リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

オカルト(その11;霊界の導出式)

2020-08-15 10:52:13 | オカルト(途中から)
 こんにちは。だるいっすねえ。お盆、皆さんお休み? 旧盆と終戦記念日が同じ日なんて先日生まれて初めて気が付きました。うちは新盆なので。
 当方、口のアフタは治りましたが(チョコラBB、効きが悪くなった)、パソコンは最悪、1日に6回も7回も電源落しやってるといい加減嫌になります。買って6年しか経ってないのに。
 現状、複雑なwebページを開かなければ、1日1回の電源落しで済んでますが、買い替えだな。突然当方へメールが届かなくなるかもしれませんが、その場合はそういう事情です。
 といって、去年の自分のパソコン内ファイルを見ると、1年前も買い換えようとしていたようで、よくもったものだ。
 
 さてニュース。
 ご旅行なんて行きますか? 今日はこんなのが、
「新千歳発成田行きの飛行機を利用した際に前の席に座っていた20代の男性の感染が確認されたため濃厚接触者として検査をしたところ、感染が判明」(日テレ)
 わたしは飛行機は2、3分で空気が換わるので大丈夫と信じておりましたが、乗らなくてよかった、ってどこにも行かないけど。咳が届く前の席が危ないんじゃなくて、機内の空気が後ろに流れるのかね。
 お気をつけください、ったって気をつけようもないか。

 わたしもやむをえず熊本へ、という可能性もなくはないのですが、先日「日本経済の歴史(近世)」という本を読んでいたところ、祖父の村(町)が江戸時代の図表にあって。熊本の「砥用」というところ(当時の行政区域)。一人当たり総生産も税引き後可処分所得も、熊本全41行政区域内最低。熊本で最貧の村でございました。よく東京まで出てきたもんだ。
 
 ニュースといえば、ありきたりだけど一言しておかなければね。
 香港。中国はナチスと同じだね。こんなことが今の世で生ずる、ということについて、というよりアメリカしか反対しやしないということについて、主意主義者と前衛主義者はどう思うのだろうか? 日本もイギリスも反対してる? ほんと、主義者連中と同じ。口先だけ。
 
 明るい話題を。
 数日前、「3秒聴けば全曲わかる」というテレビやってて、しばらく見てしまったら、でてきた45年前の中島みゆき。感動的に綺麗だった。こんな闘う女神みたいな人だっけ。
 われわれの暗い青春を彩ってたんだね。真っ暗に良く似合う、ほんと時代の子だったんだ。
 (団二郎の話って今は否定されてるけど、ほんとかね。いかにも中島みゆきが好きそうなタイプじゃん? そう信じてたけどね。まあいいや) 
 だからさ、歌い手は歌い終わったら別の人生を歩むのがいいと思うのですが。まあそうもいかない。
 
 村山斉という物理学者が、朝日新聞で、宇宙は重力で収縮するはずなのに膨張してるのはおかしい、これはダークエネルギーというもののせいだ、と書いていました。
 へんなの。何一つ分からないものを持ってきちゃいけないやね。それはオカルトと一緒。 わたしゃ、重力が裏側から引っ張ってるんだと思うぞ。我々の宇宙は小さくってさ、すぐ突き当たるんでぐるっと回って、裏から引っ張れるのさ。3次元のメビウスだね。5次元くらいにしとくか。
 
 さて、本題。今日は旧盆なのでオカルト。
 
 何度もいうようですが、「時間」なんていうものはトータルの宇宙にはありません。あるのは物質に専属の現象です。物質の動きが光速度しかないから、しかたなしに物質世界に時間が生ずる。
 ここで、物質世界に生ずるということは、それ以前の原世界には時間がない。と、同じく、生命エネルギー世界にも時間がない。
 にもかかわらず、時間のない生命エネルギー世界が物質世界にちょっかいを出すとどうなるか。生命に時間が付随的に発生せざるを得ない。かくて、生物は時間を相手にせざるをえないわけです。毎日が原子として現象している物質エネルギーの新陳代謝、あれこれと姿を変える本性の経過は、その結果必然的に、生命に時間をもたらしつつ、かつ、自己の更新を必然化する。
 
 ところで、「死」に代表される、物質を離れた生命エネルギーは、もちろん物質ではありません。人間に認識されている世界は生命と物質のエネルギー世界しかありませんから、物質を離れれば、それは大本の生命エネルギーの世界に戻るしかない。
 ところが、実は生命エネルギーは物質と合着する瞬間に、自分の大事な世界の影を引きずる。もちろん、霊的世界です。生命は物質ではないのだから、生命-物質= の答えに、何かが位置するのはしょうがありません。天ぷらうどん-(うどん+エビ)は、天カスです。
 では何がカスになるでしょうか? 両者の差です。生きる思い。生命と物質の差、これこそが残る世界なのです。これを預言者が存在する人間世界では、霊的世界と呼びます。預言者とは誰だって? もちろんご期待通り、私、隈です。
 
 さて、これは端境でありますから当然にピンからキリまで。そこは、基本、生命が物質を離れるときに通っていく世界なのです。霊的世界は生命エネルギーと物質エネルギーの端境として、生命が物質世界に近いものもあります、その遠いところが「往生」、近いところが幽霊です。
 
 どおお? すごいしょ。これが近代合理性、形式論理の恐ろしさだというべきでしょう。
 
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