イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「亜種の起源  苦しみは波のように 」読了

2021年01月05日 | 2021読書
桜田一洋 「亜種の起源 苦しみは波のように 」読了

2020年の後半くらい以降に出版された本にはやはりコロナウイルスに直接的、間接的に関連した話題が入っているものが多い。この本もコロナウイルスがもたらした生活の変化から人が生きてゆくということはどういうことなのかということを問いかけるような内容の本だ。

著者の思いは、はじめにのところに凝縮されている。
著者は著名な分子生物学者であるが、生物を機械のパーツの集合体のように取り扱うことに違和感を感じている。
分子生物学が細胞を機械のパーツのように考えるようになったのはダーウィンの進化論だ。
『現代文明の礎となったダーウィンの進化論(ダーウィニズム)は生物を機械のように設計されたものとして扱う。ダーウィニズムは世界を切り分け、生命を機械の部品のようにみなす生命科学をつくり出した。
しかし、人間ひいては生物は機械のように設計されたものではなく、それそれの環境の中で個性を宿していく。生命の本質を理解して人間らしく生きるには、一人ひとりの人生を感じ(想い)、考え(思い)ていかなければならない。
生存競争に有利な種が進化の中で生き残ったのではない。多様な個性を持った亜種が互いに歩調をそろえて同期したり、ときにそれを解消したりすることで彩りに満ちた自然が創出されてきた。
自然科学はあらゆる問題を解説してくれる万能の神と信じられてきたが、環境汚染で絶滅した動物や植物を復活させることができなかったし、新型コロナウイルス感染症で亡くなった多くの命を救うこともできなかった。感染症が収束した先に人類の生き方はどのように変わるのだろうか、どのように変わればいいのだろうか。』
そういう疑問と問題提起がはじめにのところに書かれている。

もともと進化論にはふたつの考えがあった。進化論はダーウィンが独自に考え出したものではない。むしろ、ダーウィンはアルフレッド・ラッセル・ウォレスが考えた自然淘汰説を参考にして自らの進化論を考え出したという推測もある。
ウォレスは、『環境が変化しない条件では個体の多様性と自然の間には均衡が維持されるが、そのままでは維持できない厳しい条件が生じると種の分化と自然淘汰が生じる。』と考えた。対してダーウィンは、『環境変化が起きていあい条件下でも同種の個体が生存競争をするので種の分化が起きるのだ。』と論じた。
この考えは、英国哲学の、「秩序の単位は一人ひとりの個人である。」という考えが影響されている。たとえば、マルサスの「人口論」では、「人は限られた資源を奪い合う。」と言っている。すなわち、生存競争が自然界に秩序と進化を生み出すと考えた。これらの考えが優生政策へと発展してゆくのであるが、それは、強いものだけが正しく、すべての生物(人間)はその強いものに従わねばならないのだという現代の競争社会を肯定する考えにも発展してゆく。すでに優生思想というものは否定されるべきものであるとわかっているのに・・。

著者はそうではないと言う。人は遺伝情報のみで人格や能力が決まるものではない。味覚やアレルギーに対する耐性、持久力は遺伝情報で決定されるけれども、この世に生まれ出てきた後の環境や努力でその後の人生は大きく変わる。これを著者は、「成る」という言葉で表現している。
一方で、自身がどうしても回避できないこともあると認めている。サブタイトルの、「苦しみは波のように」は、ハンチントン病という遺伝病で亡くなった少女の詩の中の一節『苦しみぬいたとうぬぼれてはならない 苦しみきれぬと絶望してはならない たえず苦しめ 苦しみの上にあれ そしてほほえめ 苦しみは波のようなものではないのか・・』から取られている。著者は自分ではどうにもならない病で死ぬ人がいるのだということを小学時代に知り、それを恐れはしたけれどもそれを治す道はないのかと分子生物学を志した。
その過程で生物を機械のパーツの集合体のように取り扱うことに違和感を感じはじめた。
人は一人ひとり個性がある、それはメカニズムではないと言う。

ウォレスは、『自然の本質は戦いではなく、相互扶助の舞台である。』と捉えた。そうでなければ、『人間が時に見せる、真実を愛する心、美に感じる喜び、正義を求める情熱、勇気ある自己犠牲を聞くときに覚える歓喜などが説明できない。』と言ったそうだが、著者も、ダーウィニズムで考える世界観から、ウォレスが考えた世界観に今こそ変わるべきだとこの本の中で訴えている。
これは「いのち愛づる生命誌〔38億年から学ぶ新しい知の探究〕」に書かれていたこととまったく同じ考え方のように思える。
理想はきっとそうなのだろう、しかし、現実はそうではない。どこにいても序列は必ずついて回る。そこのところはダーウィンやマルサスのほうがきっと正しいのだと思う。それに勝てないものは打ちひしがれるか絶望するかしかない。
このコロナ禍が変革のチャンスだと著者は考えているようだが、這い上がれない人たちはきっとそのままかもっと序列を下げるしかないと思う。今を生きるにはとにかく、とりあえずお金が要る。それがないと自滅するしかないのだ。これが80年前、太宰治が生きた時代だとそれこそ相互扶助で生き永らえることもできたのであろうけれども今はきっと無理だ。
そんな時代を取り戻そうとしようとするのなら、まずはネット社会とグローバル経済を破壊し、ポツンと一軒家の世界を作り上げなければならない。

おそらく、世の中の大多数の人たちもそれには共感するのだろうが、やはりそれは無理なことだろうと大多数のひとが思っているに違いない。
そう思う1冊であった。

コメント
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