日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「祈るべき天と思えど天の病む」(石牟礼道子)。「アルバイトがやっと見つかった」。

2009-07-22 10:02:16 | 日本語の授業
 来る時は、雨も止んでいました。静まりかえって、時間が停止しているかのような空間を、泳ぐように、自転車を走らせて来ました。が、また、雨が降り出してきたようです。重い、まるで「梅雨時」のような雨です。

 「梅雨」の最中は、晴れの日も多く、一瞬、今年は「空梅雨」ではないかと思ったりもしました。が、あの期間、十分に降りきっておらず、雨の思いも中途半端で終わっていたのでしょう。その「降りたい」という思いを晴らすべく、今朝の雨があるのかもしれません。終わったかと見えて、「まあだだよ」と言ってみせる、そんな雨の表情が浮かんでくるようです。ただ、中国地方では、梅雨の最後によく見られる「集中豪雨」が町や村を襲い、死に人も出ました。

「時により すぐれば 民の嘆きなり 八大龍王 雨やめたまへ 」(源実朝)

 「自然」は、「人知」の及ばぬ存在というよりも、人の遙か上に位置するもので、人はただ、彼らに対し、「嘆き哀しみ、そして、祈る」しかないのです。

 然るに、現代世界においては、「祈るべき天と思えど、天の病む」とでも呟きたくなるような存在に成り果てようとしています。強烈なしっぺ返しが来るにちがいないと思っているのは、水俣に住み、病んだ海、そして大地を丸ごと懐へ入れようとしている石牟礼道子だけではありますまい。

 日本人が、「天」に見て来たのは、「日本古来の神々」と同じ姿であり、その神々というのも、ある意味では、「ギリシアの神々」にも通じるような、泣いたり笑ったり、怒ったり恨んだりする存在でした。その「神々」は、一時期、「仏教」に圧されて、どんどん姿を隠していきましたが、それでも、野山に行けば、親しく交わることができました。

 それ故、大地がとよむような地震がきても、津波が人々を襲っても、台風で何もかもがなぎ倒されても、「自然」から、心が離れることはなかったのです。

 とは言いながら、日本人が「天」と言う時、そこには、中国的な「絶対者」としての存在も含まれています。日本人も、「天」という言葉の字義には、裏表を用いてきたようです。自分らの苦しみや哀しみを判ってくれる存在としての「身近な神の部分」と、人を蟻ン子のように簡単に踏みつぶすだけの「無慈悲な部分」とに。

 こう書き進めていると、ネパール人学生、Rさんが、珍しく早くやって来ました。硬い表情のまま「クラスを変わりたい」と言うのです。「午後だったら、アルバイトがある…」。
(今の彼の「クラス」は、1時15分から4時45分までなのです)。まだ「初級Ⅱ」に入ったばかりの、彼のレベルでは、自分の好きな時間にアルバイトをするというわけにはいきません。しかも、他の人たちのように、友達や親戚が日本にいるというわけでもありません。捜すのは自分。電話をかけるのも自分なのです。

 話を聞いてみると、アルバイト先は、お弁当の工場で、しかも、一昨年、いろいろな意味で評判が悪かったネパール人は一人もおらず、インド人だけと言います。彼は、ヒンディ教徒ですから、ヒンディ語を話す北インドの人たちとは意思の疎通ができます。インド人の人たちに聞いたら、「ここはいいよ。みんな親切だし」と言ってくれたというのです。

 それから、二人で、お金の計算をしました。一時間850円からと言います。彼は就学生ですから、一日に4時間しか働けません。それで、一週間でいくら、一ヶ月でいくらと計算していきます。大学に行きたかったら、これくらいが必要になる。ということは、一ヶ月にいくら貯金しておかなければならないかを考えます。

 もっとも、ずっとアルバイトを探し、何度も断られた末に、やっと見つけたアルバイトです。嬉しい、ホッとしたが先に立って、話はそれほどまじめに聞いていなかったにちがいありません。それに、「クラスを換わりたい」と言ったら、どんなに叱られるだろうと心配していたでしょうし…。

 けれど、朝、来たばかりの時の引きつった表情と、「いいよ」と言われた時の表情を比べてみると、いかに安心したのがよく判ります。ネパールと日本とでは、物価が違いますもの。手持ちのお金がどんどん減っていくのを見るのは辛かったでしょう。

 ただ「勉強はする。漢字は一人で勉強していく」という約束はしてもらいました。頭もいいし、若いので、来日後のこの三ヶ月ほどに、日本流の勉強の仕方を少しはマスターしたでしょうから。「Eクラス」は開講したばかりのクラス。そこに安住していたら、大学は遠い存在になってしまいます。私たちもチェックしますが、何よりも本人の自覚が大切なのです。それに漢字圏の学生と違い、一度落ちたら、なかなか元のクラスには戻れません。それを彼がどれほど自覚しているのかは判りませんが。

 ただ、非漢字圏の学生の場合は、日本語学校の二年間(最長)と大学の4年間を合わせて考えるようにしています(ここで、まじめに頑張った学生は、だいたい大学一年か二年くらいで「二級合格」しています)。

 普通の能力を持っていても、来日後、文法や単語だけでなく、漢字も学ばねばなりません。しかも、「二級」程度の漢字をマスターしても、それを読みこなしたりできるレベルまでは、二年足らずでいくのは至難の業です。二年では、まず無理と考えていた方がいい。その学生の将来性を見ることのできる大学が、(二年間でこれくらい出来たと言うことを加味して)入学を認めてくれることを望むばかりです。

 彼等の母国では、優秀な学生だったようですから(日本人が開いている日本語学校で、日本語を学び、その人が、来日の手続きをしました。その上、来日時は、その学校で事務をしていた日本人が、成田へ迎えに行ってくれました)。

 とにかく、今年は12月の「三級試験」合格を目指します(四月生)。今年の四月生のうち、漢字圏の学生は「二級試験」合格を目指します。

 まず一歩一歩。曲がりなりにも、アルバイトができることになって、本当に良かった。外国でお金の心配をしなければならないのは、とても辛いことです。それを18歳か、19歳くらいでしなければならないのですから。

日々是好日
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