まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第19回四国八十八所めぐり~第73番「出釈迦寺」

2018年08月18日 | 四国八十八ヶ所
曼陀羅寺の参詣を終えて、盲腸線のローカル線のように出釈迦寺に向かう。道路標識では800メートルとあったが、上り坂が続くもののそこまで長くないのかなと感じる。墓地が広がり、お盆の墓参りの姿も見かける。

出釈迦寺の石碑があり、弘法大師像が麓を見下ろすように立っている。最近整備された感じである。石の机や椅子が備え付けられた展望休憩スペースもある。

山門をくぐる。この門は仁王像を置かず小ぶりなもので、境内もコンパクトにまとまった感じだ。まず手前に見かけるのは七福神の恵比須天である。こちらは弘法大師や本尊釈迦如来とのつながりはわからない。その横にあるのが求聞持の修行を行う弘法大師像である。虚空蔵菩薩の真言を100万回唱えることですばらしい記憶力が授かるというものである。

本堂と大師堂は隣接しており、その両方に広がるようにして団体さんがお勤めの最中である。先ほど弥谷寺で送迎バスに乗っていた人たちだろう。読経が終わるまでしばらく休憩する。それが終わって団体が離れたのを見て、本堂と大師堂の両方を見る位置にあるベンチに腰かけてお勤めとする。しかも、一度で両方お参りしたことにする。手抜きをしたわけではないが、こうした行動に出るとはやはりおかしい。10時半を回って気温が何度まで上がっているかわからないが、この時点で、この日1日で七ヶ所まいりをコンプリートするのは難しいと判断した。ただ出釈迦寺で中止しても中途半端なので、この後の74番甲山寺、そして75番善通寺まで歩き、善通寺駅から列車で丸亀駅に直行することにする。暑さは覚悟していたが仕方がない。

本堂横に石段があり、捨身ヶ嶽の遥拝所がある。現在は出釈迦寺の奥の院である捨身ヶ嶽だが、弘法大師の少年期の伝説のスポットである。

7歳の時にこの山に上り、「仏門に入って多くの人を救いたい。もし願いが叶うならお釈迦様、姿を現してください。もし願いが叶わないなら自分の身を仏に捧げる」と言って崖の上から飛び降りた。すると釈迦如来と天女が現れて大師の身を抱きかかえた。このことから山の名を我拝師山と呼び、釈迦如来が出てきたからその像を安置して出釈迦寺を開いた。

遥拝所から見やるとお堂の屋根のようなものが見え、あそこが奥の院だろう。現在も歩いて上がることができ、もしコンディションがよければ片道40~50分ほどで行けるそうだ。ただ現時点でこの体たらく、あそこまで上る気にはなれない。遥拝所で手だけ合わせて引き返す。

納経所で朱印をいただく。納経所には有名人の写真やサイン色紙が並べられている(撮影禁止の貼り札があったので画像なし)。捨身ヶ嶽があるから旅番組のロケか何かで来るのだろうか。

先ほど上ってきた道を下って曼陀羅寺まで戻る。次の甲山寺までは2キロあまりの距離がある・・・。
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