ほそかわ・かずひこの BLOG

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仏教102~浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗の共通点

2021-01-16 15:33:14 | 心と宗教
◆日蓮(続き)

・思想
 日蓮は、『法華経』の眼目は「南無妙法蓮華経」の題目であるとし、題目を専唱すると貴賤・老若・男女の差別なく、また善人・悪人の違いなく、すべての人が成仏できると説いた。釈迦の説いた真実の教え、唯一の正法は、ただ『法華経』のみとし、『法華経』以外の経典をすべて捨てて、『法華経』を専持すべしと説いた。こうした日蓮の姿勢は、他宗派に対して戦闘的・攻撃的である。仏教は寛容さを特徴に持つ宗教だが、日蓮は異例である。
 日蓮は、来世における救済よりも、現世における救済を重視する。『立正安国論』で説いたように、『法華経』の信仰による正しい仏法が普及すれば、国土の災難は収まり、世直しができると説く。この強い現世志向が日蓮宗の特徴となった。
 日蓮宗は現世志向が強いが、来世を否定しているのではない。日蓮宗では、末法の時代において、『法華経』を信仰する者は、娑婆世界に内在する霊山(りょうざん)浄土に住む久遠実成の釈迦牟尼仏から功徳を譲り与えられ、来世においては霊山浄土に転生することができるとする。そのうえで、現世において『法華経』に基づく仏国土を建設することを熱烈に目指すのである。
 ところで、日蓮が教義論争で重視したものに、三証がある。三証とは、仏教で真理を証明する方法とするもので、文証・理証・現証の三つをいう。三証がそろって完全な証明がされるとする。
 文証とは、一つの教義または主張がいかなる文献に基づいているかを調べて判定の基準とすること。理証とは、それが道理にかない、適しているかを調べて判定の基準とすること。現証とは、そこに説かれる内容が現実の社会や生活において証明されるかどうかを判定する基準とすることを意味する。
 三証は、仏教一般で使われるが、主に日蓮系の諸宗派で使用される。その場合は、仏教の内部だけでなく、あらゆる宗教の真偽、高低、浅深、優劣を判断する基準とされる。日蓮は、『法華経』を最高の経典とし、他の経典はそれに劣るとし、他の宗派を激しく批判した。また、「一切は現証に如(し)かず」「道理証文よりも現証には過ぎず」と述べ、三証の中で現証を最も重要視した。
 私見を述べると、いかなる教義・主張でも、現実に証明されなければ意味がない。正しい教えであればそれを信じて行えば、現実の生活上に結果が現れるはずである。
 その点で、現証を最重要視する日蓮の主張は、合理的かつ説得的である。だが、彼の主張に基づいて、『法華経』及び日蓮の教義を検討するならば、説く内容に確かな実証が伴っておらず、また科学の知見との乖離が大きい。その点で、それらは、仏教の他の経典・教義と特に異なるものではない。
 日蓮は、過激な法華経至上主義に立つが、その反面、日本は「神国なり」といい、天皇への崇敬を表している。『神国王御書』に、「わが日本国は、一閻浮提の内、月氏、漢十にもすぐれ、八萬の国にも超えたる国ぞかし」として、日本が神々の守護する特別の国であるという認識を示した。また、『高橋入道殿御返事』に、「日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給う王也」と述べ、天皇は皇祖神の霊を継承しているとの認識を表した。
 二度にわたる元寇において、第一回の「文永の役」に際して、後深草上皇は石清水八幡宮に参拝し、異国調伏を祈願した。蒙古軍撤退の知らせがもたらされると、亀山上皇は石清水八幡宮に参拝し、勝利と国土安穏の感謝の祈りを捧げた。第二回の「弘安の役」においても、亀山上皇は石清水八幡宮に参籠し、敵国降伏を祈願した。 鎌倉武士は、国家の安泰を願う皇室の思いに応えて懸命に国土防衛に献身した。君臣一体となって人事を尽くしたところに、神佑天助が得られ、日本は守られたということだろう。日蓮の説くところとは異なり、国民が法華経に帰依せずに、日本は守られた。そのことは、また天変地異や内乱・外寇が法華経信仰の盛衰とは関係がないことを示している。
 だが、日本を神国とし、天皇を尊崇する日蓮の姿勢を、後世の日蓮主義者の一部は受け継ぎ、国難の際に勇敢な行動を取ってきた。その一方、今日、日蓮正宗の系統の在家主義集団が、国防の強化に消極的で、周辺国を利する政策を推進しているのは、日蓮の意思に反するものだろう。

●浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗の共通点
 
 日蓮は浄土信仰の教団を激しく非難し、浄土宗徒は日蓮に対して襲撃や讒言で応じた。浄土信仰の浄土宗・浄土真宗・時宗と日蓮宗の間には、こうした対立関係があるものの、その反面には、これらの宗派のすべて、または多くに共通する点もある。
 第一に、これらの四つの宗派の開祖たちは、シナに留学してシナ仏教を学ぶことなく、日本において聖典を研究して教説を生み出した。また、この点は、当時の既成宗派や禅宗と出自が異なる。
 第二に、仏教には膨大な経典、多数の仏・如来のある中で、四つの宗派とも唯一の経典ないし唯一の仏・如来を選び出し、他の経典・仏・如来を斥け、それ一本に絞って信仰する。これを選択(せんじゃく)と専修(せんじゅ)という。
 第三に、開教にあたっては、既成宗派から独立し、草庵から出発した。また、朝廷や幕府を受けることなく、武士や民衆に支えられて発展した。
 第四に、難しい教義や厳しい修行ではなく、在家の信者が日常生活の中で実践できる易行を説いた。「南無阿弥陀仏」と称名を唱える、踊りながら念仏を唱える、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることで救われるとした。
 第五に、貴賤・老若・男女の差別なく、また善人・悪人の違いもなく、誰もが往生や成仏できるとして、民衆に希望を与えた。

 次回に続く。

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