カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

英語の勉強と日本語の広がり   和製英語辞典

2014-04-09 | 読書

和製英語辞典/亀田尚巳他著(丸善出版)

 とにかくぱらぱら面白くて時間がつぶせる。さすがに知ってる和製英語もあるが、基本的にあちらで通じない単語が並んでいる所為で、こんなものまで駄目なのかと驚く。文化として流入して浸透したものが多いから、野球の用語なんかも結構多い。そういうものは誤解も受けるだろうし、不幸なことになりかねないとも思われる。そもそも日本人の多くは英語だと信じて使うという悲劇が繰り返されているに違いない。
 そういう単語の楽しさもあるのだが、やはり言葉の使い方や考え方というのもいろいろと分かる。それはともあれ、日本語の考え方でもあるわけで、英語話者の外国人には不思議だったり笑えるものだろうけど、日本人である僕は、なるほどと鏡の中の自分を見るようだ。恥をかくというより、そのまま比較文化論的なことになっていく。言語というのは思想と当たり前に関連する。そういうことがあぶりだされるだけでも貴重な体験である。
 コインロッカーとかカレーライスなどが通じないのは悲しいことだけれど、理由を読んでみると仕方の無いことだと改めて気付く。根本的に違う表現であるということもあるが、単純だからこそ、あまりにも根本的過ぎるからこそ間違ってしまうということがある。しかしそれは、日本人が無知だから(それもちょっとあるけど)間違ってしまうのではなく、和製英語はあくまで日本語なのである。この辞書は大変に有用なものだけれど、著者たちの視点は、そういう意味では誤りを犯している。何故日本人は英語を理解しないのか、という表現がいたるところにあるのがその証拠で、英語を理解してないから間違うこともそれはあるのだけれど、英語らしい表現を使って、日本人に分かるようにした単語が和製英語なのであるから、最初から英語話者に分からないほうが正しいという気さえする。日本語なんだから翻訳が必要だ。結果的にはそれが英語の勉強にもなるわけだが…。
 たとえばカップヌードルは、英語でもおそらく通じる。通じるがおそらく誤解の上である。何故かと言うと、一本の麺だと捉えられてしまい、もう少し量が多いほうがいいな、と思われるだろうからである。英語としてはそのSが無いという意味は大変に大きいが、その意味は日本語的にはあまりに小さいのである。店が閉まったらCLOSEという札を掛けている店は多いがDが抜けていることに疑問を持つ人は少ない。それでも日本人には意味が分かるし、英語話者には気持ち悪さが伝わるわけだ。
 文中にもあるが、日本人は何故多くの時間を英語学習に費やしながら、何故このようなあまりにも初歩的で根本的な理解が出来ていないのか、著者らは不思議に感じているようだ。しかしながら、それはある意味で不思議な疑問に思われて仕方ない面もあるのだけれど、根本的に誤った視点といわざるを得ない。逆に言うと日本語の初歩的な文法こそ説明の難しいものは無くて、どうして前置詞のようなAがつかなくても成り立つのかとか、主語なしでも文章が書けたり、いわゆる「てにをは」のような格助詞の使い方こそ、説明が長ったらしくなってしまう。さらに無意識に使っているが、間違っているというのは瞬時に分かってしまう。
 要するに、日本語と英語という言語の隔たりがあまりに大きいのである。そうでありながら日本語の中には、英語らしき由来の言葉が大量に流入しているのである。米国に敗戦したという国であることも大きいかもしれないが、日本国内ではほとんど英語が必要でないにもかかわらず、英語単語は入ってくる。そういう文化圏だからこそ生まれた新しい文化なのである。さらに言うと和製英語という視点で部分を切り取るからそう思われているのだろうが、当然漢字文化だって日本語である。日本の中の漢字こそ、中国人からすると驚くべき変化と思われているに違いないのである。おんなじ文字を使いながら通じないことがあまりにも多いなんて、それは別の言語である証拠である。今や英語であってもそのような変貌を遂げているわけで、英語らしきものの日本語への同化と見るほうが正しいのではあるまいか。
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