イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

大晦日

2010年12月31日 | Weblog
今日も朝から出勤だ。
去年もそうだったが、別に今日やらなければならない仕事ではないと思うのだが、なぜか今日やらなければならいのだ。郷に入っては郷に従えだがどうも???なのだ。

恒例となった(といっても2回目だが・・・)出勤前の神社仏閣めぐりをやってみた。あまりの寒さにちじこまりながら天王寺から谷町九丁目に向かって歩いた。去年は開高健の文学碑と真田幸村殉死の寺を見てきたのだが、今年は落語シリーズで巡ってみた。まずは生國魂神社へ、ここは大阪落語の始祖といわれる米沢彦八という人が落語会を頻繁に開いていたというところだ。


朝からのすごい嵐で境内のテキヤの屋台が全壊していたのには驚いた。神様は守ってくれなかったのだろうか?



続いては高津宮へ、ここは古典落語のネタの「高津の富」の舞台になったところだ。桂枝雀の落語全集の1巻目の最初のネタがこれだった。大阪市の市歌は「高津の宮の昔より~」という歌詞から始まるというのは誰も知らないだろう。



生國魂神社は神武天皇、高津宮は仁徳天皇にゆかりがある神社らしい。今、僕の勤めている会社の周りには由緒あるある神社仏閣がたくさん集中しているのだ。

天王寺から谷町九丁目に向かう途中に不思議な表示があった。赤穂義士の墓がと書いてあるのだ。大阪で赤穂浪士か??ととりあえず入ってみると四十七士の石像があった。


どうも胡散臭いと思って家に帰って調べてみると、この吉祥寺の住職であったひとが赤穂藩出身で、大石内蔵助たちが切腹したあと、足軽の寺坂吉右衛門が四十六士の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添えて義士の冥福を祈る碑を建ててくれるよう吉祥寺に依頼したという、正真正銘のお墓があって、しかも全国で一番最初に建立された墓だそうだ。
う~ん、疑ってすまなかった。
しかし、どうして46人分なのだろう?もう一度行ってみて調べてみよう。


仕事のほうは午後1時過ぎに切り上げて船の注連飾りを飾りに港へ急いだ。こんな天気の日はぜひとも荒れ狂う海を見てみようといつもの観測スポットへ行ってみるとこんな曇りにもかかわらず、水平線の上のわずかにできた晴れ間から沈んでいく夕日がくっきり見ることができた。
2010年最後の日の入りだ。大していいことのなかった年だったが、すべてのことを浄化して沈んでいってくれと祈るばかりだ。最後の最後にいいものを見ることができた。


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