まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第10回九州西国霊場めぐり~第24番「観音寺」(諫早のもう一つの入り江)

2022年05月12日 | 九州西国霊場

島原半島の雲仙グリーンロードから国道251号線を走り、もう少しで長崎市に入るところで南に入る。地図によればもうすぐで橘湾に出るところである。ただ、これから目指す第24番の観音寺だが、島原城でカーナビを入れた時に寺の名前は出ず、住所検索で到着地を指定したのだが、現地に来ても案内板があるわけでもなく、はっきりここだとわからなかった。

ゆっくり走らせると道路の右手に神社があり・・その横に「九州西国」の立て札の文字がちらりと見えた。ただ駐車場がなさそうでいったん通り過ぎ、港のところでUターンして戻る。クルマ1台通れる境内への入口を見つけたが、左折だと内輪差で塀に当たりそうなので、もう一度通り過ぎて折り返し、右折して何とか境内に入る。

ちなみに公共交通機関なら寺の前に長崎県営バスの大門というバス停があり、長崎駅からの便で来ることができる(諫早駅からの便もあるが本数が少ない)。大門というから寺の仁王門にゆかりがあるのかなと思ったが、その観音寺には山門はない。

小ぢんまりした境内。本堂の扉が少し開いているので中に入る。留守前提なのか、本堂の中に書き置き式の朱印が置かれている。

ここ観音寺は、先ほど訪ねた第23番の和銅寺ともども、行基ゆかりの九州七観音の一つである。寺の縁起によると、夏のある夜、津波がこの一帯を襲い、刈り取って干していた稲穂もすべて流されそうになったが、津波が引いた後も稲穂はそのまま残っており、流失を免れた。よく見ると稲穂は誰かの手で結び留められていて、人々はこれを観音菩薩のおかげだとして聖観音像を祀ったという。そして村の名前も田結村と呼ぶようになった。寺の縁起に行基が出てこないが、行基が彫った像が別のどこかにあったのを移したのかな。

本堂の横に祠があり、「諫江八十八ヶ所第66番」の立て札がある。ここにも八十八ヶ所の写し霊場があるのかと調べてみると、「諫江」は「かんこう」と読み、江戸時代の文政年間に、諫早領主の菩提を弔うとともに子孫繁栄を祈るために、大村湾・諫早湾・橘湾の3つの入り江に囲まれた諫早領内に開かれた霊場という。当時と場所が変わった札所もあるそうだが、現在も地元の人たちによって維持されているという(地図の画像は、「長崎ディープブログ」内の「諫江八十八ヵ所霊場研究会」の記事から引用)。こういうところにも八十八ヶ所があるのかと意外に思うとともに、諫早の立地が3つの湾の入り江にあるのだなと改めて感じたことである。

これで観音寺を後にするが、せっかくなので橘湾を前にした結の浜というところに行ってみる。

やって来たのは人工海水浴場の結の浜マリンパーク。オートキャンプも楽しめ、今はまだ遊泳禁止だが夏になると海水浴客で賑わう県内有数のスポットという。

正面に浮かぶ亀島、その向こうには天草、雲仙も見える。泳ぐ人はいないがボートを楽しむ人もいる。人工の砂浜とはいえ砂もさらさらしているし、海水もきれいだ。事前に観音寺近辺の地図を見ていて、普通に漁港があるようなところなのかなとは予想していたが、まさかこうした海水浴場があったとは。先ほどは、今も長い裁判が続く諫早湾を見ただけに、穏やかな景色の橘湾を見てほっとするところである。

しばらく海の景色を楽しみ、そろそろ諫早駅に戻ることにする。そのまま北上して、喜々津駅の近くで国道57号線に入る。このまま諫早駅に向かい、その手前で西九州新幹線の高架橋の下をくぐる。この新幹線についてはいろいろ言われるところだが、とりあえず開業後には一度乗ってみようと思う。

諫早駅に到着。レンタカーを返却して、この日の宿泊へ・・・。

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