曇り。
曇っていても、もう寒さは感じられません。「サクラ(桜)」の季節がもう間近に迫っています(東京は3月18日だったかしらん、開花日は)。今朝、「レンギョウ」の花を見かけました。ほんの小さな花が何輪かしかまだ咲いていなかったのですけれども。…ここで思わず、「モモ(桃)」と「サクラ(桜)」とどちらが先だったっけ?なんて考えてしまいました。
勿論、どちらも「早咲き」、「遅咲き」がある…とはいえ、「上巳の節句」は「桃の節句」とも言うし、あれは「立春」の前日だから…「モモ」の方が先と見てもいいのかしらん。でも近所の「モモ」は「サクラ」が散った頃、咲いていたような気がするし…。
いやあ、これは悩んでも詮無いこと…考え出したら気になってくる…。まあ、どっちでもいいか、きれいなんだから…なんて考えているうちに、忘れ物に気がついた。
冬眠から覚めたばかりの「熊さん」状態になってから、かなり経っています。一つだけならまだましなのですが、二つ目がどうもいけない。二つ目が来ると一つ目を忘れ、三つ目が来るとその二つ目すら忘れてしまう。脳の中に入れる分量が決まっているようで、メモをとっても、そのメモすらどこに置いたか忘れてしまう。
困ったものです。教科書や宿題を忘れた学生を叱れない。「ま、しょうがないか。そういうこともあるものな」などと考えてしまう。もとより、こちらの方はそうは行きません。それゆえに、ここにいる間は、以前にも増して準備が必要と言うことになる。調べるにしても心持ちが違う。笑って「ど忘れだ」など、気休め的なことは、自分には言えないのです。
さて、学校です。
高校に入ることになった学生は、この学校にいる間に、かなり自信を取り戻してきたようです。そりゃあ、そうですよね。もともと頭が悪いわけではない。それなりの向上心もあるし、負けん気もある。けれども、(日本では)漢字がわからなければ、文章が読めないわけで、それが全部に影響してしまう。どの教科にしても「教科書」があり、それを読めないことには点が取れないのです。それで、嫌気がさしていた。自分の思うところの自分と、(日本での)現実の自分とのギャップにです。こんなはずじゃないというのがずっと続いていたのでしょう。
ある程度漢字がわかり、勘がついてくると中学校の時の数学にしても、かなりの点が取れてくる。地理にしても読み進めていくと、ルビを振りながら質問してくる。大学に合格した方(二人の授業です)は、直に飽きてきたけれども、彼女の方は面白くなってきたらしい。今は「うん、(高校に入っても)数学や地理、理科は、何とかなりそうだ」などと言ってくれる。そういう気持ちになってきたということがうれしい。…ただ「現国」は辛いでしょうね。そういうレベルにはいけませんでしたから、一年ちょっとではね。
まずは、よかった、よかったです。こういう気持ちで積極的に高校生活を送ってくれたら、高校生活も楽しくなるでしょうし、多分、日本にいることが無意味だなどとは思わないで済むでしょう。
高校課程くらいの知識や技能があれば、後は自分次第です。知りたいことができたら、自分で調べればいいし、学校だってあります。道は拡がっていくものです。中学校くらいで終わってしまうと、自分で切り開いて行くにはかなり過酷になってくる。それに、機会も減ってくるでしょうから。
日々是好日
曇っていても、もう寒さは感じられません。「サクラ(桜)」の季節がもう間近に迫っています(東京は3月18日だったかしらん、開花日は)。今朝、「レンギョウ」の花を見かけました。ほんの小さな花が何輪かしかまだ咲いていなかったのですけれども。…ここで思わず、「モモ(桃)」と「サクラ(桜)」とどちらが先だったっけ?なんて考えてしまいました。
勿論、どちらも「早咲き」、「遅咲き」がある…とはいえ、「上巳の節句」は「桃の節句」とも言うし、あれは「立春」の前日だから…「モモ」の方が先と見てもいいのかしらん。でも近所の「モモ」は「サクラ」が散った頃、咲いていたような気がするし…。
いやあ、これは悩んでも詮無いこと…考え出したら気になってくる…。まあ、どっちでもいいか、きれいなんだから…なんて考えているうちに、忘れ物に気がついた。
冬眠から覚めたばかりの「熊さん」状態になってから、かなり経っています。一つだけならまだましなのですが、二つ目がどうもいけない。二つ目が来ると一つ目を忘れ、三つ目が来るとその二つ目すら忘れてしまう。脳の中に入れる分量が決まっているようで、メモをとっても、そのメモすらどこに置いたか忘れてしまう。
困ったものです。教科書や宿題を忘れた学生を叱れない。「ま、しょうがないか。そういうこともあるものな」などと考えてしまう。もとより、こちらの方はそうは行きません。それゆえに、ここにいる間は、以前にも増して準備が必要と言うことになる。調べるにしても心持ちが違う。笑って「ど忘れだ」など、気休め的なことは、自分には言えないのです。
さて、学校です。
高校に入ることになった学生は、この学校にいる間に、かなり自信を取り戻してきたようです。そりゃあ、そうですよね。もともと頭が悪いわけではない。それなりの向上心もあるし、負けん気もある。けれども、(日本では)漢字がわからなければ、文章が読めないわけで、それが全部に影響してしまう。どの教科にしても「教科書」があり、それを読めないことには点が取れないのです。それで、嫌気がさしていた。自分の思うところの自分と、(日本での)現実の自分とのギャップにです。こんなはずじゃないというのがずっと続いていたのでしょう。
ある程度漢字がわかり、勘がついてくると中学校の時の数学にしても、かなりの点が取れてくる。地理にしても読み進めていくと、ルビを振りながら質問してくる。大学に合格した方(二人の授業です)は、直に飽きてきたけれども、彼女の方は面白くなってきたらしい。今は「うん、(高校に入っても)数学や地理、理科は、何とかなりそうだ」などと言ってくれる。そういう気持ちになってきたということがうれしい。…ただ「現国」は辛いでしょうね。そういうレベルにはいけませんでしたから、一年ちょっとではね。
まずは、よかった、よかったです。こういう気持ちで積極的に高校生活を送ってくれたら、高校生活も楽しくなるでしょうし、多分、日本にいることが無意味だなどとは思わないで済むでしょう。
高校課程くらいの知識や技能があれば、後は自分次第です。知りたいことができたら、自分で調べればいいし、学校だってあります。道は拡がっていくものです。中学校くらいで終わってしまうと、自分で切り開いて行くにはかなり過酷になってくる。それに、機会も減ってくるでしょうから。
日々是好日