モーロワは、著書『フランス敗れたり』で祖国の敗因を分析する。以下、私なりに要点を整理してみよう。
●フランスの敗因
1.軍備を怠っていた
モーロワがまず指摘するのは、戦争準備の不足である。フランスは、仏独国境に、防御陣地であるマジノ線を完成していたが、他には多くの欠陥を抱えていた。
ドイツに対して宣戦布告した後、約8ヶ月もの間、フランスは戦争のための準備をほとんどしていなかった。軍備のために必要な兵器の対外発注を行わず、生産水準の極めて低調な内国産業の生産拡大で対応しようとした。そのため、航空機、戦車、対戦車砲、高射砲、機関銃、トラックなど、前線ではあらゆる物が不足していた。
一方、ドイツは1933年の再軍備から7年かけて戦争の準備をしていた。開戦後も着々と侵攻計画を進めていた。そのため、彼我の戦力に大きな差が出来ていた。
2.平和至上主義が戦争を引き起こした
フランスには、第1次大戦後、厭戦気分が蔓延していた。国民は、「あんな馬鹿げた戦争」など二度と起こるはずがないという幻想を抱いていた。そして、いかなる戦争も軍隊も悪という平和至上主義が広がっていた。しかし、平和至上主義こそが、ドイツへの対応をにぶらせ、ドイツの侵攻を招いた。
3.社会主義が敵国を有利にした
ロシア革命後、マスコミ・知識層・労働者・学生たちに社会主義が浸透した。社会主義は国内に思想的・階級的な対立を生み、国民がまとまらなかった。ソ連への幻想が、国内の団結より、他国への連帯を意識させた。社会主義の思想は、常に外国の利益に奉仕する結果となった。
4.国際連盟に期待しすぎていた
国民の間に、国際連盟があれば地上から戦争はなくなるという過度の期待があった。
事情はイギリスでも同様だった。モーロワは書く。「英国は国際連盟というものに過大なる重要性を与えていて、半ばは真面目な理想主義と、半ばは国際連盟というものが、お説教の一斉射撃で大砲を圧倒するだろうという誤れる考えとによって動かされていたのだ」と。
5.専守防衛の誤りを侵した
フランスは、ドイツに対し、専守防衛に徹した。敵国が攻めてくるまで待ち、それを迎え撃つことしか考えていなかった。
宣戦布告後、約8ヶ月もの間、相手に、攻撃の準備をする時間を与えてしまった。戦争は前大戦と同じく膠着戦になるという前提で、長期戦の戦略が立てられた。ドイツが取っている新しい戦術、電撃戦への対応が全くできていなかった。
6.希望的観測に陥り、現実を見なかった
フランスは、ヒトラーが政権をとっても、正確な情報を得ようとしなかった。ドイツは攻めてはこないだろうという希望的観測によって、国際社会の現実を見ようとしていなかった。
フランスは、最後の瞬間までドイツとの戦争は交渉によって避けうるものと思っていた。ナチス・ドイツは虚勢を張っているだけで実際は弱体であると考えていた。
7.首脳部に不協和があった
当時、交互に首相・蔵相・外相を務めたダラディエとレノーは、権力争いのためにお互いを非常に嫌悪していた。互いの愛人が政治に口を出したこともあり、個人的な争いを行なっていた。開戦時の首相レノーと総司令官ガムラン元帥との間にも攻勢論と守勢論とで軋轢があった。
これらフランス首脳部の不協和は、イギリスをして、「彼らはドイツと戦争する暇がないのだ。お互い同士の間で戦争をするのに忙しいから」と言わしめるほどだった。
8.敵国の宣伝工作にやられた
仏英は、かつて百年戦争を戦った。フランスには、その記憶による反英感情があった。ドイツの宣伝戦は、英仏を離反させることを狙っていた。これに、国内の「第5列」つまりナチ・シンパが呼応していた。
仏英の離反は、大戦直前まで高い成果を上げていた。ドイツの情報操作により、フランスが強大化するという妄想を抱いたイギリスは、ドイツに軍事的な援助を与えていた。同盟国より、敵国を強大化させる愚を犯した。
●前車の轍(わだち)
モーロワの挙げるフランスの敗因は、ドイツに侵攻される前のフランスの事情である。それを現代日本の事情と照らし合わせてみよう。1930年代~1940年における仏英独の関係は、現代の日・米・中に対比できる。
以下の1~8は、先ほどの敗因である。下にそれぞれつけた文章は、現代のわが国の事情である。
1.軍備を怠っていた
わが国は、第1次大戦後の欧州における歴史的教訓に学ぶことなく、軍備を怠っている。憲法第9条によって、国防に大きな制約がかけられている。国民に国防の義務がなく、国防の意識が極度に弱い。防衛・防災の訓練もされていない。
2.平和至上主義が戦争を引き起こした
現行憲法は、平和至上主義の法典である。もう戦争は起こりえないという思い込みも、国民に広がっている。それが周辺諸国の侵攻意欲を刺激し、冒険主義を助長している。
3.社会主義が敵国を有利にした
かつてわが国の社会主義運動は、旧ソ連に奉仕した。現在では、中国・北朝鮮を利する行動になっている。国境を越えた連帯は、現在の東アジアでは、中華共産主義の拡大を促進するものとなっている。
4.国際連盟に期待しすぎていた
第1次世界大戦後、国際連盟への過度の期待が、仏英に惨禍を招いた。第2次大戦後、わが国はその教訓に学んでいない。国際連合への誤認と幻想が、政治家にも広く見られる。
5.専守防衛の誤りを侵した
専守防衛主義の誤りは、仏独戦も証明している。国防の自制は、他国の侵攻を容易にする。自らの身を守るには、自らの手を縛ってはいけない。
6.希望的観測に陥り、現実を見なかった
わが国には、中国・北朝鮮は攻めてこないだろうという主観的願望が広がっている。東シナ海での領海侵犯や竹島占拠、テポドン乱射の現実を、国民は本気で見ようとしていない。
7.首脳部に不協和があった
わが国では、政党の間の党利党略、政治家の間の私利私略が横行している。政敵を攻めるために、他国の容喙を呼び込む者がいる。しかも、歴史認識、教科書、靖国神社等、国家の根幹に関わることを、政略に使っている。
8.敵国の宣伝工作にやられた
ドイツは、仏英を離間しようとした。中国は、日米を離反させる工作をしている。親中派の政治家・財界人や共産主義者・朝日新聞等が、その工作を助長し、時に中国を扇動している。
これらをまとめると、フランスで敗北の原因となったのと共通の要素を取り除くことが、わが国に国家の安泰、民族の繁栄をもたらし、東アジア及び世界の平和に寄与することともなるだろう。
次回に続く。
参考資料
・国防に関する拙稿は、以下のページに掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08.htm
07-10の項目をご参照のこと。
■追記
本稿を含む「『フランス敗れたり』に学ぶ~中国から日本を守るために」は、以下のページに掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08l.htm
●フランスの敗因
1.軍備を怠っていた
モーロワがまず指摘するのは、戦争準備の不足である。フランスは、仏独国境に、防御陣地であるマジノ線を完成していたが、他には多くの欠陥を抱えていた。
ドイツに対して宣戦布告した後、約8ヶ月もの間、フランスは戦争のための準備をほとんどしていなかった。軍備のために必要な兵器の対外発注を行わず、生産水準の極めて低調な内国産業の生産拡大で対応しようとした。そのため、航空機、戦車、対戦車砲、高射砲、機関銃、トラックなど、前線ではあらゆる物が不足していた。
一方、ドイツは1933年の再軍備から7年かけて戦争の準備をしていた。開戦後も着々と侵攻計画を進めていた。そのため、彼我の戦力に大きな差が出来ていた。
2.平和至上主義が戦争を引き起こした
フランスには、第1次大戦後、厭戦気分が蔓延していた。国民は、「あんな馬鹿げた戦争」など二度と起こるはずがないという幻想を抱いていた。そして、いかなる戦争も軍隊も悪という平和至上主義が広がっていた。しかし、平和至上主義こそが、ドイツへの対応をにぶらせ、ドイツの侵攻を招いた。
3.社会主義が敵国を有利にした
ロシア革命後、マスコミ・知識層・労働者・学生たちに社会主義が浸透した。社会主義は国内に思想的・階級的な対立を生み、国民がまとまらなかった。ソ連への幻想が、国内の団結より、他国への連帯を意識させた。社会主義の思想は、常に外国の利益に奉仕する結果となった。
4.国際連盟に期待しすぎていた
国民の間に、国際連盟があれば地上から戦争はなくなるという過度の期待があった。
事情はイギリスでも同様だった。モーロワは書く。「英国は国際連盟というものに過大なる重要性を与えていて、半ばは真面目な理想主義と、半ばは国際連盟というものが、お説教の一斉射撃で大砲を圧倒するだろうという誤れる考えとによって動かされていたのだ」と。
5.専守防衛の誤りを侵した
フランスは、ドイツに対し、専守防衛に徹した。敵国が攻めてくるまで待ち、それを迎え撃つことしか考えていなかった。
宣戦布告後、約8ヶ月もの間、相手に、攻撃の準備をする時間を与えてしまった。戦争は前大戦と同じく膠着戦になるという前提で、長期戦の戦略が立てられた。ドイツが取っている新しい戦術、電撃戦への対応が全くできていなかった。
6.希望的観測に陥り、現実を見なかった
フランスは、ヒトラーが政権をとっても、正確な情報を得ようとしなかった。ドイツは攻めてはこないだろうという希望的観測によって、国際社会の現実を見ようとしていなかった。
フランスは、最後の瞬間までドイツとの戦争は交渉によって避けうるものと思っていた。ナチス・ドイツは虚勢を張っているだけで実際は弱体であると考えていた。
7.首脳部に不協和があった
当時、交互に首相・蔵相・外相を務めたダラディエとレノーは、権力争いのためにお互いを非常に嫌悪していた。互いの愛人が政治に口を出したこともあり、個人的な争いを行なっていた。開戦時の首相レノーと総司令官ガムラン元帥との間にも攻勢論と守勢論とで軋轢があった。
これらフランス首脳部の不協和は、イギリスをして、「彼らはドイツと戦争する暇がないのだ。お互い同士の間で戦争をするのに忙しいから」と言わしめるほどだった。
8.敵国の宣伝工作にやられた
仏英は、かつて百年戦争を戦った。フランスには、その記憶による反英感情があった。ドイツの宣伝戦は、英仏を離反させることを狙っていた。これに、国内の「第5列」つまりナチ・シンパが呼応していた。
仏英の離反は、大戦直前まで高い成果を上げていた。ドイツの情報操作により、フランスが強大化するという妄想を抱いたイギリスは、ドイツに軍事的な援助を与えていた。同盟国より、敵国を強大化させる愚を犯した。
●前車の轍(わだち)
モーロワの挙げるフランスの敗因は、ドイツに侵攻される前のフランスの事情である。それを現代日本の事情と照らし合わせてみよう。1930年代~1940年における仏英独の関係は、現代の日・米・中に対比できる。
以下の1~8は、先ほどの敗因である。下にそれぞれつけた文章は、現代のわが国の事情である。
1.軍備を怠っていた
わが国は、第1次大戦後の欧州における歴史的教訓に学ぶことなく、軍備を怠っている。憲法第9条によって、国防に大きな制約がかけられている。国民に国防の義務がなく、国防の意識が極度に弱い。防衛・防災の訓練もされていない。
2.平和至上主義が戦争を引き起こした
現行憲法は、平和至上主義の法典である。もう戦争は起こりえないという思い込みも、国民に広がっている。それが周辺諸国の侵攻意欲を刺激し、冒険主義を助長している。
3.社会主義が敵国を有利にした
かつてわが国の社会主義運動は、旧ソ連に奉仕した。現在では、中国・北朝鮮を利する行動になっている。国境を越えた連帯は、現在の東アジアでは、中華共産主義の拡大を促進するものとなっている。
4.国際連盟に期待しすぎていた
第1次世界大戦後、国際連盟への過度の期待が、仏英に惨禍を招いた。第2次大戦後、わが国はその教訓に学んでいない。国際連合への誤認と幻想が、政治家にも広く見られる。
5.専守防衛の誤りを侵した
専守防衛主義の誤りは、仏独戦も証明している。国防の自制は、他国の侵攻を容易にする。自らの身を守るには、自らの手を縛ってはいけない。
6.希望的観測に陥り、現実を見なかった
わが国には、中国・北朝鮮は攻めてこないだろうという主観的願望が広がっている。東シナ海での領海侵犯や竹島占拠、テポドン乱射の現実を、国民は本気で見ようとしていない。
7.首脳部に不協和があった
わが国では、政党の間の党利党略、政治家の間の私利私略が横行している。政敵を攻めるために、他国の容喙を呼び込む者がいる。しかも、歴史認識、教科書、靖国神社等、国家の根幹に関わることを、政略に使っている。
8.敵国の宣伝工作にやられた
ドイツは、仏英を離間しようとした。中国は、日米を離反させる工作をしている。親中派の政治家・財界人や共産主義者・朝日新聞等が、その工作を助長し、時に中国を扇動している。
これらをまとめると、フランスで敗北の原因となったのと共通の要素を取り除くことが、わが国に国家の安泰、民族の繁栄をもたらし、東アジア及び世界の平和に寄与することともなるだろう。
次回に続く。
参考資料
・国防に関する拙稿は、以下のページに掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08.htm
07-10の項目をご参照のこと。
■追記
本稿を含む「『フランス敗れたり』に学ぶ~中国から日本を守るために」は、以下のページに掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08l.htm
実際にあった外務省からの電話について書かれています。
一読されてみては?