日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「忙しい、忙しい。学生がいいから、忙しい」

2009-07-09 07:55:41 | 職員室から
 今朝は雨模様、雨雲が切れた時を見計らい、自転車を飛ばしてきました。途中、朝と昼のお弁当を買いに、スーパーへ寄ったのですが、寄る間も雨が強くなるのではと、ハラハラ、ドキドキが続きます。先日、同じように家を飛び出し、スーパーへ寄り、そこを出た途端、ザアザア降りというのに出くわしてたということがありましたから、こういう日はおっかなびっくりなのです、スーパーへ寄るのも。

 一番いいのは、とにかく何でもいい、「飢えを充たす」ものを持っていることです。そうでないと、昼ご飯を食べた後、七時過ぎ、或いは八時まで、食べ物がない状態で過ごさなければならなくなります。といって、買いに出るかというと、途中で買いに行くくらいなら、当日の仕事を少しでもはやくやってしまった方がいいと考えてしまうのですから、ようがない。
 けれど、どうしてこんなに忙しいのでしょう。「上級」が終わるまでは、忙しいと言っても、せいぜい知れたものでしたのに。

 「家族持ち」であれば、忙しくとも、「仕事」とは違った時間が持てます。気分転換くらいは出来るでしょう。私も足が悪くなる前までは、東京近郊の山に(遠くても「大菩薩峠」くらいまででしたが)、友人と行って気分転換をはかることが出来ました。しかしながら、最近は、かつて一緒に山歩きしていた友人達も、故郷へ帰ったり、交通事故に遭ったりと、いろいろな事情で、共には行動できなくなりました。

 それもあるでしょう。結局、家でも一日中、仕事のことばかり考えるということになってしまいます。仕事から離れた生活が、限りなくゼロに近くなり、しかも実際に関係のあることを家でもしているのです。これでは精神的にも、肉体的にも持ちません。どうしてこうなってしまうのでしょうね。自分の中では、どうも、「予定が違う。計算が狂った」という声が、ひっきりなしに聞こえてきます。

 そういう時、勿論、何もかもが嫌になっている時ですが、「古人」と語ったり、「古人の思い」を共に抱くしか救いはなくなるのです。「万葉」期の人達か、或いは、「江戸天明」期の「狂歌」に描かれている世界とです。

 「万葉」期の作者達も、当然「俗世」に塗れていたことでしょう。ただ、彼らの「俗世」と、現代我々がいる、この「俗世」とは、全く趣を異にしています。その上、彼らの世界は、既に、時間に「ろ過」されて、「俗」の「ゾの字」の「点々」さえ見あたらなくなっています。そこには人の思いのうち、昇華された部分しか残っていないのです。そういう言葉や、哀しみに溢れた野山、あるいは、亡き人を象徴するかのような花々がちりばめられているだけなのです。

 「技巧は直ぐに古びてしまう」。この言葉を読んだのは、随分若い時のことでした。おそらくは著名な老作家が、ある、技巧に走りがちな若い流行作家に注意を促すために言った言葉だったのでしょう。当然「出典」はあるでしょうが。あまりに「真実」すぎる言葉ですから。この若い作家は、作家としては若すぎる頃に、有名になりすぎ、そして、その死に関しても、才能が枯渇したせいだとか、あまりいい噂は立っていなかったようです。

 私が、彼の煌めくような文章を読んだ時も、初めは「技巧」に引きずられました。そして、それと同時に、確かに「古さ」も感じたのです。流行遅れとでも言いましょうか、そんな感じなのです。彼は、長いとは言えない人生の後半には、繰り返し繰り返し、同じような作品を書いていました。よく言えば、「集大成」、悪く言えば、「マンネリ」だったのです。技巧家であっただけに、それが通用しなくなれば、自分が否定されているようにも感じたでしょう。

 ただ、怖ろしいことに、作家など芸術分野で成功し、「富」と「名声」を得ている人には、「コバンザメ」がくっつきます。作品にそれほど「誠実」に対していなくとも、それを発表する機会はあるでしょうし、それなりの好評(勿論、負の批評も浴びるでしょうが)ももらえるでしょう。

 こんなことを書きながら、頭の中では、「どうして、自分はこんなに忙しいのか」を考えています。毎日12時間以上学校にいて、しかも、日々の授業に追われています。先週は、(今週のために)それでも追いつけなくて、日曜日は、学校で朝から夕方まで準備していましたが、それでも、学校が始まれば、し残したことが目につきます。それで、また追われるというわけです。それを計算に入れなければ、今の一応公表されている仕事の時間で、充分に間に合うはずです。それなのに、朝から晩まで終われてしまう。

 こういう言い方をしていいかどうか判りませんが、私は、多少手を抜いても、ある程度のレベルの授業は出来ると思います。「初級」・「中級」・「上級」を問わず、或いは「それ以上」でも。手の抜き方は、「中学校」で「国語」の教師をしていた経験からも、「中国」で、多くの国の人達と「共に学び、或いは、遊んだ」という経験からも、また、中国の放送局に勤め、かなりのレベルの人を指導したことがあるということからも、またある種の情報を提供していく術も多少は知っているという経験からも、培われてきたわけで、盲目的に「手を抜く」というわけではありません。

 この三つを経験し、しかも、日本で「日本語」を現場で教えている者は、多分、私以外はいないでしょう。「非常勤」として、ただその時間に来て帰るというのではなく、「クラス」が荒れたら、それを軌道修正させて、まとまらせ、その上、日常の、普通の、経験がない若手がやっていることまでやっている者は。

 しかし、だから、忙しいというのではないのです。これだけだったら、8時半から5時までくらいの間にやってしまえます。学校事務関係の多くは、他の人がやっているのですから。「授業」や「クラス」に関して言えば、他の若い人ができない事でも、私が行けば、(経験で)それなりにやってしまいます。
 ただこれ(やれると言うこと)は、多分、教師として経験のない人や、経験はあっても、それ相応の訓練を受けていない人には、見えません。これは、どのような職業でも同じで、それが「見える人」と「見えない人」がいるのです。それが「見える人」は、その職業で伸びていくでしょうし、「見えない人」は、やめない限り、それなりに続けていく、それだけのことです。

 私が忙しいのは、今の「Aクラス」と「Bクラス」の学生達のせいなのです。「Aクラス」の学生達は、この7月で、ここに一年いたことになります。途中で、出入りはありましたが、彼らは、私が初めから持っていましたから、私のやり方にも慣れ、教科書だけではないものも既に充分に入れてきたつもりです。また、午後の自習時間には、新聞の切り抜きなども準備し、また休みには、見ておくべきDVDなども学校で見せてきましたから、きちんとそれをこなしてさえいれば、それなりの力の蓄えは出来ていると思います。

 けれども、この7月から、まだ「上級」が終わっていない「Bクラス」との合同で、三分の一を「ヒアリング」に、残りの時間で、「現代史(DVDと資料集を用いながら)」を教えることになったのです。この「Bクラス」には、それほど、切れる人はいませんが、とにかくまじめなのです。判りたい、知りたいというのが、ググッと前面に出て来るようなクラスなのです。

 けれども(「けれども」が続きますが)、まだ「中級」に毛が生えたようなレベルの学生に、しかも、彼らはミャンマーでも、エクアドルでも、また当然のことながら中国でも、こういう知識は授かっていません。時折、自分の国のことが出れば、知っていると言うレベルなのです。

 準備にも、日曜日、一日かかったのですが(しかも、出来たの二回分くらいです)、昨日一回やってみて、「これはやり直したほうがいい」とがっくり来てしまいました。また構成から立て直しです。かれらが、ただ見て終わるだけ、「へえ、知らなかった。でも見てよかった」で終われるような学生だったら、今までの、「適当にまじめな中国人学生主体」の時のように、「板書して、説明して、見せて」でもよかったでしょう。けれども、そうではないのです。言わずもがなですが、私も、学生の真摯さの度合いによって、授業の姿も構成も準備も変えていきます。

 ここへ来てから、ずっと日本語をまじめに勉強していなかったという人に、こういうものを見せて説明しても、多分徒労なのです(はっきり言わせてもらいますが)。ただ、日本で暮らしていく以上、知らないでは、すまされませんし、ここにいて私が関係していながら、知らないなどとも言わせたくない。というわけで、「『初級』以上には、行く可能性がゼロである」という学生達の集団でない限り、この「現代史」の授業は続けています。

 ただ、同じ教材(DVD)を使うのであっても、今までは、口頭でよかったし、そもそも、その説明も多くを言うわけにはいかなかったのです。説明を始めたら、まず、「一分」分で、「95分間」という私の持ち時間などなくなってしまったでしょうから。

 ところが、今度の「Bクラス」(「Aクラス」は言うまでもないのですが)は、もう目をキラキラさせながら見てくれるのです。用意したプリントも、資料集の、私が指示したページも、「Aクラス」の学生達に、遅れないように必死でついてこようとします。こうなると、私としても、「日本語のレベルが低いからしようがない。これは、そのレベルに合わせたところで理解していくしかない」と突き放すわけにはいかないのです。

 というわけで、日曜日一日分は無駄になってしまいました。

 「授業は生き物」なのです。そして、「クラスも生き物」なのです。教師と学生は互いに影響しながら、「クラス」を作り上げ、また「授業」を成立させていきます。学生の姿勢が判ったら、彼らのレベルや真摯さに合わせて、「授業」を作り直していくしかないではありませんか。

 う~ん。忙しい。この忙しさは、夏休みという、ある程度の時間が取れるまで続きそうです。南無三。

日々是好日
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「草花に『思い』を託す」。「(初級)女子学生が『川村学園女子大学』へ去った後の、男子学生」。

2009-07-08 08:13:36 | 日本語の授業
 今朝も曇り。けれども、今日のお空は「梅雨時の空」と言うよりも、「お盆明けの秋空に近い」と言った方がいいのかもしれません。その上、台風でも来たのかと思われるほどの大風が吹いています。ただ、湿度は、同じです。ムシムシしています。まるで一雨来そうな、そんな感じなのです。

 今日は、いつも通っている道の反対側を走ってきました。見る角度が変わると見える風景も違ってきます。今まで気がつきませんでしたが、あるお宅は、オレンジ色の「カンナ」が垣根のように並べられ、内の風景を遮っていました。道よりも三段ほど高いお宅なのですが、道路と敷地の境目に丈高い「カンナ」を並べて植えていたのです。確かに、「カンナ」は葉も大振りだし、丈も高いから一㍍ほどは見えません。でも、何となく変ですね、これは。「カンナ」の色が、夕陽の色、落日の色なのです。そんなわけでもないでしょうが、家の境に置くべきものではないような気がするのです…。

ききょう

 「落日」と言えば、そろそろ「キキョウ(桔梗)」の花が盛りを過ぎようとしています。近所の「キキョウ」も、花数は多いのですが、すっかり色褪せてきました。あの深い湖の濃紺色が失せているのです。こうなりますと、「秘めた思い」というよりは、「秋の扇としての思い」になってしまいます。興ざめになると、花は、辛いものですね。

 人はその時々も「自分の思い」を草花や木々、或いは人間以外の動物にたとえてきました。人の心が、頼りないものだからなのかもしれません。瞬時にして変わってしまう「思い」というものもあります。口があるから「そら言」も言うし、「花心(浮気心)」もある。それに比べ、動植物、或いは海や山にはある一筋の思いしかないように、感じられるのです。それ故、「今」を、それに仮託するのでしょう。

 ただ、移ろいやすい「人の心」や「人生」に比べ、、「海」や「山」は、あまりにも強靱です。引き合いに出せたとしても、それは「誓い」の時くらいなもので、やはり、その時々の思いにはふさわしくありません。

 それに、人は「滅びゆく美」が好きですもの。花々の「盛り」だけでなく、花々の「末」をも愛すのです。「落日の美」は、「これきり」と思い定めて見るから、よりいっそう美しく感じられるのでしょうし。しかしながら、また、明日もあろうものを、どうして人はそういう気持ちになるのでしょうか。同じ「陽」にしても、「朝日」には、今日一日とか、また明日もと言う気持ちになれるものを、「夕陽」に限ってはだめなのです。
 例えば「落城」、例えば「別れ」、例えば「末期」、そんな言葉が自然につらつらと出てきます。最後の燦めき程美しいものはないと、いつから人は思うようになったのでしょう。

 さて、学校です。
 昨日は、「初級クラス(「C、D、Eクラス)」の女子学生達が、「川村学園女子大学」へ、学生さん達の「模擬授業」を受けに行きましたので、午後のクラスは、わずかな男子学生だけとなりました。

 いつもは、元気のいい女の子達に押されっぱなしで、あまり発言することも出来ない男子学生達と、まあ、「作文」の授業を兼ねて、いろいろなおしゃべりをしました。置いてかれた男子学生の国籍は、中国、インド、スリランカ、ネパールです。

 初めは、「(将来、或いはこれから)何をしたいか」という「問い」だったのですが、話はどんどん脱線していきます。彼らは、この「問い」に対する「答え」というよりも、この「問い」をきっかけにして、現在の自分の情況から、導き出される「思い」の方に、引きずられていったようです。「まあ、それはそれでいい」と、私もそれに引きずられながら、一方で、彼らの心を探っていきました。

 なにせ、いつもは、威勢のいい女子学生達が、ピーチクパーチクと囀り、男子学生の声など押しつぶされてしまっているのです。しかも、抵抗しようものなら、一斉に反撃を食らいます。大人しくしているのが、何よりの「生き残りの道」とばかりに、息を潜めていたというのが実情でしょう。

 問いかけてみると、四月に来たばかりの学生達には、皆、曰く言い難い思いがあったようです。私のそれに対する答えも、一つ一つの回答にはなっていなかったかもしれませんが、一人への「答え」が、またあらたな「問い」を生み出していくようで、この連鎖の受け答えは、しばらく続いていきました。

 これも互いを理解していく上で、決して無意味なことではないのですが、他者に対する関心をほとんど持っていない、一人の中国人学生は、最後までその輪の中に入ることが出来ませんでした。「他者の思い」を我が事として考える。また、他者の胸中を窺うことが、己の「魂」の理解にもつながる可能性があるなどということは、彼には全く関心のないことだったのです。きっと「無駄な時間だ」と、心の中で舌打ちをしていたことでしょう。

 これは、人それぞれ(何に価値を置くか。或いは何に好奇心があるかということで、人の「生き様」にも関係してくるのですが)ですから、そういう、彼の態度について非難する気持ちは、私にはありません。既に二十数年をそのような価値観の中で生きてきたのですから。それに、周りもきっとそうだったでしょうし。

 おそらく、こういうタイプの人にとっては、他者は常に、枠外の存在なのです。好き嫌いがないというよりも、どうでもいい存在なのでしょう。関心を持ってしまうから、好きにもなり、嫌いにもなるのです。

 多分、これは、彼が自分以外のだれかに関心を持ち、(自分を)理解されたいという思いよりも、その人を理解したいと思う気持ちになれるまでは、理解できないことでしょう。ただ、彼以外の学生達は、その渦の中にすっぽりと巻き込まれ、それなりに、他者の「問いかけ」に答えていました。こうなると、私は「添え木」と化し、時々、軌道修正(あまりに大きい脱線は見逃せません)するか、日本語の補助をするくらいの存在になってしまいました。本当は、一番いいのは、自分で自分自身に問いかけ、それに自分で答えていくという形なのですが、昨日の様子では、まだまだ無理のようです。問題の「在所」さえ、判りかねているという学生が何人かいましたから。

 過激な発言をしがちな学生や、他者の気持ちを踏みにじり、勝手なことを言ってしまうといった学生が休んでいましたので、それでも、話は和やかに進んでいきました。「初級Ⅰ」が終わる(「Dクラス」は「初級Ⅰ」が終わったばかり、「Cクラス」は、「初級Ⅱ」が終わったばかり)と、もう自分の気持ちを、ある程度は言い表せるようになるものなのですね。一人が言いよどむと、私ではなく、だれかがその人の気持ちを忖度して、ふさわしいであろう言葉を探してやっていました。

 実は、授業前は、うるさくて、怖い女子学生達がいなくて、「萎んだ風船」のようになっているかなと想像して、「活を入れる」ための準備をしていたのですが、杞憂にすぎました。次の時間(「自然(黒部)」のDVDを見せながら、それに関する単語を入れたり、説明を加えたり)も、学生達は、積極的に楽しみ、感想を述べていたようです。

 「語学学校」というのは、女性が多く、しかも、積極的で、まじめな人が大半を占めていると相場が決まっているようですから、男性陣は、ややもすると、隅っこに追いやられてしまいます。「Cクラス」では、一人インド人男性のRさんが、気を吐いていますが、最近はオーナーに信頼され、仕事が増え、夜12時から2時までしか、勉強できなくなったと嘆いていましたから、直に、彼も暗闇に沈み込んでしまうかもしれません。

 不思議なもので、クラスでそれなりの存在感を示せるかどうかは、(ここ日本語学校においては)日本語のレベル如何で決まってしまいます。レベルが高ければ高いほど、クラスの中で存在感が増していくのです。Rは、頑張り屋さんで常識もある、しかも四年生の大学を出ている、その上、素直なのです。ここで言う「素直」というのは、教師が「これをした方がいい」ということを、無心に聞いてその通りにするという意味です。インドでの勉強のやり方は、日本語を習得する上では、多分ほとんど役に立たないと言ってもいいでしょう。彼の前に来たインド人はそれで失敗しましたから。いくら言っても、自分のやり方を変えることができなかったのです。そして、完全に沈没し、下のクラスへ、と沈み込んでいくほかないのです。

 このRさんは、私たちが「今はこれをしなさい」と言ったことを地道にし、「もうそれはいいから、これからはこれにしなさい」と言ったら、また直ぐその通りにするのです。ただ、昨日も、こんなことをこぼしていましたが。
「先生、Dさんは、仕事がなくて困っています。でも、私は仕事はありますけれど、勉強する時間はなくなったので困っています」

 彼の仕事は友人が紹介してくれたもの。その友人への義理や恩義からも、簡単にやめたり、逃げたりすることはできないのでしょう。
 大変ですが、続けていくしかありません。けれども、この行動は「捨て石」ではないのです。それが、きっと人々の信頼にもつながり、次のステップを切り開いていく上での土台ともなるでしょうから。

 おやおや、そんなことを書いているうちに、お空が涙目になってきました。それどころか、パラパラと降ってきたような…。傘をさして自転車に乗る技術のない、あの二人は、今日は「歩き」ですね。

日々是好日
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「七夕」。「新クラス『開講』」。「中国から来た少年、『日本語を学ぶ』ことを通して」。

2009-07-07 08:02:04 | 職員室から
 今日は「七夕様」です。いいお天気になりそうです。昨日は、午前は「三クラス合同」で11時から、また午後は、「二クラス合同」で三時から、笹の葉に「七夕様」の飾り付けをしました。

七夕


 午前の「三クラス」というのは、「Aクラス(2008年7月生)」と「Bクラス(2008年10月生)」、そして、昨日開講したばかりの「Eクラス」です。開講したばかりと言いましても、そのうちの大半の学生は、この日に備えて、午後のクラスの授業を受けていましたから、全く「日本語がわからない」というのは、スーダンから来た女性、Tさん、一人でした。Tさんにも、少し早く来て「他のクラス」で、「日本語の勘」だけは養っておいた方がいいと言ったのですが、経済的な問題があったのでしょう、「7月から来ることにした」ようです。

 「七夕様」は3.4時間目でしたから、1.2時間目は、どのクラスでも授業を進めていきました。「Eクラス」では、「特殊音」や「拍」について詳しくやるのは、またの時間にすることにして、どんどん教科書を進めていきます。Tさん以外は、「ひらがな」や「カタカナ」に多少の問題こそあれ、一応は書けますので、授業の進行にも、問題はありませんでした。

 「初めて」の授業の時には、「宿題」の出し方や書き方、授業の進め方などについても、理解しておいてもらわなければならない事が多いのです。何と言っても、「初級Ⅰ」を開講するときには、だいたい10人足らずの中に、既に数カ国が属するということになっていますから。その上、「共通語(日本語)で云々」がまだ成立してないのです。というわけで、「体験」から、やり方や習慣を習得してもらうということになってしまいます。ちなみに、開講したばかりの「Eクラス」の学生たちの国籍は、中国、モンゴル、スーダン、タイです。

 毎回、始まったばかりの時はこれくらいで、これが一ヶ月ほども経つと、いつの間にか四ヶ国が六ヶ国になり、また八ヶ国になりと、どんどん増えていきます。それくらい、この近くに住んでいる外国人は多いのです。それも、一ヶ国だけというのではないのです。

 昨日も、午後、問い合わせが一件ありました。中国人の少年で、15歳であると言います(中学校を卒業したばかり)。ちょうど、この「Eクラス」は、(夏休みであることも関係しているのでしょう)、モンゴルから来た少女二人は、夏休み(三ヶ月)を利用して、日本語を学びたいと言うことでしたし、タイから来た少年は、親御さんの都合で日本に呼ばれ、中学校に行ったけれども適応出来なかったということで来ていますし、それに中国から来た少年は、高校を卒業したばかりでした。

 この中であったら、日本語の勉強というのも、(この15歳の少年よりも年下の子もいることですから)彼にとってそれほど重荷にならないかもしれません。ただ、中国で勉強する習慣がついていなければ、この学校で勉強していくのは、苦しいとは思いますが。

 これは、現在、「Bクラス」で勉強している、ある少年、S君の「経験」から言えることなのですが、「人は何度でも変わることができる」ということなのです。

 S君が、日本に来たときには、まだ15歳になっていませんでした。中国では勉強をあまりしていなかったと本人もご両親も言っていましたし、ご両親の考え方は、「勉強しても飯は喰えない」でした。それよりも「少しでも日本語が話せれば、喰っていける。だから、日本語が少しわかるようになればいい」だったのです。

 しかも、お父様は私にこう言いました。「この子は勉強が好きじゃないし、しない。しなくともいい。嫌いなんだから。自分もそうだったのだから。ただ、この子は馬鹿じゃない」

 ご両親の言われた通り、S君は勉強の習慣が全くついていませんでした。けれども、ここは学校ですから、それでは困ります。多分、あの時、私はとても嫌な顔をしていたと思います。とにかく、S君を呼んで、「勉強したいのかどうか、また、本気で勉強する気があるかどうか」を聞いたのです。ちゃんと勉強すると、本人が言いましたので、そこで、ご両親に、「ここで、勉強してもかまわないが、毎日、朝9時には学校へ来て、宿題や予習、復習をすること」という条件をつけたのです。

 いい加減な考え方の人に来てもらっては、まじめに勉強している人の迷惑になります。みんな、暇つぶしで、学校に通っているのではありません。勉強するつもりで、お金を払って来ているのですから。

 予想通り、まじめに「朝」勉強していたのは最初の2.3日だけ。直ぐに崩れました。自習室を覗いてみると、音楽を聴いていたり、ボウッとしている様子の彼がいました。その度に叱られて、大慌てで教科書を開くということの繰り返しでした。しかしながら、それでも、彼は来ることだけは来、午前中は自習室で過ごし、午後は授業に出るという生活を続けました。

 これは、本人の素質も関係していますが、何よりも家庭教育の賜物と言えましょう。家庭で、「少なくとも、約束したことは守らなければならない」という習慣がつけられていたのです。本人も、日本語を身につけなければならないということは、判っていたようでしたし。それがいつの間にか、どんどん話せるようになり、ゲームの解説書にある日本語もわかるようになり、日本語の話せないご両親のために通訳として入国管理局へ行ったり、アパートを探して不動産屋さんとやり合ったりと、今では、来たばかりの頃の、線の細い少年の面影は消え失せて、少しずつ自分で考えて行動しようという意気が垣間見えるようになってきています。

 この少年が、先日、「横浜散策」で、こんなことを語ってくれました(以前にも書いたのですが)。
「先生、私は変わりました。日本へ来て、本当によかったと思います。中国では勉強なんか全然しませんでした。日本人の先生はとてもとても面白い。中国の先生とは違います。今でも、私はネットで、中国の友達とおしゃべりします。みんな遊んでいます。勉強しません。私も中国にいたら、そうしていたと思います」

 中国は日本とは違い、どこで生まれたかで、その人の将来は大きく左右されます。田舎に生まれたら、能力がかなりあっても、一生「うだつが上がらない」まま生きていかねばならないということも少なくないのです。若い人がやる気をなくすというのも、わかるような気がします。勿論、これは中国だけのことではありませんが。

 彼が、自分で、「私は変わりました」と言ったのも、日本語が上手になることで、ご両親からも頼られ、また出会う日本人から褒められたりしたからというだけではありません。勉強して、日本語が上手になるという結果を出せた、しかも、日本語になることで、見える世界が広がり、それと同時に、少しだけではありましょうが、自分の可能性を感じることができたのでしょう。

 ただ、このような少年の場合、彼は変われても、ご両親は変われません。中国の貧しい村の出身で、日本でコックさんとして稼いで、お金を(多少)貯めることが出来たとしても、考え方までは変われません。この人達自身、これまで、そう思い、そうして生きてきたのですから。「学問なんていらない。学問なんかじゃ飯は喰えない」。この「学問」というのも、いわゆる「義務教育で与えることの出来る広さであり、深さである」にすぎないのですが。

 「高校」進学についても揉めています。彼は、日本語が上手になって、いろいろな世界を知り、また、この学校で「大学進学」を目指している人や、或いは「高学歴者(修士や博士)が、(彼にとっては夢のような「見栄えのする」仕事)を捜したり、また見つけたりしているのを実際に目にしているのです。

 「日本語が少し出来ればいい。高校進学などしなくてもいい。身体が丈夫だったら、働けるからそれでいい」と思っているご両親との間で、既にギャップが生じているのです。彼が日本に来たばかりのころは、何でも親任せでした。それが、少しずつ巣立とうとしているのです。けれども、彼は親孝行ですから、親が理解してくれなければ何事も行動を起こすことができないのです。時々いらついている彼の姿を見ると、少し可哀想になるのですが、どうやら、アルバイトして、学費は自分で稼げば、まだ勉強してもいいということに落ち着きそうです。

 まだ、これからどうなるか判りませんが、自分の一生は、自分でしっかりと道をつけ、頑張っていかねばなりませんし、その糸口は、教育でしかつけられないのです。特に外国人の子弟にとっては。

日々是好日
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「言語の習得には、それが風土・文化に根ざしていることを教えていくことが不可欠である」

2009-07-06 08:00:40 | 日本語の授業
 今朝も雨。自転車にしようか、歩きにしようかと、迷いました。突破できないことはないとは思ったのですが、結局は、歩いて学校へ行くことにしました。

 行きがけには、(よく昼ご飯を買っているコンビニが改装中なので)少々足を伸ばして、海側のスーパーへ行きました。普段は自転車で、しかも朝の気忙しい時間帯ですから、ゆっくりと道沿いの草花を見るというわけにはいきませんが、今朝は、早めに出たこともあり、気持ちが寛いでいました。で、のんびりと傘をさし、雨に打たれている草花を楽しみながら、学校へやって来たというわけです。

 その途中、こんもりと葉が茂っている木の下には、雨の跡がないのに気がついたのです。この雨も、小降りになってはいましたが、傘をささずともいいというほどではありません。
木の葉が、しっかりと雨粒を受け止めてくれていたのです。

 古人が、木の下を「仮の宿り」としていたのも宜なるかなです。行徳という、この辺りは、日本橋まで、地下鉄で20分と交通の便もいいし、物価も安い。いいことずくめのようにも見えますが、大木がないのが難点なのです。人は老いるにしたがって、大地に戻るとも申します。大地から伸びたものが恋しくなるのです。

 木々にしても、実生のもので、落葉樹で、枝に葉が茂り、しかも丈高いのがいい。小鳥にとっても、鹿やイノシシにとってもそうでしょう。それが、この地に乏しいのは、海に近いこと、また埋め立て地であること、ここの土が、山のものではないことなどがあげられるのでしょうが、寂しい限りです。電線などに鳥たちが止まっているのを見るにつけても、本来なら身を隠すべき大木に宿りたいであろうにと同情を禁じ得ません。

 さて、昨日は「日本語試験(一級と二級のみ)」の日でありました。
 テレビで、北京で受験している人達の様子が映し出されていたので、驚きました。中国でも、「大学は出たけれど…」という厳しい就職難です。学生達も(日本と同じように)「資格」をとることに必死にならざるを得ないのでしょう

 けれど、この時、インタヴィユーに答えている女子学生の言葉に、思わず笑ってしまいました。
「日本語は簡単だ。会話が難しいだけ」

 中国の大学や短大で、必要に駆られて、少し日本語を囓ったことのある大卒者は、だいたいそう言います。また、そう言う気持ちで日本へやって来ます。初めは、「(そう思えるなんて)あっぱれだ」と思っていたのでしたが、後で、ただ無知からそう思っていただけであるということがわかり、この「あっぱれ」という気持ちが、少々侮蔑に変わりました。また、そう言ってのける人に限って、一定の水準より伸びないのです、日本語力が。

「言語」が、風土に根ざし、文化・歴史・その地に住む人達の心と、深い関係を紡ぎながら、生まれている以上、それらの理解が言語の習得には欠かせないものであることは、明らかなことです。が、それを彼の地では日本語教育の基本に入れることができていないのです。(「学習班」と呼ばれるところで学んでいる人は、その対象ではありません。「一」は「いち」であると学んでいるにすぎないのですから)

 数学の「等式」を覚えるように言語を見なしているのです。それ故、漢字が点在している日本語は、中国語の亜流であると見なし、簡単だと思い込むのでしょう、中国人だからと。「文化だとて、皆中国の模倣ではないか。中国が親で日本は子である」と言う人も少なからずいます。

 中国にいる時であれば、(周りが中国人ばかりですから)「そうだ、そうだ」で終わり。なぜなら、その方が威勢がいいし、優越感をくすぐられますから。人間は弱いものです。阿Qの「精神勝利法」に頼らざるを得ません。何でも、いつの間にか自分が上になってしまえるのです。ただ、これは中国にいるときだけです。外を知らない人であれば、それで充分、またそれ以外に何が出来ると言うのでしょう。

 「文化」というのは長年に亘って、人が築き上げてきたものです。どの地域・国であろうと、他者と違う点はあります。またそれ故にこそ、その国や地域の言語を学びたい、彼らの文化を理解したいと思うのではないでしょうか。

 ところが、私が留学していた頃の中国人は違いました。その点は、今でも、あまり多くは変わっていないと思います。他者を直ぐ蔑視するという習慣です。その頃は中国は貧しく、日本は豊かでしたから、アジアの諸国のでも、日本人だけは、他の欧米諸国から来た留学生と同じように扱われていました。けれど、内心では、日本を見くびっていたのだと思います。

 今は、それが焦りになっているのでしょう。プライド半分、焦り半分くらいでしょうか。どうして「親」なのに、「ノーベル賞をとれない」みたいに。日本人とは、風土から根ざした「心持ち」が、違うのです。それが、判ってくれる人もあり、また感じてくれる人もいますが、おそらく大半は、違いがあると判っても、具象的なものに終始してしまうのでしょう。

 「トトロ」という映画があります。現代日本人であろうと、「トトロ」を見て違和感を感じるようなことはないのですが、中国人は違います。それゆえに、日本人が、最先端の機械に習熟しながら、「トトロ」を自分の身の一部のように感じるという精神構造が、よく判らないのです。簡単に「トトロの世界の住人」は「後進国の人間」であり、「先進国の人間」は、「トトロの世界の住人」であるはずがないと思っているのです。

 以前、他の学校で教えていたとき、「『トトロ』という映画が判らない。いったい何を訴えようとしているのだ。主張は何なのだ。何が言いたいのか」と、訴えられたことがありました。私は「考えるな。ただ感じればいい。それだけでいいのだ」と答えたのですが、所詮、無理なことです。この人は、何事も理詰めで理解しようとしていたのです。おそらく、こういうタイプの人には、「日本の文化の匂い」はわからないのでしょうし、「日本人の心」も感じることはできないのでしょう。

 勿論、これには個人差があります。何事でもそうですが、アンテナの長さは人それぞれ違います。また向きも関係してきますから、判らなかったら、判らなかったでいいのです。他を捜せばいいことなのですから(却って、「何でも判った」という人は怖い)。が、アンテナがこちらを向き、またこちらを向いたアンテナの長さも太さも十分であるのに、理解できないとしたら、そして、その人を教えたのが私であったとすれば、(しかも、教えるだけの期間があったにも拘わらず、私が理解させられなかったというわけですから)これは、私が悪いということになります。

 といいましても、これは、本来「教えられる」レベルの問題ではないのです。こういうことが「わかる」人には、それを「見せる」だけでいいのです。あと、「一言二言」付け加えれば、「入門編」は完璧だと言えるでしょう。日本語のレベルという関門はあるようにみえますが、こういう「天性の感性」は、語学の関門をあってなきがごときものにしてしまいますから、(こういうことには)言語という関門はないと言ってもいいのです。

 ある事柄は、「理性」で考えなければならないでしょうし、ある事柄は、「感覚」で考えなければならないでしょう。けれど、また「心で考えるという考え方もあるのです。

 同じ芸術に志す者であっても、「理性」か、「感覚」か、「心」かで、表現に違いが出てきます。「トトロ」などは、「心」なのです。心の奥深くを深層水のようにスウッと流れていくものなのです。そうして、「懐かしさ」と「心地よさ」を味わえば、いいのです。言葉を換えて言えば、「見る」ことによって、幾十代もの祖先からの思いが、また自分の中で一つに「なる」、或いは「なったような気になれる」、そういうものなのかもしれません。なんにしても、日本人にとっては、心地良い映画なのですから。

 さて、遅ればせながら、今日は、「七月生」のための開講日であり、後半は「七夕」のお祭りになります。今日は、どのような願い事が、笹のお船に乗って天の川へ届けられるでしょうか。

日々是好日
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「『初級』授業の『進度』」。

2009-07-03 09:56:05 | 日本語の授業
 外に出た時には、暑くなかったのです。けれども、自転車を飛ばしているうちに、やはり汗がにじんできました。暑くはないと思わせておいて、ムシムシさんという伏兵をどこへやら隠している。この時期は、どうも、こういう、奇襲攻撃によく見舞われてしまいます。

すずめ

 今朝も、学校への道を走っていると、蹲って逃げない雀の子を見かけました。おっとっと、危ない、危ない。
「雀の子 そこのけ そこのけ お馬が通る」(小林一茶)

 さて、沖縄で梅雨が明けて、もう随分になります。関東の方では、どうでしょう。梅雨明けはいつになりますかしらん。夏の到来に先んずるように、道路沿いのお宅には夏特有の草花が姿を見せています。

 お庭の花は、華やかであったり、涼やかでスッキリとした風情であったりなのですが、空き地に生えた草花は、そうはいきません。「はびこる」とか、「しこる」としか言いようのないような状態です。雨が降り続いたからでしょう、ぐんと根を張り、茎も太くなり、また、花の茎を間引いていくという観念(自分自身で)はありませんから、伸びられるだけ伸びよう、太れるだけ太ろうと、身体をグイとばかりに突っ張っています。

 一見、鬱陶しいような有様にも見えますが、それも、この時期だけの「命の雄叫びである」と思えば、それもまた良しなのです。しかも、冬になれば、それらのほとんどが立ち枯れた姿を晒すことになるわけですから、寂しいですね。

 誰の一生にも、得意の絶頂期、「旬」というものがあります。そう思えば、我先に、空き地にギュウギュウとひしめいている、命の一つ一つが、愛しく思えて来るではありませんか。

 ところで、学校です。
 4月から始まった「Dクラス」は、今日で「初級Ⅰ」が終わります。それほど勘のいい人たちが集まっているというわけでもなく、また、「初級(Ⅰ)クラス」というのは(特に「4月開講」のクラスというのは)、途中から在日の方が入ってくることも多く、復習を繰り返したりしなければならないので、ペースが崩れやすいのですが、その割には、(三ヶ月で終了できたわけですから)まあ、予定通りと言えるでしょう。

 この「初級クラス」の「進度」についてなのですが、決して「速ければいい」というものではないのです。どんな学生が集まっているか、また、どれくらいのレベルや経験がある教師が教えるのかというのが大切なのです。ある程度の能力を備えた教師が教えるしても、(そのクラスに)休みがちの学生が何人もいたり、やる気がなかったり、しかも、勉強の習慣がない人ばかりだったりすると(まず、教えられる状態にないわけですから)、そちらの方を先に解決していかなければなりません。「どうして休むのか」、「どうしてやる気がないのか」を、授業を進めながら、個人指導していかなければならないのです。また、それとは別に、勉強の習慣がついていない人には、勉強の仕方を教えていかなければなりません。

 小学生ならいざ知らず、(すでに二十歳を過ぎているのにも係わらず)そうなのですから、「習慣を変えさせる」ということは、そう簡単な作業にはなりません。しかも、共通語(共に理解し合える言語)なしにです。教室で日本語を教えるだけではなく、こういう作業が必要になる人も、日本語学校には来ているのです。

 勿論、そういう人達ばかりということはありえませんから、常識的なスピードというのは、維持しなければなりません(他の人が困りますから)。私がここで言った「常識的なスピード」というのは、語学を習得するのが、多少苦手の人であろうと、(教師のやり方次第で)普通の人と一緒にやっていける速さという意味です。具体的に言うと、「初級」は(Ⅰ)、(Ⅱ)ともに、三ヶ月で終了ということです。これが、やる気があるだけでなく、語学を学ぶ上での勘が良かったり、既に外国語を習得(母国で、外国語を学び、しかもかなりのレベルに達している)していたりしますと、授業のスピードをさらに上げることができます。

 しかしながら、日本語学校に来る人達(「初級クラス」)のレベルが揃っている(クラス全員がそうである)ということは、普通考えられませんから、勢い、スピードはそれほど速くも遅くもできないということになります。その分、出来のいい人達のクラスでは、(他の人達の足並みが揃うまで)他の教材も入れ、別の意味で、(中級や上級になったときに)差が出るような授業構成にしていくと思います。

 けれども、この学校のように小さな学校では、学習に余力がある人には、(主に自習室で勉強しているときに)問題などを与えています。嫌がらないのです。ドンドン問題をしていきたがっているときに、問題を集中させて与えた方がいいときもあるのです。ただ、「ヒアリング」は別です。ある程度の時間が必要になります。速く進めすぎて、内容を消化できぬまま「中級」に入ってしまったら、それこそ、大ごとになってしまいます。

 一言で言えば、どのように低いレベルの教師であろうと、「『教科書』を『ハヤク』終える」ことはできます。「ハヤク」読めば、「ハヤク」終えられるではありませんか。レベルが低ければ低いほど、学生の状態が見えませんから、「終わった。終わった」、「『初級』は一ヶ月で終わった」とか、「『初級」は二ヶ月で終わった」とか、言ってのけることができるのです。当然、「きちんとした授業をしなければならない」というプロ意識もありませんから、それに対する罪の意識も、ありません。幸せなものです。

 またその反対に、クラスの学生達の素質は優れていて、しかもやる気に溢れているのに、「初級」の(Ⅰ)、(Ⅱ)の習得に9か月も、一年もかかるという学校もあります。そういう場合は、ゆっくりやるのではなく、一度普通のスピードで、先に流してみた方がいいと思いますが。全体が見えて初めて、わかると言うこともありますから。タラタラやっていたら、学生が飽きて、あったはずのやる気まで失せてしまいます。一度、「クラス」がそういう状態になってしまうと、立て直すのには何倍かの時間がかかってしまいます。

 「初級」の場合は、「(学生に)どうして」と思わせることなく、「あら、私、言えている」とか「あれ、出来てる。聞き取れている」という気にさせて、終わってしまった方がいいのです。授業の流れが止まると、普通の人は、考えても判らないことに引っかかって、先に進まなくなります。

 「初級」のうちは、教師には「授業力」プラス「騙しのテクニック」も必要になってくるのです。(学生が)それと気づかないうちに(立ち止まって考えたりしないうちに)、「初級」を終えてしまった方が勝ちなのです。「初級」さえ、終わっていれば、日常会話は一応できますから、世界が拡がってきます。その後、「中級」はいいとして、「上級」ともなりますと、彼らの母語のレベルが関係してきますから、一概に教師を責めることは出来なくなってきます。ただ、このことが判らない学生が案外多いのです。

 昨日のことでした。少しずつ、日本語の会話が「成立」し始めた「Dクラス(今年の4月生)」の学生に、「母国での学歴は忘れた方がいい。大学を卒業しているからといって、『留学生試験』や『一級試験』で、高得点がとれるとは限らない」と、非常に真っ当な、当然のことを、言いました。

 すると、「へえ~、本当ですか」という、ばかげた反応が、何人かから返ってきたのです。どこの国の人でも同じですが、特に、高等教育がそれほど普及していない国であればあるほど、そうなのです。教育を受ける機会が少ない処(そのほとんどは、経済的な理由と言えましょう。どこに生まれたか、或いは誰の子供として生まれたかで、すべては決まってしまうのです)から来た人達は、「大卒」というだけで、どうにかなる、または偉いと思っているらしいのです。(実際に、この学校は出来てから、すでに7年目に入りますが、この学校で、これまで「日本語能力試験(一級)」で、一番高い点数をとったのは、中国の日本語学科(本科生)卒業の学生でも、中国の有名な大学を卒業した学生でもありませんでした。中国人ではありますが、普通高校卒業生でもなかったのです。同じ教師が、同じように教えたにもかかわらず。

 彼らの反応を耳にして、またまた、「鉢巻き」を締め直しました。甘く見てかかっている連中には、少しでも早く痛い目を見せておかなければなりません。実際、このクラスはこの学校で勉強を始めてから、すでに三ヶ月近く経っているわけですから、この間、休まず、まじめに、学校で勉強を続けてきた人と、母国での学歴や日本語歴にあぐらをかいていた人達との間には、歴然とした差が出始めています。このことに気づけるかどうかも、これからを占う「よすが」となると思うのですが、こういう人達は、えてして気づかないものなのです。気づくように水を向けても、自分に不利なこと(本来は反対なのですが)には、目も耳も塞ぐという習慣がついているようで、せっかくの助言も無駄になることが多いのです。

日々是好日
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「『一風呂』は『ご馳走』」。「卒業生の論文の『添削』」。

2009-07-02 08:21:46 | 日本語の授業
 今朝も、雨と「ご縁」がありました。いわゆる「小糠雨」、中国語で言うところの「マオマオユウ(毛毛雨)」。自転車で来ました(自転車に乗る技術がそれほどでもないので、傘を差しながら乗るなど論外ですし、雨具を着ると前が見えなくなって怖いので、これもだめというわけで、いつも「強行突破」になってしまうのです)。

 「梅雨」ですから、雨が降り続くのが「正常」で、降らないのが「異常」であるということはわかっているのですが…。それに、降らなければ、「都市の水甕(ダム)」が干上がってしまい、水不足で、水飢饉ということにもなってしまいます。水が足りないというのは辛いものです。飲む分はどうにかなるとしても、日本人は「お風呂」に自由に入れないのが何より辛いのです。
 ほんの少し前まで、田舎では、夏、外から来たお客さんに、さっと一風呂浴びてもらって、これも「ご馳走した」と言ったほどですもの。

 それはさておき。
 昨日は、放課後、卒業生に来てもらい、彼女の論文の説明をしてもらいました。実は、月曜日に彼女がこれを持って来たのですが、その時、前とは少し変わった様子の彼女に、「あれっ」と思ったのです。ちょうど居合わせた、エクアドルの学生(半年ほど重なっています)と、相手がスペイン語で通そうとしていたのに、日本語で話し続けたのです。

 彼女は、今年の3月まで、この学校で学んでいました。その時には、エクアドルの学生とはいつもスペイン語で話していました。相手が日本語で話しかけてきても、スペイン語で答えていました。大学で専攻したスペイン語を忘れたくないという思いもあったのでしょうが、あの頃は日本語を学んでいながら、どこかしら、日本語に「重点を置いていない」ような印象を受けていたのです。適当に、それなりの成績(日本語)はあげていましたから、本人もそれでいいと思っていたのでしょう。既に一度、社会に出て、働いたことのある人でしたし、私も「必要になれば、きちんとやるだろうくらい」の気持ちで、別にそれについて意見を言うこともありませんでした。

 些細なことですが、日本語に対する態度は変わっていました。書くことはともかく、日本語がある程度のレベルで話せなければ、「院」の試験も結果を期待することはできないでしょう。ですから、私も、彼女が持って来たものを、それほど嫌な気持ちではなく、つまり、こころよく、添削していくことができたのです。

 午後の会議が終わってからでしたから、6時は過ぎていたでしょう。不明な部分を聞き質し、説明を受け、どうにか形をつけられたのは、もうすぐ8時という頃でした。後は彼女がもう一度考えてから、提出するということでしたので、まあ、少しはお役に立ったのでしょう。
 私が、彼女が「専攻したいという分野」に疎いものですから、一度見て欲しいと言われたときも、躊躇しました。しかし、この時、「単語」や「内容」に関することは、既に専門に学んでいる人に見てもらったから、「テニオハ」だけでいいと言ったのです。「それなら」ということで引き受けたのですが、読んでみると、なかなかそういうわけにはいきません。「テニオハ」を入れ替えるにしても、意味が判らなければ、入れ替えようがないのです。ということで、簡単な部分、誰が誰に何を要求したのか、あるいは、場所は内か外かなどという部分で引っかかり、スムーズに添削していけなかったのです。

 これは、何事も同じで、「判っている内容」なら、「翻訳」も「添削」も割合に捗ります。特に共に作業をしたことがあれば、次に何が来るかといった想像もつきます。ところが、そうではなく、苦手な分野や疎い分野であった場合、しかも、それに関する書物を読む時間も余裕もないという情況の下では、「添削」にしても、「翻訳」にしても、なかなか流れていきません。不必要な時間がかかるのです。

 そんなわけで、添削したものを、メールで届け、それで終わりというわけにはいかなかったのです。実際に、彼女に来てもらい、説明をしてもらわなければ、進まない部分がいくつもありました。で、「中国語混じりの日本語」と言った方がいいのか、「日本語混じりの中国語」でと言った方がいいのかわかりませんけれども、ともかく、その部分の前後の脈絡(「組織」についても、活動くらいは知っていましたが、詳しいことは知らず、おまけに、新聞等で使われていた「用語」とは異なっていましたので、まず、それにも戸惑わされてしまったのです)を説明してもらいました。

 やっとそれも一応の形がついて、さて「もう一つ」となったのですが、疲れたので、これは「今日はやめ」ということにしました。短かったのです。それで、後で添削し、それを送るということシャンシャンとなったのですが、帰る間際の、彼女の「最後の一言」が振るっていましたね。「トドメ」という感じで、ガクンと力が抜けてしまいました。

「私は帰ります。先生はどうしますか」
「片付けて、直ぐ帰ります」
「そうですか。もう遅いですから、早く帰った方がいいですよ」
全く、ギャフンです。しかし、こういうタイプで、拘りがないから、異国でもたくましく生きていけるのでしょう。

 でも、今度持ってくるときは、二、三日前というのはだめですよ。二週間くらい前にしてね。こちらも仕事を持つ身。この学校の学生であれば(毎日会うので)、お互いに空いている時間を見ながら、少しずつやることもできるのですが、一旦卒業してしまうと、なかなかうまくいかないのです。それに、今、金曜と月曜日は、半分死んでいますから、持って来て欲しくないし…。

 昨日は、午後8時前に形はできたけれど、その前の日は、9時をとっくに過ぎた時間まで、(添削が)かかったのです。家では、新聞やら、DVDやらで、直接の授業とは関わりのないことに追われるので、学校でもできることは、家に持って帰りたくないのです。
(でも、結局、月曜日は持って帰ってしましたけれどもね。間に合わないと思ったから)

 実は、一昨日(火曜日)、午後8時半頃、(まだ、あと二ページほど残っている時でしたが)思わず、「泣き言」のメールを送ってしまいました。お腹は空くし、だんだん頭が「こんがらがってくる」し…。

 すると、直ぐに電話がきました。
「先生、まだ学校ですか。そんなにまじめにしなくてもいいですよ。時間がないなら、金曜日まででもいい」

 本当に明るい声です。常に前向きで、楽観的。
 この学校にいる時には、その自信が危なっかしく思えていたものですが。つまり、上を知らないからでしょう、どこか世間を侮っている、つまり高を括っているところがあるように思えたのです。器用にこなせるだけでは、日本の専門家集団の中に入ることは難しい。それを判っているのかなとう気持ちがしていたのです。入ることも難しいし、その中で、それなりの位置を占めていくことも難しい。
 そういう、ある意味での、彼女の「世間知らず」が、少々不安に思えたのです。けれども、能力のある人ですから、自分の至らなさに気づけば、グンと伸びるであろうということは想像できましたけれど。

 彼女の屈託のない、明るい声を聞いて、しかも、金曜日という、私にとってのタブーの曜日を言われて、ほぼ条件反射で、私は、叫んでいました。全く、どっちが上なのか判りませんね。

「嫌だ。金曜日は忙しいから、嫌だ。今、やってしまう」

 それを聞いて、「困ったなあ」と思っているであろう彼女の顔が目に浮かんでくるようで、一人笑ってしまいましたけれど、子供のように駄々を捏ねたことが良かったのでしょう。憂さ晴らしが出来たのです。それで、とにかく、一応最後まで見ることが出来たのですから。

 けれども、各分野における「専門用語」というものは、「単語」だけではありません。時には「表現方法」まで含まれてきます。特に「言いまわし」が、手に余るのです。普段使わないような「言いまわし」で表現されていたり、この意味では使わないよなという意味で、ある種の「単語」が使われていたりすると、「中国人ゆえの『表現』」なのか、それとも、この分野では「常識となっている『表現』」なのかの区別が、(素人の私には)つけかねるのです。

 彼女には、「(この分野の本を)もっと、たくさん、たくさん、読んでください。そして、私が聞いたら、直ぐに答えられるようにしてください」と頼んでおきました。が、自分で選んだ道です。望んだ道です。きっと、頑張って、新しい道を切り開いていくでしょう。そのためなら、多少眠くとも、また多少お腹が空いても、おつきあいします。でも、多少…、「ちょっとだけ」ですぞ。

日々是好日
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「濡れ鼠」。「素直に他国の人を認めさせていくためには」。

2009-07-01 08:21:30 | 日本語の授業
 窓から見た時には、ただの「曇り」に見えました。が、外に出てみると、細い細い、針のようなものが、チロチロと当たります。けれども、たいしたことはあるまいと、そのまま自転車で行くことにしました。

 先週は、「もし、帰りに雨が止んでいたら、悔しい(なぜか判りませんが、悔しいのです)から」と、かなりの雨の中を、「小雨決行」してしまいました。

 ところで、この「小雨決行」という言葉は、「催し物」などがあるときに、よく耳にしたり、目にしたりするものなのですが、あまり外出をしない私にとっては、主に「古紙回収」のチラシで、親しんでいる言葉なのです。

 「梅雨時」ともなりますと、雨が続きます。そういう日に、この「古紙回収」のチラシが入っていますと、「雨なのに、出してもいいのかしらん」とちょっと罪悪感にかられてしまうのです。ただ、新聞に挟まれている広告も含めますと、二ヶ月分の重さは、かなりのものになりますし、また狭い部屋に、かさばるものを置いておくのも、うっとうしい。「出したいけれど…いいのかしらん」と悩む時、背を押してくれるのが、この「小雨決行」の文字なのです。「あちらもそう言っているのだから、ま、いいか」と、何となく罪悪感が薄らいで来るのです。「救いの文字」ですね。

 勿論出来るだけ、雨に濡れて重くならないようにと出す場所を考えて出しはするのですが、雨の日に新聞紙(紙の類)を外に放っておくなんてという、世間一般の常識が邪魔をして、「罪悪感」を感じてしまうのです。

 話は元に戻ります。例の、先週の「小雨決行」です。その前、「小雨決行」のつもりが、途中から、ザンザ降りになり、「大雨決行」になってしまうという日があったものですから、ちょっと躊躇ったのです。その日は、学校に着いた時には、もう頭から何から濡れ鼠状態でした。髪の毛から滴がポタポタと滴るという有様でしたから、ブルブルとネコや犬のように身体を振ってみても、人間というのは悲しい存在で、代わり映えもしません。そのため、この「先週」も、少々ためらいはしたのですが、「えい、女は度胸」と飛び出したのです(全く、つまらないことにでも、意気がっていないと、生活が単調になってしまいます)。

 運良く、「小雨」のままで、しかも、帰りは「目論見」通り、雨が止んでくれましたから、ホイホイと大喜びで、楽をして帰れたのですが、なぜか、机の近くから、歩いた方がいい、ダイエットした方がいいなんていう、不人情な声が聞こえていました。

 さて、学校です。玄関は、先日申し上げた写真の他にも、各国の学生が持って来た置物や飾りもディスプレイされています。これは、その頃いた若い先生がしてくれているのですが、それぞれの個性がうかがえて、それなりに楽しいし、学生達も思いの外、よく見ているようです。

 スリランカの学生が多かった頃は、象の置物や壁掛けがよくお土産になりましたし、ミャンマーの学生が来た頃には、貝殻を使った壁掛けや置物が増えました。中国からは、吉祥の飾り物や書画が、モンゴルの学生が持って来たのは、パオや民族衣装の一部などでした。インドの学生が来るようになってからは、タージ・マハールのミニチュアが置かれるようになりましたし、木彫りの踊り子も置かれています。
 そのなかに、なぜか30㎝ほどの東京タワーが置かれているのです。そして、その下には、黒と白の、小さな招き猫が、「勉強したい人来い、来い」とばかりに並べられています。

 全く「無国籍」な学校です。けれども、また、それがいいのです。半分に少し満たないくらいの中国人の学生も、ここでいろいろな国の人達と知り合え、多少頭が硬く、偏見に満ちている人であっても、他の国の人達の、頭の良さや人柄の良さなどに触れれば、自分の考え方が頑なであったと気づくでしょうし、また、そういう人達と同じクラスで勉強しながら、それに気づけないということでしたら、それなりの人間でしかないということですから、みんな(この学校の多くの学生達です)に認められないということになります。

 これ(いわゆる「差別」というもの)は、いくら教師が口を酸っぱくして言っても、どうにもなりません。(クラスに)一緒にいるのですから、自然に判ることです。まず、「百聞は一見にしかず」を、実地でやってもらうことです。勿論、漢字圏の国の人は、日本語を学ぶ機会にも恵まれていますし、共通する「文字」もある。それゆえに、愚かとも言える思い込み、即ち、「自分は(あいつ等に比べて)頭がいい」となりがちなのです。特に、お山の大将でいられたであろう、田舎で育った人に良く見受けられることですが。

 そういう先入観をもって、「初級クラス」に入ってくる漢字圏の学生は(もし、ずっとそのままであったら)悲惨な結末を迎えることになってしまいます。母国では、「普通」であったか、或いは、「中の下」か「それ以下」であった。ところが、日本に来て「初級クラス」に入ってみると、他の国の人間に比べて、自分は、早く「ひらがな」が書けるようになったし、「字」も簡単に読めるようになった。で、直ぐに有頂天になってしまうのです。単純で可愛らしいと言えば言えるのでしょうが、多くはそう単純には終わりません。今まで、母国でおそらくされてきたであろうことを、他の人にやってしまうのです。

 その時に、教師はその人を非難したり(勿論、度が過ぎていなければ)しては、いけません。却って、行動が潜在化し、見えなくなると問題が複雑化してしまう恐れがあるからです。その人が「そういう類の人である」ということに、まず、気づければいいのです。判っていれば、その差がありながら、「斯く頑張っている」という人の方を褒めていけばいいのです。そうすれば、「漢字が判りながら、自分はこれも出来ない」と、己を顧みる人も周りに増えてくるでしょう。

 こういうタイプの人は、普通、それほど賢くない人が多いのです。その人に百万遍言ってきかせるなどという、無駄な時間を費やすよりも、同国人の間から埋めていった方がいいのです。どこの国にも、ものの判った「常識人」は、いるのですから。

 特に、こういう場合、教師に、下手な「正義感」は禁物です。教師自身が、その「軛」から逃れていないからこそ、そういう「正義感」を振り回してしまうのです。何事も自然に、目に見えぬように、耳に聞こえぬように、融和させていくべきなのです。実際に、非漢字圏の国から来た人の中にも、優れた人は居、また、こういう学校にも来ているのですから。

 こうやって、クラスのみんなが、溶け合えるようになっている頃に、差別的な発言をすれば、それはクラスのみんなから「干」されます。どうしても、痛い目を見なければ、判らない人には、痛い目を見せた方がいいのです。自分は「中国人だから、偉い」と思い込んでいれば、(クラスの)世論(同国人をも含めて)から、浮いてしまいます。その頃になっていれば、他の中国人達の評価の基準も、「同じ国から来ている」ではなく(民族や人種に関係なく)、「一生懸命勉強する人」、「頭がいい人」、「人柄のいい人」、「頑張る人」などでになっているはずですから、そうなると、わけの分からない人は、孤立して、目がウロウロしてしまうことになってしまいます。

 これを、「可哀想だと言うことなかれ」。こういう人の冷たい仕打ちによって、涙していた人もいたのですから。勿論、教師は、クラスを指導、或いは啓発していかなければなりません。けれども、既に母国で、ある種の教育を受けてきており、誤った(?私はそう思うのですが)優越感を持っている人達に対しては、頭ごなしの叱責は、功を奏しません。却って、反発されたり、被害妄想に陥られたり、恨まれたりしてしまいます。

 そういう時には、ひどい目に遭っている学生の方に目を向けるべきです。その人を庇い、力づけていけばいいのです。出来るだけ、(クラスの)みんなのいる前で、その頑張りを認め、褒め、その人を肯定していけばいいのです。教師達が思っている以上に、学生達は、教師の言動に左右されます。教師がそういう対応をしていれば、いつしかクラスのみんなもそのように、その人を扱うようになります(教師は、自分のクラスの学生達を信じるべきです。人は、正しいことを認めたいし、頑張っている人を褒めたいのです。不幸な人を、さらに苛めるような立場にはなりたくないものなのです)。

 しかしながら、大切なのは、まず「形」です。教師がその人を認めている、という言動、つまり、「目に見えるもの」が必要なのです。心を変えさせるのは難しい。けれども、行動に出るのを抑えさせることはできるし、そういう人の言動を抑えさせる人を育成することはできるのです。

 学校では、まず、「勉強する人」が認められます。ここは、日本語学校ですから、「日本語」の勉強をする人になります。特に、「初級」の場合、クラスの中に、「四級」合格者も、「イロハ」からの人も含まれてしまいます(母国で「四級合格」した者の中には時々危ういものをも、同伴して来る人がいます。悪い癖です。それをたたき直していくためにも、人によっては、もう一度やり直した方がいい場合もあるのです)。みんな、その人が初めはどのくらいのレベルだったのか、知っているのです。その時の自分のレベルより上か下かくらいのものなのですが。

 それに、日本語学校では、就学生が半数ほどを占めていますから、勉強と共にアルバイトもある程度こなせなければなりません。これは、「頑張り」だけでもだめなのです。「人を見る力と適応力」が必要になってきます。まず、他者を認めることが出来なければ、(いろいろな国から来ている人たちの中で)、やっていけるものではありません。それができれば、多分、大学に行っても、大学院に行っても、また、外国人の多い会社へ入っても、日本人だけの会社へ行っても、うまくやっていけるようになるでしょう。きっと、いつも、どこかで、味方になってくれる人がいるでしょうから。

日々是好日
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