リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

オカルト(番外;UFOと、エネルギーがない国)

2024-01-01 10:35:32 | オカルト(途中から)
 明けましておめでとうございます。

 東京地方はいつものとおり快晴。ありがたいことです。今年は少しはいいことがあるといい。
 暮れはNHK、夜のニュースでガザなんか流すからいっぺんに酔いが覚めてしまった。それで続けて紅白だよ、くそくらえと思って見もしませんでした。
 まあこれは幸い去年、もう過ぎ去った出来事。悪い去年の〆らしくてよかったとも。
 
 本日は元旦。お客様がたくさん。
 これが困って。ひたすら人の間の調整。気が小さいもんで酔っぱらってる暇がない。
 ご訪問はうれしいけれど、お客さんは一度に2,3人がいいなあ。
 
 では、酔っぱらう前に、今年が皆様の良い年でありますように。
 

 さて本日は元旦なので、オカルト番外。預言ではなく、ただの啓示的論理。
 
 私の睡眠中の夢によると、UFOの国には「エネルギー」がないとのこと。
    また、突然な発言を。 
 啓示ってなんだよ、って夢の中で誰かがそういったのね。
 そこでなっとく。 なるほど。
 と、一人で納得していてもしょうがない。
 (話の前提は、一番近い恒星でさえ、光速のロケットでも5年かかる。しかも光速で飛ぶなんて無理。なら空飛ぶ円盤など存在するわけないという、まあ理屈。しかし)
 まずは、エネルギーとは何か。
 
 ゆいいつの物理学上の天才であるアインシュタインがいうに、E=MC2
 物体の大きさとは質量のことだ。ところで、光の大きさはというと光速度二乗のことだ、と。
 光に大きさがある? だから天才だね、あるんだよ。
 光は線でも点でも広がりでもなく、ただ、宇宙の中に占有を持つのさ。いわくE=MC2。
 すなわちこの世、この宇宙とは、質量と光でできたある存在であり、であれば論理上、別の宇宙とは、エネルギーが「ない」、あるいは別の形態をとる宇宙である。
 ここまでは、山田克哉「E=mc2のからくり」、ブルーバックスに書いてある。
 
 えーー?? 書いてない??
 そりゃね、本質は字面だけではわかりはしない。前々回書いたように、教科書は、次に自分で論を立てるためにある。

 つまりね、この宇宙を作る物質とは、光速度のことなのです、ってそう書いてあるでしょ。
 そしてこれをいいかえると、この我々の宇宙とは、実は「光速度」そのものなのだよ。エネルギーだからね。アインシュタインの公式にそう書いてある。 
 それは無に抗してできた「時間」であるとともに、無に対する制限、つまり広がりでもある。「広がり」は有限だからね、「制限」のことなのだ。

 さてここで話は変わるようですが、たとえば仮に光速が秒速30万キロの10億倍あったとするでしょ。そうなると時間はこのエネルギー世界よりも10億倍速く進みうる。光の速さは原子の動きの速さだからね。宇宙の始めと終わりなんかせいぜい人1人で経験しうるわけだ。まあそういう状況が生ずる。時間なんてそんなものだ、という意味です。
 
 ここで、「非「我々宇宙エネルギー」世界」についてはどうか。
 そこではエネルギーの、つまり光速度の制約がないので、「当該宇宙人」は自由気まま。「我々宇宙」でいう「時間」など、いくらでも飛び越えてしまう。
 
 ではこの別の宇宙には「エネルギーがない」のかそれとも「別のエネルギーがある」のか、と言えば、「我々宇宙」ばかりエネルギーがある、という言い方は人間には違和感があるよね。その根底は同一のものと考える必要があるかもね。これは啓示ではなく人間の猿知恵的限界。
 いいたいことは、『UFOの国は、我々宇宙のエネルギーではできていない』という、既に知られた(?)経験的事実です。
 この経験的事実を認めれば、すなわち、UFOはわれわれ宇宙内の存在物ではないのです。
 
 以上。
 
 ところで、しかも「当該宇宙人」がこのエネルギー世界と交信できるとすれば、そりゃ人間が死なない世界だね。この世界の人間も死んだらそんな存在にならないとも限らない。
 というのも啓示ではなく「猿知恵」。ちょっと言ってみただけです。
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