ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権45~集団の権利あっての個人の権利

2013-05-18 06:47:57 | 人権
●集団の権利あっての個人の権利

 権利の個人性・集団性、協同性・闘争性、侵略性・防衛性について書いてきた。ここであらためて個人の権利は集団の権利あってのものであることを強調しておきたい。
 先に集団の権利が確保されて、初めて成員個々の権利が保障されると述べたが、現在の世界における国家の主要形態である国民国家においては、国民個々の権利を保障する主体は、全体としての国民である。政府は、国民を代表して国民の権利を保障する統治機関である。権利は政府によって保障されるものであると同時に、国民が相互に保障するものである。国民が政府から権利の保障を受ける受動性に傾き、互いに権利を保障し合う積極性を失えば、その国民は領土を失い、独立も主権も、自由も権利も、生命も財産も失うことになる。
 独立主権国家として権利を保持するためには、他国に対して権利を主張し、他国の承認を得ねばならない。また権利を侵害された場合は、権利の回復を求め、それが容れられなければ、権利の奪還を図らねばならない。これは国家主権の発動の問題となる。主権については、後の章で国家との関係で述べるが、集団としての権利の一つに国家の権利があり、国家の権利が主権の実態である。国民が主権に参与している場合は、主権は国民の権利である。主権は、国民の個々の権利を協同的に行使してこそ、対外的によく発揮できる。
 人類の歴史は、集団と集団の権利のぶつかり合いを繰り返してきていると先に書いたが、人類史の多くの部分は戦争の歴史だった。戦争のなかった時期の方が珍しい。しかし、20世紀に入り、第1次世界大戦が起こり、戦後、1928年に欧米諸国を中心に不戦条約が結ばれた。不戦条約は、国際紛争の解決はすべて平和的手段によるものとし、一切の武力使用を禁止した。だが、1930年代以降のブロック化、ファシズムの台頭等は不戦条約を空無化し、再び世界大戦が起こった。第2次世界大戦は、科学兵器の発達を促し、最終兵器としての原爆が登場した。しかし、その後も、多くの地域紛争が起こり続けている。こうしたなか、政府と国内の諸個人・諸団体の権利関係及び諸個人・諸団体同士の権利関係を定める国内法に対し、主に国家と国家の権利関係を定める国際法が発達した。
 国際法違反を犯した国家には国家責任が生じ、原状回復、損害賠償、陳謝といった事後救済の義務が生じる。だが、国際社会においてそれを強制執行する仕組みは十分確立されていない。また、客観的な事実認定・違法性認定や法適用を行う制度的保証はない。それゆえ、被害国の自衛権及び非軍事的復仇が認められている。こうした国家レベルでの集団の権利が十分機能するには、国民が権利を協同的に行使し、協力・団結して集団の目的を追求しなければならない。
 わが国の例を取れば、日本は幕末において欧米列強の圧力を受け、不平等条約を締結し、関税自主権を失い、列強に治外法権を与えた。明治維新後、政府は不平等条約の改正に努力し、ようやく明治44年(1911)に両権利の回復を実現した。国家として外国に対する関税の権利を失ったり、外国人に対する裁判の権利を失ったりすると、個人としては相手国に対抗できない。個人の権利として主張しても政府間の取り決めのもとでは認められない。民権は国権が強化されてこそ、拡大し得るものだった。また、わが国は第2次世界大戦末期、ソ連に北方領土を侵攻・占拠された。北方領土の元居住者や土地所有者が、ソ連に対して権利を主張しても認められない。国家として政府が領土返還を交渉し、返還後初めて、個人の権利の回復が可能になる。個人個人の権利の主張では、集団の権利としての領土の領有権を守れない。個人の人権は、国家の安全保障と切り離せず、むしろ後者を前提とするものである。人権を説く論者の多くは、この点において本末転倒に陥っている。
 さて、第2章から第3章にかけて、自由と権利について検討を行った。自由の観念の発生・発達、自由と平等・道徳・経済、権利の歴史、権利の要素、権利の個人性と集団性、協同性と闘争性、侵略性と防衛性を見てきた。この過程で、人権と呼ばれる「発達する人間的な権利」は、国家との関係で考察しなければならないものでるあることが明らかになった。国家との関係で人権を考察するには、まず権力について検討する必要がある。そこで次章は権力について論じたい。

 続く。

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