竹林寺の参詣を終えたのが9時半前。石段を下りるとちょうど「My遊バス」がやって来た。高知駅~はりまや橋~竹林寺と来てこの後は桂浜に行く周遊バスである。日中1時間おきに運転されており、高知駅から直接竹林寺までのアクセスが可能である。また、これから目指す32番の禅師峰寺(ぜんじぶじ)へは、高知駅~高知医療センター~後免町間の普通の路線バスに乗り、峰寺通で下車が最寄りである(ただし2時間に一本)。このように、各札所にピンポイントで行く公共交通機関はある。ただ札所間となると思うような便はなく、あったとしても途中までしか行かないとか、便のタイミングが合わないというのがある。
そもそも私の四国八十八所めぐりは「公共交通機関は大いに利用しよう」という方針だったのだが、いざ現地に来てみるとなかなか思うように使えないなと感じることも多い。例えば一度高知駅なりはりまや橋まで戻り、そこから峰寺通までバスに乗ればいいのだが、それも面倒くさい。また、記事を書くにあたり、改めてとさでん交通バスの路線図と時刻表をにらめっこしたところ、竹林寺を9時半に出ると、五台山のふもとの五台山農協前のバス停10時08分発の前浜車庫行きに乗って東に向かい、10時33分着の下田村下車。すると下田村で上記の後免町~高知医療センター~高知駅の系統と交わっており、11時08分発に乗れば11時18分に峰寺通に到着する。・・と書くのは簡単だが、このような行程が現地で急に思いつくものではないし、テレビ東京系の番組ではないのだからそういう乗り継ぎも果たして意味があるのかと思う。
・・・とまあ、冒頭に路線バスについてあれこれと書いた。今回は竹林寺と禅師峰寺の間が6キロほどだったので歩きを選択したのだが、もっと公共交通機関を効果的に使えないか、そういうプランが組めないか、30番を過ぎながらいまだに自問自答している自分にもどかしさを感じている。全てを歩く、あるいは全てをクルマやバイク、自転車で回ると決めている方にはどうでもいいことだろうが。
さて行った時はさて歩いて行こうということで、歩き遍路の標識に従って昔ながらの山道を下りる。「峯寺まで一里半」の道標を見て、石が無造作に敷かれた道を下り、小学校の横から平地に下り立つ。目の前には下田川が流れており、しばらくはその土手沿いを歩く。振り返ると竹林寺の五重塔の先端が顔を出している。
橋脚があり、道路の建設中であることがうかがえる。高知東部自動車道の一部で、現在は芸西西~香南のいち、なんごく南~高知南が部分開通しているが、将来的には高知インター~安芸までの全線開通を目指している。高知東部へのアクセス強化、国道55号線の渋滞緩和の他に、「津波浸水しない救急搬送ルートの形成」(土佐国道事務所)が謳われている。(コンクリートによる)強い国土の形成という、そういえば和歌山の御坊のほうから出ている某政治家の方もおっしゃっていることですな。
その高知南インターの近くには、昭和の初めに「ライオン宰相」と呼ばれた浜口雄幸の生家がある。さらに進むと左手遠くに何やら体育館とドーム状の建物が見える。高知市の東部総合運動場で、その間には野球のスコアボードが見える。高知の東部球場というのはここだったのか。
高知東部自動車道の高架をくぐり、県道247号線に出て、景色も山がちになってきた。武市半平太の旧宅を過ぎると、禅師峰寺への案内看板が出る。それに従うと短いトンネルがあり、抜けると住宅地に出る。後で知ったがトンネルの向こう側は前回訪ねた南国市で、禅師峰寺も南国市にある。住宅地をしばらく歩くと石戸池に突き当り、反時計回りにぐるりと回る。
竹林寺から歩くこと1時間10分ほどで禅師峰寺と書かれた石柱に到着する。ただ目指す寺はまたここから山登りである。道が二手に分かれていて、左が車道、右が歩道である。となると行くのは右側である。さっきもこんな景色を見たぞと思う山道を歩くこと数分、山門の前に出た。ここでも白衣姿の巡拝者が多いが、山道を上がって来た私を見て「ここからも来れるんや」という顔をする人もいる。ここまで、竹林寺、禅師峰寺とも、歩きで来たという人は見かけない。
山門をくぐる前に目を引くのが脇に安置されている不動明王の石像。石像そのものはよくある形だが、その後ろの岩が印象的だ。波打っており、不動明王に力強さを加えているように見える。
この岩は境内のあちこちにあるが、造形ではなく自然のものだという。
禅師峰寺(地元では「峰寺」(みねじ)と呼ぶそうだ)は先の竹林寺と同じく、聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝えられている。また弘法大師もここで虚空蔵求聞持法の修行を行い、本尊の十一面観音像を彫ったとされている。以後、土佐湾を航行する船舶や漁民からの信仰を集めている。
本堂と大師堂は土佐湾を見下ろすように並んで建っている。海からの風も結構感じられる。境内の岩も長年の風のために独特の紋様となったようだ。風で火が燃え移るのを警戒してか、「ローソク、線香は4時半まで」との貼り紙がある。
こちらであるグループがお勤めをしていたが、印象的だったのが大師堂の下、地べたで正座して般若心経を唱えていた。後で本堂ではお堂の縁側に正座していた。ここではきちんと座って(大師堂のようにそもそも場所が狭いところではお堂の下の地面に座って)お参りするのをルールとしているのだろう。いろいろなお参りの作法を見るのも四国めぐりの楽しみ・・・と言うとちょっと違うが、人間ウォッチングの場所だなと思う。
お勤めの後、改めて境内から広がる土佐湾を見る。遠くには浦戸大橋があり、さらにその奥は桂浜のある半島である。晴れていればなお良かったが、この景色を見ることができて歩いて来た甲斐があったなと思う。
さて次に目指すは33番の雪蹊寺だが、ここには初めて目にする「公共交通機関」の力を借りることに・・・。
そもそも私の四国八十八所めぐりは「公共交通機関は大いに利用しよう」という方針だったのだが、いざ現地に来てみるとなかなか思うように使えないなと感じることも多い。例えば一度高知駅なりはりまや橋まで戻り、そこから峰寺通までバスに乗ればいいのだが、それも面倒くさい。また、記事を書くにあたり、改めてとさでん交通バスの路線図と時刻表をにらめっこしたところ、竹林寺を9時半に出ると、五台山のふもとの五台山農協前のバス停10時08分発の前浜車庫行きに乗って東に向かい、10時33分着の下田村下車。すると下田村で上記の後免町~高知医療センター~高知駅の系統と交わっており、11時08分発に乗れば11時18分に峰寺通に到着する。・・と書くのは簡単だが、このような行程が現地で急に思いつくものではないし、テレビ東京系の番組ではないのだからそういう乗り継ぎも果たして意味があるのかと思う。
・・・とまあ、冒頭に路線バスについてあれこれと書いた。今回は竹林寺と禅師峰寺の間が6キロほどだったので歩きを選択したのだが、もっと公共交通機関を効果的に使えないか、そういうプランが組めないか、30番を過ぎながらいまだに自問自答している自分にもどかしさを感じている。全てを歩く、あるいは全てをクルマやバイク、自転車で回ると決めている方にはどうでもいいことだろうが。
さて行った時はさて歩いて行こうということで、歩き遍路の標識に従って昔ながらの山道を下りる。「峯寺まで一里半」の道標を見て、石が無造作に敷かれた道を下り、小学校の横から平地に下り立つ。目の前には下田川が流れており、しばらくはその土手沿いを歩く。振り返ると竹林寺の五重塔の先端が顔を出している。
橋脚があり、道路の建設中であることがうかがえる。高知東部自動車道の一部で、現在は芸西西~香南のいち、なんごく南~高知南が部分開通しているが、将来的には高知インター~安芸までの全線開通を目指している。高知東部へのアクセス強化、国道55号線の渋滞緩和の他に、「津波浸水しない救急搬送ルートの形成」(土佐国道事務所)が謳われている。(コンクリートによる)強い国土の形成という、そういえば和歌山の御坊のほうから出ている某政治家の方もおっしゃっていることですな。
その高知南インターの近くには、昭和の初めに「ライオン宰相」と呼ばれた浜口雄幸の生家がある。さらに進むと左手遠くに何やら体育館とドーム状の建物が見える。高知市の東部総合運動場で、その間には野球のスコアボードが見える。高知の東部球場というのはここだったのか。
高知東部自動車道の高架をくぐり、県道247号線に出て、景色も山がちになってきた。武市半平太の旧宅を過ぎると、禅師峰寺への案内看板が出る。それに従うと短いトンネルがあり、抜けると住宅地に出る。後で知ったがトンネルの向こう側は前回訪ねた南国市で、禅師峰寺も南国市にある。住宅地をしばらく歩くと石戸池に突き当り、反時計回りにぐるりと回る。
竹林寺から歩くこと1時間10分ほどで禅師峰寺と書かれた石柱に到着する。ただ目指す寺はまたここから山登りである。道が二手に分かれていて、左が車道、右が歩道である。となると行くのは右側である。さっきもこんな景色を見たぞと思う山道を歩くこと数分、山門の前に出た。ここでも白衣姿の巡拝者が多いが、山道を上がって来た私を見て「ここからも来れるんや」という顔をする人もいる。ここまで、竹林寺、禅師峰寺とも、歩きで来たという人は見かけない。
山門をくぐる前に目を引くのが脇に安置されている不動明王の石像。石像そのものはよくある形だが、その後ろの岩が印象的だ。波打っており、不動明王に力強さを加えているように見える。
この岩は境内のあちこちにあるが、造形ではなく自然のものだという。
禅師峰寺(地元では「峰寺」(みねじ)と呼ぶそうだ)は先の竹林寺と同じく、聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝えられている。また弘法大師もここで虚空蔵求聞持法の修行を行い、本尊の十一面観音像を彫ったとされている。以後、土佐湾を航行する船舶や漁民からの信仰を集めている。
本堂と大師堂は土佐湾を見下ろすように並んで建っている。海からの風も結構感じられる。境内の岩も長年の風のために独特の紋様となったようだ。風で火が燃え移るのを警戒してか、「ローソク、線香は4時半まで」との貼り紙がある。
こちらであるグループがお勤めをしていたが、印象的だったのが大師堂の下、地べたで正座して般若心経を唱えていた。後で本堂ではお堂の縁側に正座していた。ここではきちんと座って(大師堂のようにそもそも場所が狭いところではお堂の下の地面に座って)お参りするのをルールとしているのだろう。いろいろなお参りの作法を見るのも四国めぐりの楽しみ・・・と言うとちょっと違うが、人間ウォッチングの場所だなと思う。
お勤めの後、改めて境内から広がる土佐湾を見る。遠くには浦戸大橋があり、さらにその奥は桂浜のある半島である。晴れていればなお良かったが、この景色を見ることができて歩いて来た甲斐があったなと思う。
さて次に目指すは33番の雪蹊寺だが、ここには初めて目にする「公共交通機関」の力を借りることに・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます