学びとは何か/今井むつみ著(岩波新書)
副題〈探求人〉になるために。人はどのように学んでいるんだろうか。特に子供の頃は、どんなふうに学んで言葉をつかえるようになるのだろう。将棋のプロのような人間の学び方や、数学を研究するような人たちはどうなのか。スポーツ選手や音楽家というのはどうなのだろうか。
学び方にコツのようなものがあるような気がする。なかなか学びが進まないような時には、熟達のものから、そのようなコツを伝授してもらいたくなる。おそらくこの本も、そのような方法があるならば、そのヒントとなるようなことは見つけて教えたいという気分はあるだろう。
また、頭のいい人と悪い人がいて、または才能のような違いがあって、学びにも差が出るのではないか。しかしながら、その才能のようなものというのはものすごく曖昧で、結局天才といわれているような才能豊かに見える人というのは、毎日の努力を怠らない、そういう訓練を続けられる能力に見えてきたりする。結局は大量の時間を要してしかたどり着けない領域に行かなければ意味がないわけで、そこで初めて才能のようなものがちょこっと発揮されるのである。もともと持っていたものがまるでなかったとは言い切れないが、しかしこれは才能がそうさせたと結論付けていいのか、分からなくなってしまう。
英語学習で苦労している日本人は多い。そもそもなぜこんなに言葉を習得するのは難しいのだろうか。子供なら教科書や先生なしでも、いずれ流暢な発音で母語を話すようになる。もちろん、体系的に文法などを勉強して言葉を学習するのは、非常に効率の良い理解につながることは立証されている。すでに早道を使いながら勉強していても、しかし言葉は難しいに過ぎないのだ。それは、その言葉や単語に自分の話す母語と対応して外国語が存在しているものではないからだ。本書ではスキーマという言葉を使って説明しているが、我々日本語話者が使っている単語のスキーマと、その同じ意味であろう単語の英語のスキーマは異なっている。例えば rice と言えば米だが、ご飯だって rice である。ご飯を炊くは cook rice だろうし、米を研ぐは wash rice だろう。どっちの状態も rice だと、日本人的には気持ちは悪いが、あちらでは事前も結果も似たようなものなのだろう。
また日本語で壊すに対応する英語を辞書で break だけを覚えたとしても、それが正確に使えるかどうかは難しい。壊すという意味で似たような場面に使われる rip や tear そうして smash や crash さらに実際は bend の方が適当だったかもしれないではないか。これらの違いをつかんだうえで、改めてここは break を使おうという感じをつかまない限り、この単語を使う勇気が持てないのである。
確かにそんな感じだよな、と思いながら、もう頑張って勉強を進めるよりない。しかし熟達した先には、やはり熟達者から見える風景があるはずだ。結局は倦まず弛まず努力していくような毎日を送られるように、みんな頑張っていきましょう。