僕はまったく料理ができない訳ではないとは思う。しかし料理を作るようなことはまず無い。それは妻に頼り切っているという実情もある。何しろ料理に関するスキルのレベルが違い過ぎて歯が立たない。別に勝負ではないが、僕が作ったところで妻が喜んで食べるとは考えにくいし、たとえ喜んでくれたとしても、何かの魂胆があってのことで、本心ではなかろう。それにやはり仕事の領域というのがあって、侵食することの恐れもある。相手を尊重すると、踏み込むべきことではないということだ。そうしてそもそも台所に何があるのかさえ不明瞭になり、ますます料理からは遠のいてしまう。さらにもう不可能な感じになってしまってもいる。冷蔵庫を開けることもほとんどなくなり、料理が出されなければ餓死する可能性だってあるかもしれない。
そうであっても料理は好きで、料理番組ばかり見ている。野菜を切ったりしている姿だけでも面白く、下味付けの工夫などもなるほどと思いながら見ている。変わった調味料を見つけると、つれの買い物の時などに探してみたりする。無ければネットでみたりする。でもまあ自分で使う訳ではないから買わないけど。
食いしん坊というのはあるんだろうけど、特に旨そうでないような料理でも好きである。どのみちこの先もそんなに食指が伸びないような料理であっても、後学のために作り方を見ておく。記憶力は弱いので、再現できるかは疑問だが。
何料理が好きだとかいうこともそんなに気にはしない。料理というのは文化でもあって、さらに経済状況によっても憧れ方などに差があるように思う。今やハンバーガーが世界を席巻したんだろうけれど、これは経済問題。そもそもの料理として、これを番組で取り上げられることは少ないと思われる。
ある本を読んでいてふーんと思ったのは、料理はやはり宗教とも関係のある話だということだった。イスラム教のように食べ物にそもそもの禁忌があるような場合、その制限で他の宗派にはおいしく感じられないものにならざるをえなかったりするということだ。そうして西洋の食文化などを見ても、たとえ同じキリスト教でも、カトリックとプロテスタントで違いが出てしまう。フランスやイタリア、南部ドイツなどのカトリック教徒の料理は派手でおいしく、特にプロテスタントの清教徒の影響の強い英国の料理は評判が悪いとのことだった。質素にすることが重要なので、食事は燃料補給に徹して、美味しい美味しくないを追及しなかったということだった。
そうかもしれないが林望の「イギリスはおいしい」という話もあることだし、実は僕は魚のフライをこよなく愛するので、英国のフィシュ&チップスはたぶん普通に大丈夫だろう。さらに英国人はウナギのゼリーという料理を食べるというのは気になる。パブでの料理も必ずしも不味いわけではなかろう。
そういう訳で、イスラム料理であろうと英国料理であろうと、料理番組を見る分には十分に楽しんでみられる。最近は東南アジアの現地料理なんかは魅力的だと思う。なんでも混ぜて、魚醤やココナッツミルクに漬けたりしている。出不精なので現地まで行って食いたいとまでは思わないが、近所にそういう料理を出す店が出来たら行く可能性はある。実際にかなり不味かったりするとそれなりに残念だろうけれど、僕の舌でそんなに残念が分かるものなんだろうか。