イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

台風21号の恐怖 2018年

2018年09月07日 | Weblog
台風21号が通り過ぎた。このブログを読んでいただいている方々のお宅は大丈夫だっただろうか。記憶があるかぎりでは間違いなく僕の人生の中では最悪の台風ではなかっただろうか。
ちなみに、去年の台風21号の時には会社から家に帰れないという憂き目に遭っている。21番は危険な番号だ・・・。

9月4日は社会人になってはじめて会社が休業した。朝のうちは風も波も穏やかで三輪車を転がしていても普通に通行ができたのであるが、



午前10時を回ったくらいからだろうか、にわかに風が強くなってきた。その後は近所の瓦が割れる音がするし、隣の家のカーポートのポリカ板がこっちに飛んでくるし、どこまで風が強くなるのだろうかといつもの台風を楽しもうとしていた気持ちが罪悪感に変わってしまった。
テレビでは関西空港の滑走路が海水に浸かってしまったというニュースが流れている。これを見て、ああ、僕の船もどうかなってしまったに違いないと諦めと落胆の境地に陥ってしまった。そしてその報道を最後に完全な停電となってしまった。
IP電話はつながらないし、ネットにもアクセスできないので世の中がどうなってしまったのかがわからない。

夜はキャンプ用のランタンを持ち出しての夕食になった。



こんな経験も初めてだ。わびしい・・。そして水とガスが使えても給湯器は電気で動くのでお風呂に入れない。まだそんなに寒くないからええい!と水風呂で我慢した。

時間を3時間ほどさかのぼって、風が少し弱まってきた頃を見計らってとりあえず港へ急いだ。道中は停電でほぼすべての信号が消灯している。こんな光景を見たのも初めてだ。



港の入り口は巨大な松の木が覆いかぶさり車が入れない。歩いて入ってゆくと真っ先に目に入ってきたのが小船の舳先が異様に浮き上がっている姿だった。



何か異変が起きているに違いない。朝、「もう少し碇のロープを絞っておいた方がええで。」という同級生の渡船屋の言葉に従ったのが裏目に出たようだ。後部のスカッパーの中が浸水している。中に入っていたバッテリーと燃料タンクが被害に遭ってしまった。そしてイカを釣ったときに生かしておくゴミ箱も消えてしまっていた。重し代わりに中に突っ込んでおいた碇はロープをつないでいたので海底から回収することができたが、生簀の蓋を押さえようとして置いていたもうひとつの碇はどこかへ消えてしまった。風で飛ばされるようなしろものではなく、多分海水が入り込んで持ち去ったと思うのだが、一体どんな状況だったのだか想像がつかない。

大きいほうの船はエンジン場の上のシールドが割れてしまっていた。これも強風に耐えられなかったようだ。

 

巻きぞえを心配していた隣の船も浮いていたが、これは普通に浮いていたのではなく、前の夜中、反対隣のNさんが僕の船に舳先を突っ込んできていたこの船を見てロープを反対隣のおじいやんズの船にかけてくれたそうだ。(これはこれでちょっと危険だったかもしれないが・・)そそして、高波の最中見回りに来ていた同級生の渡船屋が護岸に半分乗り上げていたこの船を2回も水の中に押し戻してくれたそうだ。もうおじいやんズの船もヒデヨシさん(というらしい)の船もなんとかしてくれ・・・。そしてなにかと気をつけて見ていてくれた二人には感謝だ。

ということでなんとか船は浮かんでいてくれたけれども、この港のなかで物的被害をこうむったのは3隻で、うち2隻が僕の船ということになってしまった。なんとも悲しい結末である。

翌日、家の周りを点検すると我が家からも瓦が落ちていた。1階の屋根は塀に上ったりして見て回るが異常がない。大屋根だとまったくわからない。停電もしているし、修理の依頼もしなければならないという理由を作って翌日も休みを取った。あとからネットで調べると、朝からJRも南海も動いていなかったようで最初から出勤はできなかったようだ。
ただ、わが社の規定ではこういう場合、最寄の出社可能な場所に出向き、指示を待つことになっているのだが、指示を待つっていっても職場ははるか70キロ先だし、最寄の場所といってもそこにもちゃんと別の職員はいるわけで、これが地震だと後片付けを手伝うとかなんとかあるけれどもこの規定もいったいどんな意味があるのだろうかと思うのだ。しかし、こんなとき、規定に従えるほどの忠誠心がなければ上には認めてもらえないというのも一方の事実ではある・・・。


家の段取りもそこそこに港に出向き後始末だ。水没したタンクを真水で洗い、スカッパの中を真水で拭いて、2隻の碇のロープを調整する。高潮でかなり引かれているので入れなおしてやりたいと思い、渡船屋のモトヒロ君に手伝ってもらって引き上げようとしたが、これが重い。相当大きな碇と加えて大きな鎖が付いている。鎖までは手にかけたがそれ以上なんとも動かない。男ふたりで引き上げを試みたが無理。まあ、これだけ重かったらそのまま使っといてもいいのではないかということになってロープを結わえる場所だけを調整して終わり。小船もしかりで少しロープを引っ張って終了。(この場所を出て行った人の碇をそのまま使っているので僕も実態を知らないのだ。)

残った時間は渡船屋の手伝いでゴミ拾いや碇の引き上げ作業だ。スロープに置いていた小船も流され回収に向かった。
高潮は異常で、この駐車場全体が水に浸かってしまったようだ。草はなぎ倒され、ゴミは養翠園の塀の際まで押し流されている。



そして渡船の碇も大きいが人の手でなんとか引き上げることができるということは僕のほうの碇はいったいどんなものが使われているのだろうか・・。
桟橋への係留用に置いている何トンあるのかわからないコンクリートの塊も渡船の舳先に押されて移動し、ステンレスで作ったやぐらもどこかに消えていたが、そこは水軒のおいやんのネットワークだ。どこからともなくユンボがやってきてコンクリートの塊の位置を元に戻し、海水の中から偶然見つけたやぐらを引き上げた。しかし、この、ユンボというやつの能力の凄さには感心してしまった。



普通のサラリーマンにはできない芸当だ。だから僕は“水軒のおいやん”たちにあこがれるのである。

帰宅してお湯の出ない風呂場で水浴びをしていると突然電気が点いた。この時ほど喜びを感じたのはいったいいつのこと以来だったのだろうか。電気のありがたみをしみじみ感じたのであった。

ということで、台風の後始末はまだまだ続きそうである。釣りを再開できるのはいつのことになるのやら・・・。
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2 コメント

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大変でしたね (ヤンガス)
2018-09-14 08:30:03
ご無沙汰しています。お見舞い連絡が遅くなりました。大切な愛艇の被害大変でしたね。

あの日私は無謀にも昼休みに堺本社ビルに停車していた車の危険を察知し、暴風の中 下道をトコトコ走って帰宅しました。
Unknown (イレグイ号)
2018-09-15 22:06:40
ヤンガスさん、
ご無沙汰しております。そしてコメントありがとうございます。

あの日に車で移動とは大変でしたね。海のそばだと間一髪というとこだったのではないでしょうか。
小船の方はエンジンが死んでしまっていてこれから先が思いやられます・・。

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