まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

桂太郎

2019年11月19日 | ブログ
安倍首相の在任日数が日本の憲政史上最長となった。19日で2886日でタイとなり、20日で単独トップとなる。

史上最長ではあるが、国民の中には複雑な思いの方も多い。長く務めるのは確かに立派ではあるが、ではその期間にどのような実績を挙げたのか、経済、外交の成果は?、他にとって変わる勢力はなかったのか、また昨今取り上げられているモラルの問題はどうなのか・・・素直に喜べないところがある。

この記事では安倍政権の批判をすることが目的ではなく、在任日数が最長になったことで名前が登場した桂太郎についてである。スポーツの世界でも何か新記録が出るとなると、その前の記録保持者が紹介されるようなものである。

桂太郎は明治から大正にかけての首相。歴史の時間では「桂園時代」という言葉で習った方も多いと思う。西園寺公望と交代で首相を務めたからだが、当時の首相は今のように政党のトップが議院内閣制で選ばれるのではなく、元老たちが候補者を推薦し、天皇が任命する制度だった。このため薩長を中心とする藩閥の意向が強く働いた。桂太郎は長州の出身で、山県有朋に引き立てられた人である。

首相になった時は「小山県内閣」とか「第二流内閣」とかパッとしない呼ばれ方だったが、在任中はちょうど日清戦争後の東アジア情勢が緊迫していた頃で、日英同盟の締結、日露戦争の勝利、ポーツマス条約の締結は第一次桂内閣の時である。そして西園寺内閣の後を受けての第二次桂内閣では韓国併合の実現、関税自主権の回復による不平等条約の解消があった。さらに西園寺内閣の後を受けての第三次桂内閣ではわずか2ヶ月で退陣となったが、その原因は、藩閥政治に反対する民衆による大正政変であった。

こうして見ると桂太郎は明治から大正にかけての日本の大事な局面に首相にいた人物で、最後に首相の座を追われたのも、後の大正デモクラシーと呼ばれる民主主義の芽生えからで、時代の転換点ともいえる。存在は地味だっただろうが、何やかんやで国難を乗り切ったのではないか。この機会にもう少し取り上げればよかったのではと思う。

時代は下って、これも首相在任期間が長かった佐藤栄作。いろいろ言われているが、沖縄返還、非核三原則、そしてノーベル平和賞。こちらも立派である。

・・・で、安倍首相。

確かに日本を取り巻く情勢は厳しく、周囲の各国のトップはあの方々ということで難しいのはわかるが、明治、大正、昭和、平成と時代を経た末に政治が劣化した象徴が安倍である。確かに在任日数は長いが、あれだけ大風呂敷を広げるだけ広げて、安倍はいったい何をしたというのか。単に令和の改元にでしゃばっただけのおっさんである。後は、レベルの低いどうでもいいことで国政を停滞させたこと、世間の経済格差を広げたくらいか。憲法改正?あんなもん、改正のうちに入らんぞ。

・・最後は思いっきり脱線しましたが、こうした機会に明治以降の近代史も見ようということで・・。
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