ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教197~ローマ教皇が史上初の謝罪

2019-05-12 08:43:55 | 心と宗教
●ローマ教皇が史上初の謝罪

 1978年に教皇になったヨハネ・パウロ2世は、ポーランド生まれで、共産圏から初めて選ばれた教皇だった。世界40数ヶ国の平和訪問を行い、1981年2月には、歴代教皇で初めて日本を訪れた。東京の後楽園球場で野外ミサを行い、広島の平和記念公園で世界に向けて平和メッセージを発した。長崎の松山競技場でのミサは風雪に見舞われた。その年5月、共産圏への影響を恐れたソ連のKGBの画策で、トルコ人マフィアに銃撃され、重傷を負ったが一命を取り留めた。翌年には、第2ヴァチカン公会議の決定に反発する保守派の神父に銃剣で襲われ、けがをしたが、これも命に別状はなかった。
 先に書いたようにヨハネ・パウロ2世は、出身国であるポーランドの民主化に大きな影響力を振るった。その影響力は、ポーランドをてことして東欧諸国の民主化に広がり、ソ連の解体にまで及んだ。キリスト教が共産主義を突き崩したとも言える。その点において、ヨハネ・パウロ2世は、歴史的に重要な人物である。
 また、ヨハネ・パウロ2世が歴史的に重要なのは、ローマ教皇として、はじめてカトリック教会の過ちを謝罪したことである。
 ローマ・カトリック教会では、イエスがペトロに授けた神の代理人としての権限は、教皇に代々受け継がれているとする。それゆえ、ローマ教皇は過去、謝罪をしなかった。そのうえ、1870年の第1ヴァチカン公会議で教皇の不可謬性が教義とされた。だが、ヨハネ・パウロ2世は、公にかつ明確に謝罪を行った。
 謝罪のはじめとされるのは、1632年に下された天文学者ガリレオ・ガリレイの異端裁判の判決を「教会の過ち」と認め、1992年にガリレオに謝罪したことである。
 さらに重要なのは、1998年に、第2次世界大戦中のナチスによるユダヤ人虐殺をヴァチカンが黙認したことを罪と認め、悔い改めて追悼する公式文書を発表したことである。
 ここに至るまでには、次のような経緯があった。第2次大戦後、1948年にイスラエルが独立した際、ヴァチカン市国(ローマ教皇庁)はイスラエルを正式に承認しなかった。翌年イスラエルは国際連合の加盟を承認されたが、その後も、ヴァチカンはシオニズム運動に反対し、イスラエルを承認しなかった。1964年の第2ヴァチカン公会議で、キリストの死に対するユダヤ人の集団罪が否定された。そして、カトリック教会は、教義から反ユダヤ的な教えを削除した。1993年、ヨハネ・パウロ2世は、イスラエルのチーフラビであるイスラエル・ラオと会見し、2千年に渡る確執を超えて、歴史的な和解への第一歩を踏み出した。翌年、ヴァチカンはイスラエルとの国交の樹立に合意し、教皇の公式訪問の道を開いた。
 このような経緯があって、1998年のヨハネ・パウロ2世による謝罪がされたものである。しかし、「我々は忘れない、ホロコーストへの反省」と題された謝罪と追悼の文書には、ナチスに協力し、ユダヤ人迫害を黙認したピウス12世を擁護した部分があったことから、イスラエルのユダヤ教指導者から反発の声が上がった。
 ヨハネ・パウロ2世は、世紀の変わり目となる西暦2000年に、歴史的な謝罪を行った。教皇は、新たな千年紀(ミレニアム)を「新しい衣で迎えたい」という決意から、カトリック教会の過去の所業を次々と謝罪した。その年に行った謝罪は、26回を超えた。最も重要なのは、2000年3月12日に行われた特別ミサである。教皇は、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院で、カトリック教会の過去の過ちを認め、神に赦しを請う特別ミサを開いたのである。この歴史的なミサには、聖職者や信者など約1万人が参加した。ミサにおいて、教皇は、キリスト教の教会の分裂、改宗の強制、十字軍、異端審問、魔女裁判、反ユダヤ主義等について教会や信者の責任を認めた。そして、キリスト教の神に対して、「私たちは、私たちの先人が犯した誤りと過ちの重荷を担います」「キリスト者の間で、ある人たちが真理への奉仕に暴力を行使し、またある人たちが他の宗教を信じる人々に対して不信や敵意に満ちた態度を取ったために起きた分裂の宥しを願います」と言上した。
 この言上において、教皇は、ユダヤ人に対して「歴史上、あなたがた神の子を苦しめた行為を深く悲しみ、許しを求め、真の兄弟愛を誓います」と述べた。しかし、ここではナチスによるユダヤ人大量虐殺へのカトリック教会の対応について直接言及しなかった。
 戦前の日本軍の慰安婦問題や南京事件に関して、わが国に根拠なく謝罪を求める動きが韓国・中国や左翼団体等によってなされており、キリスト教徒の中にも同調する者がいるが、教皇の謝罪は歴史的な事実に基づく謝罪であり、比較すべき事例にならない。
 ローマ・カトリック教会の頂点に立つ教皇が、これほど包括的にカトリック教会の歴史的な罪を認め、謝罪したのは、2千年の教会史上で初めてのことだった。このことは、キリスト教史においてのみならず、世界宗教史においても、重要な意味を持つ事柄である。人類は長い歴史を経て、これまでの「夜の時代」から「昼の時代」へ大転換しつつある。この転換期において、従来宗教は徐々にではあるが、発展的解消の方向へと向っている。西暦2000年の教皇ヨハネ・パウロ教皇の懺悔は、そうしたスケールの中で、位置付けられる出来事である。ただし、その後もカトリック教会は、公式には「教皇の無謬性」という教義を変えてはいない。

 次回に続く。

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