ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本の心40~領民を思い、仁政を行う:北条早雲1

2021-12-21 10:21:42 | 日本精神
 足利時代の後期、京都が戦乱の巷(ちまた)と化した応仁の乱(1467-1478)を境に、古代からの名家の多くが没落し、新たな実力者が台頭しました。足利将軍家の腐敗堕落により、家臣が主君を襲い、子が親を殺すというような、人倫にもとる下克上の風潮が広がります。そして、地方に群雄が割拠し、覇を争う戦国時代となります。そこに登場した最初の戦国大名が、北条早雲です。
 早雲は諸国を流浪する一介の浪人でした。そこから身を立て、歴史の表舞台に現れるのは、彼が40歳を過ぎてからのことです。文明8年(1476)、今川義忠が戦死すると、今川家に内紛が発生しました。この時、早雲は内紛を調停した功績により、興国寺城(現・沼津市)という小さな城の主となりました。
 次に早雲は、関東に目を向けました。延徳3年(1491)将軍代理の堀越公方・足利政知(まさとも)が死去すると、混乱に乗じて伊豆に攻め入り、一夜にして伊豆一国を奪い取りました。これこそ、戦国時代の始まりとされる事件です。時に早雲は、60歳を超えていました。
 このように書くと、早雲は、老獪(ろうかい)な大悪人という感じがするでしょう。ところが早雲は常に領民のことを思う為政者でした。興国城主となった早雲は、まず民の困苦の状態を調べました。そして、農民の税を軽くし、困っている者には金銭を貸し与え、旱魃(かんばつ)の時には施しまでしました。伊豆を奪った時は、自ら村落を巡視し、家ごとに病人がいることを知りました。疫病のため10人のうち7、8人が死亡し、伝染を恐れた者は山奥に退避していたのです。そこで、早雲は、村民に薬を与え、500人の兵を看病に当たらせました。助けられた者たちは非常に喜び、山に逃れた親族を呼び寄せ、ともに感謝したといいます。
 伊豆を平定した時、早雲は国中の主だった者を集めて、こう語ったと伝えられます。
 「国主にとっては民はわが子であり、民から見れば国主は親である。これが昔からの定めである。世が末世になるに従って、武士は欲が深くなり、農民に重い税を課している。国主どもは贅沢(ぜいたく)な暮らしをしているのに、民は暮らしに困っている。自分はこのような民のありさまをはなはだ哀れに思う。しかし、わしがこの国の主となったのも深い縁があっての事だろう。自分はお前たちが豊かにくらせる事を願っている」
 実際、早雲は年貢を五公五民から四公六民へと軽滅したので、農民たちは大いに喜びました。また、政治を家臣任せにせずに、自ら進んで巡回し、裁きを求める時は直々に自分まで訴え出ることを推奨しました。自らは粗食に麻の衣で質素な生活をし、家臣領民にも贅沢を抑え、土地を耕し、川を整備し、開墾をするよう奨励しました。こうして、早雲は民生の向上に努めたのです。そのため、家臣も領民も一同心から、早雲に信服しました。
その後、早雲は、明応4年(1495)、相模の小田原城を攻め、大森藤頼を追ってこれを奪い、関東進出の第一歩を印しました。この時にも領民に対しては寛大な処置をして、戦いを急ぐことなく、領国経営に力を注いでいます。
 やがて相模の豪族はみな早雲のもとに下るようになりましたが、三浦義同(みうらよしあつ)・義意(よしおき)らだけは、早雲に従いませんでした。毎年、攻め込んできて、容易に雌雄は決しませんでした。しかし、永正9年(1512)、早雲は新井城に籠もる三浦氏に対して攻撃を開始しました。そして、永正13年11月、これを滅ぼしました。こうして、相模一帯を治めるようになりました。早雲は、この時、85歳を迎えていました。
 早雲は着実に版図を広げては、城下の整備や検地の実施と新基準の貫高の採用など、領国経営に手腕を振るい、統治体制の礎を固めました。永正15年(1518)早雲は家督を嫡子の氏綱に譲って隠居しました。翌永正16年8月15日、伊豆韮山城で、88年にわたる生涯を閉じました。
 その後、北条氏は五代百年にわたって関東を支配しました。戦国の世にこれほど長く繁栄を続けたのは、珍しいことです。それは、創業者の早雲が、力づくで国を奪うだけでなく、徳を養い、仁政を行って民を豊かにした、優れた為政者だったからなのです。
 武士道には、「尊皇」つまり天皇を尊ぶこと、「尚武」つまり武を重んじること、「仁政」つまり民を思う政治を行うことという三つの要素が見られます。下克上と戦国の世にあっても、単に武力だけでなく、民を思う政治を行った者が長く隆盛を得たのです。そして、その仁政の源に皇室の存在があったところに、わが国の一大特徴があるのです。

 次回に続く。

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 人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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民主対専制3~「普遍的価値」は普遍的にはなっていない

2021-12-20 10:44:35 | 国際関係
●「普遍的価値」は普遍的にはなっていない
 
 自由、民主主義、人権、法の支配は、しばしば人類の普遍的な価値とされる。日本や欧米ではそのように考える人が多いが、世界的にはそれらを普遍的な価値とは認めない国家や個人も多い。実態としては、後者の方が多いと考えられる。
 自由、民主主義、人権、法の支配は、近代西洋文明で発生・発達した思想である。イギリス・フランスで発生・発達して西欧に広がり、またアメリカに伝播した。さらに近代西洋文明の世界化によって、世界各地に広がった。
 自由、民主主義、人権、法の支配の4つの価値のうち、人権が最も普遍性の高い価値と考えられる。1948年に国連で世界人権宣言が採択され、国連に加盟する190カ国以上がこの宣言に参加しているからである。他の価値については、それほどの支持の広がりはない。人権宣言には、自由と基本的な権利の擁護、平等への配慮、法の順守等に関わることが盛られており、人権の概念が他の普遍性の高い価値を代表している。いわば中心的な価値となっている。
 世界人権宣言は、1920~40年代の欧米における価値の相克の結果、生まれたものである。すなわち、古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義、ファシズムという種々の思想のぶつかり合いの結果、米英が主導し、自由を中心とした形での自由と平等の両立が、同宣言には盛り込まれている。
 では、どうして、欧米諸国以外の多くの国が同宣言を受け入れたか。根本的には、国際連合こと連合国が、大戦の勝者による軍事同盟であり、当時この軍事同盟に加盟しなければ、国家の安全保障が危うくなる状況であり、加盟することが国益にかなったからだろう。加盟するためには、同宣言に参加しなければならない。だから、参加する。同宣言は法規ではなく、盛られた内容を実行しなくとも罰則はない。形だけ従っていれば、実態は問われない。それゆえ、専制主義といわれるような国々も、同宣言に参加して実益を図ったものだろう。
 世界人権宣言が発せられた後、人権に関わる国際条約が多く締結されて来た。だが、そのことは人権が普遍的な価値として浸透し、確立されたことを意味しない。同宣言が出されて73年後の今日、人権に関する世界の現状は、次の通りである。
 本年(2021年、令和3年)10月21日、国連総会第3委員会(人権)は、オンライン会合を開催した。中国新疆ウイグル自治区の人権状況をめぐって、欧米諸国と中国側がそれぞれ共同発表を行った。
 日米欧などの43カ国を代表してフランスのドリビエール国連大使は、ウイグル自治区で「拷問や性暴力といった人権侵害が組織的に行われている」と懸念を表明した。一方、キューバは発展途上国を中心とする62カ国を代表し、中国擁護の声明を発表した。ウイグル自治区の状況は中国の「内政問題」であり、他国が人権を口実に干渉することには反対するとの立場を表明した。
 国の数で言えば、積極的に人権を擁護する国は43、人権の擁護に消極的な国が62で、後者が前者を上回っている。人権を重視する国々より、人権を軽視する国々の方が多い。
 こうした現状を見ると、人権は、世界人権宣言という言葉の上では、地球人類に普遍的な価値とされていても、実際には普遍性を獲得してはいない。総じていわゆる先進国は人権を重視し、発展途上国は人権を軽視する傾向がある。近代西洋文明が発生・発達した欧米の諸国、またその文明が深く浸透している日本等の国々では人権を重視し、近代西洋文明があまり浸透していない中国・ロシアやアジア・アフリカ・中南米の多くの国々では人権を軽視する。
 私は、人権の問題について、拙稿「人権――その起源と目標」(2017年、平成29年)を書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
 個人が書いた人権論としては、おそらく最も分量の多いもので、単行本にすると5~6冊分になる。内容は、哲学・思想史・政治学・法学・文明学等に基づいて総合的に人権を論じたものである。学者ではない者がいうのはおこがましいが、学際的に人権を考察した。その拙稿に書いたように、人権の起源は、近代西欧における普遍的・生得的な権利という観念にあるが、人権の実態は歴史的・社会的・文化的に発達してきた権利である。生まれながらに誰もが持つ「人間の権利」ではなく、主に国民の権利として発達する「人間的な権利」である。それゆえ、これを普遍的な権利とは認めない国が存在することは不思議ではない。
 民主主義については、人権における世界人権宣言のようなものはない。そのことから、民主主義は、人権に比べて価値の普遍性が低いことがわかる。それゆえ、民主主義を人類の普遍的な価値と強く主張するならば、抵抗や反発が返ってくることは避けられない。

 次回に続く。

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日本の心39~応仁の乱と下克上でも崩れなかった国柄

2021-12-19 08:55:12 | 日本精神
 足利時代は、一言で言えば下剋上の時代です。下剋上とは「下(しも)上(かみ)に剋(か)つ」という言葉です。
 足利尊氏は、建武の新政を行っている後醍醐天皇に反乱を起こし、別の天皇を立てました。これにより皇位が相対化されました。さらに足利義満は、自ら太上天皇になろうとしたため、天皇の権威を引き下げました。その結果、実力さえあれば下位の者が上位の者に剋ってよいという考えが、広がっていきます。
 足利幕府では、政治力のない将軍が続いたため、8代将軍義政の時代には、幕府の運営は何人かの実力派大名の手に移りつつありました。その実力者の中で、紀州の畠山家と越前の斯波家に、相続争いが起きました。双方が大大名の細川と山名に支持を求めたため、対立がより根深くなりました。さらにここで、本来彼らの調整役に回るべきであった足利将軍家に後継者問題が起きます。善政の弟・義視と、日野富子の子・義尚のどちらが将軍に就くかという争いです。こうして、足利家自体が分裂状態に陥ります。
 こうして守護大名では細川勝元と山名宗全が、畠山家では畠山政長と畠山義就(よしなり)が、斯波家では斯波義敏と斯波義廉(よしかど)が、将軍家では足利義視と義尚が、東軍・西軍に分かれ、大戦争を引き起こすことになります。
 これが、応仁の乱です。応仁元年(1467)5月26日、戦いの火ぶたが切られると、敵味方が入り乱れ、京都中が戦火に巻き込まれました。大乱は以後、11年もの間続き、日本全国が動乱の淵に投げ込まれました。その結果、わが国には歴史の大断層が生じました。この大乱をきっかけにして、皇室や一部の公家などを除けば、古代からの多数の家が没落し、新たな家系が多く勃興したのです。
 応仁の乱を機会に、下剋上の勢いが強まります。将軍義政は戦乱が起きても反省することなく、風流に遊び、銀閣を建立し、現実逃避をしているような状態でした。しかも、シナ(明)に対して窮乏を訴え、寄贈を依頼するなどの恥ずべき態度を取りました。将軍がこんな風ですから、権力はその下に移るのが当然です。応仁の乱の後、細川勝元の子・政元の時から、細川家は管領の地位を独占し、将軍は自分が選び出し、並ぶものなき権勢を得ました。しかし、政元の後継者争いから内紛を生じます。実権は執事の三好家に移る羽目になり、さらに権力がその家臣の松永久秀らに移りました。そして、松永久秀は将軍義輝を殺害してしまいます。
 下剋上とは、見方を変えると、天皇から将軍へ、将軍から管領・家老・家老の家来と、実権がどんどん下降していくこととも言えます。こうした過程は、すべて相続争いと同族争いによって起こりました。
 さらに新たな傾向が現れました。応仁の乱の時、西軍に属していた朝倉孝景の戦績には、実に目覚しいものがありました。朝倉氏は斯波氏に仕えていましたが、東軍の総帥細川勝元は斯波氏との戦いを有利に進めるため、越前一国の守護を条件に、孝景東軍への寝返りを勧めてきました。孝景は、忽ちこれに飛びつき、主家の斯波氏から守護職を奪い取りました。これが下克上の始まりとも言われます。その後、各地に新たな実力者が登場し、群雄割拠の戦国時代が始まります。
 わが国では、国の中心が揺らぐとき、国が分裂・混迷に陥ります。12世紀の保元・平治の乱以後、戦国時代へと至る歴史を見ると、天皇が君徳を失い、皇統が乱れ、人臣が忠義を失ったとき、力と力、欲と欲がぶつかり合う乱世となりました。そして、一旦、皇室の権威が雲に覆われると、実権は下方へ、下方へと下がっていき、とめどない分裂・対立の状態となっていきます。
 将軍家はあるものの、権威と実力を失った戦国時代。混迷の続く日本を再統一するには、新たな英雄の登場を待たねばなりません。その英雄こそ織田信長です。
 織田信長は、天下統一の要として、天皇を中心に立てることに思い至るのです。

 次回に続く。

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 人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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民主対専制2~バイデン政権で対中政策に変化

2021-12-18 10:05:26 | 国際関係
●バイデン政権で対中政策に変化

 米国では、2020年11月に大統領選挙が行われた。現職の共和党トランプ大統領が敗れ、民主党のジョー・バイデンが勝利した。
 この大統領選挙では、大規模な不正行為があったことを示す多くの証拠が挙がった。投票を集計する機械を操作してトランプに入った票を減らしてバイデンの票を増やしたことや、バイデンと書かれた投票用紙が多数、集計場に持ち込まれたことなどが明らかになっている。だが、主要なマスメディアは、トランプは根拠のない主張をしていると決めつけて、事実を報道しなかった。
 本年(2021年、令和3年)1月、選挙の結果に不満を持つ人々が、ワシントンの議会議事堂に乱入する事件が起こった。マスメディアの多くは、トランプが群衆を扇動し、トランプ支持者が乱入したと報道した。だが、その報道への疑問も上がった。
 バイデンの大統領就任後、2月初めに行われた「世論調査では、回答者の32%が「大統領選で正当に勝利しなかった」と答えた。特に共和党支持層は7割が「正当に勝利しなかった」と答えた。国民の3割がバイデンは選挙違反をして大統領になったと見ているわけである。
 これこそ民主主義の危機である。米国の民主主義の核心は、大統領を国民の選挙で選び、大統領に国政を委任することにある。その米国の民主主義が危殆に瀕している。これは、世界の民主主義の危機でもある。バイデン政権に民主主義勢力を指導する資格があるのかという問題が付きまとう。だが、今日の世界で中国の脅威に対処するには、そんな米国でも対抗軸として立てる以外に方法がない。
 トランプ前大統領は、「アメリカ・ファースト」を打ち出した。自国の利益の追求を優先する自国第一主義である。外交では大統領の個人的な判断が強く打ち出された。これに対し、バイデン大統領は、国際協調主義を打ち出した。各国との話し合いを重視する姿勢である。米中関係については、トランプ政権が「対決」を打ち出したのに対し、バイデン政権は衝突を避けて「競争」に替えた。中国に対しても、対話によって協力し合える分野を見出そうとしている。
 バイデン大統領が中国に対してどういう政策を行うかが、世界的に注目されてきた。米国では、数年前から中国が米国の先端技術や軍事技術を盗んでいることが大きな問題になり、国民の中国に対する見方が変わった。国民の70%以上が中国に厳しく対処すべきだという意見になっている。さらに国民の大多数が中国に反感を持つようになったのは、コロナの感染である。中国から来たコロナによって、多数の死者が出たり、仕事を失い、生活が苦しくなったと考えている米国民が多い。バイデン政権は、こうした国民の感情を無視した政策は出来ない。
 米民主党は、伝統的に内政外交で人権問題を重視する傾向がある。中国の新彊ウイグル地区では、ウイグル人への激しい迫害が行われている。習近平は、人口の1割に上る約100万人を強制収容所に収容し、拷問、強制労働、民族語教育の禁止等によって漢族に同化させようとし、女性に不妊手術を強制し、性的暴行を繰り返すなど、民族を消滅させる政策を行っている。米欧諸国は、その迫害をジェノサイド(民族絶滅)として非難している。バイデン政権も、当然、対中政策で人権問題を争点とすることが期待されている。
 だが、対中政策において最大の問題は、バイデンは根本的には親中派であり、中国と裏では、深くつながっていると見られることである。バイデンには息子ハンターの事業を通じて、中国からカネをもらっていたという疑惑がある。中国に弱みを握られている。そこに中国が付き入られる隙がある。自己保身のために、人権問題においても、言葉だけは勇ましいが、実効性のない対応で、政治的なパフォーマンスに留める可能性がある。
 次に政治的な理念については、トランプ政権が「自由」を強調したのに対し、バイデン政権は「民主主義」を強調している。これは、共和党が自由を最高価値とする古典的な自由主義を根本に持つのに対し、民主党は自由だけでなく平等に配慮する修正自由主義を根本とすることによる。
 バイデン大統領は、米中関係を中心とした世界の構図を「民主主義対専制主義」ととらえ、専制主義の勢力に対する民主主義の勢力の連携を図っている。そこにおける重大な問題は、自由、民主主義、人権、法の支配は、しばしば人類の普遍的な価値とされながら、実際には普遍的な価値になってはいないことである。その点について次に述べる。

 次回に続く。

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日本の心38~父・義満の過ちを正した足利義持

2021-12-17 10:30:02 | 日本精神
 南北朝が合併したからといって、朝廷に権力が復活したのではありません。威信は三代将軍の足利義満にありました。
 この義満は、自分の子を天皇とし、自分は太上天皇(だいじょうてんのう=上皇)になろうという望みを抱いていました。これは臣下の身でありながら、不遜の極みです。一体、その顛末(てんまつ)はどういうものだったでしょうか。
 わが国では、皇位を狙ったり、極度の不敬を行った者の末路は、よくありません。蘇我入鹿は大化の改新で討たれ、道鏡は野望を見抜かれて左遷されました。その点、藤原氏は、権勢の絶頂にあった道長も、自分や自分の息子を皇位に即(つ)けようとはしませんでした。自分の娘を天皇の后妃にして、その孫を即位させること、つまり、自分は天皇の外祖父になることを上限とし、それ以上は望みませんでした。そこには、わが国で守るべき人倫が自覚されていました。ところが、義満は、越えてはならない一線を越えてしまいました。節度がなくなったのです。
 義満は、自分の妻を天皇の母としました。どういうことかというと、後小松天皇の生母が命の危ない状態になったとき、自分の妻・日野康子を「准母(じゅんぼ)」といって、天皇の母「国母」の代わりにしたのです。これによって、義満は、天皇の母の夫、つまり天皇の父ということになりました。これは、太上天皇と同等の立場になります。
 そういう立場になったというだけではありません。義満自身、自分を天皇と同等の立場にあると、考えていたのです。たとえば、金閣寺のある北山の別荘に、本来、皇居にしかない紫宸殿(ししんでん)という名前の建物を作っています。また、服装にも、天皇だけに使用が限られている紋をつけています。太上天皇になったも同然の振る舞いです。
 さらに一歩進んで、義満は、自分の息子を、天皇にしようとしたのです。義満は、息子の義嗣を天皇の養子にしました。天皇の養子であれば、後小松天皇の後に皇位に就いてもおかしくないわけです。もしそうなったら、わが国の国柄を揺るがす事態となります。
 ところが、ここに不思議なことが起こりました。応永15年(1408)4月25日、義嗣は、天皇の実子である親王と同じ儀式によって、元服しました。すると、その翌々日、義満は急に咳が出て発病し、10日もたたずに、5月6日には亡くなりました。自分の息子が天皇の養子となり、天皇となるかもしれないという、栄華の極点に近づいたところで、義満は急病にかかり、あっけなく死亡したのです。わが国で守るべき節度を超えたがための最後と言えましょう。
 さて、足利将軍家は、義満が不遜・不敬を行ったにもかかわらず、その後もなお12代続きました。それは、義満の死後、4代将軍となった義持が、賢明だったからです。義持にとっては、天皇の養子となった義嗣は弟です。この弟が自分に謀反を起こしたのです。怒った義持は、義嗣を攻め、立てこもった建物もろとも焼き殺してしまいます。義満が、我が子を天皇にという野望は、これによって潰(つい)えました。
 義持は父・義満の皇室接近を嫌っていました。義満は、太上天皇の尊号をもらいたがっていました。義満の死後、宮廷からその宣下(せんげ)の勅使が来ると、義持は「そんな破格な尊号を頂いた臣下はいません」と言って返上しました。また、天皇の母となった義満夫人・日野康子が亡くなった時も、葬式は簡素なものとしました。義満が造った北山の別荘も、金閣寺等を残して取り払い、庭石も崩しています。こうして、義持は、日本人としてわきまえるべき節度を示し、武家のあるべき姿に立ち返りました。
 義持は、もう一つ義満の過ちを正しました。義満は明と国交を開きましたが、それは屈辱的な外交でした。義満は、明の皇帝から「日本国王」という称号を受けたのです。「王」は皇帝の下になるため、わが国はシナの册封(さくほう)体制に従属することになったのです。
 かつて、聖徳太子は隋の煬帝に対して対等の外交をし、自主独立の路線を取りました。それ以来守られてきたわが国の誇りを、義満は個人的な名誉と貿易の実利と引き換えに、地に落としたのです。しかし、息子の義持は、義満の外交を誤りと考えました。そして、義満の死後、今度は義持を「日本国王」とするという文書が明から届いた時、義持は、これを無視しました。それによって、わが国の国威は回復されたのです。
 こうした義持の功績によって、義満の過失は正され、足利将軍家はともかく15代まで続くことができました。
 しかし、皇室の権威は、足利尊氏が北朝を立てたことで相対化され、義満が太上天皇同然の振る舞いをしたことで大きく損なわれました。権威の低下は、下剋上の世を招きました。再び皇室が権威を回復するには、織田信長と豊臣秀吉という新しい英雄の出現を待たねばならなかったのです。

参考資料
・渡部昇一著『日本史から見た日本人・鎌倉篇』(祥伝社)

 次回に続く。

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民主主義対専制主義~米中対決の時代に1

2021-12-16 09:09:58 | 国際関係
はじめに

 今日の世界情勢を一言で表すと、米中対決です。2021年1月にスタートしたバイデン米政権は、米中関係を「民主主義対専制主義」という対立構図でとらえ、民主主義勢力の結束と拡大を図っています。本年12月には「民主主義サミット」を開催しました。しかし、そこには専制主義に対抗するための理論と戦略が欠けているように見えます。
 本稿は、まず民主主義また専制主義とはどういうものか、定義と比較を行い、それらの歴史を振り返り、米中対決の時代において「民主主義対専制主義」という対立構図はどの程度、有効かを検討したいと思います。
 近年の世界では、民主化の停滞と専制主義の拡大が目立っています。自由、民主主義、人権、法の支配といった価値は、必ずしも普遍的な価値にはなっていません。民主主義と専制主義の対立の原因の一つには、家族型の違いに基づく価値観の違いがあり、その違いを知ることが必要です。また、政治と権力の関係は、指導者と民衆の道徳性という問題を抜きには語れません。そこから浮かび上がってくるのは、精神的な進化なくして、今日の世界の危機を乗り越えることはできないという人類の根本的な課題です。
 本稿は、こうした観点から、米中対決の時代における「民主主義対専制主義」という対立構図を検討し、人類の課題を論じます。30回ほどを予定しています。

1.世界の現状

●米中対決の時代

 2020年代初頭にある現在の世界情勢は、一言で表すと、米中対決である。
 かつて1980年代に、米ソの対決があった。アメリカのロナルド・レーガン大統領がソ連に軍拡を挑み、経済力と技術力で圧倒してソ連を崩壊に導いた。その後、1990年代から中国が発展し、強大化した。現在の中国はかつてのソ連の比ではない。軍事力、経済力、人口、国際社会への影響力ではるかに上回っている。今や中国を抑えないと、米国や世界が危うくなっている。
 ドナルド・トランプ前大統領は、共産中国に対して、強い姿勢を打ち出し、2018年(平成30年)から米中経済戦争を優勢に進めていた。ところが、その最中に中国から新型コロナウイルス(COVID-19)の感染症が世界的に広がった。中でも米国は世界最多の死亡者が出て、大恐慌以来の経済的な打撃を受け、中国を厳しく非難した。
 中国は、新型コロナウイルスが人から人へ感染するようになり、また中国国内で感染が拡大していながら、そのことを1カ月ほど公表しなかった。そのため、感染が海外に広がった。中国共産党政府は、そのことの責任を認めていない。また新型コロナウイルスが武漢で発生したとは認めていない。WHOの国際調査団には重要なデータを提供せず、調査団の報告書に多くの専門家が疑問を呈した。だが、米国の情報機関の調査によっても、新型コロナウイルスが自然発生なのか、人為的に造られたものなのか突き止めることは出来ていない。
 それどころか、中国は、コロナ禍が世界に広がる中で、この危機に乗じて自国の利益を追求してきた。南シナ海のパラセル(西沙)諸島とスプラトリー(南沙)諸島に行政区を新設した。台湾への軍事的な圧力を強め、中国と台湾の間はかつてなく緊張が高まっている。
 こうした中国の姿勢に多くの国から批判が上がっている。だが、中国共産党は、批判を無視して香港市民への弾圧を本格化した。もし中国共産党が世界を支配することになったら、香港のように、自由、民主主義、人権、法の支配といった価値は踏みにじられる。唯物論によって宗教は弾圧される。それを防ぐためには、国際的な連携の強化・拡大が求められる。
 こうしたなか2020年(令和2年)7月23日、米国トランプ政権のマイク・ポンペオ国務長官は、対中政策に関して演説し、それまでのトランプ政権の政策より格段と踏み込んだ方針を示した。
 ポンペオは、1970年代に米中和解が行われた後のアメリカの対中政策は失敗だったと断じた。アメリカは、中国が経済的に豊かになれば民主化するだろうと期待していた。だが、中国は経済発展すると軍拡を進め、覇権の拡大を行なうようになった。ポンペオは「現在の中国は、国内では一層権威主義化し、国外では自由を攻撃し敵視している」と指摘し、「自由世界は新たな専制国家に打ち勝たなくてはならない」と呼びかけた。習近平国家主席については「破綻した全体主義思想」を「心から信じている」と非難した。
 ポンペオは、中国の脅威の対処という課題には「一国で立ち向かうことはできない」とし、「自由世界が中国を変えなければ、共産中国が私たちを変えてしまう」と強調した。ここで重要なことは、ポンペオが「米国は中国の人々と関係を築き、彼らに社会的な力をつけさせなくてはならない」と述べ、中国共産党と一般の中国民衆とを分け、中国の自由を求める人々との連帯を目指す方針を打ち出したことである。これは、中国の体制変更を目指していくことを意味する。そして、「中国共産党から自由を守る」ために、自由主義・民主主義の国々の新たな同盟を呼びかけた。

 次回に続く。

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日本の心37~忠義と融和:足利尊氏と南北朝時代

2021-12-15 09:08:46 | 日本精神
 後醍醐天皇による建武の中興は、多くの武士に不満を抱かせるものでした。そうした不満を背景に、反乱が起こります。中心となったのは、足利尊氏です。
 尊氏は鎌倉幕府を裏切って天皇側に付いたのですが、天皇の不徳と失政を見て、今度は天皇の政府を見切って反旗をひるがえしたのです。一度は京都に攻め入りますが、新田義貞の反攻を受けて、九州に敗走します。そこで尊氏は敗因を振り返り、「我が国では、天皇を担いでいない者は敗れる」ということを悟りました。
 尊氏は、皇室の権威を利用しようと、後伏見上皇に院宣を願い出て、これを受けました。「錦の御旗」を立てて尊氏が九州から西上すると、諸国の武士は次々と尊氏軍に付きました。朝廷の権威は両軍にあるとなれば、あとは実利の問題です。勢い武士たちは、利を期待できる尊氏の側に集まったわけです。この時、京都を目指す尊氏を湊川で迎え撃ったのが、楠木正成です。しかし、多勢に無勢、さしもの英雄・正成も自害して果てました。
 京都を制圧した尊氏は、光厳天皇の弟である豊仁(とよひと)親王を天皇に擁立し、光明天皇としました。即位は延元2年(1337)12月28日。後醍醐天皇という正統の天皇がいるのに、別の天皇を立ててしまうのです。ただし、後醍醐天皇が大覚寺統で皇位を独占しようとしたのに対し、時明院統の天皇を擁立したわけですから、その点では、後嵯峨天皇以後の複雑な両統の関係が表われているともいえるのです。
 尊氏の攻勢に押された後醍醐天皇は、京都を離れ、吉野山に逃れました。こうして建武の新政はわずか3年で崩壊しました。しかし、後醍醐天皇は、あくまで皇位の正統が自分にあることを主張したので、ここに吉野の南朝と京都の北朝が並立する状態となりました。それぞれに天皇がいて、異なった年号を用いているという異常な事態です。
 擁立した天皇から征夷大将軍の任命を受けた足利尊氏は、京都の室町に幕府を開きました。尊氏は、後醍醐天皇に、「三種の神器」を譲渡するよう申し出ますが、後醍醐天皇としては神器を渡し幕府を承認することは、武力に屈して反逆を認めることになります。それは、道義を否定することになります。それゆえ、後醍醐天皇は、どんなに苦しくても幕府を承認しませんでした。そして、わびしい山中の生活の中で帰京を夢みつつ、延元4年(1339)に没しました。
 さて、ここで尊氏の行動には、不思議な点があります。尊氏は軍事的には優勢であるにもかかわらず、後醍醐天皇を討つことまではしないのです。後醍醐天皇の死後も、尊氏は、南朝の天皇を滅ぼそうとはしません。しかもややこしいことに、足利方では、尊氏と弟の直義との対立や家臣間の抗争があり、この内部問題の有利を図って、直義が南朝に講和を申し入れてみたり、なんと尊氏自身も南朝に和睦を申し出たりします。南朝側はこれを断りましたが、再び尊氏が天皇親政を提案したり、一時は南朝が完全に勝利したと見えるところまで行って、また元に戻ったりと複雑な展開が続きます。
 そもそも北朝の方は、本来の都にあり、公家のほとんどはそこにおり、幕府もあるのですから、総体的には優勢です。時がたつにつれ、吉野山中の南朝は、しだいに追い詰められていきました。そしてついに、元中9年(1392)、後亀山天皇が後小松天皇に「三種の神器」を譲るというかたちで、南北両朝は統一されます。並立してから57年後のことでした。南朝は、ぎりぎりのところで正統性を認めさせましたが、実を取ったのは北朝側でした。統一後は、北朝系が南朝系に皇位を渡さなかったので、以後の天皇はずっと北朝系で今日に及んでいます。
 徳川光圀が編纂させた『大日本史』は南朝を正統とし、幕末の勤王思想に多大の影響を与えました。光圀は楠正成を顕彰し、正成は忠義の美徳の象徴のようになりました。そのため、南北朝時代は大変複雑な性格を持っていますが、このような困難な時代があったにもかかわらず、皇統はとぎれることなく継続しました。またこの時代は、後世の武士にとって、武士のあり方を問い直す時代となったのでした。
 南北朝時代を語らずして、武士道を語ることはできません。

 次回に続く。

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北京冬季五輪をボイコットすべし2

2021-12-14 10:21:19 | 国際関係
2021.12.7
 米国が北京冬季五輪の外交的ボイコットを発表しました。サキ大統領報道官は、外交的ボイコットの理由について「新疆ウイグル自治区での継続的なジェノサイド(大量虐殺)と人間性に対する犯罪、その他の人権侵害」と述べた上で、「人権のために立ち上がるのは米国人のDNAだ。われわれには人権尊重を促進する責務がある」と述べました。
 IOCは、米国の外交的ボイコットについて「政治的な中立性から全面的に尊重する」との声明を発表しました。
 米国内では、ポンペオ前国務長官が「外交ボイコットは十分ではない」「バイデン氏は(中国)共産党に立ち向かう必要がある」などと、さらなる強硬手段を求めました。また、連邦議会を中心に「全面ボイコット」を求める声が超党派で高まりをみせているとのことです。
 英国は米国に賛同。インドは同調せず。まだ検討中や未決定の国が多いようです。
 岸田首相は、日本政府の対応について「国益の観点から自ら判断する」と述べました。ただ米国に追従するのではなく、国益の観点から主体的に判断することが大切です。この場合、何を以てわが国の国益と考えるかが重要です。国家の主権と独立、国民の生命と財産、民族の文化と誇りを守ることこそ、国益と考える政治家ならば、わが国の主権と独立、国民の生命と財産、民族の文化と誇りを損なうことを仕掛けて来ている国に、媚び諂ってはなりません。最低、外交的ボイコットを実行すべし。外交レベルの報復など恐れるにたりません。

2021.12.8
 米国に続いて、オーストラリアが外交的ボイコットを表明。スコット・モリソン首相は、北京五輪に政府関係者を派遣しない理由について、中国による人権侵害などを挙げました。中国と関係が悪化している中で、「国益を守るために一歩も引くことはない」と述べました。
 自民党の高市早苗政調会長は、外交的ボイコットについて「賛同する。しっかりとした姿勢を日本としていち早く打ち出していくべきだ」と述べ、政府はボイコットに踏み込むべきとの考えを示しました。
 米紙ワシントン・ポストは、世界中の国や企業、市民が北京五輪を「『ジェノサイド五輪』と呼ばねばならない」と社説で呼びかけました。
 社説は「米国のボイコットは始まりにすぎない」「同盟国は後に続くべきだ」と強調。派遣される選手団には「弾圧の犠牲者と連帯して非難の声をあげる必要がある」とし、メディアには「紙面や放送時間を費やし、凄惨な虐待の真実を伝えるべきだ」と主張。スポンサー企業には「習(近平)政権が人道に対する犯罪を封印することに手を貸すことに恥を知るべきだ」と厳しく指摘しました。
 ジェノサイド五輪とは、これ以上なく強烈な命名です。政府は「北京ジェノサイド五輪」をボイコットしましょう。選手、メディア、スポンサー企業は、中国におけるジェノサイドを知り、考え、止めさせるために行動しましょう。

2021.12.9
 オーストラリアのほか、12月8日英国とカナダも外交ボイコットを表明。
 ジョンソン英首相は、「事実上の外交ボイコットを実施する。閣僚や政府当局者は参加しない」「スポーツに関するボイコットが賢明だとは考えていない」と述べました。
 トルドー加首相は、「世界の多くのパートナー国が中国による度重なる人権侵害を著しく懸念している。カナダは北京冬季五輪にいかなる外交団も派遣しない」と表明しました。
 EUはどうするか。EUの盟主ドイツは、ショルツが首相に。連立与党の一角に入った緑の党は、人権問題に厳しい姿勢。新政権は、メルケルの親中路線から変化する可能性あり。だが、フランスは外交的ボイコットを行わず、スポーツ担当相を派遣すると発表。これでEUは対応の仕方で割れ、統一的な対応を決めて加盟国がすべてそれに合わせることはなくなりました。

2021.12.9
 中国女子テニス選手問題に関し、米下院は、12月8日、彭帥氏の対応で「人権に関する約束を守らなかった」として国際オリンピック委員会(IOC)を批判する決議を、賛成428、反対0で可決したとのことです。
 トーマス・バッハ会長が11月下旬に彭氏とテレビ電話で会話し、無事だと発表したことについて、「IOCが中国の主張を正当化する役割を担った」と批判。「北京冬季五輪・パラリンピックに出場する選手の権利を守るIOCの能力や意志に疑問を生じさせた」とも指摘。
 中国に対しては、彭氏の居場所や安全に関する証拠を示すことや、彭氏が中国の前副首相から同意のない性的関係を迫られたとの疑惑について独立した調査を行うことなどを求めたと読売新聞の記事が伝えています。
 決議の内容は、国際的な良識を表したものと思います。それにしても、賛成428、反対0で可決というのは、凄いですね。わが国では考えられない。国会で決議すらできない。それだけ日本は、中国や北朝鮮、旧ソ連などから精神的な汚染を受け、国論が分裂していることをあらためて感じます。

2021.12.9
 米国の主導でオンライン形式による「民主主義サミット」が9~10日の予定で開催。約110の国・地域の指導者らが参加。北京冬季五輪の前にサミットを行って中国をけん制する計画のもとに行われているのかは不明。だが、五輪の外交的ボイコットを打ち出す中で、「民主主義サミット」を開催して成功すれば、中国に圧力を加えることが出来るだろうとは思われました。
 100を超える国・地域が参加するならば、よほど事前準備がしっかりできていなければ大した討議はできないでしょう。G7があり、G20もある中で、あえて民主主義を掲げるサミットが有効なのかどうか。米国はどういう成果を目指しているのか。参加国の多数にとっては、単なる外交的なお付き合いの場にならないか。また、米国主導の民主主義サミットにも、中露主導の首脳会議にも参加して実利実益を求める国も出てきそうです。万が一、不成功に終われば、米国の威信の低下を招くでしょう。

2021.12.10
 「民主主義サミット」が9日に開始されました。依然として目的や主旨がはっきりせず、企画に疑問を感じます。
 米国は中国・ロシアを招待せず、台湾やウクライナを招待したのは当然でしょうが、NATOに加盟しているトルコ、中東の親米勢力の中心であるサウジアラビア、欧州連合(EU)に加盟しているハンガリーなど招待しませんでした。何を基準に選別しているかわかりませんが、排除されたことで、米国に反感を持つ国が出るのでは。そこを中国やロシアに付け込まれないか。
 サミットの初日、バイデン大統領は「権威主義者たちが世界で影響力を増し、抑圧的政策や慣行を正当化している」「私たちの民主主義を強化し、権威主義を押し返す」と語りましたが、中国やロシアを名指しで批判することはなかったとのことです。
 岸田首相も「世界のなかには権威主義的な体制の下、人々の声が無視され、自由が抑圧され、人権が蹂躙される」と発言しながら、中国・ロシアに触れず、バイデンに追従したものと見られます。
 理論も戦略もない感じ。これでは、何のためにサミットをやるのか、開催の意義が問われますね。バイデン政権の米国は、リーダーシップの弱さを自らさらし、威信を下げることになるのでは。

国際政治学者・島田洋一氏のコメント
 「バイデン氏は、政権内に『親中派』がいるため、明確な態度を示すことができなかったのだろう。サミットには、南シナ海の安全保障上、欠くことのできないシンガポールや、中東の大国・サウジアラビアが参加していない。そもそも、戦略が定まっているとは思えない」
 「111もの国・地域が招待されたサミットで、具体的な議論ができるとは思わない。ただ、日本こそ『台湾の参加』に言及してよかったはずだ。岸田政権内にも『親中派』が多いため、バイデン政権同様、方向性が定まっていない印象だ。中国に対する姿勢については、今回のサミットよりも、10日開催の先進7カ国(G7)外相会合に注目すべきだろう」

2021.12.11
 北京冬季五輪問題。

産経新聞 2021.12.11付けより
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高市氏らの議連、政府に外交的ボイコット申し入れへ
 自民党の高市早苗政調会長は10日夜、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が主宰するインターネット番組「言論テレビ」に出演し、来年2月の北京冬季五輪に政府使節団を派遣しない外交的ボイコットについて、自身が会長を務める自民有志の「南モンゴルを支援する議員連盟」や超党派の「日本ウイグル国会議員連盟」などと共同で近く政府に申し入れると明らかにした。
 高市氏は番組で、外交的ボイコットの理由について「(中国では)明らかな人権侵害が起きている。何も恐れることなく、はっきりと意思表明していいのではないか」と主張。態度を明らかにしていない日本政府に対し「もっと早く表明すべきだ。できれば米国と同じ日、(米国より)先でもよかった」と苦言を呈した。
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日刊スポーツ 2021.12.10付けより
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立民・泉健太代表、北京五輪の外交的ボイコット「選択肢は十分にあり得る」
 立憲民主党の泉健太代表は9日午前、日刊スポーツの取材に応じ、北京五輪の外交的ボイコットに関して「十分にあり得ることだと思う」との認識を明らかにした。
 泉氏は「オリンピックそのものは選手が競い合う場なので、そもそも要人が行かなければならないものか。五輪外交なるものが果たして今回、北京で機能するのか」と指摘した上で「(要人が)行かない選択肢は十分にあり得る」と重ねて示した。
 同党の小川淳也政調会長も記者会見で「基本的に抑制的であるべきだと思う。しかし、最近の中国における人権弾圧とか、それに対しての十分に説明責任が果たされていない状況にある。日本も、特にG7諸国などと連携しながら、場合によっては厳しい対応もあり得る」と述べた。
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作家Kotaro Miura 氏のコメント
 与党の政調会長で総裁候補と、野党第一党党首が言っていることなのだから、これは実現しなければ逆に議会制民主主義が機能していないに等しい。

2021.12.11
 わが国は閣僚は派遣せず、山下泰裕JOC会長を派遣か。東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の橋本聖子会長を検討中との報道も。

評論家・櫻田淳氏のコメント
 「この件、政治家や現役の行政官僚を送らないということが大事である。故に、橋本聖子TOCOG会長や室伏広治スポーツ庁長官の派遣は不適切である。山下泰裕JOC会長というのが程よい線なのであろうと思われる」

日本再興プランナー・朝香豊氏のコメント
 「橋本聖子氏や山下泰裕氏を派遣すれば、西側にも中国にもメンツが立つなどというみみっちい発想をするのではなく、西側が一致して中国を恐れないで済むようにする方策を考えるというのが正しい発想だと私は考える」

2021.12.13
 12月11~12日、先進7か国(G7)外相会合が、英国リバプールで行われました。北京冬季五輪に閣僚らを派遣しない「外交的ボイコット」について協議されましたが、各国の対応は一致できませんでした。2024年夏季五輪開催国のフランスや26年冬季五輪を開くイタリアが同調しなかったとみられるとのことです。人権を重視するEUの主要メンバーでも、他国の人権問題より自国の利益が大事であり、五輪に関わる企業の利益が優先されるのでしょう。民主主義サミットに参加した主要国の結束に課題が残る結果ともなりました。

 以下、随時掲載。

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日本の心36~日本の国柄を描いた書『神皇正統記』

2021-12-13 10:11:28 | 日本精神
 日本という国を知る上で必読の書に、『神皇正統記』があります。「君と民」のあり方を知るためにも重要です。著者は、建武の中興や南北朝の時代に活躍した北畠親房(ちかふさ)という人物です。
 初めに、親房について書きます。鎌倉時代の末期、14世紀の初めのわが国には、精神的な権威を放つ朝廷が京都に、政治的な実権を担う幕府が関東に存在していました。北畠親房はそのような時代に、32歳で大納言となりました。大納言は、朝廷の最高機関である太政官の次官に当たる要職です。幕府を良く思わぬ後醍醐天皇に抜擢されたのです。
 親房は、天皇の側近として第二皇子・世良(ときよし)親王の養育に努めました。しかし、元徳2年(1330)、親王が急逝したため、親房は出家して政界を退きました。
 しばらくして、北条氏のもと腐敗・堕落を続けていた鎌倉幕府が、元弘3年(1333)滅亡に至り、後醍醐天皇による建武の中興が始まりました。親房は再び朝廷に出仕し、新政府の下、義良(のりなが)親王を奉じて、長男顕家とともに奥州に下り、その地の行政に力を尽くしました。そのうち、中央では後醍醐天皇と足利尊氏らの対立が強まり、遂にその間で戦端が切られました。親房は反乱軍を追って上京し、そのまま京都にとどまって国政に加わります。朝廷側は尊氏を一時九州に追いやったのですが、尊氏に押し返され、劣勢やむなく後醍醐天皇は吉野に逃れました。すると、尊氏はあろうことか光厳天皇を立てて北朝を創設し、ここに南北朝の並立というわが国史上に前例のない異常な事態となりました。延元元年・建武3年(1336)のことです。
 親房は吉野の南朝にあって、幕府と対抗していました。ところが、延元3年・暦応元年(1338)、義良親王とともに出帆した時、船が難破してしまいました。太平洋を漂流した親房は、奇しくも一人東国に流れ着きます。親房は逆境に挫けることなく関東で決起しました。そして、北朝方との戦いを続けていたところ、親房のもとに後醍醐天皇崩御という知らせが来たのです。南朝の天皇は、難破を生き延びていた義良親王が継いだといいます。後村上天皇です。感慨に堪(た)えぬ親房は、一書をしたためました。こうして、延元4年 (1339)9月、常陸小田城にて完成したのが『神皇正統記』です。親房はその後、京都に戻って南朝の中心として活躍し、正平9年(1354)、62歳で没しました。
 さて、親房の著『神皇正統記』は、日本という国はどうして建国されたか、この国の理想は何か、本質は何か、建国以来その基底に流れている精神はどのようなものかを説いたものです。
 冒頭は「大日本は、神国なり。天祖始めて基を開き、日神長く統を伝へ給ふ。我国のみ此の事有り。異朝には其の類無し。此の故に神国といふなり」と始まります。ここには、元寇を通じて高まった、日本は神国であるという自覚が明確に述べられています。そして、天照大神が国の基を開いてより、その子孫が皇統をずっと伝えてきている。これは他国には見られない。それゆえに、日本を神国というのだと述べています。
 続いて、親房は『古事記』『日本書紀』等に基づきながら、当代の後村上天皇に至るまでのわが国の歴史を書き表しました。記述には、親房独自の見解が多く見られます。
 その特徴の一つは、天皇には、血統や神器の保有だけでなく、君主としての徳がなければならないという主張です。たとえば、後嵯峨天皇の件(くだり)に、次のようにあります。
 「神は人を安くするを本誓とす。天下の万民は皆神物なり。君は尊くましませど、一人を楽しましめ、万民を苦しむる事は、天も許さず、神も幸せぬいはれなれば、政(まつりごと)の可否に随ひて、御運の通塞(つうそく)あるべしとぞ覚え侍る」。すなわち、神は人が安心して暮らせることを願っている。天下の万民はみな神のものである。だから、天皇一人だけが楽しくして、人民を苦しめるようなことをすれば、天は許さないし、神も喜ばない。天皇は、良い政治をしているかどうかによって、自分の運命が開けもし塞(ふさ)がりもする、と親房は書いています。これは、天皇への教訓でした。親房は、承久の変や建武の中興を通じ、天皇が道を行い、徳を磨いて仁政を行うのでなければ、その地位だけでなく、国の本質をも守ることはできないと痛感していたのです。
 また、親房は、国民の在り方についても、書き記しています。
 「朝夕に長田狭田(さた)の稲の種をくふも皇恩なり。昼夜に生井栄井(いくゐさくゐ)の水の流を呑むも神徳なり。是を思ひも入れず、あるに任せて慾をほしいままにし、私を先として、公を忘るる心あるならば、世に久しき理(ことわり)侍(はべ)らじ」。すなわち、神の徳と皇室の恩に感謝せず、欲望のままに「私」を先にして「公」を忘れるならば、権勢は続かず滅びることになると、説いているのです。このことは平氏や北条氏に前例があり、やがて足利氏にも当てはまることになりました。
 『神皇正統記』は、南朝の天皇や側近・将士にとって心の支えとなりました。その後、戦国時代には、広く全国各地で書写されて読み継がれました。江戸時代の学者は、本書によってわが国の本質を理解し、敬神尊皇の自覚を高めました。そして本書の精神が、明治維新の源流の一つともなっていったのです。
 日本の建国の由来、この国の理想・本質、建国以来その基底に流れている精神、そしてそれらが明治以後の日本にどのように受け継がれてきたのかを考える際、『神皇正統記』は興味の尽きない名著です。

参考資料
・北畠親房著『神皇正統記』(ニュートンプレス)
・『日本の名著 9 慈円・北畠親房』(中央公論新社)

 次回に続く。

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北京冬季五輪をボイコットすべし1

2021-12-12 12:16:07 | 国際関係
 令和4年(2022年)2月、中国・北京市で冬季のオリンピック・パラリンピックが開催されます。しかし、中国の新彊ウイグル地区では、ウイグル人への激しい迫害が行われています。習近平は、人口の1割に上る約100万人を強制収容所に収容し、拷問、強制労働、民族語教育の禁止等によって漢族に同化させるための教育をし、女性に不妊手術を強制し、性的暴行を繰り返すなど、民族を消滅させる政策を行っています。本年、米欧諸国は、その迫害をジェノサイド(民族絶滅)と呼んで非難するようになりました。
 迫害は、新彊ウイグル地区だけでなく、チベット・南モンゴル等でも行われています。また香港では、国際的な約束を破って、自由、民主主義、人権、法の支配を規制する強権的な政治が行われています。
 このような国に「スポーツと平和の祭典」であるオリンピック・パラリンピックを行う資格があるのか、世界の多くの人々が疑問の声を上げてきました。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)は計画を変更することなく、中国は開催準備を進めてきました。
 本年11月初め、ようやく米国が「外交的ボイコット」を行う方針を示し、各国が対応を検討するようになりました。その時期から中国で行われる北京冬季五輪についてSNSに書いてきたものをドキュメント形式で掲載します。

2021.11.17
 米紙ワシントン・ポスト(電子版)は、ジョー・バイデン米大統領が近く、来年2月の北京冬季五輪には出席せず、米政府使節団も派遣しないことを発表すると伝えました。
 選手団は参加させつつ、中国による新疆ウイグル自治区での人権侵害や香港での民主派弾圧を問題視する立場から、「外交的ボイコット」をするというもの。
 米政府が正式「外交的ボイコット」を発表したら、日本政府はどうするつもりか。

国際政治学者・島田洋一氏のコメント
 「『外交ボイコット』は最も低い段階のボイコット。それすら出来ないようでは話にならない。
 競技は国際五輪委と開催都市が主催だが、開会宣言は当該国の元首が行う。その場にだけは政府高官を出さないというのが外交ボイコット。
 なお米国ではスポンサー企業に対する『降りろ』圧力も強まりつつある。トヨタの名前も挙がっている」

2021.11.20
 アメリカのバイデン大統領は「外交的ボイコット」を検討していると明らかにしました。ジャーナリストの山口敬之氏は、次のように述べています。

 「これについて日本の大手メディアの多くは『バイデン政権もついに対中強硬姿勢に舵を切った』という論調で記事を出しています。
 真相は真逆です。実はバイデンは習近平に助け舟を出しているのであって、米中両首脳による国際社会を愚弄した茶番です」

 山口氏は、アメリカは1980年のモスクワ五輪を、前年のソ連のアフガン侵攻を理由に「完全ボイコット」。さらにフィラデルフィアでモスクワ五輪に代わる国際スポーツ大会を開催。今回はボイコットの中でも最も軽い「外交ボイコット」を検討、と指摘しています。
 米国と国際社会に対しては、一応抗議を表明しているというポーズを見せて体裁を整え、中国に対しては、これで冬季五輪を支障なく出来るように「助け舟」を出したということか。それで喜ぶのは、五輪で儲かるIOCとスポンサー企業か。

2021.11.20
 北京五輪に関わる問題が発生。女子テニスでダブルス元世界ランク1位の中国人、彭帥選手は、中国交流サイトの微博(ウェイボ)で、中国共産党の幹部だった張高麗元副首相から性行為を強要され、合意の上で不倫関係を持ったと暴露。その後、消息不明になって2週間以上が経過。
 ロイターの記事によると、IOCの最古参の委員ディック・パウンドは、「もし、早急に良識ある形で解決されなければ、事態の収拾がつかなくなるかもしれない。(IOCが強硬な態度をとる)可能性もある。五輪大会を中止するとまではいかないかもしれないが、どうなるかは誰にも分からない」と述べ、北京冬季五輪中止の可能性も完全には排除しなかったとのことです。
 環球時報の編集長は、数日内に彭選手が公の場に姿を現し、活動に参加するだろうとコメント。中国国内では見られないツイッターに、本人が猫を抱いた真偽不明の写真が突然、投稿。共産党は彭選手に強い脅しをかけ、いわゆる再教育をして、発言を撤回させるつもりかな。

2021.11.22
 北京五輪は、自由、民主主義、人権、法の支配を価値とする国々は、「完全ボイコット」をすべき。しかし、自由主義勢力のリーダーであるアメリカのバイデン大統領は、最低レベルの「外交ボイコット」を検討中とのこと。イギリスのジョンソン首相は、賛同の意向。
 わが国は、少なくとも「外交ボイコット」に加わるべきですが、岸田政権はそれすら決断できるか、態度があいまいです。

産経新聞の社説「主張」より
 「北京五輪を、人権を抑圧して恥じない習政権を称揚する場にしてはいけない。外交ボイコットは深刻な人権侵害を許さない意思を示し、弾圧に苦しむ人々に寄り添うものだ。人権を重んじる国として日本もその輪に加わるべきだ」

島田洋一氏のコメント
 「私個人は、五輪を1年延期し、主要7カ国(G7)による分散代替開催とする『完全ボイコット』が最適と考えている。・・・
 過去には、日本を含む65カ国が完全ボイコットをした1980年モスクワ五輪の例もある。注目すべきことに中国もボイコットに加わった。最も先鋭的な反米政権だったイランも、イスラム教国としてソ連軍のアフガン侵攻は許せないと同調した。ならばイスラム教徒ウイグル人の虐待も座視できないはずだ。・・・
 外交的ボイコットは、実はとりわけ日本にとって低いハードルである。今年の東京五輪開会式に中国は国家体育総局長しか送らなかった。『閣僚級』といっても、日本ではスポーツ庁長官に相当するレベルである。外交の相互主義に照らしても、日本が、就任に当たって天皇の認証を受ける認証官(大臣、副大臣、特命全権大使、特命全権公使など)を参列させることはあり得ない。
 外交的ボイコットはもとより、次のレベルの『開会式全面ボイコット』に向け、自由主義圏の代表たるG7諸国は指導力を発揮せねばならない」

2021.11.28
 中国女子テニス選手問題。ジャーナリスト・門田隆将氏のツイート

 「蓮舫さんら白服着て女性の権利を訴える人達がなぜか中国相手だと動かないフシギ。高橋洋一氏は“張高麗前副首相が北京五輪実務担当者である事も加えておかないとね。森さんに厳しく対して、この問題スルーというダブスタは問題”と。中国に逆らうなんてトンでもない人達…国民にバレているのがおかしい」

2021.12.1
 EUは、中国共産党元幹部から性的暴行を受けたと告発した女子テニス選手の彭帥氏が安全であることを証明するよう、中国政府に要求したとのことです。
 ロイターの記事によると、欧州対外活動庁は声明で「彼女が自由で脅威にさらされていないことを保証するよう国際的に高まっている要求にEUは賛同する。中国政府に対し、彭選手の安全、健康状態、所在について検証可能な証拠を提出するよう求める」と主張。また、中国当局が彭氏への性的暴行について「完全で公正、透明性のある調査」を行うよう要請したとのことです。
 岸田内閣は、中国政府に、こういう要求すら出来ない。媚中で弱腰、卑屈。情けないね。

2021.12.3
 中国女子テニス選手・彭帥氏が元副首相から性的関係を強要されたと告発して行方不明になっている問題で、女子テニスツアーを統括するWTAが〝中国撤退〟を表明。北京五輪を控え、中国寄りの姿勢を崩さない国際オリンピック委員会(IOC)とは対照的な動きを見せています。
 WTAの決断は、世界から称賛の嵐。今後は多種目や他競技へ波及する可能性も指摘されており、北京五輪への影響は必至の情勢だと東京スポーツの記事が書いています。
 IOCのバッハ会長は、問題が世界に広がると、彭氏とビデオ通話を行い、人権団体から「中国のプロバガンダに加担している」と非難されました。その後も彭氏自身が公の場で自由に発言する機会はなく、「行方不明」「失踪」という報道が多くされています。私は、強い脅迫のもとに軟禁状態にあるのではないかと想像します。
 IOCは12月2日、バッハ会長が彭氏と2度目のビデオ通話を行ったと発表。彭氏は元気で安全というイメージを広げようとしています。五輪開催に莫大な利権を持つIOCとしては、この問題の影響を最小化して、無事に開催したいところでしょうから、中国共産党政府と利害が一致します。しかし、中国政府が彭氏は元気で安全であることを誰もが納得のいく形で示さない限り、IOCの対応は逆効果でしょう。
 WTAの決断は、スポーツ界に大きな影響を及ぼしつつあるようです。「WTAの動きに続く動きが広がれば、北京五輪の成功も危うくなってくる。中国は彭の無事を、誰もが納得する形で証明する必要がありそうだ」と記事は書いています。
 わが国では、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長が、WTAが中国での大会開催見合わせを決めたことについて「正しい判断だと思う」とWTAを支持する考えを示しました。山下氏がどこまで考えているのかは分かりませんが、WTAの決断を支持するならば、最大限の対応は「完全ボイコット」になります。各国の政府及びオリンピック委員会がどのように対応するか注目されます。

2021.12.3
 北京五輪にバイデン米大統領が「外交的ボイコット」を検討していると表明し、ジョンソン英首相等が賛同。日本政府は日本独自の考えで判断するとして態度を明らかにしていません。
 すると中国は、外務省報道官が「中国は東京五輪開催を全力で支えた。日本には基本的な信義があってしかるべきだ」と述べ、日本が外交的ボイコットの動きに同調しないようけん制してきました。国際法すら守らない国が、こういう時には信義を持ち出してくるのですから、老獪です。
 中国は、その一方で、官製メディアを使い、ボイコットに備えた「予防線」を張り始めたと読売新聞の記事が伝えています。
 環球時報は11月30日、関係者の話として、新型コロナウイルス対策のため「五輪に外国要人を大々的に招く計画はない」と伝えたとのことです。「米欧がそろって首脳を派遣しなかった場合に、そもそもコロナ対策で招待しなかったという体裁にすることで、政権への打撃を最小限に抑えようとしている模様だ」と記事は書いています。

2021.12.7
 「日本の尊厳と国益を護る会」が、岸田総理に申し入れ書を渡しました。「北京冬季五輪の外交ボイコットを求める申し入れ」と「中国の人権侵害停止を求める国会決議の早期採択を求める申し入れ」の2通です。その内容のテキストです。

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令和3年12月7日
内閣総理大臣 岸田文雄殿
日本の尊厳と国益を護る会(護る会) 代表 青山繁晴

北京冬季五輪の外交ボイコットを求める申し入れ

 中国の北京において、来年2月に冬季五輪の開催が予定されている。中国政府は、惨たる情況の証言が相次ぐウイグルだけでなく、チベットや南モンゴル、香港でも重大な人権弾圧を重ねており、国際社会から強い批判を浴び続けている。
 アメリカのバイデン大統領は、本日12月7日の日本時間午前3時にホワイトハウスのサキ報道官を通じ、中国国内の人権問題を理由に外交ボイコットを実行することを明らかにした。このままでは、各国の選手団にも影響が及ぶ懸念がある。
 日本政府はまず早急に、中国政府による人権侵害を一切容認しない立場を鮮明にすべきである。
 そして、この人権弾圧が終わらない限り、平和と人間尊重の五輪憲章に反するとして、北京冬季五輪における外交ボイコットがあり得ることを中国政府に伝達する。
 これに対し、中国政府から直ちに納得できる回答がない場合は、外交ボイコットを断行することについて時を置かず全世界に表明し、諸国に外交ボイコットへの参加を呼びかけるべきである。
 こうした手順がないまま日本の外交使節団を北京冬季五輪に派遣すれば、中国政府による人権弾圧を容認し、人間の尊厳を踏みにじる行為を認めない五輪憲章に背くことにもつながる。また、国際社会に誤ったメッセージを送ることにもなる。
 今こそ我が国は、アジアの民主主義のリーダーたる日本の主体的な判断によって上記の行動を起こし、自由と平和を重んじる民主主義諸国との連携を図らねばならない。
 これは、すべての人間の生命、尊厳、人権の擁護に直結し、日本の国益にもつながると確信する。また選手団の安全確保にも繋がる。
                                               以上
 ※ 護る会(日本の尊厳と国益を護る会)は、自由民主党の衆参両院議員68人
  (令和3年12月6日現在)で構成する議員集団です。
  代表は青山繁晴参議院議員。
                                           令和3年12月7日
自由民主党総裁 岸田文雄殿
日本の尊厳と国益を護る会(護る会) 代表 青山繁晴

中国の人権侵害停止を求める国会決議の早期採択を求める申し入れ
 
 ことし6月の先進7か国首脳会議(G7サミット)の首脳声明で、ウイグルの人権問題への懸念が示されるなど、諸国が、中国政府による人権問題を厳しく批判するなか、我が国の国会は、第204回通常国会で中国の人権侵害停止を求める国会決議の採択を見送った。
 こうした国会の鈍い動きは、中国政府による人権弾圧への日本の姿勢について、国際社会へ誤ったメッセージを送ることにもつながる。
 我が党は、先の総選挙における政権公約で「ウイグル、チベット、モンゴル民族、香港など、人権等を巡る諸問題について、主張すべきは主張し、責任ある行動を強く求めます」と掲げている。これを公党として、また政権党として実行せねばならない。
 国会決議は全会一致が原則となっているため、先の通常国会では最終の調整が難航した。この結果は与党の責任こそが重大である。12月の臨時国会において、調整を完遂し、中国による人権侵害の停止を求める国会決議を採択することを強く求める。
 早急に、岸田総裁の指導力のもと、与野党の幹事長と国会対策委員長が国会決議の採択に向けた調整を進めることを要請する。
                                                 以上
 ※ 護る会(日本の尊厳と国益を護る会)は、自由民主党の衆参両院議員68人
  (令和3年12月6日現在)で構成する議員集団です。
  代表は青山繁晴参議院議員。
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 次回に続く。

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