リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

先行要件の妥当体系から全体体系へ(その2)

2021-03-21 20:25:49 | 社会学の基礎概念
 というわけで、昨日の続きを簡単に。
 隈の次回論究は、この下位体系を全面的に使います。
 下位体系ってどうやって区切るんだ? といわれれば、「その構成員がその行為においてその場を逃れては当該体系に貢献できない範囲」というわけです。「貢献」は50年前の機能主義用語ですが。懐かしいしね。
 じゃあ、上位体系だっておんなじじゃないか、って?
 そこそこ。そこが簡単ながら、死ぬ前に付け加えておきたいところ。まあ、直近では生きてますが。
 全体社会と下位体系は次元が違うのです。当たり前ですが当たり前以上に違う。下位体系は具体的な人間が彼の行為原則に沿って行為する場だ、ということです。この次は文章に点々が付きます。「だから実は抽象的に構成された理論ブロックなのです」。
 「しかし、他方、具体的人間が行為していない、それゆえ抽象でできているはずの上位体系は、それゆえに、具体的現実なのです」。
 そう、これをいっておきたくて。
 不思議な話で。
 みなさまこの趣旨をお考えいただいて私の先へ進んでくださいませ。ほんと隈には明日のことがわからない。
 つまり、人間は力の作用が見えない次元のことは何もわからない。その作用が見えて、それを操作する自分が見えて、ようやく世界の仕組みを知る。
 もう一歩先に進むと、納得できる合理的結論の集積について、人は、その組み合わせまで納得することができる。そうやって、人間は科学の成果を自己のものにしてきた、と。
 私の好きな山本義隆氏の「磁力と重力の発見」もそういう落ちがついているはずです。つまり、見えないものは人間は思考できないけれど、近代の進展とともに、数学という抽象的表象(おそらく彼は「表象」とは言わないと思うけれど、本当は「表象」)で、皆が納得するようになる、と。
 はずです、って、それが書いてあるはずの第3巻、わたし持ってないのね。図書館にはそう簡単に行けなくて。自転車だと事故って家人に迷惑かけるから、今はやめてるの。電車賃は高いし。
 
 ま、ということで、一区切りついたことと思われます。
 
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