日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「子供の頃の遊び」。「どんな『大学生活』を送ってもらいたいか」。

2009-07-28 08:25:02 | 日本語の授業
 早朝、かなりの雨が降った模様で、道にはたくさんの「水たまり」が出来ていました。
 私が子供の頃は、この「水たまり」すら遊び場で、空を映したり、運がよければ、虹まで、この上に映っていたものでした。その上、乾き始めると、ここは「泥んこ遊び」の舞台になるのです(当時は、「土」の道の上にできた「水たまり」が過半数だったのです、「アスファルト」の道ではなく)。

 親からは「汚れる」と嫌われましたが、水たまりにできた泥は、ちょっと特殊で、チョコレートのようにしっとりとし滑らかだったのです。そのすぐ下の泥には砂利が混じっていたのに、どうして、この上澄みめいたところだけ、こんなにきれいなのか未だにわかりませんが、この砂利から滑らかなチョコレート状の泥をきれいに剥がし、それから「泥べったん」遊びをするのです。

 今から思えば、随分のんびりしたものです。時代は、「高度経済成長期」真っ盛り、どの家にも「テレビ、洗濯機、自動車がある」ことが望まれた時代でしたが、子供の遊びは、多少の流行こそあれ、前代を引き継いでいました。それほど変わっていなかったと思います。「ままごと」や「鬼ごっこ」、「色つき鬼」や「影踏み」、陣取り合戦。お手玉は廃れがちではありましたが、姉は本当に上手でした。男の子の「ビー玉」や「メンコ取り」も華やかで、その合間に、「野球」や「サッカー」、「ドッジボール」などをするくらいで、お金がなくても遊べる時代でありました。

 実力があったら、自分で買わずとも、「戦い」に勝って、「ビー玉」や「メンコ」を手に入れることが出来たのです。

 最近の子供達、特にここに来ている在日の方のお子さんなのですが、彼らを見ていると、ゲームで遊ぶにせよ、歌謡曲を聴くにせよ、そこには、少なからぬお金が動いていることが判ります。まず、ケータイを一人ひとりが持ち、そのために月々お金がかかるわけですから、何をするにしても「桁の違った金銭」の動きが必要となります。

 ただ、彼らを見ていても、日本では、まだ「人間性を保てる」ということを感じます。日本でも、若い人が、将来に閉塞感を抱いているのも事実ですし、年老いた人が追い詰められているのも事実です。けれども、他国の状況はそんなものではないのです。

 日本人は、ある程度、保障が備わっている欧米などの先進国に住む人々と、自分の今の境遇とを比べて、嘆くという傾向にあります。勿論、それはそれで必要で、そうしなければ、更なる社会の安定や充実は求められません。現状に、常に不満を持ち、問題意識を失わず、向上していくという精神はなくしてはならないものです。

 しかしながら、目を少しでも、今の自分たちの情況に対する不満や、保障大国などからずらしてみると、そこには自分たちの現状すら、どこかしら安堵しなければならないような社会がずらりと並んでいるのに気づくでしょう。経済的には、日本と肩を並べるくらい豊かになっていても、まだまだ社会も組織などの構造もアンバランスで、私たちから見ると同情に堪えないような国も少なくないのです。

 そういう国から、感受性のまだ豊かな時期に、日本へ来た人たちには、経済的に許される限り、日本の大学を楽しんでもらいたいのです。言うまでもなく、何でも日本を否定的に捉え、「自国が一番」という人もいます。けれども、そういう人でも、大半は、一度日本から離れて、戻ってきますと、自国の問題に気づき、日本の良さをわかってくれるものです。

 最初は、誰でも初めて外国に出るわけですから、肩肘張っている部分があります。常に「自分は」とか、「自国は」とか、言いたいわけです。日本と自分の国とを比べて、「自分の国は、こうこうだ。こんなにすばらしいのだ」と言いたがります。それが、帰国後また戻ってきた時には、前に言っていたことと違ってくるのですから、きっと知らず知らずのうちに、客観的に比較できる能力が養われているのでしょう。

 勿論、これは普通の学生で、金持ちの子供で、のらりくらりと今まで(自国で)生活してきたし、日本に来ても、アルバイトもせずに、適当にのらりくらりと長芋のよう生活しているような学生でしたら、そういうことはありません。もっとのらりくらり生活でき、楽に威張って生きていける自国の方がいいのは当然です。ここでは、多少金があろうと、誰も阿諛追従、阿ってはくれませんから。

 けれど、「自己実現」を求めていたり、更なる「知識技能の向上」を目指していたりする人や、「知的な生活に喜びを見出すだけの能力」を備えている人であって、しかも、アメリカなどの「熾烈な競争世界は嫌だ」という人には、この日本の、適度に知的に暮らせ、しかも、「追い落とし」「追い越し」に追われない生活というのは、いいのかもしれません。

 昨日、一人の学生のご両親が、学校に見えました。「進学」の相談です。学生は就学生ではありません。「高考」に失敗したから(500点とれなかったらしいのですが)、日本の大学に入れたいと、お母さんが、去年の7月に呼んだのです。初めて会った時には、暗い顔つきで、押し黙っていました。「4月生」のクラスに入れ、様子を見てみますと、これが出来るのです。では、と言うことで、8月に特訓をしました。これは、どこまでついてこれるかと、「様子見」の意味もあったのです。いくら頭がよくても、「根性」や「好奇心」がなければ、ゆっくりと皆と一緒にやったほうがいい。下手に、無理をして、ストレスを与えない方がいいのです。

 「初級Ⅱ」の42課まで、20課ほどを、三日で遣り終えました。単語を覚えることが出来なかったら、少しペースを落とそうと考えていたのですが、初めて学ぶ言葉であり、文法であるにも拘わらず、水が浸みていくように、スウッと覚えていくのです。文法が多少複雑に交錯していてもぶれません。で、予定では五日だったのですが、三日で解放です。あとは復習しておくように言って。

 それから、何ヶ月くらい経った頃でしょうか、「先生、日本の子供は、『家庭科』を勉強できるの?」と聞いたのは。それからは、いろいろなことを話し始めました。最初の無愛想なお嬢さんが、大きく変化しはじめたのは、この頃だったと思います。次から次に聞いてきます。課外活動では、ガイドの傍にへばり付いていますし、「お雛様」や「クリスマス」にも積極的に参加します。つまり、彼女は、何でも興味を持っているし、知りたいのです。これは受験に関係あるから勉強するでは、だめだったのです。それでは、伸びやかで柔らかい感性が潰されてしまう、そういうタイプの「知的な女性」だったのです。こういう人は日本には向いています。少なくとも、彼女の祖国では、せっかくの才能が潰されてしまっていたでしょう。言い過ぎかもしれませんが、「考」に失敗して幸いでした。

 彼女の高校時代の話を聞いているうちに、本当に可哀想になってきました。勿論、日本の学校にも、日本人から見れば様々な問題があります。けれども、公務員は、偏った「主義」、あるいは「信仰」を持ってはならないし、できるだけ(人間ですから限界はありますが)子供を「公平」に扱わなければならないことは、大学生のうちから、教育大や教育学部で叩き込まれています。その上、理想として「全人的な教育」が、謳われていますから、「音楽」や「家庭科・図工」、「体育」「美術」なども、なおざりにされてはいません。子供の中には、「体育」時だけのスターや、「音楽」時だけのスターなどもいるくらいですから。それも、それだけをやっているという子供ではないのです。みんな同じ勉強をしているという「普通教育」においてです。

 ご両親に話したのは、いい大学を目指すのはいい。けれども、それ以上に考えて欲しいのは、彼女に「枠を填めないで欲しい」ということでした(填めた方がいい学生もいます)。

 彼女の志望は「コンピューター」なのですが、私には、彼女が大学へ入り、様々な枠にとらわれない一般教養を身につけていく過程で、「志望」が変わっていくような気がするのです。今はそれだけしか見えないから、中国での生活の流れで、そう言っているのでしょうが、日本の大学へいけたら、いろいろなことを知ることもできますし、どんどん自分を解放し、開拓していけるような気がするのです。

それで、まず、「総合大学」を考えて欲しいと言いました。それから、「数学Ⅱ」と「物理」「化学」の勉強も必要になりますので、夏休みの期間を利用して、まず「日本の予備校」へ通うことも勧めました。初めは言葉の問題もあるかもしれませんが、この6月の「留学生試験」で、「330点」近くとっていますし、「物理」「数学Ⅱ」「化学」の点数も平均点よりかなりいいのです。「イロハ」からはじめて、一年にも見たぬ間に、これだけの点数がとれるようになったというのは、かなりの能力です(普通、中国の大卒者でも、こんな短い期間で、こんないい点数はとれません)。

 しかも、理系のコースを志しながら、「総合問題(留学生試験)」に関する、世界史や地理、政治経済にも関心を持っています。まあ、ご両親が見えた時には、この「留学生試験」の結果は届いていなかったのですが、結果を見た後でも、私たちが言ったことは同じだったでしょう。

 日本の大学生活を楽しんでもらいたい。彼女なら知的な部分で充分に楽しむことが出来ると思います。その中には、中国の中学や高校で楽しめなかった分(サークルなどで)も入れて欲しい。そのためには、(私たちは)ぎりぎりで、いい大学に入り、勉強だけに終わることのないようにさせたいと考えているということも入れました。
 勿論、合格してしまえば、しようがありませんから、そこでの勉強以上に、他の分野も楽しめるように、更に更に勉強に励まなければなりませんけれども…。

 運動をしたことがないと言っていましたから、「弓道部」や「合気道部」なんてのもいいかもしれませんね。初心者が大半でしょうから。

日々是好日
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