クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

占いの話、再び。レウェリンのG・バタワース<青柳の堤>

2021年04月25日 | エトセトラ
2021年4月25日。随分前に占いの話を書いたことがあるが、実は「占いサイトを見て、気晴らしする」みたいなことは、今も時々やっている。例によって、将来の予言みたいなのは全く当てにならない。それどころか、失笑を禁じ得ないような代物が多い。しかし、生年月日や本人の氏名から、その人の基本的な性格や人となりをしっかり当ててくる占いというのは、確かに存在する。占いはたいてい依頼者を“ヨイショ”するのが普通で、その美辞麗句に本人は逆に引いたりすることもあるのだが、「う~ん、当たっているなあ」と思わず唸ってしまう物もある。最近見つけた当ブログ主向けの例だと、まず、これ↓。

{ 旺盛な好奇心を備え、探求の生涯を送るでしょう。勉強熱心で様々な知識を習得し、社会へ還元する役割を担います。発想力に優れ、アイディアを生み出すのが得意。物質的なものよりも、精神性に価値を見出す傾向があります。 }(秋田・鬼当ての母 松山恭子)

次の例は、初めて見た時にちょっとショックを受けた姓名判断。

{ 主運・・・知能に優れて、事業や仕事に才能を発揮するが、実力が生かされず人生に波乱曲折が多く、健康を害したり、事故や障害などにより中途行き詰まり易い。健康運・・・急変急禍を生ずる。病弱短命の暗示あり。晩年運・・・ }(山本翁の姓名鑑定)

おだててヨイショどころか、当ブログ主が辿(たど)った不遇な人生の道筋をリアルに言い当てている。60歳を超えた自分が短命なのかどうか、そのあたりは何とも言えないが、子供の頃から病弱だったのは事実。体も育たなかった。(※それにしても、占いの回答で「病弱短命の暗示」とは何とも辛口、というか容赦がない。)しかし、「晩年運は、安泰発展の大吉・・・」という記述が、その後に続く。それが救い。占いが告げる未来の話なんて馬鹿らしくて聞いておれんとは思いつつも、良い予言なら当たってほしいと願うのが人情。w

―で、今回の記事を書く気になった直接の原因、というかきっかけは、これ↓。

{ とても保守的な性格で、義理や人情を重んじる任侠タイプです。社会規範に厳しく、社会に抵抗するような活動を憎みます。自分の意思や感情をコントロールするのがうまく、衝動買いで散財するようなことはなく、受験のような自分を律して勉強をしなければならない場面で強さを発揮します。 }(KEIKOのルナロジー)

おおっ!と思ったのが、「受験のような自分を律して勉強を・・・」のくだり。年明けに受けた心電図検定の記憶がまだ新しいところへズバリと来たので、印象鮮烈。自分が任侠タイプという自覚はないけれど、まあ、保守系ではあろうなと。また、長いこと住民税非課税世帯の貧しい生活をしていることもあって、当ブログ主が衝動買いで散財するようなことはない。・・・この占いもかなりの部分、当たっているように感じられる。

―ということで、(たまにではあっても)こういう面白い占断と出会えたりするから、占いサイト巡りはやめられないのであった(笑)。

さて、当ブログ本来のテーマである音楽ネタ。先頃貼ったYouTube動画は、ペル・ドライアーという聞きなじみのない指揮者による<ペール・ギュント>全曲の名演だった。そのつながりで今回は、グラント・レウェリンという、これまたあまり有名とは言えなそうな指揮者による名盤を1つ。曲は、ジョージ・バタワースの<青柳の堤(あおやぎのつつみ)>。 “緑の柳の葉がゆれる川の土手を、涼やかな風が優しく吹き抜ける”―そんな田園風景の一コマを、心のアルバムにそっとしたためたような、愛惜すべき名曲である。こういう作品は、(例えばボールトやバルビローリ、あるいはデイヴィスやマリナーといった)有名どころのメジャーな指揮者よりも、このレウェリンのように「誰?それ」とか言われそうな人が、目立たないところで結構な名演奏を実現していたりする。実はこれ、当ブログでずいぶん昔「フィンジとG・バタワースの作品」という記事を書いた時、既に語っていた音源である。当時と違って今は実物がYouTubeに載っているので、改めての御紹介となる。

百の説明より、一つの証拠。イギリス的な響きに浸れる、約6分27秒。以下の動画で、どうぞ御堪能あれ。なお、鑑賞中は映像を見ずに、自らの脳裏に思うままの風景を映し出すのがお勧め。

George Butterworth: The Banks of Green Willow



(※ここでふと思い出すのは、当ブログ主若かりし日のヨーロッパ旅行。ロンドンから離れて郊外へ出たところで、川べりにそよぐ風の思いがけないひんやり感に、はっとさせられたものだった。scorchingという英単語が頭の中でしきりに反芻された、1991年真夏の8月。アテネ、ローマ、ウィーン、そしてパリ。ウィーン以外はどの都市も恐ろしいぐらい暑かったのに、ロンドン郊外はまるで別世界のように涼しかった。)

―今回は、これにて。
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