リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

社会構造概念の理論上の位置

2009-02-08 21:16:34 | 社会学の基礎概念
 こんばんは。
 今日はお約束のギデンズ。普通の人には本来関係ないのですが、ハッタリと言った手前の礼儀で。

 で。ギデンス、まずは中身のご紹介。

 ネタは、ちょっとびっくり、東京都公務員試験だって。そんなに有名なのね。
 LEC東京リーガルマインド様

平成 20 年 東京都Ⅰ類B 社会学(記述)
【問 題】 ギデンズの構造化理論について説明せよ。
【解答例】 従来の社会学の理論は,構造―機能主義のように個人に外在している「社会システム」を強調する立場と,現象学的社会学のように個人の主観を強調する立場の2つがあり,それぞれが自己の正当性を主張してきた。ギデンズは,このような従来の社会理論が現実の個人や社会について「一面しか見ていない」とし,それらを超克することを目指した。 ギデンズは,人間の行為を規定するものを「構造」とよび,こうした構造が「規則」と「資源」からなる,という。 規則は,我々が行為をおこなう際に従う「行為の仕方」である。たとえば,我々は他者と会話をするとき,既存の語彙や文法に従わなければお互いに意味を通じ合うことは出来ない。 こうしたものを「規則」とよぶ。一方,資源とは,こうした行為の際に動員されるある種の実態を指す。これには貨幣,道具のような「配分的資源」と地位や権限のような「授権的資源」があるが,人間の行為はこうした資源によって規定されている。 規則と資源からなる「構造」は,こうして現実の行為を可能にするが,しかし行為は構造の「単なる結果」ではなく,行為の実践がまた構造を再規定していくのである。 これがギデンズの構造化理論の内容である。こうした構造化理論の意図は,構造が行為の実践の条件であるとともに,またその結果でもあること。つまり社会過程は構造を条件として成立するが,構造は社会過程を通じて再生産される,ということにある。これをギデンズは構造と行為の「二重性」と呼ぶ。 このようにギデンズの構造化理論は,従来の社会学理論の難点を批判的に乗り越えることを意図したものなのである。 以上

ははあ、勉強になります。

解説です。
構造機能主義的構造というものは個人を規定する仕組みしか見ていない。確かに個人は構造に規定されている。が、これだけはだめで、個人が構造を規定する方法をみていかなければならない。これが半分。で、どうやって構造を規定していくのか、がない。あとの半分がない。
上記模範解答にも書いてないしょ? ないの。あるのは、行為に関連する抽象的規定とこれに都合を合わせた構造の再規定。
だから批判も簡単。そんな構造概念があるか。でおしまい。いや、シンプルに言えば、ですけどね。
はっきりいって、前半分なんて、理論社会学を志向した院生なら95%、まずはそう考えるでしょ。その先の分かれ道が、再度、機能主義へ戻るか、現象学系へ向かうか、批判理論に向かうか、だんだん淋しい一人の道へ向かうわけです。
もちろん、先覚者なら意義はありますよ、せめてパーソンズ・システム論から10年、15年ならね。
 悪いけど、私でさえこのひとの前なの。
 
 予備校解答なんか見て言うな、といわれてもなんですね。実際、”The Constitution of Society”ちゅう本が本体ですが、日本語訳がないもんで。まさか取り寄せなんてのもやだよ。(ところでなんで「ない」のかね、っていうのと、訳も出てないもんが公務員試験に出るなんてこと自体、教授に「中身はみないでいいよ、教えたげるからさ」、って取り扱いされてるってことだよね。それ以外考えられる人は論理的に経緯を説明してください。)
 で、いちおう、下記は読んでいっています。
 参考文献
 アンソニー・ギデンズ「社会学の新しい方法規準」松尾精文訳、而立書房、1987.
 数土直紀「ギデンズの構造化理論」『現代社会学の理論と方法』岩波書店、1997.
 アンソニー・ギデンス/クリストファー・ピアスン「ギデンズとの対話」松尾精文訳、而立書房、2001.
 皆様には、田邊浩という人が修士の時の論文がネットにあります。
 :http://www.h-tanabe.net/master.pdf#search='ギデンズ%20構造化'
 
 さて、このブログは本質的なことだけをいうところで
 本質的には、社会構造というものは、ある瞬間においてそう語れる、ということ概念なのです。
 いわば、「社会はこのように構造化している」と述べる対象なわけ。
 
 で、社会構造理論というのは、そうではなく、「社会には構造がある」と観念する理論のことをいうのです。
 これは似てるようで全然違う。ギデンスもとりあえずはそういうことが言いたいんでしょ。
 社会には本当は構造などない。しかし、行為者に迫る外界は、構造があるかのように、誰にも結末のついた対応を迫ってくる。これがギデンスであれ誰であれ、行為者を主題にする研究者の発想となります。
 社会構造理論というものには行為者はいらない。いるのは役者だけ。役割を遂行するactorなりagentなりがいるに過ぎない。
 ここもギデンスがこだわっているとこですね。
 
 さてと、一番違うのは、社会構造理論の構造は、変容はすれど崩れ落ちはしない、というところです。だって、それは理論の前提なのだから。
 でも本当は崩れ落ちる。人間にとっては崩れ落ちる。ソ連も東ドイツも崩れ落ちた。そう表現できない社会理論は要らない。
 社会構造理論家の構造とは、ただの箱庭に過ぎない。
 本物の人間に、君が生きている世界はこういうものだと目の前に差し出す箱庭です。
 それは作った人間によっていろいろな形がある。四角いのも丸いのも、赤いのも白いのも。共通なのは、その箱庭を作ったのは、ただの理論家個人の趣味だ、という点です。だからどれだけ種類があってもいい。どうせ、ただの箱庭。絵です。
 
 で、ギデンスなりの現実派は、とりあえずはそれを否定する。しかし、彼ら社会学者は上述のような本質的な把握はしていない。どんな理論社会学者もマルキスト以外は、全体社会とは社会秩序を持ったシステムだ、そう把握しなければ社会学ではない、と思いこんでいる。かくて、ギデンスも同様に構造理論へ帰ってゆく。それもなまじ「行為」という存在を手放すことができないため、彼独自の、といえば聞こえがいいが、我田引水の構造概念を作らざるをえない。
 この結果、それを追解釈してくれる人間は大学院生しかいず、大学院生は、大学講師資格を得た瞬間、学生に教える貨幣価値をもたない「理論である」というだけの理論から、手を引かざるをえない。
 
 現実に近ければ理論か、というとそうじゃないの。かえってエセ。「陶器はまがい物は存在していいが、サインを真似た偽モノは許せない」と中島誠之助師がいってます。
 それ以後、ギデンスが本で現実を表現するでしょ。実は、自分が構築した理論など何も使っていないのに、しかし、とりあえず現実だから、結果が理論の一部分に合う、そこで、あたかも自分の理論が続いているかのごときフリをすることができる。ギデンスが自分の理論を使ってると言ってるかどうかは知らないけれど、そうしてるという日本人の解説はありました。
 
 この辺で場所を変えます。


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