まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第13回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~八代・松中信彦スポーツミュージアム

2023年12月19日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは、宮崎の札所最後となるえびの~都城をたどり、当初は鹿児島に出る計画だったのを宮崎に向かい、日豊本線開業100周年ツアー列車に乗るルートである。

宮崎県には新八代から「B&Sみやざき」でアクセスするが、途中のえびのインターに停車する便まで少し時間がある。ということで、駅から200メートルほどのところにある「松中信彦スポーツミュージアム」をのぞくことにした。新八代での約1時間の待ち時間を過ごすのにはぴったりだろう。

松中信彦・・・ダイエー~ソフトバンクとホークス一筋で、ダイエー球団として最後のシーズンとなった2004年には、「平成唯一」となる三冠王を獲得した選手である。2000年代初期の松中、小久保、城島、井口、バルデス、ズレータ、川﨑らが並ぶ「ダイハード打線」は実に強力だった。

また、松中は私と同じ1973年生まれ。この年生まれのプロ野球選手も実に豪華で、打者では松中のほかに何といってもイチロー、中村ノリ、小笠原らが並ぶ。また投手では石井、三浦といった今季監督を務めた顔も並ぶ。ジョニー黒木も同じ年だ。野球関連の記事で、生まれた年ごとのベストナインを取り上げるのを見ることがあるが(暦日で見るか、学年の年度で見るかによって若干入れ替えはあるが)、1973年というのは豪華メンバーが揃う年の一つである。

その中で松中は八代出身ということで、八代の玄関口である新八代駅前に2009年に開館した。昨日今日できた充て物ではないのだが、八代を訪ねる機会もそうあるものではなく、今回、「B&Sみやざき」のダイヤの関係でようやく訪ねることができた。

ちょうど雨が落ちて来た中、円柱形のミュージアムの前に着く。ただ、開館は10時とある。次に乗る「B&Sみやざき543号」の発車は10時28分で、見学できるのは20分ほどしかないのが残念だ。駆け足での見学となるが仕方ない。

開館までの時間、同じ敷地内にある「八代よかとこ物産館」に入る。道中が始まったばかり、しかも目的地は宮崎だが、せっかくなので熊本のあれこれも買うことにする。馬刺しの燻製、有明海苔、はては太平燕の即席スープなんてものも買い求める。

さて開館時間となり、入場する。館内はスタジアムをイメージした造りで、スタンドに擬した廊下での展示が中心である。まずは生い立ちからプロに入るまでのエピソードが並ぶが、その中で初めて知ったのが、左投げの松中が高校から社会人にかけての一時期、右投げに転向していたことである。

左ひじの故障により、野球そのものを辞めようかと思っていた時、父から「左が無理なら、右で投げればいいじゃないか」との言葉で右投げに転向し、必死の練習でモノにすることができた。故障をきっかけに利き腕を変えるのはたまにある話で、私が知る中で有名なのが、元々右利きだったのが子どもの時のケガで無理やり左利きにさせられた鈴木啓示。父親が左利きの川上哲治に憧れていたそうで、息子がケガをしたのをこれ幸いとばかりに矯正してしまったという。さて現代、こうした親の方針は世間で認められるのかな・・。

左投げ用、右投げ用のグローブが展示されているが、松中の場合は社会人になってから手術で回復し、再び本来の左利きの選手として活躍することになった。

また、グリップのところで折れたバットも展示されている。2001年の対ライオンズ戦で、松坂のストレートに対してバットが折れながらも打球がそのままスタンドインした・・その時のバットである。その時のテレビ映像をYouYubeなどで見ることができるが、打たれた松坂も「うそでしょ?」という表情だったし、ベンチでそのバットを手に松中を迎えた王監督も半ば呆れた様子だった。

グラウンドをイメージした中央の展示スペースの壁面にはこれまでの表彰で授与された品々が並ぶ。残念ながら名球会の2000本安打には届かず現役を退き、その後は解説やキャンプの臨時コーチなどで野球との関わりはあるものの、ホークス以外を含めてのコーチや監督経験がないのももったいないように思う。

指導者や指揮官としての向き・不向きもあるのかもしれないし、ネットなどでは球団とのソリが合わないからだとか、本人の素行や性格に問題があるからだとかいろいろ取り上げられているが、どうなのだろう。2024年、ホークスは「切り札」ともいえる小久保監督が就任したが、松中にももう一度ホークスのユニフォームを着てほしいと思っているファンも多いのではないかと思うのだが・・。

さて、奥のスペースは「企画展」コーナーといったところだが、この時は2023年の日本シリーズの新聞切り抜きが並んでいた。あの、バファローズとタイガースによる「決戦・日本シリーズ」である。上段がタイガース、下段がバファローズなのは日本一になったかそうでないかの扱いの差だが、改めて死闘のシリーズだったことが思い出される。

また、このコーナーの一角では八代出身のバファローズ選手として、小田、そして難病のため2020年で引退した西浦が紹介されている。松中信彦ミュージアムなだけにホークス推しも強いのだが、他チームとはいえ地元出身の選手を応援する姿勢が強いのも九州の特徴の一つだと思う。先ほどの中央の展示スペースにも、熊本県出身の歴代の選手が紹介されていたが、名球会入りの成績を残した選手だけでも、川上哲治、江藤慎一、秋山幸二、前田智徳、荒木雅博と並ぶ。また名球会入りはならなかったが松中信彦、そして村上宗隆という三冠王2人もいる。先ほどの1973年生まれ・・に続いて、熊本県出身のベストナインもそうそうたるメンバーが並ぶ。

駆け足で見て回った形でミュージアムを後にする。係の方から「どちらから来られましたか?」と声をかけられ、「また八代に来られたら、秋山さんのギャラリーに行ってくださいね~クルマで約10分です」と、案内の紙を渡される。秋山さんこと秋山幸二(ライオンズ~ホークス、監督)は八代市の北にある八代郡氷川町出身とのこと。「秋山も八代出身」というのが私の認識だったが、正しくは氷川町だったとは。そしてこの氷川町も今は合併して八代市の一部・・ではなく、平成の大合併で2つの町が合わさって誕生したのが氷川町だという。

さてこの記事は札所はまったく出て来ず、完全に野球ネタになったのだが、駅に戻ると、これから乗る「B&Sみやざき543号」はすでに乗り場に停まっていて、ちょうど新幹線からの乗り継ぎ客を出迎えるところ。私も、「ちょうど新幹線を降りたところ」という顔をして乗車列に加わる。

40人乗りの車両だが、窓側の席がほぼ埋まるといったところで出発。これからの雨が気になるが、いよいよ札所めぐりの舞台である宮崎県に向けて出発・・・。

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