イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「私たちが、地球に住めなくなる前に 宇宙物理学者からみた人類の未来」読了

2020年05月06日 | 2020読書
マーティン リース/著 塩原 通緒/訳 「私たちが、地球に住めなくなる前に: 宇宙物理学者からみた人類の未来」読了

よくある近未来予測というような内容の本だ。今回の本は宇宙物理学者が考える近未来だ。
よくある近未来予測のとおり、どれも同じような内容ではある。
バイオテクノロジー、ロボット工学、サイバーテクノロジー、AIの進歩が何をもたらすか。
2050年、世界の人口は今の77億人から90億人まで増えると予測されている。(一説には97億人にまでなるという。)これから人口が増えてゆく地域というのは、アフリカ、東南アジア地域であると予測されるけれども、その人たちが今、日本や欧米の人たちが営んでいるような暮らしを望むとすると、それに費やされるエネルギーや物資がどれくらいひっ迫するかというのは目に見えている。
それがバイオテクノロジーやAIの進歩が助けてくれるかもしれないというのが楽観的な見方だが、そこには、それらの技術を適切に使いこなしてという条件がつく。

そうなのだ、これらの技術は様々な危機をももたらす可能性もはらんでいる。新種のウイルスを作ろうと思えば、今の技術では普通の台所くらいの広さの場所があればできてしまうらしい。たとえ誰かが作らなくても今回のコロナウイルスの騒動のように、たったひとつのウイルスが社会を混乱に陥れる。
おそらく、2050年時点でマッドサイエンティストやならず者国家がバイオテロやサイバーテロを成功させて世界を崩壊させてしまうようなことはないだろう。世界の国々はそうならないように十分監視されているはずだ。
しかし、マッドサイエンティストやならず者国家が暗躍しなくても、政治家の判断ひとつで世の中は簡単にひっくり返ってしまうということを浮き彫りにさせてしまったのがここ2か月ほどの世界の国々だ。
これは当たり前のことだったのかもしれないが、これだけものであふれかえっていると思っていたこの国でも、ひとたびすべての人が求め始めると一気に物がなくなりそれが不安を助長する。病院はいつでも混んでいるのでさもありなんとも思うけれども、なんとこの世はぜい弱な基盤の上にできているのかと思い知らされる。
マッドサイエンティストならずとも、バイオテクノロジーに詳しい拗ねものがへんなウイルスを作ってしまうと簡単に社会は破綻する。この騒動が収束する前にマークⅡが現れてしまったら本当に国が滅びる事態が起こるかもしれない。
国が滅びるときっていったいどんな感じになるのだろうか・・・。マッドマックスみたいな世界になるということだろうか?
 
2050年まで世界が保てたとしてその先はどうだろうか。
宇宙物理学者の著者はそっちのほうに力を注いで書いている。
未来永劫人類が存続するためには人間が人間のままでいては無理だという。いつかは地球だけでは住めない時代が来る。だから、ロボット工学、AIが融合して新たな人類が生まれる必要がある(ポストヒューマン)。そこには有機物としての人類の形がないのかもしれないが宇宙空間にそれこそ何千年、ひょっとしたら億年単位で広がるためには有機物としての体は向いていない。
人類が宇宙に出るためにはそこに利益が生まれないと無理だ。人類が月に立ったのは、東西冷戦下での競争原理が働いていたけれども、それがなくなってしまった今、確かに人類はどの星にも立っていない。それはそこに行ったとてなんの利益も生まれないからだ。小惑星から資源を採取して利益を上げるという話を聞いたことがあるけれども、それとて費用対効果で考えるとどうなのだろう。だから、比較的安くて済む機械、それもナノサイズのマシンが望まれるという。
今、銀河系でも数千という数で地球型惑星が発見されているけれども、そこに生命が存在する確証はいまのところない。地球が奇跡の星であったなら、そこで生まれた生命が形態はどうであれ、銀河中に満ちてゆくというのはすばらしいことではないかというのが著者の見解だ。

先日、CSで「トランスフォーマー」を放送していたけれども、人類もあんな形になって宇宙を旅するということだろうか。確かに、敵役は数千年の眠りから覚めてもあたかも昨日のことのように正義のトランスフォーマーと戦いを始めたけれども、そんな長い時間軸を生きるには生身の人間では無理なのだと、この本のタイトルとはまったく関係ないことを考えていたのである。

そんな未来のことではなくても、安倍総理は「コロナの時代の新たな日常を一日も早く作り上げなければならない」と言っていた。いろいろな危機が起こるたびに新しい生活様式を作って変えていかねばならないような時代になってしまった。ウイルスの騒動でなくても、人は変わっていかなければならないとはいうけれども、マスクをつけて生活を続けるなんてまるでナウシカの世界ではないかとSFが現実になってしまったと恐れ入ってしまうのである。
ただ、マスクは自分の表情を隠してしまうには好都合なアイテムだ。無気力になってしまった顔を人に見られなくて済む。ドリカムの歌に、「眼鏡越しの空」というのがあるけれども、まさしくそのとおりだ。

2050年、僕は86歳か・・。もう死んでいるからどうでもいいやと思うのである。しかし、こういう本を探してみるとかなりたくさん見つけることができる。いろいろな専門家がいろいろな視点から描いているけれども大体結論は同じようなもので、人間はテクノロジーと融合して新たな生命として生まれ変わらなければならないということになっている。今のところはほぼSFとしか思えない。
そういう未来が本当にあるのなら見てみたいと思ったりもするけれどもほとんどアナログな人間にはついてゆけない世界で、本当にそんな世界に放り出されたら僕は動物園で見せ物になっているのじゃないかと、これまたCSで放送していた「猿の惑星」を見ながら思ってしまうのだ。
休みが多くて家にいるときにはそんな映画をスキップしながら時間を潰していたのである。

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