クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

チャイコフスキーの<雪娘>

2006年11月17日 | 作品を語る
前回語ったR=コルサコフの歌劇<雪娘>からのつながりで、今回はチャイコフスキーの<雪娘>。

―チャイコフスキーの劇付随音楽<雪娘>Op12

初演後長く埋もれることとなったチャイコフスキーの<雪娘>だが、今はナクソス・レーベルの廉価CD等で聴けるようになった。この隠れ名品は、以下の通り、全20曲のナンバーで構成されている

1序奏  2鳥たちの踊りと合唱  3厳寒マロースのモノローグ  4謝肉祭を送る合唱  5メロドラマ 6間奏曲  7羊飼いレーリの第1の歌  8同じく第2の歌  9間奏曲  10盲目のグースリ弾きたちの合唱  11メロドラマ  12民衆と宮廷人たちの合唱  13ホヴォロード(=群舞)  14スコモローフたちの踊り  15羊飼いレーリの第3の歌  16ブルシーラの歌  17森の精の登場と雪娘の幻影  18春の精の朗読  19ベレンデイ皇帝の行進と合唱  20フィナーレ

第1曲『序奏』や第2曲『鳥たちの踊りと合唱』から早速チャイコフスキーらしい世界が始まるが、続く第3曲『厳寒マロースのモノローグ』にふと気が留まる。R=コルサコフのオペラに出て来るマロース翁は、いかにも、という感じで太い声のバス歌手が歌う役であるのに対し、チャイコフスキー作品ではテノールの独唱だ。冬の凍てつく光景を愛するマロース翁の趣味が、分かりやすい民謡調で歌われる。

続く第4曲『謝肉祭送りの合唱』も、典型的なロシア民謡スタイル。テノール独唱の音頭取りに続いて、コーラスが歌い継ぐ。抒情的な表情を持つ、とても魅力的な合唱曲だ。ついでに言えば、第10曲『盲目のグースリ弾きたちの合唱』も、テノールが音頭を取って男声合唱がそれを引き継ぐという民謡風のパターン。こちらは、ベレンデイの皇帝を讃える男性的な曲である。どちらも、ロシア民謡のファンなら一発で気に入ること間違いなし。R=コルサコフのオペラでは、華やかな合唱だけでなく、「謝肉祭への別れ」の部分で聖歌旋律『死者を悼む賛歌』が使われたりしているので、ちょっとムソルグスキーのオペラを思わせるような重いムードが一時交錯する。全体にしっとりした風情のチャイコフスキー作品とは、かなり対照的だ。

第7&8曲で聞かれる2つの『レーリの歌』は、R=コルサコフのオペラと同様、低い声の女性歌手が受け持つ。オペラでは第1幕前半、羊飼いレーリが雪娘に聴かせる歌である。第1の歌「茂みの下に育つイチゴ」は孤児の悲しみを歌ったしんみり調、第2の歌「羊飼いの歌で林が揺れる」は可愛い娘が花束を持って駆けていく情景を歌ったうきうき調、といった対比がある。R=コルサコフが書いた『第1の歌』には、あの<皇帝の花嫁>で聴かれたリュバーシャの歌を想起させる雰囲気がある。『第2の歌』はどちらの作曲家も同じような意匠で仕上げているが、私の感触としては、チャイコフスキーの方がより楽しげで親しみやすいようだ。

第9曲『間奏曲』と第11曲『メロドラマ』は、「さあ出ました、チャイコ節」という感じ。<エフゲニ・オネーギン>の一節、レンスキーのアリアで使われている有名な旋律をちょっと想起させるものが、それぞれの冒頭で流れる。どちらの曲も、憂愁にふさぎ込むような甘美な暗さを持ったチャイコフスキーならではの美しい音楽だ。

第13曲『ホヴォロード』は、解説書の英文対訳によると、「少女たちの輪舞」みたいなものらしい。合唱付きの、何とも優しい抒情的な舞曲である。「はるか遠くにライムの木、その下にはテント、その中にはテーブル、そこにいるのは、かわいい女の子」といった内容が歌われる。

次の第14曲『スコモローフたちの踊り』は、R=コルサコフのオペラでも管弦楽曲としての聴きどころになっているが、チャイコフスキーが書いた音楽も非常に楽しい。まさにあの《三大バレエ》の一場面を思わせるような、ダイナミックな舞曲である。具体的には<白鳥の湖>に於ける『ハンガリーの踊り』、あるいは<くるみ割り人形>に於ける『トレパーク』といったあたりをイメージしていただければ、だいたい近いんじゃないかと思う。

第15曲『レーリの第3の歌』は、前回オペラのあらすじで語ったとおり、ベレンデイの皇帝を喜ばせることになるモテモテ羊飼いの歌である。ただ、CDに付いている歌詞ブックを見ながら聴いてみると、各節の最後に必ず付くはずのリフレイン“Lel,Leli,Leli,Lel”が、チャイコフスキーの曲には全く出てこない。どうも意図的にカットされているようだ。「雲が雷に言った。お前は鳴れ、私は雨を降らせる。そして大地を潤して、花を咲かせりゃ」と始まる歌が、ゆったりとしたテンポで8分間ほど続く。このあたりは、陽気なリフレインを鮮やかに活用しながらすっきりと短くまとめたR=コルサコフの曲とは、随分対照的である。

で、実はそのカットされたリフレインに相当するものが、次の第16曲『ブルシーラの歌』で出て来る。ブルシーラというのは、ベレンデイ国の若者の一人だ。原作を見ると、これがなかなか楽しい男で、「ミズギールって奴、よそ者のくせに生意気だよな」とか言いながら、いざ本人の前に出されると、「いえいえ、仲間内の冗談でして」などと卑屈になる。レーリが『第3の歌』を歌って絶賛された直後、「何だい、みんな中でレーリ、レーリって。おい、俺たちの歌と踊りも見せてやろうぜ」と言って彼が相棒のクリールコと始めるのが、この『ブルシーラの歌』というわけである。「黒いビーヴァー、ひと泳ぎ。泥んこまみれになったので、土手に上がって身づくろい。そしたら狩人やって来て」といったような始まりの生き生きした歌で、“Ay Lel Leli Lel”という陽気なフレーズが各節の終わりで繰り返される。ちなみに、R=コルサコフのオペラでこれに相当する箇所は、第3幕冒頭の『ビーヴァーの輪舞と歌』である。そちらはまた合唱付きで、何とも華やか。

(※原作の展開を見ると、この歌と踊りが娘たちに評価されて、ブルシーラとクリールコはこの後それぞれに良いお相手をつかむことになる。ブルシーラはラヅーシカという娘を抱きしめながら、「ああ~、うれしい世の中だなあ」と幸せの一声。この男、何というか、実に愛すべきキャラである。w )

第17曲『森の精の登場と雪娘の幻影』は、前回採りあげたR=コルサコフのオペラで言えば、第3幕の後半に当たる部分だ。レーリがクパヴァを選んだことでショックを受けた雪娘がその場を立ち去り、それをミズギールが追いかける。しかし、マロース翁から依頼を受けていた森の精が、雪娘を守るべくミズギールの行く手をさえぎるという場面である。ここは、R=コルサコフの勝ち。オペラで聴かれる不思議な管弦楽、ごく短い演奏時間ではあるものの、どこかSF的・宇宙的な神秘感を漂わせる音楽には、特別な味わいがある。逆にここでのチャイコフスキーの音楽は、いささかありきたりなものに終わっている。

第18曲『春の精の朗読』は、原作によると、春の精(=雪娘の母親)が雪娘に「愛を知る花の冠」をかぶせる時に語る言葉である。R=コルサコフのオペラでは、第4幕冒頭のシーンで聴かれるものだ。そちらでは、『花の合唱』と呼ばれる部分に当たる。「ユリやバラ、ツメクサやポピー、その他の花々が雪娘に多くの魅力を与え、やがて愛が訪れる」といった内容の歌詞を持つ。R=コルサコフのオペラでは、春の美がまず歌い出してから女声合唱が続くという形だが、劇音楽として書かれたチャイコフスキー作品では女声合唱のみが歌う。管弦楽前奏に見られるR=コルサコフの腕前もさすがだが、合唱のしっとりとした美しさは、チャイコフスキーの方がちょっと上かも・・。

続く第19曲『ベレンデイ皇帝の行進と合唱』では、なかなか力強いマーチが出て来る。R=コルサコフのオペラにも『皇帝の行進』は小さな管弦楽曲としてあるのだが、そちらはマリオネット的な皇帝のキャラを表すような、どこかコミカルなものに仕上がっている。皇帝のイメージが、両作曲家の間で少し違っていたのかも知れない。

最後の第20曲『フィナーレ』は、R=コルサコフのオペラと同じく、最後を締めくくる太陽神ヤリーロへの賛歌である。しかし、音楽の様子は随分違う。全員で激しく、且つ短くドカーンと盛り上がるR=コルサコフの曲とは対照的に、チャイコフスキー作品ではメゾ・ソプラノ独唱が中心となって合唱が一緒に歌うというパターンを採用し、曲想にも落ち着いた感じがある。R=コルサコフのオペラでは、皇帝から乞われたレーリがまず一節歌ってから全員の大合唱になるので、ここでのメゾ・ソプラノもおそらく羊飼いレーリのことであろうと推測される。

―以上で、<雪娘>のお話は終了。次回もう一つだけ、R=コルサコフのオペラ。最後は、ちょっと異色の短編歌劇を。
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