これでは」などと呟きながら、また、位置を変えているということになってしまうかもしれませんね。

 その他にも、学校には、小さな訪問者が来ます。以前は、「トンボ(蜻蛉)」や「セミ(蝉)」が部屋の中に入ってきたり、近所の「野良猫」や、その子供たちが、学校のガラス戸で遊んでいたりしたこともよくあったのですが、最近は、仔ネコの訪問は絶えたようですね。その代わり、「チョウ(蝶)」の姿はよく見かけます。

 「モンシロチョウ」は時期が過ぎたのでしょうか、授業中、ガラス戸の外で、よく舞っているのは、「クロアゲハチョウ(黒揚羽蝶)」や「キアゲハチョウ(黄揚羽蝶)」、「アオスジアゲハチョウ(青筋揚羽蝶)」などの「アゲハ(揚羽)」類です。「ハチ(蜂)」は、遠慮のない、歓迎されないお客さんなのですが、「チョウ(蝶)」は、いくら歓迎したくとも、慎み深く、花の廻りをフワリフワリと飛び回り、必要な蜜を吸い終わると、またフワリフワリと去っていきます。

 そう言えば、先日個人レッスンに通っているYさんが、「アサガオ(朝顔)」と「ヒマワリ(向日葵)」を持って来てくれました。「遅咲き」ということで、まだ花は咲いておらず、それ故、「チョウ」の訪問を受けてはいないのですが、この二三週間のうちに、ドンドン蔓が伸びて、隣の鉢に巻き付かんばかりの勢いになっています。
 この、「アサガオ」ですが、彼らの「蔓」というのは、一見頼りなげに、儚く見えるのですが、ところがどっこい、そういうものでは、とんとなく、グングンと手を伸ばし、伸びていく様子は、どこかしら、飽くなき要求を続ける「化け物」じみて感じられます。これくらいの根性がなければ、生きてはいけないのかもしれません。

 さて、来週(月曜日)の「日光見学」で、今期は終わります。「Aクラス」は夏休みに入ります(「Bクラス」には、後一週間ほどは、頑張ってもらわなければならないのですが)。そこで、昨日、「A・Bクラス」合同時間に、「夏休みの過ごし方」についての説明がありました。

 まず、「休み」中にやっておかなければならない「問題集」や「教科書」を配り(本代は後日)、勉強の仕方が説明されました。「留学生試験」で「総合問題」や「数学」「化学」「物理」を受ける者には時間があまり残されていません。計画を立てて、一つ一つ実行していかなければ、せっかく買った問題集も無駄になります(きれいなままで、来年の学生に譲るということだけは、しないようにしてもらいたい…が、本音です)。

 学校へ来る者には、毎日一題の長文(一級)が準備されているから、まず、それを必ずすること。また、新聞の切り抜きも置いてあるから、それを読むこと(要は、これまでにつけた、勉強のリズムを崩さないようすることなのです)。
 また、その他にも、大学の「オープンキャンパス」には必ず行き、忘れないうちに感想を書いておくことや、(大学受験を控えている者は)証明書など、国から取り寄せておかねばならないものは早めに知らせて準備しておくことなどについても、説明がありました。

 指折ってみれば、次の「留学生試験」まで、四ヶ月とないわけだし、自分で出来ることは、この期間を活かしてやっておかなければなりません。その自覚を促すという意味もあったのです。ただ、無理はしないように、一週間のうち、一日だけ、その日の午前か午後に、好きなことをやる時間をとっておくようにという注意もありました。

 引き絞りすぎた「弓」は、折れてしまいます。張り詰めすぎた「心」も同じです。長くは保たないのです。その上、脆くなってしまいます。四ヶ月という期間は、短いとも言えますが、毎日精一杯生きている人間にとっては、長くもあるものです。床についてはじめて、一日の終わりを知るということもあでしょう。人間は弱いもので、そういう生活に耐えられるようにはできていないのです。

 そうならないためにも、必ず、一週間に一度は、ゆとりの時間を持つように。
 頑張った自分に対する「ご褒美」という意味でもいいのです。ただし、それも、度を超さない程度にしておかなければなりません。度を超してしまうと、あっという間に休みは終わってしまい、この三週間は何だったのかということにもなりかねません。

 もっとも、昨日、「休みの過ごし方」について厳しく言いすぎたので、今日は弦を緩めて、(来週の月曜日に行く「日光」の事前授業として)「東照宮」と、「奥日光の自然」のDVDを見せます。

 「東照宮」は、言わずもがなのことですが、水がそれほど豊かではない国や地域から来た学生たちが多いので、きっとこの「奥日光の水の流れ」のDVDも楽しんでくれることでしょう。この「水」の行き着く先に、お昼ご飯を食べることになっている「中禅寺湖」があり、また、(最後の滝、「華厳の滝」を見に、ずっと下まで降りていくのですが)その滝の源を知っていたら、単に滝を見るだけではない、別の思いも抱いてもらえるかもしれません。

 特に「就学生」達は、(日本語)学校が、いろいろな所へ連れて行ってやらない限り、「学校」と「アルバイト先」と二つの点を行き来するだけで、日本での生活を終わってしまうことにもなりかねません。

 ぎりぎりの所で頑張っている学生達が、こういう活動を通じて、少しでも生活に潤いを感じてくれれば(勉強のためというだけでなく)、私たちも、本当に嬉しいのです。

日々是好日

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