まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『誰が、市民球場を壊したのか?』

2012年04月28日 | ブログ

先週、出張で訪れた広島の地。時間があったので原爆ドームと旧広島市民球場を訪れたのだが、すっかり解体され、フェンスに覆われた姿が痛々しかったことは先の記事に書いたところである。

ちょうど前日の雨でグラウンドはぬかるんでおり、あちこちに水たまりができていた。一つのもの、在りし日の姿を知っているものがなくなるというのはこういうことかと、改めて感じたところである。

そして、書店の地元書のコーナーで見つけた一冊がそのままズバリの『誰が、市民球場を壊したのか?』(堀治喜著、文工舎)

5147hnhoxl__sl500_aa300_この文工舎という出版社も広島市安佐北区口田という、広島市でありながら中心部ではない微妙なところで、えらいローカルな出版社のように思うが、それだけ地域密着の作品を扱っているのだろう。また、この著者は『衣笠祥雄は、なぜ監督になれないのか?』という著作も出しており、広島の人にとって関心のあることについて、なぜか地元マスコミがタブー視したり御用記事ばかり並べようとする中でそれにあえて突っ込むジャーナリスト的面白さを感じる。

本作は旧広島市民球場が廃止から解体に至るまでの過程を、アメリカが原爆を開発し広島に投下した「マンハッタン計画」になぞらえ、カードゲームやオセロゲームの比喩を用いて書き述べたものである。ただその中で明らかになったのは、広島「市民」球場と言いながら、球場の今後の在り方について「市民不在」の不毛な議論(と言えるほどのものでもない、当時の秋葉市長と一部政治家、地元財界との談合)の末、解体が決められたということ。そして、「まず解体ありき」で始まり、その跡地には、球場横にあった商工会議所ビルを移転しようという結論があって、議論そのものも出来試合であったということ。そして、解体反対の署名、住民投票の要求にも一方的に「NO」をつきつけた広島市役所の閉鎖性。これらを、市役所のある町名になぞらえて「コクタイジ計画」として描き出す。

球場のさよならイベントの時に、「終球式」のマウンドに立った秋葉市長に硬球を投げつけた男性がいたが、この一冊を読めば「気持ちは痛いほどわかるな」と思う。

P6071413これまで、地元・藤井寺もそうだし、かつての球場の跡地ということでは後楽園、川崎、西宮、大阪、日生、平和台といったところを訪ねたことはある。後楽園は東京ドームへの建て替えということで別として、「プロ野球が引っ越したら球場は取り壊しになるんだろうな」ということはある程度仕方のないことだと思う。関西の西宮と大阪はそれぞれ大きな商業施設になったし、藤井寺の跡地が小学校というのも、そんなものかと思う(日生球場の跡地が未だにどうなるかはっきりせず、内野スタンドの土塁も残る中タイムズの駐車場になっているのはもったいないと思うが)。

Dscn3815こういう例があるから、広島の人たちにしてもマツダスタジアムができた後、「どうせ市民球場は壊すんじゃろ」という予感はあったのではないかと思う。壊されるのは仕方がない、ただ、その跡地というのが「市民球場を壊してまでつくるほどのものか?」というプランであったり、政治家と一部の業者が密室でコソコソやっていることが気に入らないということだろう。

そのためか、秋葉市長は市長選挙に出ることなく後継候補を立てたが敗れ、松井現市長の下で跡地利用問題についてはいったん白紙、再検討ということになった。ただ解体についてはそのまま進められた。この後はどうなるか、皆が納得する結論を待ちたいものである・・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
« 倉敷散策 | トップ | ゴルフコンペ参加 »

コメントを投稿