リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

フォイエルバッハ・テーゼへの修正案件

2021-01-09 11:29:45 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。お寒うございます。といっても南向きマンションで40年も暮らしているので寒いレベルが違うでしょうが。今時分なら日が射すので窓際はシャツ姿でも平気。
 もちろん東京地方は今が一番葉がすっかり落ちた枯れ木が多いのですが、中にエリカの花が咲いてたりして。暮から咲いてるのでもう散るかな、と思いましたら、さらに隆盛にピンクの花が咲いています。さすがに荒地ヒース代表の花と感心。
 
 さて、世間は、政府のお先棒担ぎの医者以外の人間の目には、コロナが急増。これを見て「減ってる」と発言できる御用医者の神経がわからない(今日のネット)。
 まあ、飲食店夜8時終いとか、どれほど役に立つか知りませんが、世間がワーワー騒いでようやく「しょうがねえなあ、飲み会減らすか」と思うあんちゃんや(クソ)じじいばかりなので、それもしょうがない。ともかく、12月「自粛」とは違い、ニュースにはなってますし。まあ、高止まりでワクチン期待が政府の淡い希望でしょう。
 
 ところで、
 「18~59歳の人からワクチン接種。「高齢者は後」のインドネシア、背景は?(新型コロナ)」( ハフポスト日本版)なんていうニュースもあって。
 日本でも、若人から受けさせたほうがいい、という医者もいるようです。年寄りはワクチンを受けてもどうせ症状が軽くなるだけで罹るのは変わらないから、という理由。
 医者というのは専門家面してても社会のことは何もわからない。若い奴だって「軽く罹る」のは人数換算すれば山のようにいるのさ。そして、軽く罹っている若い奴が率先してウイルスを町中に広めるのだよ、自分じゃ気づかないように自分をだまして。だれが年寄が広めるものか。まあ相対的な話だけどね。
 ほんと、ワクチン接種が若人段階になったら、患者数がまたわっと増えると思うぞ。
 
 ま、今となってはつまんない話。もう遅いし。
 
 トランプ派が議会に突っ込んだって。やるじゃん、アメリカも。こういう反米者たちが増えていることが浮き彫りになって、心ある政治学者らは驚いているだろうね。やはり、現実行動で「見せて」貰うと、頭が悪くとも理論が進展するでしょう。
 ま、わたしも安心しました。こういう反米行動の生起は理屈だからね。
 社会は権力を引き連れて変わるのです。
 
 さて、本日は左翼論壇もお正月休み。って、そんなもんありうるのかねえ、、
 ともかく本日もオタク論議。
 ご存じ「人間的本質は、その現実性においては社会的諸関係の総体である。」テーゼ。
 
 ま、そういう本質的言辞を云々したいわけではないのですが、世の中には自分で考えもせず権威ある者の言を現実にあてはめる人間がほとんどである。
 というわけで、このテーゼの修正。
 「人間の現実態は、彼ないし彼女の個体的世界環境関係の総体である。」
 
 人間の行為は彼の将来イメージによって決定される、というのは隈理論の根源です。ところで、この将来イメージは個別人間有機体総体の問題ですから、それは社会関係からの影響だけでできているわけではない。家の中で「あれが壊れた」「またこれが壊れた」「といって直すにはこれだけの障壁がある」。そんなものは「社会関係」ではありません。しかし、それも個体のウツを生起させる。もっと分かりやすい例にすれば、「作物が生るか、日照りで枯れるか」。そんな人間個体の世界環境が、社会関係内の個人の行為を左右するわけです。 
 こうした社会内の人間によるわけではない個体の「世界」からの圧力によって、将来はいくらでも閉塞的になります。マルクスも晩年には自分にかこつけて知った修正項目でしょう。
 端的に言えば、ウツだと人間は、人間の解放理論など考えたくもない。
 もちろん、社会的にはフォイエルバッハテーゼそのままでよいのです。誰も個的個人のことなど考えて社会科学をするわけではありませんから。なんでもわかりやすいのがよい。ただそれは必ずしも自分の現実に適合するわけではないのは、すべての「社会的」テーゼの宿命です。自分で言っといてなんですが、皆様も「社会学的に正しいテーゼに変えよう」などと思わないよう。無意味な努力です。
 
  さてさて、本日のお役立ち情報。  
  人間の生の本質は、死ぬ1分前にある。
  自分の一生にほんとに満足か不満足か、それは死ぬ直前の生きている社会交渉、あるいは相互関係にある。それが死の将来イメージを構成する、あるいは構成し直す。普段どう悟っているか、の問題ではない。ここで再構成が入る。
  悔いがあるかないか、それは念のために累積を重ねておくのがよい。ところで、その累積の到達点を背負った、死ぬ直前の相互行為が彼ないし彼女の、生きた満足となる、べきである。これによって人間は、生き生きと死ねるのであり、そうやって死ねた人間は、すなわち、良く活きた者、幸せ者である。
  ポイントは、そうした「これまでの満足」と「今の充実」です。この2者が必要。
  わかるかなあ、、、
  端的に「1分」といいましたが、喧嘩をする1分前の話じゃないですけどね。喧嘩をしようという、その時点の1分前のことです、細かいですがお間違えのなきよう。
  そうすると現在の充実が自分の将来のイメージに投影され、良く活きている者、「よしやるぞ」といった者となるわけです。
  なんだ「喧嘩」って、って、ま「議会突入」でもいいや。

 次回作品は二校に入りました。もう目がプリントを見るのもやっと。行に合わせて首を振る。ほんと時間を大切にしなきゃ。皆様は、あまりスマホを見ないようにね。

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