イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「パイプ随筆」読了

2022年02月10日 | 2022読書
青羽芳裕/編 「パイプ随筆」読了

この本は、パイプにまつわるエッセイを集めたアンソロジーである。編者は、「日本パイプクラブ連盟」という会の常任理事だそうだ。その中に師の文章も収録されていたので読んでみようと手に取ってみた。

パイプを吸う人のイメージとはどんなものだろうか。寡黙、知的、思慮深い・・ついでにお金持ち。僕はそんなイメージを持っている。本の中にはこんな一節があった。『パイプは哲学者の唇より叡智を引き出し、愚者の口をとざす。瞑想的で、思慮深く、にこやかなできどらない座談をかもしだす。』葉巻はどうだろうか。巨大な事業を回している大企業のエグゼクティブ。そんなイメージだ。昔、「ラリック」というガラス製品のメーカーの日本法人の社長という人に会った時、多分、お酒かタバコの話になったのだと思うが、「私はこれです。」とスーツの胸ポケットから葉巻を取り出して見せてくれた時はこれこそ紳士だと思ったものだ。巻きたばこはどうだろう。これはもう、市井のおっさんか、大人になり切れていない不良少年というところだろうか。
どれにしても煙草、たばこ、タバコというものはどんなものも絶滅寸前だ。しかし、パイプや葉巻については、紳士のたしなみのひとつであるのではないかといつも思っている。
特にパイプを咥えて原稿用紙に向かう作家の姿の写真には憧憬の念を覚える。パイプにはやはり、思慮深さと森羅万象を見通せる知性を感じるのだ。
パイプというのは、たばこと違い、しょっちゅう灰を捨てる必要がないので、じっと物事を考えるのに適しているのだと収録作品の中に書かれていた。そして、パイプを嗜む人々というのは、特に日本では、ほとんどの人は、最初は手軽に吸える巻きたばこから入り、西洋文化に倣ってパイプに至るという道をたどってきたのだろうが、その過程でたくさんの知識を吸収してきたというバックボーンとともに吸っているというところにその厚みを感じざるをえないのである。そこには、煙草だけにとどまらす、当然、お酒やスーツの着こなし、ハンティングやフィッシングなど様々な趣味や作法の知識も同時に吸収してきたに違いない。この本には登山家という人たちも多数登場していた。そんな知識の厚みが煙とともに立ち上るのである。
だから、たとえば、僕が、たまたま、リサイクルショップでパイプをみつけ、葉タバコがないのでセブンスターなんかをコンビニで買ってきてそれをほぐして火皿に詰め込んで吸ってみてもまったく様にはならないのである。戦後、物資のない時代には、イタドリの葉を乾燥させて代用していたらしいが、今年の春に山に行ってイタドリの葉を採ってきて乾燥させてももっと様にならないのである。

編者はそれを、パイプをたしなむ人は、『広い意味でのエピキュリアン、高い意味でのディレッタントである』と書いている。なるほどうなずける。

パイプにも様々なデザインがあって、それぞれ蘊蓄があるというのはどの趣味でも同じようだが、何か他のもの、たとえばバイクや車(クラシックカーとかは別にして・・)、ゴルフ、ましてや釣り(フィッシングではない・・)の世界とも違うように思う。何が違うのか、すでに絶滅寸前というように、先進技術をわざと取り入れず、伝統を固くなに守っているからだろうか、それとも健康を削ってまで嗜むのだという執念か、どう解釈してもいいのだろうけれども、近寄りがたく、でも憧れる世界なのである。ラリックの日本支社長に倣って、僕も安いながら葉巻を買って吸ってみたことがある。(新宿の紀伊国屋書店の地下には喫煙具を扱うお店があったのだ。)パイプもそうらしいが、煙は吸い込むものではなくて、鼻に抜けるようにふかしてその香りを楽しむものだというのだが、確かに、一瞬ではあるが、なんとも奥ゆかしい香りが鼻の中に残ることがあった。そういうことを確かに論じることができなければやはりスモーカーと言えないのだろうなとも思うのである。

せっかくなのでネットでいろいろ調べてみると、今でもパイプを売っている店舗というのは存在しており、安いものだと1万円くらいで買えるものもあるようだ。これくらいならお小遣いをひねり出して焚き火を前にして吸ってみるのもいいんじゃないかと思ったりするのだが、やはり、そこには知性も思慮深さも何もないのだから肺を汚すだけになってしまいそうだ。
しかし、2月20日というのが、国際パイプスモーキングの日(International Pipe Smoking Day)という日だということを知ると、そんな日を直前にしてこの本を読んでいたということは、僕にも何かパイプと縁を持ちなさいという神様の思し召しだったりするのだろうかと思ってしまうのである。

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焚き火の練習

2022年02月07日 | Weblog
ソロキャンパーになりたいというのは以前にヒロシの本を読んだ時に書いたが、そのためには確実に焚き火ができるということが必要条件となる。なので、ソロキャンプに行くまでに焚き火をマスターせねばとずっと思っていた。それに、ピカピカの焚き火台をもって行ったのでは周りからは絶対に、「こいつ、ブームに乗ってやってきたにわかづくりのやつだな。」と思われてしまうので焚き火台やその他のギミックのエイジングも必要なので、今日初めて、蒐集した焚き火グッズを持ち出してきた。

どこでその練習をするかということもずっと考えていた。焚き火などをへんなところでやっていると通報されてしまうというのが昨今の日本の現状だ。薪が確保できて、火の始末がしやすくて通報される心配のないところ・・それも近くで・・。どこかにそんな都合のいいところはないものかと考えていると、思わぬ近くにそういう場所があることを見つけた。港だ!
最近は渡船屋も忙しいので焚き火をやらなくなってしまったが、寒くなるとドラム缶で材木を燃やして暖を取るというのが普通だった。おじいやんズが元気だったころはそこへみんな集まってきて無意味なことをしゃべっていたものだ。
だから、ここはもとから焚き火はOK。しかも、港の後ろの防風林にいけば焚き火になる木はいくらでもある。火の始末も燃えカスを海に流せば完璧だ。燃えカスはほぼ純粋な炭素だから海洋汚染につながることもあるまい。しかも、月曜火曜は渡船屋が休業しているのでこの曜日、港は無人なのでだれに気兼ねすることなく焚き火ができる。

しかし、冬場、風のない日は大体釣りに出ているのでそういうことができない。しかし、風があって釣りに行けないくらいになると焚き火ができそうにない。今朝も釣りに行こうと思って外に出ると、思いのほか風が吹いている。予報ではもう少し時間が経てば風は治まってくるとことだが、今日も午後から病院に行かねばならないのでこの時間に家を出なければ加太まで行って帰ってくることができない。
ならば、今日、港に行って焚き火の練習をしようと思い立ったのだ。ちょうど、船の傷んだところのペンキ塗りやワカメを干すための竹竿を取りにいくついでもある。

午前8時過ぎに家を出て港に到着すると、確かに風は少し緩くなってきている。焚き火にもちょうどいい。竹を切るついでに薪になりそうな木と焚き付けに使えそうな松の小枝を採ってきてライターで着火・・。しかし、よく見るとライターのガスがない。すぐに近くの100均に行きライターを買ってきて着火。多分、ここで相当手間取るのだろうなと思っていたが、小枝と枯れ草を積み上げて牛乳パックの切れ端に火を着けて放り込むといとも簡単に火が着いた。これは焚き火台の構造によるものだろうか?七輪での着火には相当手間取っているのとは大違いだ。

用意した薪もくべてゆくとどんどん火が大きくなる。火皿の上に置いた缶コーヒーも程よく温まってくる。
ついでに体も暖かい。焚き火の炎とはこんなに暖かいものなのかと実感した。たしかにこれは中毒になってしまいそうだ。



今日はライターで着火したが、最終目標はマグネシウム合金のファイヤースターターか、まだ買ってはいないが火打石を使って火を熾すことだ。
そして食材を買ってきて調理したりコーヒーを沸かしたりもしたい。そこまでやったらついでにここにテントを張ればここでソロキャンプができそうだ。テントを張るのに気が引けたら船のデッキの上に張ってもよい。波に揺られながらテントで寝るなどというのはヒロシでも思いつくまい。

そういえば、僕の奥さんの母親の実家は日高川の山奥にあって、登記がなされないまま法定相続人がいっぱいいてその人たちが健在かどうかもわからず、日高川町の役場から相続人の照会のDMがときたま届く。人が住んでいたということは少なくとも道路は通っているはずだ。その土地をもらって自分だけのキャンプ場なんかを作れないだろうか。
そんな話をすると、奥さんは、間違いなくひと言、「アホか。」と言うのだが、夢があっていいのだがな・・と。男脳と女脳の違いを実感するのである。

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「ブルシット・ジョブの謎」読了

2022年02月06日 | 2022読書
酒井隆史 「ブルシット・ジョブの謎」読了

著者は、以前に読んだ、「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」の翻訳者のひとりだ。
社会学、社会思想が専門ということだが、この人独自のブルシット・ジョブに対する見解が展開されているのかと思っていたが、翻訳した本の解説書というような趣であった。それじゃあ別に読むほどのものではなかったのかもしれない、この本こそブルシットじゃないかと思ってしまったがとりあえずは読んでみた。
しかし、内容は現代社会を反映したデストピア論的な深刻な内容であった。

ブルシット・ジョブについておさらいをしてみると、ブルシット・ジョブとは、『被雇用人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、被雇用者は、そうでないととりつくろわねばならないと感じている。』というものだ。主に管理部門の業務がそれに該当するという。
管理部門・・、確かに、直接的な生産をしていないという意味ではそう言えるし、ほとんど人の見る人のいない資料作りや仕事のための仕事(会議のための下打ち合わせ、アホな部下をおだてる。)など、自分でも何をやっているのかというものはたくさんあった。それでも、まあ、これをやらねば前に進まないというものでもあったと思う。それよりも、自分の属している業界自体がブルシットだったのだからどうしようもない。著者がいう、ブルシットではない仕事というのは、いわゆる、エッセンシャル・ワーカーと言われる人たちが担う仕事だ。その人たちがいないと世の中が回らないというようなもの、医療、運輸、教育、そういった分野だ。僕の居た、そして、今いる分野というのはそれとはまったくかけ離れている。それが無くなったとしてもだれもおそらく困らないだろう。困るとすればこの、魂も何もない物体にどうしたら感情移入ができるのか僕にとってはまったく理解ができない人たちだけだろう。



ブルシットな業界の子会社でブルシットな業務を遂行するためにブルシットな仕事をやっている僕はブルシットの3乗人間であるのだ。

しかし、ブルシット・ジョブをしている人たちとそうでない人たちの収入をみてみると、こうした仕事をやっている人は概して社会的な評価が高く、それなりの報酬をもらっている。それに対して、社会に意味のある仕事をやっている人、おそらくかれらがいなければこの世界は回っていかないか、あるいは多数の人にとって生きがいのない世界になってしまうような仕事をやっている人たちは、低い報酬や労働条件に苦しんでいて、しかもますます、かれらの労働条件は悪化している。という事実がある。それでもエッセンシャルな仕事をしている人々は、「社会へ貢献する」ためという、ある意味、矜持だけでそんな労働条件に耐えている。そして、その究極が女性の家事労働であり、それがジェンダー問題へとつながっているのだと著者はいう。

一方で、ブルシット・ジョブが生まれる原因を、著者は、「周期的激発性」がなくなった労働環境と、ネオリベラリズムにあるという。
周期的激発性とは、かつて、労働市場というものがなかったはるか昔、人間は生きるために必要なものを採取し、生産するとき以外は働くということはなかった。例えば、ちょっと極端だが、鮭が川を上ってくるときに一気に鮭を獲り、稲の穂が実る頃に一気に収穫をする。その時は激発的に働くがそれ以外の時には働かないという周期的な労働をおこなっていた。
狩猟採集民は獲物が来ないと寝ているし、農業でも農繫期と農閑期に分かれていたのである。
これが「周期的激発性」な労働と呼ばれ、そのような労働環境の時代は、最小の「労働」と最大の「余暇」の中で自由に生きられる豊かな社会であった。
それが、資本(豊かな自然といってもいいかもしれない)と労働が切り離されることによって、労働者は自分の時間を賃金と引き換えに売り渡すことになった。
だから、その時間は労働をしなければならない。たとえすることがなくても・・。ということになる。こういう発想は、じつは人間の歴史の中ではきわめてマイナーな、しかもごく最近生まれた常識であり、習慣でしかないのである。
それはおそらく、ヨーロッパで産業革命が起こった頃ということになるのだと思うが、だから、当初の労働争議というのは、労働時間を減らして余暇を獲得するというのが大きな争点であった。
しかし、労働者こそ価値の源泉であるという発想から、経営者こそが創造の源であり価値を生産するというそれまでの常識を転換させることに資本家が多大な努力を投入した結果、労働者はただの消費者となり、消費領域での「保障」や「自由」を求めるようになり、「自由時間の増大」は忘れられてゆく。これを「フォーディズム的妥協」という。生きるために働くことが働くために生きるということに変わってしまったのだ。

こうして、最小の「労働」と最大の「余暇」というものが資本主義社会の中で消えてゆくことになるのだが、それに拍車をかけたのが、ネオリベラリズムなのであると著者はいう。ネオリベラリズムとは、すべての社会活動(公共の福祉を含めて)を市場原理(=競争原理)に委ねてしまおうという考えだ。日本での郵政民営化や地下鉄の民営化などがその典型である。普通、競争原理が働くと無駄なものが一掃されるはずなのだが、競争原理が働くためにはすべてのものを計測可能にしなければならない。すなわち、すべての社会活動を貨幣価値に置き換える作業が必要になる。これはすなわち、管理部門の肥大につながり、ブルシット・ジョブの増大という結果をもたらしたというのである。ブルシット・ジョブは仕組まれた結果だというのである。
著者もちょっとラディカルなところがあるようで、自身が教授を務める大阪府立大学と大阪市立大学の統合問題に触れ、これを推し進めた大阪維新の会をこのネオリベラルの筆頭だと指摘している。大阪維新の会が大阪府と大阪市の行政を独占したときから、公務員はちょっと煙草を吸っているだけでサボっていると揶揄されたという。世間の目をも効率化という尺度に変えてしまったのだ。大学の統合についても、教育はエッセンシャルな部分であるのだから、効率という尺度で見てはいけないのだというのが実は著者がこの本で一番主張したかったのではないかと思えなくもないほどである。
その大学に通っていた身からすると、統合しようがしまいが何の感慨もないし、今はどうか知らないが、怠惰に過ごしている僕自身も含めた大学生しか通っていなかった大学は確かにブルシットだと維新の会に軍配を上げたくもなる。

そして、その打開策として、ベーシックインカムという考えが提案される。この辺は元本と同じである。
ベーシックインカムが導入されると、労働者は無意味で苦痛な労働を進んでやろうとはしなくなる。そうするとそこでの労働単価は高くなる。効率化が最優先の経営者はそういった仕事を積極的に自動化するよう努力する。そうすると必然的にブルシット・ジョブは消滅するというのだ。エッセンシャルワークはどうなるかというと、「社会へ貢献する」という人間本来の心情があるかぎり、たとえボランティアであってもそれを進んでやろうとする人たちは現れるし、イノベーションも同じである。今でも市井のなかでコツコツととんでもないイノベーションを目指している人たちが大勢いるのだというのだ。
その例として、「となりの人間国宝さん」を揚げているのが府立大の教授らしいといえば教授らしいが、そこにはあまり説得力ないような気がする。
それに、シェーカー教団くらいの規模なら、「相互にケアし健康で豊かで、不安や恐怖にさいなまされることのない、ストレスからも解放された生活」を送ることができるかもしれなが、それを国家単位で実現させることができるかどうかというのにも疑問が残る。

その大学の経済学部を卒業した僕から見ると、人間はそんなに勤勉でもないし、社会貢献を意識しているとは思えない。人間とは基本的に怠惰だ。生きることが保証されると人は何もしなくなってしまうのではないかと思うのだが、著者はその点については、すでに4割の労働者はブルシット・ジョブをやっているのだから、その分の労働者がいなくても世の中はちゃんと回るのだというのだ。さすが、単位ギリギリで卒業したポンコツ学生と本物の教授とでは視点に雲泥の差がある。しかも、それがコロナ禍のなかで実証されたではないかというのだ。確かに、飲み屋が休業していても、僕が適当に休んでいても世の中はパニックにはならなかった。
しかし、経済学部卒業生としてもうひとつ反論させてほしい。経済成長の根源は無駄な消費がなされることがひとつの前提としてあるはずだ。ベーシックインカムを主として生きてゆくというのは、最低限のライフラインで生きてゆくということに等しい。もちろん、そんな中にもささやかな幸せを見つけることができるというのは僕自身の体験からもわかることであるが、バブルの崩壊からこっち、無駄な消費の象徴である百貨店の売り上げが減少することに比例して日本の景気が落ち込んでいったのも事実だ。
だからそこにはブルシットでも仕方がないので空回りしながらでも経済成長を目指さねばならないと思うのだが、著者はそこにも、富と技術と知の蓄積されたこの時代では、現状を維持してゆくだけでも十分文化的で安全な生活が送れるはずだというのだ。う~ん、確かに言われてみればそのとおりだ。釣具もある程度の品質を超えればそれ以上の品質は必要ないということと同じかもしれない。
それに加えて、あらたなイノベーションはとなりの人間国宝さんが起こしてくれるので安心していればいいのかもしれない。

もう、窓際サラリーマンであるということが大きな理由なのだろうが、僕も最小の「労働」と最大の「余暇」のなかでサラリーマン生活を送っている。おそらく1日の3割はまともな業務をやっていない。ネットサーフィンをしているか、次の休日の天気を調べていたりする。
僕はブルシットな仕事はやる気がないという、この本でいうとまことにまっとうな生き方をしているのかもしれない。この職場にきてから、昔からやっていた定型的な仕事をかなり自動化してやったのでその分時間が余ってきたというのもあるが、そんなことをやっていると、前からここにいた人たちは自分の仕事を盗られたと思うようだ。表計算ソフトの使い方もわからないのでそれに参加できない。僕も、ここまで何も知らない人たちには教えることは不可能だと思っている。なんとか昔の方法に戻そうとやっきになって電卓をたたいたりもしているようだが、そんなことを見ていると、ブルシット・ジョブが生まれるというのは、わが社の場合、ネオリベラリズムなどというものではなく、単にパソコンを使いこなせないからという理由だけじゃないのかしらと思えてくるのだ。

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水軒沖釣行

2022年02月03日 | 2022釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 8:11満潮
釣果:ボウズ

今週は有給休暇を入れてちょっと多い目に休日を取ったが裏目に出てしまった。休みを決める前の週間予想天気図をにらみながら2月の第1週も風はないのかもしれないと思っての行動であったが読みが外れた。今日も次の休みもアウトだ。

と、思っていたら、朝起きてみるといつもの煙突の煙はほぼ真っ直ぐに空に昇っている。今日は釣りを諦めて燃料補給、ワカメ採りのカネの取り付け、裂けてきている船外機のハンドルのグリップの補修をしようと思っていたが、少しだけ船を出せそうだ。そしてもうひとつやってみたいこともある。

急いで準備をして港へ。いつものことだが、急いで準備をすると必ずなにがしかを忘れてしまう。今日は2回も家に戻ってしまった。

途中、近所のコー〇ンプロでコーキング材を買ったのだが、えらく値上がりをしていてびっくりした。



この会社のPB商品なのだが、つい最近まで、1本200円もしていなかったのに今日は税込みで470円だ。木材が高騰しているというのはここ1年ほどの話題としてニュースにもなっていたが、こんなものまで値上がりするとは・・。確かにこの商品はほぼ100%石油製品であるので仕方がないのか・・。今日使わねばならないのは容量のうちの100分の1ほどなのを考えるとまことにもったいない。多分このあとはほとんど使う場面もなく、ボトルの中で硬化させてしまって使い物にならなくなるのだ。
これもコロナウイルスがもたらした弊害だ。

これも途中、軽油を買いにガソリンスタンドへ。1か月ぶりに買ったのだがこっちも久々に2100円の大台を突破してしまっていた。これもコロナウイルスがもたらした弊害だ。



そんなことをしながら港に到着したのは午前8時を回っていた。
急いで準備をして海へ。
今日も一発逆転のブリ狙いだ。禁断の仕掛けを封印し、メタルジグで狙う。
一文字の切れ目を過ぎると、けっこう風が強い。家を出る頃に比べると風が強くなってきているようだ。
あまり遠くには行きたくないので切れ目のすぐそばで碇を下す。



キャストを始めて数回目、ブチっという音とともにリーダーごとメタルジグが飛んで行ってしまった。目的がブリなのでリーダーを10号にしていたのが裏目に出てしまった。僕のロッドではガイドが小さすぎた。リールは去年拾ったものを使っていたのだが、ロッドはすでの片付けてしまっていたので自分のものを使ったのだが、ロッドも拾ったやつをもってくればよかった。まあ、メタルジグも拾ったやつなので元の場所に戻っていったといえばそれまでなのだが、もったいない・・。
予備の道具は持っていないのでこれで終了。15分ほどの釣りで終わってしまった。まあ、1時間やっても2時間やっても結果は同じではあっただろうが・・。

港にもどり数々の作業をこなす。ワカメのカネの取り付けは毎年の作業だし、コーキングといってもわずかなすき間を埋めるだけの作業なので大したことはない。ついでに冷却系を掃除する水鉄砲のノズルも治して作業を終了。



もうひとつやってみたいこと、というのはナマコ獲りだ。この前、田ノ浦でフカセ釣りの真似事をやっていたとき、おじさんがひとりやってきて、防波堤の隅を眺めているので、なにを見ているのかを聞いてみたら、ナマコを探しているという。防波堤の捨て石の上に乗っかっているのをスバルで引っかけるのだそうだ。だから僕は今日、禁断の仕掛けではなくて釣竿を持ち出してきたのだ。スバルなら父親の残したものが仕掛けの材料入れに残っているのですぐに作れる。
おじさんがもっている仕掛けを横目で見ているとスバルの下とハリスの途中に白い布を取り付けている。これはきっと海底でスバルの位置をはっきり見るための工夫なのだろう。何気ないものだが、よく考えているなと僕も真似をさせてもらった。

しかし、今日の干潮時刻は午後1時。僕が田ノ浦に着いたのはまだ10時半だ。



そして曇りで日差しがなく西混じりの風で海面も波立っているのでまったく海底が見えない。スバルを下すこともなく撤退となってしまった。そんな僕を、「こいつアホとちがうか。」と眺めているのはこの前僕の撒餌をついばんでいた鳥だろうか。鳥というのはかなり知能が高いらしく記憶力もよいと聞くので、また撒餌を巻きに来たのと思ったのだろうか・・。



結局、何の収穫もないまま今日の1日が終わってしまった。

今日は節分。普通ならイワシをたべるのだが、今年は一昨日釣ったアジを干物にして節分に備えていた。40センチのアジの干物はボリュームがある。結局、イワシも到来品が食卓に上ったのだが、はやり味の干物のほうが美味しかった・・。



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加太沖釣行

2022年02月01日 | 2022釣り
場所:加太沖
条件:大潮 7:03満潮
潮流:3:05転流 7:31上り3.5ノット最強 11:22転流
釣果:マアジ16匹 サバ3匹

年が変わって、加太への釣行はやっと2回目だ。しかし、今日も午後から母親を病院へ連れて行かねばならないので2時間ほどしか釣りをする時間がない。
それでも天気がよければ行きたくなるし、船のエンジンも回してやらねばならない。そしてなにより、釣れているらしい。
潮流の時刻を見ても十分田倉崎で勝負できる流れだ。港へも最短距離で帰ることができる。

あれやこれやをやっている時間はないので今日はサビキでアジサバ狙いの一発勝負だ。またもや沖田艦長の無理やり戦法なのである。

できるだけ釣りをする時間を稼ぎたいので午前5時20分に家を出た。しかし、今日も寒い。バイクのハンドルカバーも何の効果もなく指先の感覚は完全にマヒしてしまっている。
新月の大潮の日なので空は完全に真っ暗だ。そんな中、東の低い空にものすごく明るく光る星がある。多分金星だと思ったのだが、あんなに明るかったかしらと思い家に帰って調べてみると、今月13日に向かって最大光度になっていくらしい。その時にはマイナス4,9等星にまでなるらしいが、1等星の100倍の明るさだという。今日もすぐ上に1等星の明るさになっている火星があったらしいのだが、金星が明るすぎてまったく気がつかなかった。



金星を後ろに見ながら午前5時54分に出港。
海も穏やかだ。暗いので周りを警戒しながら明るくなるにしたがって船速を上げてゆく。
午前6時40分ごろに四国沖ポイント付近に到着。



周りには船はいないが釣れても釣れなくても今日はこの周辺からは動かないつもりだ。

潮の流れはかなり速い。どんどん北西方向に流されて行ってしまう。なんとか仕掛けを立てながら流されてゆき、四国沖ポイントから離れて第2テッパンポイントにさしかかる頃にアタリがあった。それほど大きくはないマアジだがとりあえずボウズを逃れた。その後はアタリが続く。次はコアジ(といっても20センチほどあるのだが)サイズが3連。その前に大きいやつをバラしていたので今日はどうも食いが悪くて大きいやつは口切れしてしまうのかと心配になったが、そんなのはおかまいなしという感じでアタリが続く。
第2テッパンポイントにも船の姿が見えないが、僕はここで粘り続ける。
一度に5匹掛かってくるという場面もあるほど今日は魚影が濃い。



生け簀の中がかなりにぎやかになり、時間があれば次は真鯛狙いだとなるのだが、残り時間はもう30分ほどしかない。潮は徐々に緩くなり、まさしく真鯛の潮だ。試しにサビキを真鯛の誘い方で引いてみるとかすかなアタリがあった。アジサバなら確実に鉤に乗るはずなので真鯛の可能性が高い。そう思うとさらに残念なのだ。
しかし今日は仕方がない。自分が診察してもらうのなら予約を無視して釣りを続けるのであるが母親の診察だとそうはいかない。
魚を締める時間も取らねばならないので午前8時50分に終了。

スパンカーを下し、魚を締め、生け簀の海水を抜き終わったのが午前9時半。いつもよりエンジンの回転数を上げて帰途についた。

今日はどの場所でも釣れているのか、おまけに雲ひとつない上天気となるとこの時間に帰り支度をしている船は1艘もない。海域を離脱してゆく僕を見ている船たちは、「あいつはいったい何をしているのか?」と思われているに違いないと思うのだ・・・。



家に帰って道具だけ洗って病院へ。



今日も人は少ない。予約した時間きっかりにお呼びがかかった。う~ん、しかし、これはコロナで人が少ないからなのではなく、この医者は人気がなくてみんな敬遠しているということはないのだろうか。この医師の悪口は一度書いているが、自動車学校でも人気のない教官の技能講習はすぐに予約が取れたものだ。今日から抗がん剤の治療を始めるのだが、これなんかも、抗がん剤治療をして念には念を入れるという方法もありますがどうしますかと聞かれ、後日、迷ったあげく、「やります。」と答えたら、「するんですか!?」と半分驚いたような言い方をする。聞くと、これくらいの年齢になると3分の1くらいの人しか抗がん剤治療には移らないという。この段階で驚かれたら、こっちが驚くじゃないかと怒りたくなるが犯罪者になるわけにもいかず、気の短い僕はぐっと我慢してウチの奥さんの妹の旦那(この人もなかな信頼しにくいが・・)の言葉を信じて予定通り抗がん剤の錠剤をもらって帰った。

薬局で薬を待つ間、スマホに、石原慎太郎が死んだというニュースが出ていた。
いろいろな意味で稀有な政治家だと思うが、芥川賞作家で政治家という人も珍しかったのではないだろうか。あと思い浮かぶのは田中康夫くらいだ。
どうしても比較したくなるのが同じ年代の開高健だが、師は表立って政治の世界に口を出す作家ではなかったと思う。ベトナム戦争に反対する活動では発起人となっていたけれどもそれもすぐに下りてしまったし、「政治がされていると民衆に気付かれないのが良い政治だ。」と言っていたくらいだから、自らそれに首を突っ込むことをよしとしなかったのだろう。
石原慎太郎の作品は1冊も読んだことはないが、映画で「太陽の季節」や「狂った果実」を見ていると、既存のルールへの反抗が大きなテーマとなっていたような気がする。
師は、小説の書き方を遠心力で描くか求心力書くかという分け方をしていたが、そういう分け方をすると、石原慎太郎はやはり遠心力のひとであったのだろう。出自も父親が企業経営者だったとなると行き着く先には政治家であったのかもしれない。
良くも悪くも確かにアイデンティティをしっかり持った政治家であったのだと思う。「聞く力」を強調する優柔不断な政治家よりもはるかに統率力があったのではなかろうか。
それも行きすぎると独裁者と言われてしまうのだろうが、それくらいのアイデンティティとブレーキをかける側の世論のバランスが取れている社会が一番いいのだろうなと改めて思うのである。どちらにしても、もう二度とこの人のような政治家も作家も現れることはないのは確かなことだろう。
2時間の釣りではまったく釣行記にはならないので別のことで文字数を埋めにかかった1日であった。

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