イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2021年01月13日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 7:02満潮
潮流:7:21 上り3.5ノット最強 11:17転流
釣果:サバ6匹 マアジ1匹

やっと初釣りに出ることができた。
例年なら1月の1週目には初釣りに出ていたが年末からの寒波が年を越し、1月3日には船を出してみたものの5分で港に戻ってきてしまった。



そのあとすぐにそれをしのぐ大寒波がやってきたことで今日になってしまった。

風は吹いていないけれども気温はかなり低い。今朝は0.4℃だったそうだ。
夕べ、雨(雪?)が振ったらしく、路面は白く凍りついていた。



転倒しないようにゆっくり、時速30キロ以下の速度で港へ向かった。港への道中は幹線道路をさけて小さな路地を通って向かうので路面はどこも凍りついたままになっていた。

アマゾンの正月セールで買ったバイクのハンドルカバーもまったく役には立たず指先の感覚はマヒしてしまっている。それもそうだ、ブレーキレバーが氷点下に近い温度まで下がってしまっているのだからそれをつかんでいる指も氷点下に近くなってしまっているようだ。



港へ到着しても船のデッキの上は全部凍りついている。

 

寒い日に釣りに出たことは何度もあるがこれほどの日は記憶にない。雨の水を含んだロープも硬く凍りついていてほどくのに手間取る。体の動きも寒さでぎこちないのでものすごく時間がかかる。まあ、エンジンの暖気運転に時間をかけなければならないのでちょうどいいけれども。

おまけに満潮だったので船に荷物を乗せるのにも手間取り、強風対策のために隣の船と繋いでいたロープをほどいたりしていたら30分も経ってしまってしまい港の出口に出た時には太陽が顔を見せはじめていた。

今日は年末から釣れているアジとサバを狙ってみてその後潮が止まるまでに真鯛を狙ってみようと考えていた。

まずは大和堆ポイントに向かい、そこから他の船の動きを見て行き先を考える作戦だ。

午前8時前に大和堆ポイントに到着すると船が少ない。僕を含めて3艘いるだけだ。



確かに魚探の反応もない。遠く銅板ポイントの方を見るとそこには船団ができているが、とりあえずここからスタートしてみる。
潮流がかなり早い時間帯だからなのだろうか、かなり仕掛けが流される。数回ポイントの上を流してみるが魚探の反応もなくアタリもないのですぐに見切りをつけて銅板ポイントへ。



船団の端っこに船をつけると魚探には真っ赤な反応が出ている。かなり大きな魚の群れがいるようだ。さっそく仕掛けを下すとアタリが出た。大きなサバとマアジが掛かっていた。

今日の仕掛けはいつものビニール仕掛けではなく、オレンジ色のビニールひもを使ったチョクリの仕掛けだ。



加太ではモジャモジャと言われているらしいが、3センチくらいのビニールひもで作るのが普通というのを8センチの長さにして高仕掛けで使うビニールに近いサイズにしてみた。枝素も中途半端で15センチにしてみた。はたしてこんなもので釣れるのかと自信がなかったのだけれどもなんとか釣れてくれた。まあ、これだけすごい反応が出ていればどんな仕掛けでも釣れるのかもしれない。これで自信を持ってしまってはダメだ。もっと釣る人はいくらでもいる。

沖ノ島の陰から離れたところを行ったり来たりしながらサバを5匹。午前10時を回り潮が止まる前に真鯛を狙ってみようとテッパンポイントを目指した。

僕の中での加太で釣れる魚の美味しいランキングではサバとカワハギが双璧で真鯛はその次くらいになってくるのだけれども、やはり真鯛を釣りたい。初釣りならばなおさらだ。それにサバが5匹あれば2軒分の食材として余りある。
移動のために仕掛けを回収しようとしている最中にまた反応があり、すぐに仕掛けを下してみるとまた1匹釣れた。このままここで留まるとまだまだ釣れる可能性があるけれどもここは思い切って移動を決したのだがやはりこれが間違いだったようだ・・・。
「釣れるものを釣れるだけ釣る。」やはりこれに徹するということが必要だとあらためて感じることになる。

テッパンポイントに到着すると、釣れていないのかそれとも爆釣しているサバとアジに釣り人の目が行ってしまっているのかここには1隻も船がいない。魚探の反応もないのだが・・。
仕掛けを高仕掛けに変更し少しずつ北上してみるがアタリはない。思い切ってナカトのど真ん中まで入ってみたが仕掛けを根掛かりでロストしただけであった。
仕掛けをセットしなおし、地の島の南に移動してみるとここには反応がある。しかしビニールにはかすりもしない。潮がほとんど流れていないのが原因だろうか。大潮の日は潮が止まってしまうのが早い気がする。
午前11時、転流の時刻になったので終了。

このくらいの時刻になると朝の気温の低さが嘘だったように暖かい。風もなく海面も穏やかなので帰り道は春の季節になったようだ。港に戻り帰り支度をしていると汗が出てくる。



三寒四温というのは本来、真冬の頃、温かい日と寒い日が規則的に繰り返されて天気が変わることを言うそうだが、まさにそんな天気の変わりようだ。

今日、僕より遅れて出撃した人たちは、銅板ポイントからコイヅキへ移動してずっと爆釣が続いたそうだ。確かに、帰り道、コイヅキ方面を眺めると船団ができていた。
「釣れるものを釣れるだけ釣る。」「船団には従うべし」というのが素人の振る舞いとしては正しいと実感させられる初釣りであった。


夕べ、家に帰ると母方の叔母さんが亡くなったという知らせが来ていた。疎遠というか、子供のいない人だったのでまだバイクに乗っていたころ暇なときはよく家に来ていた。小姑でもなんでもないのに何気なく僕の奥さんの悪口みたいなことを言う人であまり好かない人であったが、旦那も数年前に他界しひとりで暮らしていてヘルパーさんが訪問すると亡くなっていたそうだ。
誰にも看取られずにひとりであの世へ行ったことになる。死因は心不全ということだったらしいが、ここ数日の寒さに耐えきれなかったのだろうかと思うと少しかわいそうな気がする。

ヒロシは本の中で死についても書いていた。
たとえ家族でも自分の弱ったところを見られたくないし、意識が朦朧としているなか、「もう死んだか、まだか?」なんていうひそひそ話をされたり、孫がうるさく、「アンパンマンやってるからテレビつけて。」なんて騒がれたら死んでも死にきれないので自分はお金で雇った若い女性のおっぱいを吸いながら死にたいのだというような内容だった。
これは極端にしても、家族に弱ったところを死ぬ前でも見せたくないというのはなんとなくわかるような気がする。
僕は父親の死に目には会社に行っていて会えなかった。その日はどうしても自分がやらねばならないくだらない業務があったためだったのだけれども、思えば父親はそれを知っていていて自分が弱り切った姿を見せまいと自分の逝く日を調整していたんじゃないかと考えたこともあった。そんなことを知っていたなんてことは絶対にないのだが・・。

僕にはいつも偉そうで、釣りに行っても、魚をバラすとものすごく怒られたし、何をしても「おまえはアカン」と言われ続けた。唯一褒めてくれたのは大学に合格した時とピザが上手に焼けた時くらいだった。だから最後まで、お前にだけは俺の弱みを見せないと思い続けていたのかもしれないとずっと思っているのだ。
おかげで僕は今まで父親には魚釣りではかなわないと思い、父親はなんでもできる人だと思って父親がやってきたことをなぞるように釣りを含めて続けてくることができた。それはそれでよかったのではないかと思っている。

僕も密かに、孤独死というのはけっこういいのではないかと思ったりしている。ヒロシのいうとおり、どうせ死ぬときはひとりだ。だったらヨレヨレになった姿を人にさらすより誰にも知られずひっそりとこの世から消えてゆくというのもありなのではないかと思うのだ。

今の時代、孤独死というのも珍しいものではないそうだ。警察がやってくるというのは面倒だけれどもそれも自分が死んだあとなのだからそれほど気にすることもなかろう。腐る前に見つけてもらえる算段を考えておけば多くの人に迷惑をかけなくても済むかもしれない。
白洲次郎はベッドの下に棺桶を置いていたそうだ。僕もそれに倣ってその中に焼き場の費用だけ入れておこうかとそう思ったりしている。

初釣りの書き込みにしてはあまり縁起がよくないか・・・。しかし、一休さんも正月だからこそ死を考えろみたいなことを言っているからこれはこれで思いを巡らすこともありなのかもしれない。


コメント
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