まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

日本最長路線バス・・・十津川から熊野川へ

2012年07月21日 | 旅行記E・関西

20日のオールスターゲーム第1戦、大正ドームで行われたこの試合でDeNAの中村ノリが上段席に飛び込む豪快な本塁打を放った。ここぞというところで存在感を見せるこの打者の魅力がたまらない。

「もう一度大阪のユニフォームを着てくれ・・・」というのは現金な発想として、こういうサムライのようなギラギラしたものが、現在のバファローズに足りないのも確かである。李大浩は「気はやさしくて力持ち」を地で行くようなタイプで、それはそれでいいのだが、T-岡田なんかはもっとワイルドにやってくれてもいいと思うのだが・・・。

さて、ワイルドといえば少しブログ更新の間が空いたが、八木から新宮へと向かう日本最長の路線バスの続き。バス同様時間がかかっているのだが、車窓も段々にワイルドな風情を増してきた。

Dscn5206谷瀬の吊橋での休憩時間を終え、再び狭い国道を通る。北に出るにも南に抜けるにもこの国道がライフラインで、村にとっては必要不可欠な道路である。ただ手持ちの地図によると「崩落危険箇所」という文字が見える。昨年の台風12号で大きな被害を受け、またそれ以外にもしばしば豪雨に遭う地域である。その豪雨の爪痕が今でも残る箇所があちこちに見える。元の姿を完全に取り戻すにはかなりの時間がかかることであろう。

Dscn5211八木を出てから4時間近くなったところで十津川村役場に到着。ここで、八木から乗ってきた一人旅風の女性が下車。これで八木からの乗り通し組は5人。この役場の向かいに十津川の歴史資料館もあるし、道の駅や川を渡れば日帰り温泉もある。ここで途中下車しておよそ2時間後のバスに乗るというのも観光の一手である。この十津川の資料館も、村の自然、そして熊野への道、幕末の天誅組のことも紹介されているし、明治の豪雨で村が壊滅的な被害を受け、北海道へと集団移住することになった様子も触れられている。なかなか見ごたえある施設である。

この辺りは村落も見えるところで、村内唯一の十津川高校もある。ネットで見ると偏差値が36とか34とかあるが、地域性を考えれば偏差値では測れない、なくてはならない教育機関である。それにしても通うのが大変だろうなと思うが、そこは寮があるという。

Dscn5222十津川温泉に到着。ここで最後の休憩である。バス停の向かいのダム湖に面して公衆浴場がある。

Dscn5225さすがに10分休憩では入ることができないが、入口のところに手湯と飲用泉があり、コップで飲むことができる。今回は一気通貫で行くため、十津川温泉はこれで体験したことにする。

Dscn5229温泉郷にほど近い昴の郷で下車があり、車内は6人。うち5人は八木から乗車、1人は先ほどの十津川温泉からの乗車である。ここで奈良県と和歌山県の県境の険しい区間を行く。いくつあるか数えきれないほどのカーブで高度を上げる。いつしか十津川がはるか下になった。上から見る川は数日の豪雨で土砂を含んでおり、濁っている。またこれが暴れ川にならないかヒヤヒヤものである。

Dscn5230現に国道も崩落している箇所があり、片側一車線通行のところもある。

Dscn5236そうかと思えば熊野方面から伸びてきた立派な橋脚の新しい道路も見える。初めてこの区間をバスで通った時はまだ建設中で、運転手が「橋脚1本で1億円や」てなことを言っていたのを覚えている。ここまで立派な道路ができれば少々の豪雨でも大丈夫だろう・・・とは思うが、人間の予測を超えた大きな災害をもたらすのも自然である。

Dscn5241このまま真っ直ぐ行けば熊野本宮は近いが、集落を通るために途中で降りていく。集落を通るからといって乗降があるわけではないが、山、川とともに暮らす人々の生活を感じるうちに、「和歌山県」の標識。ようやくに奈良県を超えて和歌山県に入ってきた。

Dscn5244このあたりから人家も開けてきて、熊野本宮に到着。参拝客で駐車場もほぼ満車である。ここで、八木から乗っていた用務客風とおぼしき男性が下車。八木からの客は残るは4人ということになった。本宮にも参拝せずに素通りするのも失礼な話かとは思うが、そこは大斎原の大鳥居に手を合わせることでご勘弁願おう。

Dscn5250ここからは湯峰温泉、川湯温泉というところを通る。二つの温泉の間を利用する客もいた。川湯温泉には大きな露天風呂もあるというが、何よりも川での水遊び客が多い。何だか「夏」という言葉が濃いものとしてバスの車内にも伝わってくる。

二つの温泉を経て新宮に向かう。後は道幅も広くなるし安定した走行を・・・というところだが、ここからの区間がまた激しかった。

国道への影響というのはむしろここから新宮市内にかけてのほうが大きいようだ。瀞峡めぐりの拠点である志古からは途中の停留所を飛ばす「特急」区間になるのだが、川幅の広い雄大な熊野川に沿う中で、途中何箇所か片側交互通行のために停まる。

Dscn5268対岸を見ても山の真ん中がパックリと割れる感じで土砂崩れになっているところがあり、水が滝となって流れ落ちているところもある。ガードレールが切れているのも確認できる。うーん、滝というのはこういうメカニズムでできるのかな、と妙なところで感心する。

Dscn5275ただここまで大きくなると、これは土砂崩れなのか、あるいは木材の伐採によるものなのか、よくわからない。

Dscn5271熊野川の水質観測室の建物も崩落のために壊滅してしまったようだ。こうして見ると、確かに国道は開通してバスも行き来できるようにはなったが、まだまだ全面復旧の道は遠いようだ。

Dscn5267最近では関西のニュースでもほとんど出ることのなくなった奈良・和歌山の水害であるが、現地に来て改めて被害の大きさを感じるところである。

片側交互通行の影響でバスの遅れも出たようであるが、少なくとも今車内にいる5人は、別に急ぐわけでもなく、長い道のりを淡々と進むに身を任せるだけである。私も、まだまだ復興道半ばの熊野の様子を見ることができただけ、ためになったバス旅行であったと思う。

Dscn5279新宮の市街地に入ってきた。新宮高校の停留所で十津川から乗ってきた客が下車し、これで4人。「長かったバスの旅も間もなく終わろうとしております・・・」というアナウンスが、これ絶対狙っているなという感じで流れる。新宮速玉大社の前を通り、新宮城の脇を抜けて中心部に入り、ようやく終点・新宮駅に到着。定刻からは20分ほど遅れたようであるが、無事に山を抜け谷を越え、海べりの新宮までやってきた。改めて紀伊半島の長さと深さを感じさせるだけの乗りごたえのあるバスである。

さてここで料金支払い。整理番号1番の八木駅からは5250円。私の前、先頭席に座っていた客は何やら紙のきっぷを出していた。後でわかったことだが、八木から新宮の路線について、途中の一部区間での途中下車可能、2日間有効のきっぷがあるそうである。それで同じ5250円。二つ折りの台紙は開けるとイラスト地図になっており、中央にバスが飛び出るという造り。八木駅横の観光案内所で購入できたということで、乗車記念にそっちがよかったかなと思う。

で、私はPitapaで精算しようとするのだが、タッチしてもエラーになる。運転手が「エリアが違うから、ちょっと操作しますわ。八木からやね」と言って「5250」と入力し、「はいどうぞ」とやるがそれでもエラー。まさか発車時にちゃんと読んでなかったのかな、もしダメなら現金で払うわと言おうとしたところ、「何か上限が1000円みたいやわ。1000円ずつ精算するんで5回タッチして」ということで、タッチ5回。最後に250円分をタッチしてようやく精算完了となった。方法はともかく、ICカードで全区間走破できるのもワイルドな路線である。

Dscn5281まだ日は高いが、この日の行事はほぼバスに尽きる・・・ということで、次に来るのは特急であるがそれに乗ってしまおう。まずは今夜の宿泊地である紀伊勝浦に移動する・・・・。

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