日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「合同授業」。「一級後」。「『資質(含好奇心)』と『日本語力』」。

2009-07-13 07:52:01 | 日本語の授業

エノコログサ

 久しぶりに「きれいな陽」を浴びて学校へきたような、そんな気がします。空き地や駐車場の「エノコログサ」は、陽に映えて、キラキラと金色に輝いていました。「タンポポ(蒲公英)」の綿毛が飛んだ後の空き地は、一面の緑の姿で燃えています。

 そういえば、随分前の若い頃、植物学者としても高名であった、亡き昭和天皇が、「雑草なんて草はない」と、珍しく気色ばんで言われたことがあったという記事を読んで、感動したことがありましたっけ。本当にこの世には、「雑草」なんて草はないのです。何でも十把一絡げにしてしまえるような存在などないのです。この世には、皆、「何事かをなすべく」、役割を持って生まれてきているのですから。

 さて、「Eクラス(7月開講)」も、それなりに落ち着いてきたようです。言い間違えやら、勘違いやら、いろいろと笑い話はありますが、皆、クラスメートに笑われるたびに、親睦を深めていけるような、そんな雰囲気になっているようです。

 「Aクラス」と「Bクラス」は、「上級」後と、「上級」勉強中という、「日本語能力の差」はあるにしても、勉学に対する「態度」は、ほぼ同じであると言えましょう。ですから、二時間ほどを「近現代史」の時間に費やしても、それほど問題はないのです。ただ、「合同授業」ということになりますので、席取りが大変、月曜日の朝は、てんやわんやということになりそうです。

 なんとなれば、後から「Bクラス」の教室へ後から行くことになる「Aクラス」の学生達は、座席位置が、絶対的に不利です。そこで、対策を考えた結果、「『早い者』順」ということになったのです。

 ということで、先週から、月曜日の朝、早く来た者から、順に席を自由に選ばせ、一週間、後半の授業(合同授業)はその席で受けるということにしたのですが、前もって、そのことを学生達に告げていなかったせいもあるでしょうし、「能力試験(1・2級)」の翌日ということも関係していたのでしょう、いつもとは多少、早く来る顔ぶれが変わっていました。いつも早く来ていた学生達が、あの日ばかりは、のんびりと来てしまったのです。来てから「えっ!」となったようでしたが、それはそれでしょうがないですね。「生存競争」ですから。こういうことには、予告なしに「巻き込まれる」ものと相場は決まっています。

 ところで、このような、「上級」が終わり、一般的な、いわゆる「常識」を見せ、また教えていくという授業になりますと、学生達に、「柔軟性」や「知的好奇心」があるかないかということが、かなりの程度で問題になってきます。こういうことは、知らなくても生きていけるのです。
 「これはいくらですか」「500円です」が聞き取れなかったら、日本で生活するのが難しいというような類のものとは、質を異にしているのです。
 それに、国によっては、たとえ大学を卒業していようとも、こういう知識を全く習得できていない人もいます。初めて見る映像であり、また知識であるという人も少なくないのです。

 そういう人の中で、これらの知識がどう「こなされて」いくのか、それは、なかなか難しいところではあります。が、こういう知識を持っていないと、国民の大多数が、いろいろな機会にそれに触れたことのある、自由主義国の日本では、日本人や他の先進諸国から来た人たちと互角にやっていくのは至難の業なのです。

 特に、大学進学を目指している学生にとってはそうです。彼らには、この学校で学んだことを活かし、さらに知識を広め、深めていってもらいたいものです。卒業後も、さらに四年間を、日本の「学びの府」に在籍できるわけですから、大学が所有している書籍や視聴覚教材を利用し、もし見あたらなければ、「リクエスト」して、取り寄せてもらい、「世界の出来事(今現在、進行中のものから、かつてあったことまで)」に通暁してもらいたいのです。

 ここで、今、勉強しているのは、そのための、いわば「予習」とでも申しましょうか、突然に聞いても、すんなりと耳に親しめるような内容ではありませんから。私たち、日本人にしても、小中高で、少しずつ幅を広くし、また深みを増しながら、習ってきたのです。その上、学びの機会は、学校教育だけとは限られていません。図書館も、いろいろな問題があるにしても、自由に活用できますし、「リクエスト」もできます。おまけに、娯楽の象徴であった、テレビなどの映像を通じて、世界のいろいろな動きを、目にし、また耳にしてきたのです。

 だからこそ、私にしても、こう大きな顔をしていられるわけで、そうでなかったら、多分、この学生達と同じように、「えっ。そんなことあったの?」とか、(この出来事、この人を知らずして、近現代史を語るわけにはいかないといったものに対しても)「知らない。何、これ?」とか、「だれ、この人?」とか言って、赤っ恥をかいてしまっていたでしょう。

 勿論、日本人のだれもが、近現代史に興味を持っているわけでも、高校レベルの知識を未だに忘れていないわけでもありません。しかしながら、習ったり、目にしたり、聞いたことは、幾度かあったわけです。一度もそういうチャンスに恵まれなかった人たちとは、根本的に違います。
 が、彼ら(就学生)の多くは、日本で進学しようと言うのです。彼らの、日本語の能力が許す限り、また(この学校での)時間の許す限り、大学や大学院、また日本の会社で、出来るだけ困ることがないように、教えていくというのも、こういう日本語学校の務めではありますまいか。

 嬉しいことに、今回の「A・Bクラス」ともに、真剣に授業に参加してくれています。こういうところからも、来年3月卒業する学生達の質が、以前の学生達に比べて、平均的に上がっているのが判ります。
 
 「知的好奇心」というのは、一朝一夕にできるというものではありません。既に二十数年、あるいは、二十年近くを、母国で過ごしてきた人に、「日本に来たから、さあ、今まで関心のなかったことに興味を持て」と言っても、所詮、無理なことです。ただ、そういう「下地」は、ある意味では、資質ですから、それがあるとないとでは、私たちの姿勢も変わってきます。勉強の方に「打ち込んで」、教えることが出来ますから。

 もちろん、「資質」の程度を談じてもしようがないのです。親や先祖を恨んでも、どうにもならないのと同じです。そうではなく、彼らの資質に合わせて、どうにかなることを、学生自身も、そして、彼らが通うことになった学校自体も、考えていくよりほかないのです。それが、彼らにふさわしい「教育」ということにもなるでしょうから。

 ただ、知的好奇心があり、その上、ある程度の日本語能力もあり、また資質もあるという学生には、(この学校では)教えていけることはたくさんあります。できれば、「日本語能力試験(一級)」レベルになってから、一年ほどは欲しいですね、こういうことを教える時間が。

 さて、今、朝の七時です。今日は少し早目にブログの格好がつきましたから、今から下の教室を開け、植木に水をやってきましょう。

 土・日も、そして、今日も晴れの日が続いたからでしょう。「アサガオ(朝顔)」も「ペチュニア」も、渇ききっていたかのように、どんどん水を吸っていきます。ブログに時間がかかってしまい、朝の水遣りの時間がなくなってしまった時には、いつも一番早く来る(内モンゴルから来た)Sさんが、「いいですよ」と言って、教室を開け、風を通し、植木に水までやってくれます。

 これが「Aクラス」のおしゃまさん達だったら、そうはいきません。「先生。お駄賃」なんぞと言って手を出して、一発食らわされるということになってしまいます。
 大人の女性は、やはりいいですね。

日々是好日
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