リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

労働者の時代が来た

2017-10-07 14:40:46 | 歴史への視角
 こんにちは。一昨日は半袖、昨日今日は上着。昼前現在ちょっと暖かくなってきました。ほんとに陽気が変で、いつも曇りの十五夜は今年は月が煌々として見えました。末世でしょう。ツクツクホウシも鳴いてるし。
 
 まずはican、ノーベル賞おめでとうございます。政治受賞はいつものこととはいえ、外圧に弱い日本人には、しばらくの間、いい武器です、が、善人ばかりで使う人がいないのが残念。商業新聞が、新聞が売れる間に使うだけ。

 小池(女)は消費税延期で、アベの公約、消費税2%で教育費ただはいいなあ、と思ったところ、世の中には高校就学支援金というものがあるんだね(民主党が作ったって)。
 なにそれ、って所得制限付きだけど公立高校授業料がただになるの。私立は補助金。って、私は神奈川県民なんだけど、ネット情報を見ようとしたけど私の検索能力をもっしてもその記述が見つからない。あるけど、読めない。ましてやアフィリエイト目当ての検索上位に並ぶベタコピペのネット情報なんてめちゃくちゃ。地方情報の検索は、自県の税金泥棒たちのHPは止めて(県民目線の県があったら失礼)、必ず「東京都ホームページ」にしましょう。と思って目を他にやったら、東京都は小池が既に私立高校もタダにした、って。知らんかった。え~~、、、うらやましいじゃん。だから地方自治なんかだめなんだよ。神奈川でさえねえぞ、そんなもん。大阪も口先だけ。ましてや並み居る貧乏県など。住んでるとこだけでこんな格差が許されるか。まあ、他の県の人はいつものことで慣れてんだろうけどね。私みたいに東京出身者は不愉快。そりゃ地方の人は東京に出てきたくもなるさ。

 ついで、「立憲民主党」はないよねえ。なんちゅう名前だ。それだけでいかに大衆から遊離してるかが知れてしまう。バカというか愚かというか。憲法擁護のつもりなんだろうか、それで憲法変わっても同じ名前のつもりかねえ。ほんと意味ない。まあ年寄りのヨイヨイ連合ならそんなもんかもね。認知症議員団。
 ともかくも右翼と別れたのは何よりも良いことです。もう夢を見ている時代は去った。時は今、労働者の時代です。労働者の味方をすることで票を貰う時代。票はちょっとしかこないって? それが何。政治家は票取り屋ではない。自分の理念を実現しようとする商売でしょう。その意気に票を渡すんだ、って。だいたいおかしくないか、日本には労働者のほうが多いのになんで国会は労働者の収奪ばかりしようとするんだ。もちろん政治屋がそろいもそろって大臣になりたがるからなのだが、そういうほんとのことを言うのはやめよう。反体制がネットウヨの時代とはおさらば、「あいつらは非国民」といわれて「そうだ文句あるか」と胸を張れない奴は、労働者の味方ではない、ということです。
 折も折。C派によると、UAゼンセン(繊維労働者と流通労働者なんかの組合)会長の松浦昭彦は安倍が打ち出した自衛隊の憲法9条明記への支持を表明したそうな。C派はテーマが分かりやすくてよいな。しかし、なんで労組が改憲をしゃべるのか。なんか日本労働者にいいことがあるのか。「成田反対」とかなら「労働者農民は連帯して」とか。「戦争反対」なら「人間として当然」とかあろうに。
 わかる? もう潮時。労組は右翼と手を切れ。組織が消える? 消える組織は消えろ。あってもしょうがない。ここで連合も分裂して、それで労組制度は大部分潰れても、若い衆に労組の大事さをわからしめなきゃ未来はない。そりゃあ復活は大変だけどね。でも政府の手先の組織などあったってマイナスなだけだ。中年以下に、少数でも本当の組合というものがどんなものかを見せてやらなければ、もう既に誰も知りゃあしないぞ。過労死を防ぐのも、不当配転を防ぐのも、みんな労組の仕事なんだぞ、って知らないしょ。見せつけりゃ会社も御用組合を作りたがるし。そこで断固ゼンセン野郎は排除する態度を貫けば。昔の仲間がみんな頭がイカレてしまって、私ももう30年以上そう言う発言を我慢してきました、がほんと潮時。みんな目を覚ませ。ヨイヨイ世代だけど。
 今日のニュースにも『モロゾフ、、相次ぐ大震災に打ち勝った「生産性改革活動」』(東洋経済)だなどと載っていたけれど、きれいごとに「マル生運動」が使われるなどという世の中を許していてはいけない。人をコキ使って過労死に追い込んで、何が大震災に打ち勝つ、だ。てめえら資本家の儲け話なだけだろうが。
 もちろん問題は「なに怒ってんの?」と思うしかない若人たちの存在。わたくしごときマイナーのブログの問題ではない。政権などどうでもいい。そうした労働者視点を広める運動は政党にしかできない。ってゆうか、それが政党の仕事だよ。大臣の肩書きが欲しいやつは自民党と維新だけでいい。政府交渉は面白かったか? 権力の地位の幻覚は終わり。ヨイヨイ同志は目を覚ませ。

 というわけで、珍しく語調も強く本日は終了。
 
 今日はちょっと思い出話。
 中西洋という社会政策学者がいまして、ってまず知らないでしょう。一応ずっと東大育ちの東大教授(社研)だった人なんですが。知らないと話が見えないので困るところ。
 実はこの人は優れた批評家で、日本で1、2を争うんではないか、と思うのですが。私が学生の頃(私の正規の専攻は労働社会学です)、社会政策学会誌に数ページの論文を出して、時はまだ大学闘争中、バリバリの闘争スタイルの論文で、なんともかっこいいんだよね、でも、ほんとかどうか分からんことを書いてある。いつかこれを批判する日が来るだろうと、その頃最新導入のゼロックスでコピーをしていつも身近にとっておいたのですが。
 ちょっと具体的に言うと論題が『社会政策論の解体のために。社会科学の確立のために』っていうのね。今聞いてもかっこいいしょ。そんなかっこいいのがエスタブリッシュな東大教授になるっていうのも、客観的にはいまいちだけどね。でもすぐ実証分野に移ったって聞いたから失望していたところ、それ以後が図書館にあって。読みました。題を書くのがめんどいね。〈自由(リベルテ)・平等(エガリテ)〉と《友愛(フラテルニテ)》。これ、題。先生御年61歳。残念。観念的だったのが観念論になってしまってた。褒めれば、「古典をよく読みこんで知性溢れる批判をし、『かたや』(それとは別に)中西理論をよく確立させた」という評もできるのだけれど、観念論ではしょうがない。友愛的な労組や企業を作ろう、だって、耳を疑う。どうせ社会学じゃないからそれはいいとして。
 上の評は変でしょ? 本人の論は古典なんかと関係ないんだけど、この人の知性が媒介的なんだよね。他人のどうでもいい論と語りながら自分の論を作る、というセオリーが人生を通しどうしようもなく無駄というよりマイナスに作用してしまった。中年以降、実証に励んだ、とのネット情報はあるけれど、学問スタイルが確立してからでは遅かったもよう。
 教訓。いかに頭が良くとも、本に沈潜してはいけない。せっかくの知性が無駄に消える。野心ある社会科学研究者は、無駄な時間と思っても実社会で苦労してみるのがよろしい。野心が東大名誉教授でよければ、薦めないけどね。それなら、英語をしっかりやって、苦労はアルバイトだけにして、学会で著名な師匠の言うことを「しっかり」聞くのがよろしい。
 「しっかり」ってそういう他人の行動への指令時に使うんだよね。自分で「しっかり」行動するんじゃねえ。安倍とその追随者のことです。

 そこでここまで読んだ人の本日のためになるブログ。皆さんも18歳以上だろうから、投票するときは、どの政党でもいいけど、演説で「しっかり」と言う言葉を使わない奴にしたがいい。従って自動的に、その1、節操があり、その2、権力者よりも自分の理念を大事にする人間ね。

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