日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

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「『東京経営短期大学』の先生」。「『非漢字圏』の学生が、日本語の文章を読みこなすことの難しさ」

2009-07-23 07:50:42 | 日本語の授業
全く、「梅雨」です。まだ「梅雨」です。このような雨では、「強行突破」などできません。重い夜来の雨が、ずっと続いています。雨粒が、傘をバシッ、バシッと強く打ち、白い曲線を描いて滑り落ちていきます。このような雨では、「カタツムリ(蝸牛)」さんが、恋われてくるではありませんか。蛍の便りも耳にすると言うのに。

 昨日の「皆既日食」は、本当に残念でしたが、近くでは薄雲を通して、見えた所もあったようです(勿論、この近くでは「部分日食」ですが)。
 しかし、今朝も暗いですね。雲が相当降りてきて、この一帯を、厚く覆っているのでしょう。

 ところで、昨日、「東京経営短期大学」の先生が見えて、卒業生達の近況を話して下さいました。皆頑張っているとのことで、我々もホッとしています。昨年の学生が、二人も「奨励金」をもらえたそうで、「いい学生達です」と言っていただきました。一昨年、お世話になった学生のうち、一人は「湘南工科大学」に転入できたそうですし、そのように面倒をみていただけると、紹介した甲斐があります。「東京経営短期大学」の先生は本当に親切なのです。しかも、入学後も来てくださって、卒業生達の様子を話して下さいます。

 「短期大学」と言いますと、あれっと思われる方もいるかもしれません。
 けれども、特に、「非漢字圏」の学生にとって(大学を目指している場合ですが)、(日本語の勉強に準備されているこの)一年、乃至、一年半というのは、本当に短いのです。国で多少勉強して来ていても、日本に来てしまえば、それが通用するということはあまりありません。最初からやり直しという場合がほとんどです(すでに、間違った「ひらがな」や「カタカナ」を覚えてきている人もいます。それに、「漢字」は論外というところでしょうし。彼らが国で学んだ時の、先生の多くは「日本語能力試験」の「三級」程度の日本語力なのです)し、中には、日本語を教えてもらえるところがないという国から来た人さえいます。

 その人達が、両親から多少の仕送りをしてもらっているとはいえ、日本へ来て、勉強とアルバイトを両立させながら、進学を目指して頑張るのです。彼らの国では「働く」といっても、日本ほどの厳しさを要求されることもないでしょうし、来日後は、いくつもの「壁」にぶち当たります。その上、学校での勉強は、待ってくれません。日々進んでいるのですから。アルバイトに、どうにか馴れるまで待ってはくれないのです。「人間の頭」というのは、同時に二つのことに必死にはなれないもののようです。

 というわけで、「非漢字圏」の学生達の多くは、「初級Ⅱ」で、躓いて、もう一度「初級Ⅱ」をやり直すか、或いは、うまくいっても、何通りもの読み方のある「漢字仮名交じり文」について行けず、「中級」を繰り返したりと、勉強の上では、「波瀾万丈」です。

 国では、普通か、平均以上だったと自負している学生は、その状態に「こんなはずではない」と、「不可解だ」という「思い」から、抜け出せないのです。勿論、(彼らの)心の整理がついてもつかなくても、学校の勉強は、前へ前へと進んでいます。やっと、心の整理がついて、「よしっ。やるぞ」とばかりに教科書を開いても、その時には、すでに、見慣れぬ文字が連なり、しかも、知りもしない文法をそれに抱き合わせていかなければ、理解できないような文が見えるだけで、読み進めるというわけにはいきません。

 「二級レベルの漢字」が、書けるだけではだめで、その幾通りもの読み方を覚えねばならぬし、その上、(漢字一つ一つの)意味も判っていなければならないのです。それらが理解できていなければ、文章を、その文の構造をを一つ一つ繙きながら、理解していくということなど、夢のまた夢でしょう。普通の能力では、だめなのです。一年乃至二年という期間の中にそれをこなそうと思ったら。

 ただ、以前、こういうことがありました。
 その学生は、「スリランカ」から来た学生でしたが、(彼の国の学生達は、総じて(日本語の)ヒアリングと会話には困りません)、一年ほど経って、やはり、「漢字の勉強について行けない、当然、日本語の文章は読めない」ということで、「初級Ⅱ」の「三級漢字」が入るところぐらいからやり直させました。「わかる、わかる」と嬉々としてクラスに通い始めたのですが、そのうちに、「先生、この『言葉』の『漢字』はこうだったのか」と目をキラキラさせるようになったのです。

 彼が、(その部分を)勉強していた頃は、まだ、単語の意味もおぼろげでしたから、それに繋がる漢字というものも、(言われた通りに練習はしていたものの)「わけのわからぬ存在」にしか過ぎなかったのでしょう。

 彼の覚え方というのは、私たちが言うところの「系統だった覚え方」ではないのです。一年ほどを勉強していても、そのやり方では無理だったのです(年齢が、他の学生達に比べて高かったということもありますが)。「単語一つにつき、一つの漢字」というものでした。それから卒業するまで、多分、彼は「漢字」だけは、積極的に勉強できたと言えましょう。日々、発見がありましたから。と言っても、覚えられたのは、気になっていた「名詞」と「動詞」だけでしたが。

 「意味」と一体になれたら、「漢字」の勉強というのは、面白くなります。けれど、それから半年も経たぬうちに卒業してしまいましたから、「漢字」の勉強もそれで切れたでしょう。専門学校では、「専門」分野に力こそ入れ、「日本語教育」には、それほどの力は割けないというのが実情でしょうから。

 今は、日本の「入管」の方針も変わり、「大卒」であるか、「四級合格」しているかが、日本の日本語学校で勉強するための条件となっています。面白いことに、「非漢字圏」出身の「大卒者」に、日本語の勉強の仕方を納得させるのは案外難しいのです。一年ほど経ってやっとわかると者もいるくらいですから。けれども、高校を卒業したばかりの者であったら、大丈夫ですね。教えやすいです。本当に「鉄は熱いうちに打て」です。

 「日本ではこう。日本語の勉強はこうやる。それ以外考えるな」で、それだけで、大丈夫なのです。他のやり方をしようとしたり(だれか他の人に聞いて)したら、私が前に出て、一人ひとり「締め上げ」ます(言葉としてはこうですが、そこまでしなくてもいい場合も多いのです。ただ、叱る時は、私も必死です。生半可なやり方では叱りません。叱る時には、「刺し違える」くらいの覚悟で叱りつけます)。それを二・三度繰り返したら、素直に、漢字を書き、読み、幾通りもの読み方を一つ一つ覚えようとしてくれるようになります、大半の若い人たちは。だいたい、三ヶ月が限度でしょう。その間、こちらがそうやっても変わらなければ、まず、無理ですね。

 これができないのは、大卒者に多いのですが、従来のやり方を変えられないのです。そういう習慣さえついたら、後は、私としても、彼らが道に迷った時に、出張っていけば事足りると言うことで、脇でニコニコ笑いながら見ていられるのですが。
 それ以上は、私の体力が持たないのです。次に来る新しい学生の方に、「重心」を移します。

 日本で成功している(うまく大学に合格できた)学生というのは、このレール(私たちがひいた)を素直に踏んで歩いていってくれた人が大半なのです。人によって、やり方は違うと思われるかもしれませんが、いわゆる「学ぶ上での『王道』」というのは、人によっても、それほど違わないのです。また、そのやり方が判っている人なら、一人で勉強して、学校には来ないでしょう。人は、「学び方」が判らないから、学校に来るのでしょうから。

日々是好日
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