イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「3年7組食物調理科」読了

2021年01月29日 | 2021読書
須藤靖貴 「3年7組食物調理科」読了

多分アマゾンのリコメンド機能で見たタイトルだったと思うが、面白そうなタイトルだったので借りてみた。人気があるのかどうかわからないけれども貸出中だったのでどんなジャンルの本かもわからないまま予約の順番がまわってきた。

よく食に関するものを検索するのでこんなタイトルの本が表示されるのだろうか、先日も、イカの天ぷらを揚げるときに油が飛び跳ねるので何かいいものはないかと探していると天ぷら鍋にかぶせるネットというものを見つけた。



せっかく買ったけれどもそろそろイカのシーズンは終わってしまうので1年間寝かせることになるのだが、こんなものばかり見ているからこういうタイトルの本が表示されるのだろう。

以前に、カレー作りを食材の栽培や飼育から始めるという本を読んだことがあったのでその類の内容かと思ったがまったく違って小説だった。それも多分大人が読むというよりも、中学生、高校生が読むような本だろうと思う。NHKの、「中学生日記」という感じだろうか。

食料調理科という学科を持った高校は本当にあるらしく、そういえば、滋賀県か三重県にある高校が実習で営業しているレストランは安くてものすごく美味しいのだということを紹介していたニュース番組があったことを思い出した。

この小説は総合技術高校の食物調理科30名のクラスが舞台になっている。将来の職業に向かって一途に取り組む姿にこっちが恥じ入りながら読むことになるのである。青春時代はあまりにもまぶしすぎる。
そして、何でも100点満点を目指して取り組むという言葉にはタジタジとなるのだ。

このクラス30名は、科が1クラスしかないので3年間全員が同じクラスで過ごす。クラスのルールはすべてのことは全員一致でなければ決めないというものだ。対立する意見は全員で話し合ってひとつの結論を導いてゆく。
なかなか理想的な民主主義だけれどもこういうことは今の政治家の方々に見習っていただきたい。

今年も通常国会が始まっていろいろな論戦が戦わされているけれども、いつも思うのが野党の皆さまの論調だ。彼らは政府に反対するのが仕事だからなにもかもに反対するのだろうけれども、聞いていると、「どうするんですか!」としか言っていないように思う。コロナ対策がこの国会の大きな議題なのだが、それに対してもGotoの予算を医療に振り向けろと言うだけで、じゃあ、具体的にどこにいくらを振り向けてそれに対する効果の予測は与党の案とはこれだけ違うのだと言うような具体的な話がまったく出てこないような感じがする。
レンポーさんに至っては「ことばが伝わらないし、国民に危機感が伝わらない。総理大臣としての自覚や責任感を、ことばで伝えようとする思いがあるのか。」というのは一体自分が何様だと思って言っているんだろうかと思う。このクラスでは『反論には必ず具体案を考える』ということが決まりになっているが、レンポーさんには具体案があるのだろうか。
この人たちも東北の震災を目の前にして何もできなかった人たちではなかったかと言いたくなる。
まあ、党としては対案というものを作っているのだろうけれども、そういったものがあまり表に出てこないような気がする。少なくとも僕は知らない。ということは普通にニュースを見ていてもなかなか目にすることができないほど一般には知られていないのではないかと思うのだ。これだけ無茶苦茶言えるのならすべての国民が簡単にわかるようにワイドショーにでも出て説明すればいいのにといつも思うのだ。
レンポーさんもキャラでやっているところがあるのかもしれないが、人を挑発しているだけでは観衆にバカにされるということがわからないのだろうか。
スガさんが、「少し失礼ではないか。精いっぱい取り組んでいる」とじっと我慢をしながら反論している姿の方がまっとうに見える。スガさんもいっそのこと、「じゃあ、どうしましょう?」って言ってやればいいのにと思う、タムラさんもニシムラさんも同じように、「あなたたちならどうしますか?」と逆に問うてみたらどうだろうか。
多分相手は何も答えられずにタジタジとさせることができるのではないだろか。僕もクレーマーと対峙していたころはよくそういう手を使った。相手にこう聞くのだ。「ドウサセテイタダイタライイデデョウカ?」もともと相手に何か要求をすると、強要や脅迫となるのだが、そういうことを抜きにしても、ただ相手を困らせて楽しんでいるだけの相手は何もいう言葉を用意していないことが多かった。対案がないのだ。

自由が第一で個人の権利が先だと思っているような国民が大多数では統制のとれた生活など求めることができないのは明白だし、目に見えないものを相手にこれが打開策だといって決定的な対策が打てるはずがない。そんなことができるのは映画か小説の中だけだ。国民すべてが公平で幸福であるためになんて言い始めたらそれは社会主義だ。それが嫌だから自由主義社会で生きているのだろう。
いっそのこと、スガさんも匙を投げてレンポーさんに総理になってもらってこの難局を乗り切ってもらったらいいのにと、清々しい青春小説を読みながらドロドロのようなことを思っていたのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする