クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ルチャーノ・パヴァロッティの録音から(1)

2007年09月18日 | 演奏(家)を語る
前回マスカーニの歌劇<イリス>に軽く言及し、パヴァロッティが歌った《ヴェリズモ・アリア》集(L)にも少し触れていた関係から、次は歌劇<友人フリッツ>でも採りあげてみようかと考えていた。フレーニ&パヴァロッティの主演による同作品の全曲CD(EMI)が手元にあったからである。そのパヴァロッティが去る9月6日、モデナの自宅で亡くなった。享年71との由。そこでちょっと予定を変更して、今回と次回は、この名テナーが遺した膨大な音源の中からいくつか任意に選んで語ってみることにしたい。ただし、よく知られた定番のCD等を論じるのは、各種の音楽雑誌におまかせである。ここはせっかくの個人ブログ、独断と偏見に基づいて独自のカラーを打ち出していきたいと思う。

録音に於けるルチャーノ・パヴァロッティのキャリアはまず、デッカでの仕事が中心になって始まった。そのあたりの成り行きについて、同社の名プロデューサーであったジョン・カルショー氏が、自著『レコードはまっすぐに』の中で手短に語っている。言い回しを一部変えてその箇所をちょっと抜き出してみると、おおよそ次のような感じになる。

{ ある未知のイタリア人テノールの話が流れ始めた。すでに将来の大成功が約束されているという。リチャード・ボニングが彼を聴き、「躊躇せずに契約せよ」と急かしてきた。歌手の声に対する彼の判断は、いつも正しい。・・・議論の余地はなかった。その声は完璧にコントロールされているとは言えないし、解釈もやや生硬だ。だが大きな声で、ハイCにも易々と届いていた。それは、もう少し時間を与えて、そして周囲を立派な歌手で固められれば、たとえば<ボエーム>などを、もう一つ新たに録音するための正当な根拠になり得る、そんな種類の声だった。・・・それから十年のうちに、その声はオペラ録音の世界の最高の財産になった。・・・歌手の名は、ルチャーノ・パヴァロッティである。 } ジョン・カルショー著『レコードはまっすぐに』(日本語版・Gakken)~495ページ

そんな経緯から、若きパヴァロッティが参加したデッカのオペラ録音は、かねてより彼を高く評価していたリチャード・ボニングの指揮によるものが中心となった。古いカタログでラインナップを調べてみると、ドニゼッティの<愛の妙薬><ルチア><ラ・ファヴォリータ><マリア・ストゥアルダ><連隊の娘>、ベッリーニの<テンダのベアトリーチェ><清教徒><夢遊病の女>、そしてヴェルディの<リゴレット><トロヴァトーレ><ラ・トラヴィアータ>といったあたりが見つかる。ただ、これらの録音については、「パヴァロッティの出来は大体どれも素晴らしいが、指揮者や他の歌手には不満が多い」というのが大方の評価になっているようだ。上記の中では<ラ・ファヴォリータ>が、コッソット、ギャウロフ、コトルバシュら共演者の充実によって、他の録音よりは良く見られているといった感じになりそうである。

ボニング以外の指揮者によるオペラ全曲録音で、歌手陣の充実ぶりが評価されるデッカの名盤としては、ポンキエッリの<ジョコンダ>(バルトレッティ盤)とボーイトの<メフィストフェレ>(ファブリティース盤)あたりが代表盤になりそうだ。前者<ジョコンダ>は未聴なのではっきりしたことは言えないが、後者<メフィストフェレ>は間違いなく素晴らしい。そこには、パヴァロッティこそボーイト・オペラに於ける最高のファウスト博士であったと実感させてくれるような、極めつけの名唱が記録されている。それと、次回扱う予定になっているロッシーニの<ウィリアム・テル>(シャイー盤)。これも、見逃せない逸品だ。あとは、カラヤンの指揮による2つのプッチーニ・オペラ、即ち<蝶々夫人>と<ラ・ボエーム>ということになるだろうか。ただ、この2つは、世間で言われているほど良いものだとは私には思えないので、当ブログでは無視することにしたい。

●マスカーニ : 歌劇<友人フリッツ> ~フリッツ

歌劇<友人フリッツ>は同じ作曲家の代表作である<カヴァレリア・ルスティカーナ>とは全く対照的に、一種の牧歌劇とでも言うか、どこかのどかな温かみを持ったラブ・ストーリーである。と言っても、全曲を知っている人は案外少ないかもしれない。

お話は割と、シンプルなものだ。周りの言葉も聞かず独身主義を貫こうとするフリッツ(T)という農場主が、このドラマの主人公である。友人である司祭のダヴィッド(Bar)に対して、「賭けてもいいよ。もし俺が結婚することになったら、君にブドウ畑をそっくりくれてやる」とまで言うほど、彼の決意は堅い。しかし、やがて農場の管理人の娘であるスゼル(S)がフリッツの前に現れる。ピンと来た司祭は、巧みに二人を導き、ついに結びつけることに成功する。最後、「約束どおり、ブドウ畑は君に進呈するよ」とフリッツからの申し出を受けた司祭は、いったんそれを受け取ることに同意するが、すぐさま、「じゃ、そのブドウ畑を私からの結婚祝いとして、花嫁のスゼルにプレゼントしよう」と続ける。一同、やんやの大喝采。喜びの合唱でめでたく全曲の終了、という展開である。

ジャナンドレア・ガヴァッツェーニがコヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団、他を指揮した1968年のEMI録音に、若い頃のパヴァロッティと、彼の幼なじみであったミレッラ・フレーニが主演している。で、この二人が実に良い。フレーニはまず、第1幕の登場シーンが素晴らしい。本当にチャーミングである。一方、第3幕でスゼルが絶望の気持ちを歌う場面になると、彼女はまるで蝶々夫人みたいな歌を聞かせ、「やっぱり、フレーニさんだねえ」と聴く者をニンマリさせる。パヴァロッティの方は、有名な『間奏曲』に続く第3幕冒頭のアリアがやはり、一番の聴かせどころになるだろうか。さすがという感じの、見事な歌唱である。終曲間際にフリッツとスゼルが聴かせる熱い二重唱も、非常に良い。これであと、司祭のダヴィッドを演じるバリトン歌手がもう少しキャラの立つ人だったらもっと良かっただろうな、と思う。録音状態の良さも考え合わせると、ガヴァッツェーニ盤は今でも、このオペラの代表盤であり続けていると言ってよいのではないだろうか。

●ヴェルディ : <レクイエム> ~テノール独唱

おなじみのひげ面になる前の若きパヴァロッティが実際に歌っている姿を、私は10数年前に<ヴェル・レク>の古い映像ソフトで初めて見た。カラヤンがミラノ・スカラ座管弦楽団、他を指揮した上演(1967年)の記録である。映像監督は、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー。そこでは、ひげのないのっぺり(?)顔のパヴァロッティが、実直且つ端正な歌唱を聴かせていた。若さゆえの硬さがあったことは勿論否定できないが、それなりに立派なものだったと思う。(※ちなみに、あとの3人はレオンティン・プライス、フィオレンツァ・コッソット、そしてニコライ・ギャウロフである。それぞれに皆、当時のベストと言えそうな歌唱を披露していた。)

パヴァロッティはその後、ショルティ&ウィーン・フィル、他によるヴェル・レクのデッカ録音にも参加している。これは宇野功芳氏がLP時代から絶賛してやまない演奏だが、正直言って、私にはこれのどこがいいんだかさっぱり分からない。録音ばかりがやたら良くて、ガンガンガンガン鳴り響く無機質の音楽というのは、はっきり言って聴くのが苦痛である。本当に頭が痛くなる。4人の独唱者も皆いま一つの出来で、誰も好印象を残してはくれなかった。パヴァロッティはまだ、ましな方だったとは思うが・・。

パヴァロッティがソロを受け持った<ヴェル・レク>といえば、クラウディオ・アバドの指揮によるローマRAI交響楽団、他による珍しいライヴの音源(Opera d’Oro 盤)というのがある。これは若きパヴァロッティのほかにレナータ・スコット、マリリン・ホーン、そしてニコライ・ギャウロフが独唱者として出演していたコンサートのライヴ録音である。1970年10月10日というCDジャケットの記載が正しいとすれば、これは指揮者アバドが僅か37歳の頃に行なった演奏ということになる。

冒頭から客席のノイズがやけに大きいので、これはおそらく海賊録音であろうと推測されるが、そういったオーディオ的な不備にもかかわらず、この演奏には一聴の価値がある。まず、この難曲を破綻させずにしっかりとまとめ上げる、若きアバドの統率力。これには感嘆するばかり。と同時に、後年の演奏とは一味もふた味も違う若々しい熱気がある。またその一方で、彼が一貫してこの曲に対して持っていた解釈や表現の特徴が、すでにこの演奏で確認できるのも興味深い。例えば、『怒りの日』の合唱で効かせるリタルダンド、あるいは『ホスティアス』を歌いだすテノール・ソロに使わせる裏声、といったようなものがその具体例である。

4人の独唱者の中では、メゾ・ソプラノのマリリン・ホーンが一番冴えているようだ。彼女はアクの強い肉太な声を持つ歌手だが、この曲のソロには比較的合っているように思える。上記ショルティ盤での歌唱よりも、ライヴの緊張も加わってずっと良い出来栄えを見せている。ソプラノのレナータ・スコットも熱唱だが、この曲で彼女を聴くなら、ムーティの1979年・EMI録音のほうが良い。声自体はこのライヴよりも細くなっているものの、彼女ならではの体当たり激唱に随所で笑わせてもらえる。バスのギャウロフは声の威力でひたすら圧倒するが、ちょっと力ずく過ぎて強引な感じがしないでもない。上記のカラヤン映像盤で聴かれるような誠実な歌い方の方が、やはりベターであろう。パヴァロッティも輝かしい声を存分に響かせているが、ここでの歌唱にはちょっと不安定なところもある。有名な『インジェミスコ』の途中で歌い出しを間違えて、一瞬変なことになったりしているのだ。このCDはヴぇるれく・コレクター、あるいは熱心なアバド・ファンの方にのみ、一聴をお薦めしておこう。

―次回もう一度、パヴァロッティの録音を巡っての気ままなお話。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする