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まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

旧生駒トンネル跡を見学

2011年08月08日 | まち歩き

Dscn9958大阪難波を出た奈良行き近鉄電車はほぼ一直線に生駒山に向かい、瓢箪山からカーブを左にとって高度を上げる。そして石切からは生駒トンネルをくぐり抜けて生駒へと至る・・・。

現在の生駒トンネルは1969年に開通したものであるが、実はこれより前に生駒山をくぐりぬけていたトンネルが別にある。それが旧生駒トンネル。1914年、当時の金額にして200万円という巨額を投じて開通したトンネルであるが、車両の大型化、大量輸送に対応するためにトンネルを新たに掘削し、鉄道輸送としての役割は終えた。ただその坑道と手前にあった駅は現在も残されており、関西から手軽に訪れることができる「廃線跡」ということで知られているようである。もっとも、近鉄ではトンネルを業務上でも使用することがあるとして、私有地としてきちんと管理しており、一般人の立ち入りを禁止している。

それが、昨年の近鉄創業100周年を記念して、近代化遺産の見学と銘打って事前申し込みにより公開したのだという。そのツアーが今年も行われるというので募集しており、暑い中であるがそれに参加してきた。

Dscn99068月6、7、20、21日の各日、関西地区発が午前のAコース、東海地区発が午後のBコースということで案内が出ていた。ということで、7日のAコースを目当てに阿部野橋の営業所に申し込みに行ったのだが、結構前に訪れたにも関わらず「Aコースは各日満員御礼」とあった。ただ、「Aコースが満員・・・という言い方は、Bコースなら空いているのかな。でも、名古屋とか伊勢の発の分ではないのかな」という疑問。それで係員に尋ねてみると、「名古屋、伊勢方面からの申し込みがほとんどないので、大阪発でも参加できるように募集を広げました」とのこと。見学が午後からになるというだけで私としては問題はないので、そのまま申し込み。その後数日でそのBコースも満員となったようだ。さすがに名古屋から近鉄で石切・・・というのはちょっとしんどいかな(かつて近鉄提供の沿線歴史スポット紹介番組の『真珠の小箱』で、その日紹介した奈良のスポットに行くのに、「大阪・京都・な~ご~や~から近鉄でお越しください」と、名古屋から無理くりに奈良まで近鉄だけで大回りで誘導していたシーンを思い出す)

Dscn9907さて、7日の昼すぎ、近鉄の石切駅に現れる。小ぶりな改札口の向こうの通路にはヘルメットをかぶった人たちであふれていた。受付を済ませるとヘルメットにレインコートを渡される。トンネルの天井から水がしたたり落ちるところがあるということだ。年配の方も結構いるが、小さな子ども連れの家族やらが多い。もちろん見るからに「その筋」の人たちもいるし、「歴女」と分類されそうな人の姿も見える。

Dscn9910時間となり、案内役の駅員の先導でここから300メートルほど先の旧トンネルの入り口に向かう。実は石切駅で下車するのは初めてなのだが、駅前から見渡せる大阪平野の景観はすばらしい。夜景も美しいものがあるだろう。

Dscn9911駅前に月決めの自転車置場があるが、停まっているのはほぼ100%が原付。さすがに生駒山の斜面を切り開いた住宅地では自転車の出番はほとんどないか。やはり山の上に住むというのはそれなりの苦労もあるようである。そんな中をヘルメットをつけた50人ほどの団体がぞろぞろと歩く。

Dscn9915普段は固く閉ざされている扉をくぐって敷地内へ。両側に駅のホーム跡が見える。孔舎衛坂(くさえざか)駅ということだ。参加者の一人が、この駅にさしかかる電車を撮った当時の写真を持参しており、それをのぞかせてもらう。今はなき駅舎、駅名標もちゃんと写っており、当時の様子がうかがえる。

Dscn9924そしてトンネルの入口へ。まずは案内役の駅員からトンネルの歴史についての紹介を受ける。トンネルの中からひんやりした空気が流れ出てきており、心地よい。今回見学できるのはトンネルの中に入って330メートル地点のところまでである。

Dscn9920いよいよトンネルの中に入る。参加者の中には懐中電灯持参の人も多く、中のあちらこちらを照らしながら進む。業務用に使用しているということでトンネルの中も通電しており、照明も通っている。煙を逃すためのダクトも走っている。この先、現在の奈良線の生駒トンネル、けいはんな線の生駒トンネルとも通路でつながっているのである。

レンガにも水がしみ出しており、ところによってはコケが生息したり、蛍光灯の光の下では若干の植物も生息している。また、天井から滴る水に石灰などの成分が含まれているのか、天井からつららのように垂れ下がっていたり、側面には水色や茶色の層ができている。「鍾乳洞みたいやな」という声も。トンネル鍾乳洞というのもなかなかオツなものである。それだけ地中深く穿たれたということだろうか。

Dscn9935時折退避場の跡も現れる中、ゆっくり歩いて330メートル地点に到着。ここから横に連絡通路が掘られており、現在の奈良線の生駒トンネルに出ることができる。非常時の出入口ともなるようで、ここには専用電話も設けられている。ここで改めて案内役の駅員から解説があり、見学客がいろいろと質問をぶつけるというもの。

Dscn9934ただ、あまり自社にとって都合がよくない、あるいはマイナスの出来事というのはちょっと言葉を濁す。例えば建設中に発生した岩盤事故。この事故では150名あまりの作業員が犠牲になったという。また、この工事には朝鮮人も多数酷使されており、過酷な労働条件と悲惨な待遇でケツを割る者も相次いだという。そういう者には制裁も加えられたことだろう。また開通後もトンネル内での火災や、ブレーキの破損による列車暴走の事故もあった。そんなこともあって、この旧生駒トンネルというのは知る人ぞ知る「心霊スポット」という。むしろ、ネットで検索すれば「心霊スポット」としてのヒットのほうが多いのではないだろうか。

それらについて「そんなこともありましたよね」と誰かが口にして、「そうやそうや」とあいづちを打つ人がいると、案内役の駅員は「すみません、私も不勉強なもので、そういうこともあったとは聞いてますが詳しくないもので。よくご存知ですね」と歯切れ悪く答えるにとどまる。まあ、知らないということはないだろうが、この見学会を主催した近鉄にとってはあまりよろしくない歴史ということで、話したがらないのもわかる。歴史の見学とはいえ、多くの子どもたちも集まっており、あくまで楽しいイベントということにしたいという大人の事情もわかる。まあ、ここで近鉄の社員にどうというものでもなくこれはそういうイベントと割り切って、どうしても深層を知りたければ例えば郷土史家とか、趣味やライフワークで陰の歴史をあれこれ研究している方に確かめることかな。

Dscn9936ここで結構長い時間滞在して、石切側の出口へ。トンネルを出てもしばらく散策時間があるということで、代わる代わる駅員にトンネル前でシャッターを押してもらう光景も見られる(この写真に写っている人は決して心霊スポットに出てくるものではございませんのでご安心を)。

Dscn9947さてホームの横には鳥居が建てられている。「白龍大神」と刻まれた板のある鳥居。その脇には地蔵や、不動明王が掘られた石がまつられている。

Dscn9944東大阪線生駒トンネルの貫通石なるものもある。おそらく古くからこの地に祭られていたお社で、まさかトンネルが開通するからといって動かすわけにもいかず、逆にトンネルの守護神としてのご利益を期待したのかな。

Dscn9945石段を上がると小さな祠がある。社務所というほどのものでもないが建物があり、その中には祭祀で使うであろう太鼓と、他にもなにかある様子であったが、おそらく地元の人でも限られた日しか立ち入ることができないであろう神社。これもひっくるめての近代化遺産ということになるのかな。

Dscn9942トンネルの中とは比べものにならないくらいの暑さ。とうの昔にヘルメットは脱いで日よけの帽子姿に。それでも、夏の面白い一時になった。このうえでまだ歴史を知ろうと思えば参考となる文献はいくらでもあるが、なかなかためになる散策の一時であった。

Dscn9952帰りは山側を通る。ちょうどここからだと現在の生駒トンネルに出入りする電車の姿を見ることができる。トンネルの入口上には、「日日新」という、現在の近鉄を日本一の私鉄に育て上げた功労者といっていい佐伯勇の書による銘板がある。

Dscn9955「苟日新、日日新、又日新」の三点セット?の中の一つである。中国の四書の一つ「大学」に収められているのだが、「とにかく常に行いが新しくなるように、今よりもよくなるように、そういう修養をしなければならない」というくらいの意味である。いかにも経営者が好みそうな言葉である。それにしても、トンネルの入口ってよく偉人の銘板が飾られているのだが、あれっていったいどういうわけなんだろうか?それだけ、天下の大事業という意味合いがあったのかしら。

Dscn9905石切駅まで戻り、ここでヘルメットを返却して解散。参加者は大阪方面、奈良方面へとそれぞれの電車に乗って石切を後にする。私はこの後大阪市内に戻り、暑い中歩いたことで渇いた身体をアサヒビールで潤わせるのであった・・・・。

Dscn9961長い歴史を持つ近鉄。その歴史を紐解けばまだまだいろいろなものが出てきそうだ。奈良大和路や伊勢志摩といった沿線の観光地で古代ロマンをアピールするのもいいが、こういう近代化遺産というのも最近関心が高まっているジャンルである。これからこういう楽しみをもっと設けてほしい、沿線在住者としても期待したいところである・・・・。

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