今日は東京マラソンの日です。
僕は参加したいと思い、何年前から応募していますが、すべて外れています。(笑)
今年はふくらはぎの肉離れ(もしかしたら震源地は膝かも?)なので、外れてよかったですが・・・。
さて、題名の「練習しなかったら、フルマラソンはつらいだけの拷問」と言ったのは、この方です。
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たしかに42キロを走ることを冷静に考えると、拷問というか罰ゲームというか、自虐的というか、そんな感じですね。
なんでそんな距離を走る人が増えているのでしょうか。
ニッセイ基礎研究所の研究員の方が、「
人は、なぜ走るのか(PDFファイル)」について書かれていますが、合理的な答えは見つかっていないそうです。
そういえば、僕はどうだったか。
初めてのフルマラソンはマウイマラソンでした。
走った理由は、「太りすぎなのでなにかしないといけない」と思ったからです。
その後も走ることにはまったわけではなく、「義務感」として走っていました。
そのうち、走ることが日々のなかに溶け込んでいて、「走る」ことに理由はなくなってきました。
その後、トライアスロン(ショート)に出たり、スイム大会に出たりとハワイのスポーツ大会に出場しました。
いま、ふくらはぎの肉離れでスポーツできない状況で、それらを振り返ると、「そのような大会に出場しているときの状態が好き」なのではないかと思います。
スタートがハワイのマウイマラソンということも影響しているのではないかと思います。
「その場、マウイ島でマラソンを走っている自分をイメージ」していたと思います。
タイムも気になりますが、それ以上に自分がどうなっているかのイメージを大切にしているのだということです。
ちょっと前にはやった「ストーリー・・・」なんですね。
それなりの体型になった自分がマウイ島の海沿いをはしっている。
なぜならば、走れるカラダになっているから。
それはトレーニングをしたから。
なんでトレーニングをしたかというと、マラソンを走るためには必要なことだから。
僕がマラソンで4時間を切れない(チャレンジは1回しかしていないが、途中で脚が止まった・・・)のは、ストーリーとして組み込んでいないからだと思います。
久しぶりにこの本を読もうっと。