栗下直也 「人生で大切なことは泥酔に学んだ」読了
泥酔関係の本というのは探してみるとけっこうあるものだ、去年も2冊読んでいたようだが、また1冊みつけた。今回の泥酔のテーマは、『偉人の泥酔から学習する。』というものだ。作家に限らずいろいろなジャンルの人たちの酒に関するエピソードが収録されている。
どうやってこういうエピソードを探したのかと思うほど多彩な偉人たちが登場する。作家はもとより、政治家、実業家、俳優、格闘家など職業は様々だ。唯一登場しないのはサラリーマンくらいだろうか。そして著者の小さなツッコミが面白い。久々に思わず笑いがこみあげてきた。
おそらく今では許されない行状ばかりが並んでいる。例えば、三船敏郎は日本刀を振り回し、太宰治は執筆のために滞在していた旅館の飲み代を払うために送られていたお金でまた飲んでしまってお金の工面に友人(檀一雄)を置いたまま失踪し(この時のツッコミは「走れメロス」だ。であった。)、政治家の泉山三六というひとは憲政史上はじめて国会で泥酔してセクハラで大蔵大臣を辞任したそうだ。ほかには、師のエッセイにも出てくるそうだが、藤沢秀行という棋士は酔っぱらうと所かまわず女性の陰部の名前を連呼していたそうだ。そんなこんなが面白おかしく書かれ、それに著者のツッコミが絶妙にマッチしている。
どれもかなり古い時代のエピソードだがさすがに今の時代にこれをやってしまうと世の中から抹殺されてしまうだろうと思われるものばかりだ。おおらかでいい時代であったのだろう。
一応この本は偉人の泥酔に人生を学ぶというものなので僕なりに考えたその結論は、泥酔しても偉業を成し遂げる人はちゃんと成し遂げるがその影できっと億万の人たちが酒のせいで身を滅ぼしていったのだろうというところだろうから、絶対に真似をしてはいけないということだ。
いや、逆に、この本を読んでいると、泥酔しながら破天荒なことをやってのけることができる人だからこそ突破力があり偉業を成し遂げることができるに違いないと思えてきた。
ただ酒を飲んでうずくまっているだけの人間は億万の方にいくしかない。
僕は血圧が不安定だからだろうか、数年前から酒を飲むと歩けなくなることが多くなってきた。外で飲むとそこから駅までたどり着くために何回も肩で息をしながらひといきつかなければならない。そして、バッグのストラップが肩に食い込んで腕が引きちぎれてしまうのではないかと思うほど重く感じるのだ。自宅の最寄り駅に到着しても同じような感じだったときがあったので家に帰ってすぐに血圧を測ると上が90しかなかった。飲酒は血圧を下げるというがこんなに下がったら確かに歩けなくなるだろうと自分で分析した。
そういうことがあってからと、もともと人とくだらない、本当にくだらない仕事の話なんかをしながら酒を飲むということに何の意味も見出すことができないと思っているので外で酒を飲むということがまずなくなった。だから飲み屋街で泥酔している人というのを最近は見たことがないのだけれども、今の時代でもそんな人っているのだろうか?しかし、外でうずくまることができるほど飲むことができたら僕の人生ももっと変わっていたかもしれないと思うこともあるのだが、この偉人たちのエピソードを読んでみるとやっぱりそれだけ飲めたとしても僕も億万の側からは脱出できそうにないとあきらめるしかないと思った。
著者は1980年生まれということだからやっと40歳になったばかりだ。本人も酒が好きなようでいろいろな経験をしているようだが、40歳までにそんな経験をしているからこそこんな本が書けるのだろうが、どう見ても40歳の人が書いたような文章に見えないと思うのは僕の人間形成に問題があるのだろうかと思ってしまう。
泥酔関係の本というのは探してみるとけっこうあるものだ、去年も2冊読んでいたようだが、また1冊みつけた。今回の泥酔のテーマは、『偉人の泥酔から学習する。』というものだ。作家に限らずいろいろなジャンルの人たちの酒に関するエピソードが収録されている。
どうやってこういうエピソードを探したのかと思うほど多彩な偉人たちが登場する。作家はもとより、政治家、実業家、俳優、格闘家など職業は様々だ。唯一登場しないのはサラリーマンくらいだろうか。そして著者の小さなツッコミが面白い。久々に思わず笑いがこみあげてきた。
おそらく今では許されない行状ばかりが並んでいる。例えば、三船敏郎は日本刀を振り回し、太宰治は執筆のために滞在していた旅館の飲み代を払うために送られていたお金でまた飲んでしまってお金の工面に友人(檀一雄)を置いたまま失踪し(この時のツッコミは「走れメロス」だ。であった。)、政治家の泉山三六というひとは憲政史上はじめて国会で泥酔してセクハラで大蔵大臣を辞任したそうだ。ほかには、師のエッセイにも出てくるそうだが、藤沢秀行という棋士は酔っぱらうと所かまわず女性の陰部の名前を連呼していたそうだ。そんなこんなが面白おかしく書かれ、それに著者のツッコミが絶妙にマッチしている。
どれもかなり古い時代のエピソードだがさすがに今の時代にこれをやってしまうと世の中から抹殺されてしまうだろうと思われるものばかりだ。おおらかでいい時代であったのだろう。
一応この本は偉人の泥酔に人生を学ぶというものなので僕なりに考えたその結論は、泥酔しても偉業を成し遂げる人はちゃんと成し遂げるがその影できっと億万の人たちが酒のせいで身を滅ぼしていったのだろうというところだろうから、絶対に真似をしてはいけないということだ。
いや、逆に、この本を読んでいると、泥酔しながら破天荒なことをやってのけることができる人だからこそ突破力があり偉業を成し遂げることができるに違いないと思えてきた。
ただ酒を飲んでうずくまっているだけの人間は億万の方にいくしかない。
僕は血圧が不安定だからだろうか、数年前から酒を飲むと歩けなくなることが多くなってきた。外で飲むとそこから駅までたどり着くために何回も肩で息をしながらひといきつかなければならない。そして、バッグのストラップが肩に食い込んで腕が引きちぎれてしまうのではないかと思うほど重く感じるのだ。自宅の最寄り駅に到着しても同じような感じだったときがあったので家に帰ってすぐに血圧を測ると上が90しかなかった。飲酒は血圧を下げるというがこんなに下がったら確かに歩けなくなるだろうと自分で分析した。
そういうことがあってからと、もともと人とくだらない、本当にくだらない仕事の話なんかをしながら酒を飲むということに何の意味も見出すことができないと思っているので外で酒を飲むということがまずなくなった。だから飲み屋街で泥酔している人というのを最近は見たことがないのだけれども、今の時代でもそんな人っているのだろうか?しかし、外でうずくまることができるほど飲むことができたら僕の人生ももっと変わっていたかもしれないと思うこともあるのだが、この偉人たちのエピソードを読んでみるとやっぱりそれだけ飲めたとしても僕も億万の側からは脱出できそうにないとあきらめるしかないと思った。
著者は1980年生まれということだからやっと40歳になったばかりだ。本人も酒が好きなようでいろいろな経験をしているようだが、40歳までにそんな経験をしているからこそこんな本が書けるのだろうが、どう見ても40歳の人が書いたような文章に見えないと思うのは僕の人間形成に問題があるのだろうかと思ってしまう。