イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ひとりで生きていく」読了

2021年01月11日 | 2021読書
ヒロシ 「ひとりで生きていく」読了

著者はひと昔前、自虐漫談で大ブレイクをしていたが、最近ではユーチューバーとして再び人気が出ているそうだ。
世間では一発屋のように言われているが僕はこの人とギター侍は面白いとずっと思っていた。ヒロシのほうはたまに笑点に出ているのを見たりすると思わず見入ってしまう。

僕も何かでそういうことを知り、ユーチューブを見てみると、これが面白い。ひとりでキャンプをしているだけの動画だがそれが面白い。僕もソロキャンプにあこがれているところがあるのでよけいに興味を持って見ている。
BSでも同じような内容の番組を放送していて、年末年始も録画したものを見ていた。
そこではこの人のライフスタイルみたいなものが垣間見える。特に自分のキャンプスタイルを自慢するわけではないが、小さなこだわりを見せてみたり、この本のタイトルのとおり、サイト選びにはとにかく人がいなくて景色のいいところを探したりする。

多分、この本は著者のそういったライフスタイルの原点を書いたもののようである。

著者は華やかな芸能界に身を置きながら人付き合いが苦手で大部屋の楽屋にいても周りの人たちとどうやって時間を共有していいかわからないような性格だったそうだ。まあ、芸人さんのことなのでどこまで本当かはわからないけれども楽屋の隅っこでひとりでいるほうが心地よかったと書いている。それは子供時代から続いていたようで、女性にもてたいとは思っても結婚したいとか家族を持ちたいというような気持にはなれなかったという。だから今でも独身だそうだ。

自虐ネタの漫談が受けなくなったということもあるが、そういった煩わしい人間関係と、一発屋のキャラクターを求められることに嫌気をさして一線から遠ざかりいくつかの試みの中でソロキャンプの動画をユーチューブにアップすることがヒットしたということだ。
バンドをやってみたり、アイドルをプロデュースしようとしたこともあったらしい。

その中から得た教訓がいくつか書かれている。
人間関係については絶対的なものはないという。周りにひとがいるときとそうでないときでも変わるし、絶頂期にいるときとどん底にいるときでも当然変わる。だから他人とは深くは関わらないというのがいいという。そこにしがらみを作らないというのが著者の生き方の基本だそうだ。
その中には結婚も含まれる。結婚とは人間関係を固定してしまうということである。だから著者は結婚しない。
そして、「二度と会うことのない人にでも丁寧に接するべきだ。」という。これも人間関係のしがらみを断って生きるためのひとつの方策であるそうだ。「人間関係のしがらみを断って生きるのは、日頃からひとり旅をするように生きるということだ。しかし、ひとりで旅をするように生きるからこそ、出会う人には丁寧に接していくべきだ。」と著者は考える。ちょっとよくわからないが、多分、敵も味方も作らない。また自分を誇大することもなく、また卑下する必要もないということが肝要だと言っているのかもしれない。

でも、等身大で生きると嫌われることを避けることはできない。そんなときはそういう環境から逃げることだという。置かれた場所で咲きなさいということはストレスしか生まない。それくらいならそこから逃げ出して居心地のいい場所を求めなさいという。自分をみじめにさせる環境からは逃げるべきだという。逃げ場所をつくるために、たくさんの種をまいておく。それは逃げ道の選択肢を増やすことになるということになる。
著者にはソロキャンプという花が咲いたのだから説得力がある。しかし、これが一般サラリーマンではなかなかそうはいかないだろう。結婚もしていて子供もいたらなおさらだ。じゃあ、そういう環境を作らなければいいじゃないかと言われるが、そこは人並みみたいに生きたいと思うとそう考えてしまう。

そして、根拠のない自信を持ちなさいとも言う。何か根拠のある自信、例えば2000人のホールを埋めることができるコメディアンの前に12000人のホールを埋めることができるコメディアンが現れると自信を打ち砕かれるしかない。しかし、何の根拠もないけれども、自分のコントは世界一だと思えていれば誰もその自信を打ち砕くことができない。
確かにそうだ。何の根拠もないけれども、自分に自信を持っているひとは絶対にストレスを抱え込まないと思う。とんでもない悪臭を放つ同僚をみているとその通りだと思う。
そういうところが著者との大きな違いだ。もちろん、どん底を味わい、いくつも修羅場を潜り抜けてきたからこそそういうことが言えるのだろう。

僕自身も人付き合いが悪く、どちらかというと群れるよりひとりでいることのほうが好きだ。そういう性格が災いしていることもあるのだろう、このブログで愚痴ばかりこぼす結果となってしまっている。何に対しても自信を持てないし他人の評価が気になる。
しかし、著者の文章を読んでいると、そういう生き方もありだと言ってくれているような気になってくる。
人間関係でも、濃密な友人関係がなくても、大切なのは気が合うことよりも共通の話題があることであると書いてくれている。幸いにして僕は釣りを通じてたくさんの友人がいる。ほとんど文字列だけでの交流という感じもするが、それも時代だろう。
またこれも、幸いにしてか不幸にしてか、奥さんとも適度な距離を置けている。本人はいたって体が弱いと思っているらしく好んで外出をしたがらない。だから僕がひとりで出歩くことに対しても何も文句を言わない。むしろ、黙って勝手に出て行ってくれることをよしとしているようだ。

あとは逃げ場所を探せば著者が言うひとりの生き方に近づくことができるのだが、実はこれができない。著者はお金に対しては、『お金を大事にすることで見えてくるのはお金じゃない世界だ。』と書いてはいるが、家族がいるかぎりお金は必要だ。太宰治の時代はなんとかなったのかもしれないがそれがないとこの時代は生きていけない。
逃げた先できちっとお金を儲けることなんて今は考えられない。

この本を読んでいると、なんだかアドラー心理学が勧める生き方そのままだと思えてきた。
しかし、アドラーはその人生観の大きな部分は子供の頃にどんな教育を受けたかということで決まると書いている。著者は両親から「ひょうきん族」や「全員集合」を見ることに対して何も言われなかったそうだ。そこから人を笑わせる仕事がしたいという夢を持ったという。おそらくそういう両親に育てられたからこそ自分で道を切り開くことができたのではないかと思う。
今さら子供の頃の生い立ちを矯正するわけにはいかない。だからやっぱり我慢し続けなければならないのだ・・。
コメント
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