イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2022年02月01日 | 2022釣り
場所:加太沖
条件:大潮 7:03満潮
潮流:3:05転流 7:31上り3.5ノット最強 11:22転流
釣果:マアジ16匹 サバ3匹

年が変わって、加太への釣行はやっと2回目だ。しかし、今日も午後から母親を病院へ連れて行かねばならないので2時間ほどしか釣りをする時間がない。
それでも天気がよければ行きたくなるし、船のエンジンも回してやらねばならない。そしてなにより、釣れているらしい。
潮流の時刻を見ても十分田倉崎で勝負できる流れだ。港へも最短距離で帰ることができる。

あれやこれやをやっている時間はないので今日はサビキでアジサバ狙いの一発勝負だ。またもや沖田艦長の無理やり戦法なのである。

できるだけ釣りをする時間を稼ぎたいので午前5時20分に家を出た。しかし、今日も寒い。バイクのハンドルカバーも何の効果もなく指先の感覚は完全にマヒしてしまっている。
新月の大潮の日なので空は完全に真っ暗だ。そんな中、東の低い空にものすごく明るく光る星がある。多分金星だと思ったのだが、あんなに明るかったかしらと思い家に帰って調べてみると、今月13日に向かって最大光度になっていくらしい。その時にはマイナス4,9等星にまでなるらしいが、1等星の100倍の明るさだという。今日もすぐ上に1等星の明るさになっている火星があったらしいのだが、金星が明るすぎてまったく気がつかなかった。



金星を後ろに見ながら午前5時54分に出港。
海も穏やかだ。暗いので周りを警戒しながら明るくなるにしたがって船速を上げてゆく。
午前6時40分ごろに四国沖ポイント付近に到着。



周りには船はいないが釣れても釣れなくても今日はこの周辺からは動かないつもりだ。

潮の流れはかなり速い。どんどん北西方向に流されて行ってしまう。なんとか仕掛けを立てながら流されてゆき、四国沖ポイントから離れて第2テッパンポイントにさしかかる頃にアタリがあった。それほど大きくはないマアジだがとりあえずボウズを逃れた。その後はアタリが続く。次はコアジ(といっても20センチほどあるのだが)サイズが3連。その前に大きいやつをバラしていたので今日はどうも食いが悪くて大きいやつは口切れしてしまうのかと心配になったが、そんなのはおかまいなしという感じでアタリが続く。
第2テッパンポイントにも船の姿が見えないが、僕はここで粘り続ける。
一度に5匹掛かってくるという場面もあるほど今日は魚影が濃い。



生け簀の中がかなりにぎやかになり、時間があれば次は真鯛狙いだとなるのだが、残り時間はもう30分ほどしかない。潮は徐々に緩くなり、まさしく真鯛の潮だ。試しにサビキを真鯛の誘い方で引いてみるとかすかなアタリがあった。アジサバなら確実に鉤に乗るはずなので真鯛の可能性が高い。そう思うとさらに残念なのだ。
しかし今日は仕方がない。自分が診察してもらうのなら予約を無視して釣りを続けるのであるが母親の診察だとそうはいかない。
魚を締める時間も取らねばならないので午前8時50分に終了。

スパンカーを下し、魚を締め、生け簀の海水を抜き終わったのが午前9時半。いつもよりエンジンの回転数を上げて帰途についた。

今日はどの場所でも釣れているのか、おまけに雲ひとつない上天気となるとこの時間に帰り支度をしている船は1艘もない。海域を離脱してゆく僕を見ている船たちは、「あいつはいったい何をしているのか?」と思われているに違いないと思うのだ・・・。



家に帰って道具だけ洗って病院へ。



今日も人は少ない。予約した時間きっかりにお呼びがかかった。う~ん、しかし、これはコロナで人が少ないからなのではなく、この医者は人気がなくてみんな敬遠しているということはないのだろうか。この医師の悪口は一度書いているが、自動車学校でも人気のない教官の技能講習はすぐに予約が取れたものだ。今日から抗がん剤の治療を始めるのだが、これなんかも、抗がん剤治療をして念には念を入れるという方法もありますがどうしますかと聞かれ、後日、迷ったあげく、「やります。」と答えたら、「するんですか!?」と半分驚いたような言い方をする。聞くと、これくらいの年齢になると3分の1くらいの人しか抗がん剤治療には移らないという。この段階で驚かれたら、こっちが驚くじゃないかと怒りたくなるが犯罪者になるわけにもいかず、気の短い僕はぐっと我慢してウチの奥さんの妹の旦那(この人もなかな信頼しにくいが・・)の言葉を信じて予定通り抗がん剤の錠剤をもらって帰った。

薬局で薬を待つ間、スマホに、石原慎太郎が死んだというニュースが出ていた。
いろいろな意味で稀有な政治家だと思うが、芥川賞作家で政治家という人も珍しかったのではないだろうか。あと思い浮かぶのは田中康夫くらいだ。
どうしても比較したくなるのが同じ年代の開高健だが、師は表立って政治の世界に口を出す作家ではなかったと思う。ベトナム戦争に反対する活動では発起人となっていたけれどもそれもすぐに下りてしまったし、「政治がされていると民衆に気付かれないのが良い政治だ。」と言っていたくらいだから、自らそれに首を突っ込むことをよしとしなかったのだろう。
石原慎太郎の作品は1冊も読んだことはないが、映画で「太陽の季節」や「狂った果実」を見ていると、既存のルールへの反抗が大きなテーマとなっていたような気がする。
師は、小説の書き方を遠心力で描くか求心力書くかという分け方をしていたが、そういう分け方をすると、石原慎太郎はやはり遠心力のひとであったのだろう。出自も父親が企業経営者だったとなると行き着く先には政治家であったのかもしれない。
良くも悪くも確かにアイデンティティをしっかり持った政治家であったのだと思う。「聞く力」を強調する優柔不断な政治家よりもはるかに統率力があったのではなかろうか。
それも行きすぎると独裁者と言われてしまうのだろうが、それくらいのアイデンティティとブレーキをかける側の世論のバランスが取れている社会が一番いいのだろうなと改めて思うのである。どちらにしても、もう二度とこの人のような政治家も作家も現れることはないのは確かなことだろう。
2時間の釣りではまったく釣行記にはならないので別のことで文字数を埋めにかかった1日であった。

コメント
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