カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

見えてしまう人、先に分かりすぎた人   世界は分けてもわからない

2018-01-22 | 読書

世界は分けてもわからない/福岡伸一著(講談社現代新書)

 新書を読んでいたはずだが、何かそれとは別の小説の世界に入り込んだような気分になる。あるいは時にとても詩的なものにふれるような。それでいて、確かに知的な知識もたくさんちりばめられている。日本語として洗練された文章でありながら、どこか外国人の書いたミステリ小説のような構成もある。絵画の遠近を確かめるように、離れたり近づいたりしてものの見方が変化する。そうしてそういう見方に改めて気づかされて、ハッと驚いたり目から鱗が落ちる。噛み砕いて書いてあるのに、上手く嚥下するのはそれなりに難しい。そんなに簡単に理解してしまっては、いや、とてもその核心まで本当に理解できるまでは、本来ものすごく遠い道のりがあるのではないか。
 海外まで出かけていって絵画を観るという経験は無い。たまたま海外で絵画を見たというのを別にすると。しかし、絵画というのは、やはり出かけていって見た方がいいのかもしれない。福岡さんはそうして実際に描かれている絵のミステリを紐解いている。二つに分けられた絵の意味は、わけられた後に人が勝手に意味をつけていた。そうして分けた絵が一つになると、恐らく当初書いた本人の意思が見えてくる。分けてしまったために、違う意味を我々は受け止めてしまったのだ。
 同じものを見ていても、人が何をそのものから受け止めるのかという事には違いがある。人は見えたものをそのまま見えていると考えてはいけない。むしろ今見えている物事でしか物事を判断しないために、多くのことを見逃しているのかもしれない。星座を見て意味を読み取るのは、目が悪い所為かもしれない。もっと遠くまで見渡せる目でみると、星座の意味は消えてなくなってしまうものかもしれない。
 しかし人間というのは、そういう自分の立ち位置でしか、物事を見たり考えたりすることが出来ない。子細に細分化された部分を見て、そのモジュールの働きのみで、そのものの本質を分かるというのは、時には大変に本質から外れることにもつながってしまう恐れがあるのだろう。そういう生き物である人間というものの悲しい物語が、この本に描かれている科学の世界なのかもしれない。
 しかし研究者は、このものの見え方の世界にどっぷりとつかった人々だ。ある意味で大変に正しく、そうしてある意味で大変に危険な世界に生きている。そうして意味を見出すことのできた最初の人に、大きな栄誉があたえられる。時間軸で言えば、大変に狭い瞬間の中に、人は生きているのであろう。そうしてそれが、恐らくたまらなく人間的には魅力的なものなのであろう。頭のよすぎる人々は、そうやってしのぎを削って、ものの見方を必死で考えている人々なのだろう。
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